第34話 捜索(6)
猟師たちは僕らを交番のそばまで送り届けると、警察官に挨拶もせず、疲れ切った顔で軽トラに乗ってどこかに行ってしまった。
気持ちはわからんでもない。あの扉を叩く振動はどう考えても異常だったし、彼らは熊の仕業だと思っていたのだから、緊張しないほうがおかしい。さらには廃屋を完全に崩壊させ、残ったのは怪しげな中学生だ。関わり合いになりたくないに決まってる。
「さて、どうするよ」
「さっきと同じ言い訳でいいと思うけど、問題はクリスのナイフだな。あれを見とがめられたらシャレにならん」
僕達のしょぼくれたナイフは山の中に捨ててきてしまったのだが、クリスのナイフは大事にしていそうだし、そう簡単に手放しはしなさそうだった。いまはクリスとは言葉も通じないので説得も厄介だ。
当のクリスは、無邪気に辺りを見回している。アスファルトから信号までありとあらゆるものを興味深く観察していて、とても充実していそうだ。僕らだって、クリス達の世界に行ったなら、ありとあらゆるものを目に焼き付けようとするだろう。
ともかく、辺りを見渡して、いったんナイフを隠す場所を探した。
ちょうど観光用のお寺があったので、そこの公衆トイレに行き、掃除用具入れにナイフを隠した。クリスは抵抗したが、二人がかりでにらみつけ、何とか納得させた。
交番に入ると、当然のように扉が閉まっていた。
呼び鈴をみつけて鳴らすと、奥で食事をしていた初老のお巡りさんが、やれやれと文句を言いながら出てきた。
「はいはい、どうなすった」
柔らかい雰囲気というか、少し抜けた感じのするお巡りさんだった。
「すみません、電話をお借りできませんか。僕ら、全然知らない場所で車から降ろされちゃって。お金もスマホもないんです」
トシキの話にお巡りさんはびっくりして、慌てて書類を出し始めた。
「いやいや、そんな大げさなものじゃなくて。兄のいたずらで、しょっちゅうあるんです。今回も山の中に置き去りにされたんですけど、今回は運悪くカバンを川に落としちゃって…」
スラスラと口から出まかせを言ってのけるトシキに僕は素直に感心していた。後でクリスに聞いてみると、この時トシキが大人と一歩も引かず交渉しているのに感動しているのかと思っていたという。
「まず、家に連絡させてほしいんです」
本当は、ここですぐに電車賃を借りることが出来れば手っ取り早いのだが、いきなりお金を要求すれば怪しまれると考えたのだろう。
お巡りさんは少しだけ考えたが、すぐ電話を貸してくれた。
僕は家の固定電話の番号を思い出せなかったので、家に置いてある自分のスマホに電話をかけた。留守番しているはずのケラ子が取ってくれればいいのだが。
4,5回のコールで、ケラ子がでた。
『…もしもし』
「もしもし、ケラ子か?兄ちゃんだ」
『にいちゃ!』
ケラ子がはじけるように叫ぶのが聞こえた。
「三人とも無事だよ。父さんか母さんを呼んできて、いまからいう電話番号にかけなおしてもらってほしいんだ」
『わかった!』
ケラ子がちゃんと電話番号をメモできるか若干不安に思いながら、交番の電話番号をつたえると、ケラ子は『じゃ、呼んでくる!』と電話をブツ切りした。
「…すぐ、かけなおしてくると思います」
お巡りさんに伝えると、彼はほっとした顔をして「酷いことをする兄ちゃんだねえ。野犬や熊に出会わなかったかい」と訊いてきた。
「いえ、そんなのいるんですか」
僕らは素知らぬ顔で聞き流した。もうこの山に、オオカミと噂された野犬たちは現れないと思う。
「何か月か前も、母娘が山に入ったまま行方不明でね。怖いことだよ、本当に」
お巡りさんは世間話を続けようとしたが、疲れ切った僕らの顔をみて、話すのをやめた。正直助かる。
クリスは元気に交番の中をきょろきょろと見渡していたが、外国の子かい、と先に訊かれたので、そうですと答えるにとどめたところ、それ以上深くは聞かれなかった。
不意に交番の電話のベルが鳴り、まどろみかけていた目が覚めた。
「はい、こちら来泉寺駐在所です。…ええ、そうです。お子さんに代わりますのでお待ちください」
差し出された受話器を受け取ると、鼓膜が破れるかと思うほどの大声が聞こえた。
『ユウタ!お前ら!!なんでそんなとこに!!』
父さんだ。興奮して何を言いたいのかさっぱりわからない。
「心配かけてごめん。三人とも元気だよ。山から下りてくるのに疲れちゃった」
すぐ迎えに行く、と父は即答した。
「え、でも三人だし、富山までなら電車のほうが」
『そんなわけにいくか。クリスもいるんだろう』
その通りだった。何をしでかすかわからないので、電車はリスクが高い。それに、ナイフも回収して持ち帰らないといけない。
「それじゃ、悪いけど、来てもらえるかな」
『詳しい話は車の中で聞く。2時間もあれば着くから、おとなしく待ってろよ』
父さんは手早く電話を切った。短い電話だったけど、心配していたのは伝わった。
「ありがとうございました。富山から迎えに来るそうです」
お巡りさんに礼を言うと、
「富山のどこからか知らないが、2時間では厳しいんとちがうか。速度違反の取り締まりでもやってもらうか」と意地悪く笑った。
「すみません、待たせていただいていいですか」
「ええよええよ。仕事やさけ。それに、もうそろそろ花火も始まるころや」
花火、と訊き返そうとしたタイミングで、表でドーンと大きな音がした。
「勝山の花火大会の日や。そっちの外国の子も、今日見られてラッキーやったな」
交番の外に出ると、あまり近くではないものの、ゆっくりと球形に舞い散る花火の残光が見えた。
次々に上がる花火を見て、僕はトシキに訊ねた。
「そういえば、今日何日だったっけ」
トシキも「あれ?たしか8月の…」と心もとない。
横で見ていたお巡りさんが「14日や」と教えてくれた。
「夏休みも半分すぎたな」
僕がトシキに話しかけると、トシキの顔色が悪い。
「いや、北海道は夏休み短いんだよ。あと一週間しかないわ…」
「マジか…」
思わず同情する。
「グラウンドは完成しそうにないな」
「野球はどのみち無理だっただろ、どう考えても」
少し笑いが込み上げてきた。
ふとクリスのほうを見ると、クリスは花火を見上げて泣いていた。
何を感じていたのか、もしくは何かを思い出していたのか。
僕らにはわからなかった。
「戻ったら、また遊びつくそうぜ」
トシキが言った。
「ああ」
僕が頷くと、クリスも何かを感じたのか、一緒に頷いた。
「まだ一週間もあるんだ」
父さんの車はものの見事に花火渋滞に巻き込まれて、結局到着したのは22時過ぎだった。僕らは寝ぼけ眼で交番から車内に移り、そのまま何も話すことなく寝入ってしまった。そして、僕の家に到着するまで、一度も目を覚まさなかった。
いや、正確に言うと、途中でクリスがナイフを忘れたことに気づき、引き返したのだけれど。
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