第32話 捜索(4)

 そんなこと、ありえるものなのか?

 僕とトシキは顔を見合わせた。

 確かに、僕ら以外と話が通じないのも、犬たちと話が通じるのも、それなら理屈は通る。けど、飼い犬だった犬のハチはそれまでどうしていたのだろう。

「ハチ…は、おばさんの家の飼い犬だったんですよね?いつからこちらに住んでいたんでしょう」

 母親は、憶測もあるけれど、と付け加えたうえでこう話した。

「私たちが以前の家を手放す日に、ハチはすでにいなかったのよ。誰かが開けたときに入れ違いにこちらに来てしまって、そのまま戻れなくなっていたのかもしれないわ。無責任なようだけれど、あの日の私たち一家に、ハチを探す余裕はなかった」

 難しい顔をしている僕たちに、ラグナが何の話をしているのかと訊ねてきたが、あえて訳しはしなかった。

「あの怖い犬たちがいつからあの廃屋に住み着いて、こちらに出入りできるようになったのかは知らないけれど、あの犬たちの仲間になってから、ハチは廃屋に出られるようになった。そこで偶然私たちを見つけて、連れてきてくれた。私たちはハチを一度捨てたのにね」

 自嘲の笑みを浮かべるリアの母親。それを見つめるリアの顔も沈んでいた。


 僕は、この家にこの親子が二人きりでいるのはよくないと思った。

「お二人は、まだ村人登録が消されたわけではないんですよね?」

 意を決して聞いてみた。

「たぶんね。転出届なんてものがあるのかも知らないけれど」

「もしかしてなんですが、一度うちの勝手口から僕の住んでる家に出て、入りなおしたら、また村人と話ができるようになるんじゃないですか?」

 あ、とトシキが声を上げた。

「そっか。それができるなら、村の中でみんなの助けを借りて暮らすことが出来るよな」

 そうだ。こっちの生活でゆとりができれば、あっちに戻って生活を立て直すことだってできるんじゃないか。

「えっ、また村に入れるの?」とリアは即座に反応したが、母親のほうはまだピンと来ていないようだった。


「とはいえ、気になってることが一つ。前にトシキの父ちゃんに聞いたことがあるんだ。他の家の勝手口から村を出てもいいのかって」

「ダメなのか?」トシキが尋ねる。

「その時の話では、ルールとしてダメ、みたいなニュアンスだった。つまり、物理的(?)に無理というわけではなさそうな感じだった」

 うーん、とトシキが首をひねる。

「父ちゃんのことだから、やったことあるのかもな」

 なるほど、わからんでもない。

「もしそれが問題なら、一つ試してみようぜ」

 トシキが鼻を擦りながら提案した。

「俺たちがここから出てみればいい」

「それもそうだな」と僕も応じた。


 他人の家で図々しくくつろいでいるラグナたちを残し、僕とトシキはリア親子と一緒に、外から勝手口に回った。

「あまり向こう側は、ひとに見せたくないのだけれど…」

 と言いながらリアの母親が扉を開けると、そこには凄惨な光景が広がっていた。

 元々あまり上等な建物ではなさそうだった。壁のベニヤ板は反り返り、床はあちこち抜けていた。サッシやガラスは苔むして緑色になっており、あちこち割れている。不法投棄されたのか、もともとあったのか、壊れた家電製品が隅に積み上げられ、あちこちに動物の糞尿が溜まっていた。

 違う意味で足を踏み入れるのが躊躇われたが、トシキはこういう場所に割と慣れているのか、あっさりと入っていった。僕も慌てて後を追う。

「北海道には、わりとこういう廃屋多いからな」

 僕の住んでる富山もそうかもしれないが、ここまで朽ちているのは珍しいんじゃないかと思った。

「おい、廃墟探訪じゃないんだ。まず戻れることを確かめないと」

 僕がたしなめると、そうだった、と言いながら戻ってきた。

 勝手口の扉を手で押さえたまま、リアの母親がくすくす笑っている。

「やっぱり男の子ねえ」と言われ、トシキは少し赤くなった。


 出ていったばかりの世界から三十秒ほどで戻ってきた。

「ちゃんと戻れるみたいだな」

 これで一安心だが、もう一つ確かめなきゃいけないことがある。

「僕らの考えが間違ってなければ、もうラグナやチャドとは言葉が通じなくなっているはずだな」

 トシキが頷く。

 そして三人で家の中に戻ろうとしたその時、一匹のヘルハウンドが駆け込んできた。


「ユミ、大変だ。あの子らを今すぐ追い返せ」

 ヘルハウンドが話す言葉を、僕は日本語のように自然に理解した。トシキも同じようだった。

「どうしたの?みんなは?」

 母親の名前はユミというらしい。ヘルハウンドに名前で呼ばれてるのが不思議に思えた。

「あの子らの探してたガキは見つかった。だが巨鳥がいるうちは手が出せないから戻ってきたんだが、それどころじゃない。ボスがここに向かってる」

「ボスが?大変!」

 ユミがにわかに取り乱した。

「おばさん、ボスって何者なの?」

 トシキが尋ねると、ユミは早口で説明した。

「簡単に言うと、私たちの勝手口を管理してる、いわば村長よ。すごく危ない人だから、急いで逃げたほうがいいわ」

「そりゃまずい。あいつらにも知らせないと」


 言って気づいた。

 僕らは今、ラグナたちと言葉が通じない。


「おい、なんでお前ら、俺の言葉がわかる…!?」

 ヘルハウンドも、僕らの様子から異変に気付いたようだ。

「さては、俺たちの勝手口を勝手に通ったのか!勝手口だけに!!」

 今そのダジャレはいらないと思ったが、指摘してる場合でもない。

「まずいぞ…を通したことがボスにばれたら、この子たちも俺たちもただじゃすまない」

 混乱してきた。やはり僕らは彼らの敵だったのか。

 彼らが恐れるボスとは何者なんだろうか。

「ともかく、お前ら二人は勝手口からあっちに隠れろ。他の連中はに通訳してもらって、お前らの村に返しておく。早く行け!」

 ヘルハウンドに追い立てられ、僕とトシキは勝手口からもう一度廃屋に戻り、扉を閉めた。


「…ヤバいな」

「うん」

 トシキの呟きに僕も思わず応じた。

「このまま向こうからこの扉を開けてくれなかったら、どうする?」

 僕もそれを考えていた。僕らは彼らの村の人間ではないから、この廃屋の勝手口を開いても、異世界には繋がらない。戻れないのだ。

「そうなったら麓まで歩いて降りて、警察でお金借りて電車で帰るしかないな」

「ここがどこなのか、おばさんに聞いたっけ?」

「聞いてない」

「ヨウタの家は富山で、うちが北海道だろ。どこに出ても、わりと大旅行だよな」

「いいんじゃないか、夏休みだし」

 僕らは顔を見合わせて、ひとしきり笑った。


「ともかく、イドの居場所はわかったって言ってたな」

「ほんと、それだけはマジでよかった。あとは大人たちに知らせれば、何とかしてくれるだろ」

 少しだけ会話の間が空いた。

 帰ったら、全員が親たちから大目玉を食らうだろうと容易に予想できる。覚悟の上だ。

 ふと、思い出した。

「…ところで、あの野犬さあ」

「それな!どんだけ偉大なんだよ、メル先生!!」

 二人で爆笑した。


「&%$&%?」


 不意に、わからない言葉で話しかけられた。

 顔を上げると、クリスが見下ろしていた。

「クリス?」

「なんでお前がここにいんの?」

 二人であっけにとられていると、クリスが廃屋の隅の糞尿を指さした。

 新しい便が乗っている。

「*+#&$」

 ああ、勝手口をトイレだと思ったのか。

 クリスがここにいるということは、ボスとやらも退散したんだろう。

「さて、それじゃ帰るか」

「短い旅行だったな」

 …と、勝手口を見ると、閉まったままだ。

「あれ?」

「クリス、お前、俺たちを迎えに来たんじゃないの?」

 言葉が通じないなりに、身振り手振りで説明した。

 クリスはよくわかっていないようだったが、僕が勝手口を開け閉めして、向こうの世界に繋がらないところを見ると、さーっと顔色が蒼くなっていった。

「この健康優良児は、もう…」

 トシキが頭を抱える。

「また誰かが開けてくれるまで待つしかないか」


 その時。

「誰かいるんか、そこに!」

 廃屋の外で声がした。

(誰だろう、地元の人かな)

(このままやり過ごそう)

 僕とトシキが小声で話していると、続けて声が聞こえてきた。

 複数のようだ。

「やっぱり野犬だろ」

「出てこねえと撃つぞォ」


「うわわわわ!ハンターだ!!」

「でます、いまでます!」

 僕とトシキが慌てて立ち上がる。

 それに対し、クリスの立ち振る舞いは悠然としたものだった。本当に。

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