第28話 空から異界を見てみよう(5)

 降下中の気球に突如襲い掛かった巨鳥。

 イドが、カメラもそこそこにバスケットに必死でしがみついている。

「イド!!」

 下から見上げるだけの僕らの願いもむなしく、イドは振動に耐えられず手を放してしまった。

 今度ははっきり見えた。心配していた通り腰ひもは付いていなかったようで、イドの体がバスケットから離れていくのがわかる。

 あわや地面に落下すると思ったその時、黒い影がイドの体を再び空中に押し戻した。

 巨鳥が反転して、イドを拾い上げたのだ。ズボンのベルトをくちばしでつかみ、そのまま上昇に転じた。

 そして、みんなが自分のほうに落ちてくる気球に気を取られているその隙に、巨鳥はどんどん上昇し、ついには森の向こうに消えてしまった。


「なんだ!いったい何があった!?」

 大人たちが慌てて気球に駆け寄っていく。

「坊主が巨鳥に連れ去られた!行先を確認しろ!!」

「だめだ!森が邪魔でみえねえ!!」

 大人たちの混乱のなか、クリスが鳥の立ち去った方向を確認しながらつぶやいた。

「いまのが、こないだイドが見たって言ってた巨鳥か…?」

 メルも不安そうに、同じ方角を目で追いながら言った。

「ほんとにいたんだ。あんなのがいるなんて、さすがに考えてなかった」

 みんなも、そして大人もそれは同じだったろう。


 郷太とソムチャイは、我に返って気球の損傷の確認に向かった。見ていると、何よりも安全確認のようだ。バーナーが自然に消火されているのを確認し、プロパンガスのボンベを外した彼らは、その場にどっかりとへたり込んだ。

「…とんでもないことになった」

 そうつぶやく郷太には、顔を上げる元気もなかった。

「まさかあんな鳥が出てくるなんて、完全に想定外だった。私のミスだ」

 ソムチャイは、郷太以上に落ち込んでいる。このあと、自分の息子であるチャドを乗せようとすらしていたのだ。

「…ご両親に合わせる顔がない」

 他の大人も、ソムチャイの気持ちを想像し、顔を伏せていた。


 その時、どかっ、と誰かが郷太の尻を蹴った。

 どんだけ空気の読めない奴だ、と思ったら、あろうことか、うちの父さんだった。

「バカ野郎。俺たち大人が落ち込んでる暇なんかないだろ!」

 僕は父さんの顔を見た。真剣な、だが冷静な顔つきだった。

 わが父ながら(あれ、父さんだよな?)と思うことが最近多い。

 ぽかんとしている郷太を横目に、父さんは母さんたちのほうを振り返った。

「母さん、イドの撮った写真を並べて、母親連中で計画通り地図を作ってくれ。ただし午前中で使えるように仕上げてほしい」

 父さんの顔を見て、母さんも冷静さを取り戻したようだ。

「みんな、一刻も早く村の周辺の地図を作るわよ。写真を一箱ずつ取り出して、風景が繋がってる順に並べて」

 女性のグループのみんなが一斉にうなづき、テーブルで作業を開始した。


 その後も父さんは、有無を言わさず周囲に指示を出していく。

「郷太は、守衛のロビンに事情を説明してきてもらってくれ。ギムリは、森に入る希望者をまとめて、道具屋のカールと山狩りの準備を進めてほしい」

 まるでばあちゃんのような頼もしさだ。

 いさかい食堂で働き始めて数日。どんな経験を積んだら、短期間でここまで変わるのだろう。

 大人が全員動き始めるのを見届けた後、父さんは最後に僕らのほうに振り返った。

「俺は…イドの両親のところに行ってくる。クリス、すまんが案内してくれ」

 僕ら子供を不安にさせない程度の、最低限の笑顔だった。


 父さんの案内はクリスに任せて、僕はケラ子を家に置いてくることにした。

 僕らにも大人を手伝えることは結構多そうだが、いまのケラ子にできることは少ないだろう。何より、大人の不安そうな顔をケラ子にずっと見せたくはなかった。

 それに、きっと父さんは、これからイドの両親に土下座しに行く。

 自分の子供に見られたい姿だとは思えなかった。


 勝手口で、ケラ子が振り向いて不安そうに尋ねた。

「にーちゃ。イドくん、帰ってくるよね…?」

 僕は笑って、ケラ子の頭をくしゃくしゃに撫でまわした。

「大丈夫、イドはあれでしぶといんだ」

 

 僕は父さんのように、うまく笑えているだろうか。

 父さんはずっとすごい人だったんだと、今になって思う。

 離婚したり、再婚したり、無職になってすらも、僕の前ではずっと笑っていた。

「みんな今日はいつ帰ってくるかわからない。もし誰かから家に電話があったら、知らせに来るんだぞ」

 ケラ子はこくんと頷いた。


 グラウンドに戻りながら、ぼくはポケットから一枚の写真を取り出した。

 あの時、イドが最後に「誰かがいる」と言って撮影し、そのまま地面に落とした写真だ。

 森の中の古い家、その庭にたたずむ犬と、一人の少女。


 僕はその子がリアだと確信していた。

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