第27話 空から異界を見てみよう(4)

 翌日の朝は早かった。

 僕も含め、みんな朝が待ち切れず、まだ薄暗い中グラウンドに向かっていた。

 到着すると、もう気球は半分くらいまで膨らんでいて、大人たちも今日のフライトに期待していることが分かった。


 イドがソムチャイの最後の注意を聞いている。

「いいか、本来は、十分な資格を持った人間が、風向きや気候を考えてやるべき作業なんだ。ロープでつないだまま飛ばすから、強風で煽られたら横倒しに墜落する恐れがある。ロープからの振動を感じたら、何も考えずにすぐバーナーを絞って降下しろ。絶対だぞ」

 イドは「大丈夫、絶対危ないことはしないよ」と言った。

「早く撮影してすぐ降りてくれば、チャドだって次に乗れるもんな。こんな朝早くに始める理由って、それでしょ」

 ソムチャイはそれを聞いて、ありがとう、と言った。

「朝日が昇るころに合わせて上げていくからな。最高の景色を撮れよ」

 ソムチャイがそう言うと、イドは大きく頷いた。


 僕は周りを見回したが、イドの両親らしき人影が見当たらないのに気付いた。

 父さんにそれとなく聞いてみたが、父さんもまだイドの両親に会ったことがないと言っていた。イドは、今日のことを両親に報告しているのだろうか。何も話していないとすれば、あのモチベーションはどこから来るのだろう。


 朝日が昇る。

 クラウンロープという袋のてっぺんを押さえるロープが外され、気球はすでに直立していた。ポラロイドカメラのフィルムの入った箱を乗せ、バーナーの動きを確認したソムチャイが、みんなのほうを向き直った。

「イド、楽しんできなさい」

 その一言に、大人たちから歓声が上がった。もちろん僕らも大興奮した。


 バーナーの火力を上げると、気球はするすると浮かんで行った。

 本物はもっと高く飛べるのだろうが、今回は気球に付けられたロープまでしか飛ばせない。気球は位置の調整もできないので、風に流される分も考えると、高度はかなり控えめだ。それでも、僕らの位置から見えるバスケットはかなり小さくなり、少し心配になってきた。


「よし、高度が安定したな。そろそろ撮影を始める頃だ」

 ソムチャイが持たせたフィルムは80枚。360度切れ間なく撮影し、そこからさらに真下のほうも撮影するのに十分な量を載せている。10枚撮影するごとに、箱に収めて、グラウンドに投下するようイドに指示している。僕ら子供がそれを拾いに行って、大人に渡す段取りだ。

 少しすると、上から小さく「落とすぞー」と声が聞こえ、最初の一箱が落ちてきた。

 それを僕が拾い、母さんに手渡す。ポラロイド写真はすでに像がほぼ浮かび終わっていたようで、お母さま連中と交換しながら「きれいねえ」と絶賛していた。

 それをみて、トシキが「最初に宇宙の映像を地球に送った人みたいだな」と言った。

 僕も「そうだな」と応え、改めてイドを羨ましいと思った。


 その後もイドは撮影を続けた。

 日が完全に上り、雲一つない大空が広がる。きっと上からの景色は絶景そのものだろう。僕なら撮影枚数も気にせずに撮りまくるだろうが、イドはミッションの達成を優先しているようで、言われた写真を淡々と撮り続けている。

 だんだん撮影する画角が厳しくなってきて、バスケットから身を乗り出す様子がちらほら見えるようになった。

 腰につけているはずの命綱も、ここからでは確認できない。

 ソムチャイが大声で注意するが、聞こえているのかいないのか。

 バスケットが大きく傾いてはいないから、イドなりに細心の注意を払っているのだろうが、見てるこっちがひやひやする。

 軽業師のような仕草をしていたイドがバスケットに引っ込み、僕らはそれで撮影が終わったことを知った。


「これから降りるぞー」

 イドの声が地上に届き、僕らは胸をなでおろした。

 バーナーを絞ったらしく、気球が降下を始めたその時、上からイドの声が聞こえた。

「まって!森の中に誰かいる!」

 イドがカメラをバッグからもう一度慌てて取り出し、身を乗り出してシャッターを切る。

「イド!無茶をするな!!」

 ソムチャイが大声で叫ぶ。


 その時、ふと空が暗くなった。

 気球の上から、空を覆うほどの大きな影が近づいてくる。

「なんだ!?」

 そいつは、気球の真上で大きな翼を広げ、ホバリングした。気球の横幅に匹敵するほどの大きさの翼のはためきは、地上にまで届く大きな風を引き起こした。

 そして猛禽類のように両足の爪で気球の袋をつかみ、引き裂いた。

 その姿は、まさに「巨鳥」だった。

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