第26話 空から異界を見てみよう(3)

 あれから三日。

 気球は、恐るべき速度で完成に近づきつつあった。

 なんでも、制作が決まった翌朝には設計図が出来ていて、夕方には材料もあらかた用意されていた。

 バスケットとバーナー、そしてガスボンベはソムチャイが持ち込んだ既製品で、袋の部分は奥様方が裁断、焼きごてで圧着した。火に近い部分は燃えにくい布を使っている。

 だがやはり袋の材料は大人を乗せるには十分な量でなく、バーナーとボンベの重量を入れると、やはり子供しか乗れない大きさになった。


 イドとチャドは、張り合うようにして気球の扱い方をソムチャイから教わっていた。

 先に空を飛びたいと言ったのはイドだが、チャドにも気球技師の息子として、譲れないものがあった。

 科学知識はやはりチャドのほうが進んではいたが、中学生に物理の話はまだ難しく、外での遊びで自然から学んできたイドに、むしろアドバンテージがあるようにも見えた。


「しかしあいつら、すごく張り合ってるな」

 トシキが呆れたように言う。

「そりゃそうさ」と、クリスが口をはさんだ。

「ユウタが来てから、ユウタとトシキで面白そうなことたくさんやるようになっただろ」

「え、僕?」

 突然僕の名前が出てきたことに驚いた。

「それまでは、トシキも含めてみんなわりとおとなしかった。俺は剣技の練習ばかりだし、ラグナもすぐ暴れたし。そもそも遊ぶってあまりしないしな」

 トシキも肩をすくめながら「俺もばあちゃんちで漫画かゲームだったよ。だって、剣技で草刈りしたりブレスで野焼きするような連中だぜ?いくら言葉が通じると言ってもさ」と言った。

「まあ俺たちも、ケラ子が『野球するの?』って言い出さなかったら、ずっとゲームと漫画だっただろうけどな」

「てか、まだ始まってもいないけどな。この分じゃいつになるやら」

 まったくだ、とみんなで笑った。


「で、あいつら二人とも焦ってるんだよ。自分も得意なことを見つけて、存在感?を示したいんじゃないかな」

 僕はひそかに、クリスのこういうところを尊敬している。ぶっきらぼうだが、周りをちゃんと見ている。

「肩身が狭かったのかな。あいつらいつも笑ってるから、そういうところわかんないよな」

 トシキもだ。すごく周囲をしっかり見ている。

 僕は妹のことすらたまに忘れるというのに。

 ふとケラ子を目で探すと、ケラ子はグラウンドの奥の、野犬が出たあたりをぼんやり眺めていた。


 ここのところ、ケラ子があまり元気がない。

 あの犬のことが気になるのか、それともリアという友達のことか。

 僕はなんて声をかけるか迷ったが、意を決してケラ子の隣に座った。

「どうした、ケラ子。なにか心配事か?」

 ケラ子は元気なく僕のほうを向いて、ぼつりぼつりと話し出した。

「にーちゃ、あのね。さっき思い出したんだけどね」


「今日、登校日だった」

「早く言えよ!」


 田舎の分校で小中学校で一クラスなのだから、もちろん僕の登校日でもある。

 急いで家に戻って時計を見ると午前9時。

 微妙な時間だが、午前中のホームルームが終わるまでには学校に着くだろう。

 母さんは「真面目なのねえ」と呆れていたが、僕らは学校への道を駆けだした。


 *


 何とか11時過ぎに教室に飛び込み、僕ら兄妹は村の子供たちの爆笑の洗礼を受けた。

「あら、来たのねー。家族で遊びにでも行ったのかと思ってたわ」

 先生の少し毒のある挨拶に、僕は「すみません、ちょっと異世界に行ってて」と返した。

 先生は少し意外な顔をしたが、すぐに笑って

「なじんできたみたいね。今度行くときはお土産持ってきてね」

 と言った。


 ホームルームが終わった後、廊下で件のガキが後ろから太ももを蹴ろうとしてきた。

 僕は「甘いわ!」と言って振り向きざまに足を捕まえて抱え込み、そのままソフトなバックドロップをお見舞いしてやった。

 するとガキ、もとい男の子はよほど驚いたのか、きょとんとした顔で放心してしまった。

「またな」と声をかけてやったが、まだきょとんとしていた。

 ケラ子はいつも通りの笑顔に戻っていた。

 帰り際に「とーちゃのバックドロップだね!」と言われ、苦笑いしてしまった。


 *


 戻ると、みんながグラウンドの真ん中に集まっていた。

「なんだよ、二人して慌てて帰ったと思ったら」

 一番後ろにいたトシキが声をかけてきた。

「いや、登校日だったの忘れてて」

 それを聞いたトシキが「あっ」と声を上げて数秒止まった後、

「…まあいいか」と言った。

 おまえもか。

「それはそうと、どうなった」

「気球が完成した。みろよ」

 トシキが、手を広げたその先に、気球があった。


 トラックの幌布を編み合わせた袋に、バーナーで温められた空気が入り、どんどん膨らんでいく。

「テストなんだからあまり入れすぎるなよ。火を弱めるのが遅いと浮かんじゃうぞ」

 ソムチャイがバーナーを調節してるギムリに指示を出しているようだ。

「おう、しかしこの容器のアルミってすごいな。軽いし、防具にもってこいだ。バーナーの火力も…」というギムリの呟きを聞いた郷太が「だめだぜ親方、自分の家にもってっちゃ」と釘を差すのも聞こえる。


 袋はどんどん膨らんでいき、とうとう袋が地面から離れた。

「バーナーの火を絞れ!みんなは念のためロープを!」

 ソムチャイの指示通りにしながらも、僕らも、大人たちも、呆然と気球を見上げる。

「…でっかいなあ」

「ああ」

 これだけ大きくても、子供一人しか乗れないのか。

 みんなも、きっと同じことを考えていたと思う。

 気球を背ににらみ合う、イドとチャドのほうを見ていたから。


「それじゃ、決着をつけよう。どっちに決まっても恨みっこなしだ。じゃんけんは二人とも大丈夫だな?」

 なぜかレフェリー役の父さんが尋ねると、二人ともだまって頷いた。


「それじゃ、いくぞ。じゃーんけーん、ぽん!」


 しぼんだ袋を大人たちが畳み始めるころには、すっかり日が傾いていた。

 じゃんけんはイドが勝った。

 二人は夕日を背にして、ソムチャイから預かったポラロイドカメラの使い方についてずっと話し合っていた。

「しっかりレンズを覗いて、そう。そのままカメラを動かさないようにボタンを押すと、バシャ、って言って、フィルムが出てくるから」

「うん」

「絵はすぐには出てこないけど、一分くらいで浮かび上がってくるから、慌てて何枚も取り直したりしないこと。フィルムなくなっちゃうから」

「うん」

 イドは、何を説明されても、ずっと「うん」としか言わなかった。

 チャドも、それを気にもせず、淡々と説明を続けていた。

 そして話すことが尽きて、二人が押し黙ったころ。

 ソムチャイがチャドの手からカメラを取り上げて、僕たちを呼んだ。

「君たち、気球のバスケットの前に並んで、こっちを向きなさい」


「ああ、イドとチャドの二人は真ん中です」

 言われた通り、イドとチャドがバスケットの前に来るようにした。

 ソムチャイは一度ファインダーを覗いたが、すぐに目を離して、ケラ子に声をかけた。

「ケラ子ちゃん、みんなにピースサインを教えてあげて」

 ケラ子は、唐突の指名に戸惑う様子もなく、いつもの屈託のない笑顔で、みんなに向けてピースサインをして見せた。

「みんな、わかったね?それじゃ、撮るよ」

 僕らは、ケラ子と同じように、ニパっと笑ってピースサインをした。


 カメラから、バシャ、という音がした。


 明日は、いよいよ本番だ。


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