第25話 空から異界を見てみよう(2)

 食堂に戻る道すがら、父さん達は「気球」について話してくれた。

 なんでも、急に村の周辺の様子を調査する必要が出てきて、魔物に襲われずに済む方法を探していたところだったのだそうだ。

 何のために調査するのか聞いてみたが、詳しいことは大人の事情だとはぐらかされた。なんでもペラペラと喋りがちな父さんにしては珍しい、と思った。


「もしかしたら、あの野犬の一件かもな」

 食堂の二階の子供部屋で寝っ転がりながら、トシキが僕に言った。

「魔物と野良犬が仲良く群れで暮らしてるんだとすれば、あの犬はどこからか迷い込んだってことだろ。この村のどっかの家の裏口から」

 確かにそうだ。当然、村の大人たちはどこの家から迷い込んだのか互いに確認しただろう。

 それでどの家も心当たりがないということになれば、


「そういや、トシキはリアって女の子、会ったことあるか?」

 トシキは少し考えて、

「ああ、前はよくケラちゃんと一緒に遊んでたなあ。の家を引っ越して、もう村には繋がってないって聞いたけど」

 と答えた。

「ケラ子が言うには、そのリアちゃんの家の犬なんじゃないかって」

「引っ越し先で飼えないから置いていったってことか?でもそれなら、村の誰かに引き取ってもらえないか相談したりするだろ、さすがに」

 トシキの言うことももっともだ。

「実際のところ、向こうの世界で飼えないペットを、こっちで飼うのはアリなのかな?」

 気になって聞いてみた。

「どうなんだろうな?実際には、勝手口があるのはほとんど一軒家だから、向こうの世界でも飼えないわけじゃない人が多いだろ」

 確かに。考えてみれば、東京にいたころならともかく、今の田舎ならうちでも十分飼えるはずだ。


 チャドも口をはさんだ。

「それより気になるのは、村人申請じゃない?あれって、村人登録された誰とでも話が出来るようになるじゃん」

 あ、と二人して声が出た。

「確かに、申請したらペットと会話できるようになっちゃうな」

「気まずいな、それ。言葉が通じたとたん、タメ口聞いてきたりして。

『なあご主人、俺いちおう犬だからさ、ねこまんまやめてくれる?できればドッグフードがいい』みたいな…」

 僕のおどけた声真似がツボに入ったのか、二人は腹を抱えて笑った。僕もつられて笑った。

 ふとケラ子のほうに目を向けたが、ケラ子はずっと黙って漫画を読んでいた。


「って、そうじゃなくてさ。気球の話」

 チャドが話を方向転換する。

「うちの父さん、タイで観光気球を飛ばす仕事をしてるんだ。それで気球の話になったんじゃないかな」

 僕らは驚いた。

「え、そうなの?」

 そういえば、チャドのお父さんについては、まだ一度も顔を合わせたことがなかった。確かに、まったくの未経験者だけで気球は、いかに無鉄砲な父さん達でも心細いだろう。


「はいはいはーい、質問でーす」

 イドが割って入った。

「そもそも気球って何?」

 クリスとラグナも「そう、それそれ」と同調した。

 またしても、僕らの世界の人間だけで盛り上がってたことに気が付いて、申し訳ない気分になった。

 トシキが、

「あー、そうだな。気球ってのは、簡単に言うと、人を乗せて空を飛べる風船だよ」

 と説明を試みるも、今度は風船ってなんだ、と質問される。すっかり面倒になって

「じゃあ、続きはチャド先生からお願いします」

 と強引にチャドに引き継ぐと、チャドは紙と鉛筆を持ってきて、興奮気味に気球の説明を始めた。

「こんな風に、ものすごく大きな袋をつくって、そこに火を燃やしてできる暖かくてかる空気を吹き込んでやるんだ。すると、軽い空気が上に行こうとして、袋もろとも人間の乗ったカゴが空に浮かぶんだよ」

 チャドの書いた気球のカゴと袋の大きさの比率をみて、クリスが「いや、さすがにそこまで大きな袋は作れないだろ」と尋ねるが、チャドはにっこり笑って首を振った。

「ううん、本当にそれくらい大きいんだよ。そうでないと、人を乗せたら重くて飛べない」

 マジかあ、とクリスが感嘆する。


 夕食の後、僕らはまた食堂の二階に集合した。

 一階からは、なぜかまた殴り合う音とどなり声が聞こえてきたが、誰も気にしていない。僕もいまさら気にしないことにした。


 チャドが自分の家から、資料を持ってきてくれた。

 たくさんの気球の写真、空を飛ぶ乗り物の図鑑。

 そしてとっておきの資料。チャドの父親が来てくれた。

「やあやあ、こんばんは。ソムチャイだ。いつも息子と遊んでくれてありがとう」

 僕らもこんばんは、と口々に挨拶を返した。

 ソムチャイはどちらかというと色黒で、天然パーマにサングラスという恰好。

 陽気な雰囲気が、僕からするとなんとなく胡散臭い。でもそれは、きっと僕がサラリーマンばかりの東京で暮らしてきたからで、他の人の印象は違うのかもしれなかった。

 ソムチャイが自信たっぷりに

「気球の話が聞きたいんだって?」

 と切り出した。

 となりでチャドが誇らしげにしている。

 ああ、もしかすると、ソムチャイは息子の前でカッコつけるタイプなのかもしれない。


 ソムチャイは気球の写真を見せながら、チャドが話してくれた基本構造の話をもう一度おさらいしてくれた。そして、どんな材料でできているのか、どうやって操縦するのかなど、僕らの質問にことごとく答えてくれた。

「お前の父ちゃん、すごいな」と耳打ちすると、チャドは本当に嬉しそうな顔をした。

 一方で下の階からたまに響いてくる、うちの父さんの罵声は聞かないふりをした。


 クリスがソムチャイに初めて質問した。

「材料は、たぶんこちらの世界にはないから、そちらの世界からもってくるんですよね。すごい量になりそうですけど」

 ソムチャイは、痛いところを突かれた、という顔をした。

「そうなんだ。日本…ユウタ君たちの家の近くで仕入れたら、それほど高くはないと思うんだが、とにかく量が必要なんだ。短期間にはあまり集められないかもしれなくてね」

「袋を小さくすると、載せられる重量も少なくなるんでしょう」

「その通り。さすが道具屋さんの息子だね。僕らも大人一人くらいは乗れるものを目指すつもりだけど、それでも間に合わない場合は、もしかすると…」

 ソムチャイは、話しながら僕らをぐるりと見まわした。

「最初に乗るのは、体の小さな子供から選ばれるかも」


 一番背の小さなイドと、二番目に小さなチャドが、互いに目を見合わせた。


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