第20話 いさかい食堂(7)
急いで一階に駆け下りて食堂を覗くと、父さんがスローモーションで真横にぶっ飛んでいくのが見えた。
そのままいくつかのテーブルをなぎ倒し、床を何回転か転がって、壁にぶち当たった。唖然として元の方向を見ると、拳を握りしめたドワーフの親方が見えた。
死んだかな、と息子の素朴な感想が口をつきそうになったが、父さんはすぐに立ち上がり「こンの髭ダルマがぁああッ!!!」と吠えた。そして、信じられないことに、あのドワーフに素手で殴りかかっていった。胸倉をつかみ、反動をつけて頭突きをくらわすと、親方がわずかによろめいた。
そして背後には歓声。
「意外とやるな、あの男」
階段の入口で立ち見しながら、冷静に解説ポジションを務めていたトシキの父ちゃん…郷太を見つけた。
「ななな、なにやってんですか、うちの父さん!?なんで店の中で喧嘩して…!?」
うまく言葉が出てこない。
「よう、ヨウタ。お前の父ちゃん、強いな。昼間見た感じとは全然違うわ」
「いや、そうじゃなくて」
なんで父さんが、いきなり客と大喧嘩しているのか。そしてだれも止めないのか。
「母さんは?ばあちゃんは?」
「さあな」
訳が分からない。思えば、開店準備の時から、父さんは何かふさぎ込んでいた気がする。けど、父さんが誰かと殴り合いをするような人間だと、僕は一度だって思ったことがない。
「いったい何があったのか知らないけど、とにかく止めなくちゃ!」
僕の言葉を遮り「事の発端は、おまえの父ちゃんだ」と郷太は言った。
「まあ、つまらんといえばつまらんミスだよ。注文を取る時に、うちの親方に、そちらのドワーフさんは、って言っちまったんだな」
意外な答えで、一瞬意味が分からなかった。
その程度のことで?
「お前も心当たりあるかもしれないが、ここでは、相手を種族や人種で呼ぶのはご法度だ。どんなに見た目が違っても、同じ言葉を話す時点で、ここでは同じ村人なんだ。
うちらの世界じゃファンタジー小説なんてのがあるから、ついつい見た目であてはめて呼びたくなっちまうかもしれないが、ここではそういうのは、ほぼすべて『差別用語』なんだよ」
それを聞いて、思い当たることが確かにあった。
隣の畑のアランと会ったとき、僕は彼を「エルフさん」と呼び、アランは「エルフって何」と返した。あれは本当に機嫌を損ねていたんだ。
昨日、父さんがみんなに「みんな言葉が通じるんだな」と言ったときにも、みんなの間に微妙な空気が流れた。村の中にいる以上言葉が通じるのは当たり前。わざわざ改めて口に出した時点で、異人種への見下しや嫌味でしかなかったんだ。
「でも、それで怒らせたとして、親方さんも突然殴りかかるような人じゃないでしょ。もしかして、先に殴ったのは…」
「その通り。最初はおまえの父ちゃんも、親方の話を頭を下げて黙って聞いてた。でも親方が何回目かテーブルを叩いたあと、あっと思ったら、もう殴ってた」
信じられなかった。あの父さんが先に殴るなんて。
懸命に弁明の言葉を絞り出そうとしたけど、出てくるのは涙ばかりだ。なぜ体が震えるのか、涙が出るのか、全然わからない。
「あ、あの、父さんはあまり頭がいいほうじゃなくて、気の回る人でもなくて…」
「…ま、あの人の性格はおいおい知っていくとして」
郷太は続けた。
「俺が思うに、ここでは、他人行儀ってのはあまり歓迎されないんだ」
え、そうなのか、と驚いた。
「お前の父ちゃんもやってたよ。お決まりのセリフでテンポよく『いらっしゃいませ、お客様何名でしょうか』てな。日本じゃよくある光景だが、ここはそうたくさんの人がいるわけじゃない。一人一人と距離を縮める気のない、形式的な態度は失礼にあたる」
「その通り。あたしらの世界でも、そういうところは多いよ」
いつの間にか、となりにばあちゃんが立っていた。
「相手の名前を呼ぼうとしない奴は、代わりに肩書で呼ぼうとする。特徴や性格も、肩書から推測しようとする。だから人物を見誤って、機嫌を損ねたり、喧嘩になる」
郷太が大きくうなずいた。
「一期一会、って言葉は聞いたことあるだろ。
お前たちはまだ子供だから、目の前の人はこの世に一人しかいないってわかるはずだよ。でも世界中でいろんな人に出会っていくうちに、いつの間にか見た目の印象なんかで他人を分類するようになる。そしてここで仲良くなれなくても同じような人にまた会えるとか、甘えたことを考えるようになってしまう。
だから、あんたもこれからも、出会った目の前の人にちゃんと真剣に向き合うんだよ」
「ばあちゃん、あのさ」
やはり聞きたいことがあった。
「ばあちゃんと母さんは、父さんが今夜ブチ切れるのを知ってたように思えたんだけど」
「まあ、昼間の賄いに一服盛っただけさね」
ばあちゃんはこともなげに言った。父さんは何を飲まされたんだ。僕は開いた口がふさがらなかった。
だが、僕にもようやく「いさかい食堂」の意味が分かり始めていた。
これはエンタメなのだ。
ばあちゃんは、不安を抱えた新しい村人にわざとここで喧嘩をさせ、ストレスを解消させつつ、同時に自己紹介とさせている。結果的に新しい村人は早く打ち解けられるわけだし、大きな視点で見れば治安も維持されるわけだから、ここの自治体も文句は言わないだろう。
だが一方でばあちゃんは、新しい村人がここに来たら、必ず喧嘩が起こるように細工もしている。別に見物料を取るわけでもないのに、なぜ喧嘩を確実にさせなければいけないのか。遺恨が残るからかとも思ったが、周りの様子を見る限り、それが理由ではない…喧嘩にならないと、ギャラリーが盛り上がらないからだ。
ひでえ。
盛り上がるギャラリーの後ろで、僕は深いため息をついた。
無職と刀鍛冶の戦いは、クライマックスに近づいていた。
「なかなかやるな、若いの。俺は刀鍛冶のギムリだ。てめえは何という」
「ぜえぜえ…の、ノブヒロだ。ちっこいくせに、やたら腕力でぶん殴ってきやがって」
「てめえこそ、なんだその石頭…。とにかく、今日は引き分けにしといてやる。新しい村人として、歓迎するぜ」
よろしくな、と刀鍛冶は握手を求めた。
だがその手を無職はとらなかった。
一瞬で後ろに回り込み、刀鍛冶のベルトごと両手でしっかりと抱え込んで、鮮やかなバックドロップを決めた。刀鍛冶の体は後方のテーブルを真っ二つに割り、床に沈んだ。
静まり返る店内。
父さんの目が、据わってはいけない方向に据わっているのが見えた。
「ざけんなよ」
父さんは周りを一瞥した。
「昨日今日と一家で働いて、やっと店を開けたんだぞ…。ピッカピカに磨いたテーブルにマスタードこぼしたと思ったら、それを袖口で拭きやがって…!!」
なんてことだ。
父さんは喧嘩を売っていたのではなく、買っていたのだった。昼間ピッカピカに磨いたというテーブルの端が、マスタードで汚れているのが見えた。それで怒っていたのか。
「女房の店を汚す奴は許さねえ…文句があるならかかってこいやァ!!」
その場の全員が『お前が言うな』という顔をした。
郷太が慌てて後ろから抑えにかかるが失敗し、殴られる。そこにクリスの親父が殴りかかり、チャドの親父がムエタイで参戦し、あっという間に大乱闘になった。
モノが飛び交う室内から逃げ出すと、子供たちが窓の外で話し込んでいた。
「あははは、ユウタの父ちゃん面白いな!いままでの父ちゃんで一番面白いわ!!」
イドが爆笑している。
「ああああ、せっかくきれいにしたのに…」
僕が嘆く。
「いつもなら、仲直りしてからみんなで片付けて、大人だけで一晩飲み明かすってのが定番なんだけど、今日はこの分だといつになるやら」
トシキが笑う。
確かに他人事なら、こんなに面白いエンタメもないだろう。僕も次は野次馬に徹することにしよう、と思った。
「もうすぐ終わるよ。ほら」
ケラ子が指さした方向を見ると、何やら物騒なものを身に着けた母さんが立っていた。それはハリセンというにはあまりにも大きすぎた。大きく、分厚く、重く、そして大雑把すぎた。
禍々しい空気を纏ったそれが店内に入っていき、ひときわ物騒な命乞いが聞こえたあと、辺りは静寂に包まれた。
それからしばらくして、大宴会が始まった。
ばあちゃんと母ちゃんの洋食は本当においしかった。
ドワーフの親方・ギムリも今日は上機嫌で、初めて話しかけることが出来た。何度も髪の毛をくしゃくしゃにさせられた。エルフのアランとも話をしたが、寝る時間が決まっているとかで早々に帰ってしまった。
父さんとも話をしたかったが、今夜はいろいろと無理そうだった。
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