第16話 いさかい食堂(3)

「それはあなたが、無職だから」


 父さんがスローモーションで崩れ落ちた。

 火の玉ストレートにも程がある。


「む、無職、だから…?」

「そう、働いていないから」

 母さんは毅然と繰り返した。

 無職という現状だけをピンポイントに突くことで、母さんはこの会話の主導権を強奪した。恐怖しかない。

「あの勝手口は、計良家の最大の秘密なの。いわゆる異世界に繋がっていて、許可を得たものしか出入りできない。色んな厳しい決まりもあるし、危険もあるけれど、貴方にとってはとても魅力的なところだと思うわ」

 何か言おうとする父さんを遮り、母さんは続けた。

「だから、あなたはきっと私たちをおいて、あの世界の向こう側に行ってしまう」

 母さんの目に涙が光った。


「現実世界を受け入れられない人は、向こうの世界に入り浸って、戻れなくなる。あなたも、こちらの世界でできない生き方を向こうでしようとする。そして、村の奥に入り込んで、二度と戻らないのよ」

 もう涙は引っ込んでいた。

「お願い、私たち家族を捨てないで。そしてこの村で立派に就職して」

 酷い三文芝居だ。

 父さんはポカンとしている。何を言っていいのかわからないのだろう。

 よく見ると母さんも、ちょっと無理筋だった、という顔をしている。

 僕とケラ子は、ごめん無理、という顔で返した。


「まあ、ミライの臭い芝居は置いとくとしてね」

 ばあちゃんがとうとう割って入った。

「アタシは内緒にしてるって聞いちゃいなかったけど、今のアンタにはそりゃ話せんわね」

 それを聞いて父さんが我に返った。

「お、お義母さん、そりゃあまりにも」

「信弘さん。アンタ、この子の前の旦那がどうなったか、ちゃんと知らないだろう」


「お母さん!」

 母さんがたまらず声を上げた。

「た、確かに、行方不明としか聞いてはいないけど…あの裏庭と関係あるのか!?」

 さあね、とばあちゃんは軽くあしらった。

 その話は父さんだけじゃなく、僕にもショックだった。

 ケラ子の父親は、あちらの世界でまだ生きているのだろうか。

 また、ケラ子自身は、それを知っているのか。ケラ子の顔色を窺ったが、何も読み取れなかった。


「信弘さん。アンタ、明日からしばらく就職活動はやめな」

「お母さん?」

「仕事も決まりそうにないし、これじゃ堕落する一方だ。明日から店を開けるから、しばらくそっちを手伝ってもらうよ」

 父が力なく顔を上げると、ばあちゃんがニヤリと笑った。

 ああ、この顔だ。僕が苦手な、ばあちゃんの笑顔。


「いさかい食堂、営業再開だ。忙しくなるよ」

 後ろで、母さんが首を振っているのが見えた。

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