第2話 スライムはよくしみる
甲冑の男は、何やら恫喝するような口調で話し始めたが、何を言っているのかわからなかった。日本語でも、たぶん英語でもなかったと思う。僕が怖くて動けずにいると、ケラ子が甲冑の男と話し始めた。不思議なことに、ケラ子は日本語で男は違う言語なのに、通じているようだった。
「あのね、にーちゃは初めて見る顔だから、今日は入っちゃダメなんだって」
意味が分からない。
ここは家の裏口じゃないのか。
「初めての人は、なんか、手続き?しないとダメなんだって。お母さん呼んできてって」
その前に。
「その前に、いろいろ聞きたいんだけども」
ケラ子は元気にうなずいた。
「俺たちは、トウモロコシを採りに来たんだよね?家の裏でトウモロコシを育ててるもんだと思ってたんだけど」
「うちのトウモロコシはねー、この中の畑にあるんだよー」
つまり、この集落の中に入らないと収穫できないということか。
ケラ子はもう少し守衛の説得を試みるようだ。
だが僕はそんなことはもうどうでもよかった。ここは一体どこなのか。まずはそれを誰かに説明してほしいのだが、ケラ子の頭には、トウモロコシ採集というミッションしか残っていないようだ。
改めて周りを見渡してみる。
空の色、土の色までまるで違う。ゲートの中にいる人も、西洋人っぽい顔つきが多い…と眺めていて、思わず目を疑った。
トカゲの頭。
ゲームや映画で見覚えがある。リザードマンだ。
ブタのような顔もいる。オークだろう。
あっちの耳が尖った女性は、エルフだろうか。
守衛はヘルムを被っているからどんな顔つきかわからないが、おそらく彼も日本人ではないのだろう。人間でもないかもしれない。
もしかすると、その辺の雑草も日本のものではないかもしれない…と足元をみて、気が付いた。
いつの間にか、何やらゼリーのようなものが足に貼り付いていた。
思わずうわっ、と叫び声をあげて、慌てて足を振って引きはがす。
貼り付いていた箇所をみると、日焼けしたように赤くかぶれていた。
これはもしかして。
スライム。
ゲームに出てくるものとはだいぶイメージが違う。百倍怖い。靴の隙間や服の下まで入り込んできそうに見えた。
助けを求めて守衛を見ると、彼は大声で叫ぶケラ子を無視して空を睨んでいる。
僕はなんとなく理解した。ここは「村の外」であり、自分は部外者なのだ。
彼はおそらくスライムなど効果的に駆除してしまうだろうけど、業務の範囲外。ゲートを離れるわけにもいかないに違いない。
スライムに貼り付かれた部分は少し痒いけれど、痛くはなかった。とはいえ、このままここに居続けるわけにもいかない。
「ケラ子、出直そう!」
そう叫んでみるも、肝心のケラ子は守衛の足を蹴っ飛ばしながら泣き叫んで抗議している。実に勇敢な妹で涙が出そうだが、近づいたら今度は守衛が僕を数倍の力で蹴っ飛ばすに違いない。
妹に気を取られているうちに、先ほどのスライムが背中に飛び掛かってきた。
こいつ、飛ぶのか!液体のくせに!
背中なので振りほどくこともできず、地面をゴロゴロと転がってみるも、スライムはしがみついたまま、今度は服の下にしみ込み始めた。
皮膚につくだけならいいが、耳や口めがけて入り込み始めたら…。そう考えたら、急に怖くなり、必死に目を瞑った。
不意に、後ろから冷水をぶっかけられた。
すると、あれほど厄介だったスライムがみるみる溶けてなくなった。
これはもしかすると、聖水?それにしても冷たすぎないか。
そんなことを考えながら顔を上げると、母が桶を持って立っていた。
「ごめんごめん。よく考えたら、まだここのことヨウちゃんに話してなかったわ」
母は、得意の「てへぺろ」の仕草をした。
僕はこの3週間で30回このポーズを見ているため、すでに耐性が出来ている。
「母さん、その水は…」
「そこの井戸の水よ。この辺にはたまにスライムが出るから、見かけたらかけといてね…で、ロビンさん?」
ロビンと呼ばれた守衛は、母から目をそらして震えていた。
「取り急ぎ、新しい息子の分だけ登録申請書を持ってきたわ。通してもらえるかしら」
ロビンはうつむいたまま、手で「どうぞ」の意思を示した。
母はロビンの横を通り抜ける際、少しだけ立ち止まった。
「ロビン、あなたの真摯な仕事ぶりは素晴らしいと思うわ。でもね」
「…」
「そこにある水でスライムを退治できることくらい、子供に教えてあげても罰は当たらないのじゃないかしら…?」
僕は後ろから母の顔を覗き込もうかと思ったが、やめておいた。
その前にいた守衛が、以前父がしていたのと同じ表情をしていたからだ。
「さあ、二人とも行きましょ」
是非もなかった。僕らはそそくさと母を追いかけて、ゲートをくぐった。
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