ぼくとケラ子の夏休み
こやま智
第1話 裏の畑のトウモロコシを取ってきて
ひたすらに高い農家の天井を見上げながら、僕は縁側で夏休みの宿題を終わらせた余韻に浸っていた。
父が再婚し、僕、
夏休み直前の転校生としてデビューした僕を待っていたのは、この分校の生徒が小中学校合わせて6人しかいないという厳しい現実だった。数日間、何とか夏休み前に打ち解けようと奮闘したのだが、ここではその内容は割愛させていただく。何しろ自分だけが中学生で、ほかは小学生。当然向こうが年上に敬意を払うべきであり、死角から突然尻を蹴っ飛ばしてくるような子供とは、簡単に迎合できないのだ。夏休みが終われば、義理の妹であるケラ子がとりなしてくれるに違いない。
嘘だ。ケラ子にそんなことは期待していない。
三週間前に妹となった5年生のケラ子は、いつもケラケラとカッパのような大きな口で能天気に笑っているだけで、何を考えているのかさっぱりわからない。分校でも、ひたすらみんなと一緒に走り回っているだけに見える。まあ、人畜無害なのは確かであり、特に好かれることも嫌われることもなさそうだ。本名は「
ともかく、まだ一か月も残っている夏休みの宿題は終わってしまった。別に一流校への進学を控えているわけでもないので、追加で自習をやろうとも思っていない。そういう意味では、転校前の学校よりずいぶん気楽ではある。だが一方で、勉強や宿題といった話題をとっかかりにクラスメイトと話す機会もないわけで、ときどき勉学の意義を見失いそうになる。
話題がないと言えば、何しろ対等に遊ぶ相手がいないので、話題に合わせるためにたしなんでいたゲームや漫画もめっきり興味がなくなってしまった。いくら田舎とはいえ、スマホがないわけではないし、通信が断絶されているわけではない。けれど、話題を共有する相手もいないまま漫然とネットでマンガを読んでいると、購読作品数が増え過ぎて、どれがどのマンガの続きだったのかすら思い出せなくなる。初めは似たような漫画が多いせいだと思っていたが、どうやら違う。自分の中で大事な作品というのがわからなくなってしまうのだ。もうどれを読んでも同じだ、と感じるようになりかけている。
まあ、早い話が、やることがなくなって途方に暮れているのである。
村の公設スピーカーから、17時を知らせる童謡が流れ始めた。まだまだ夕暮れとは言えない空だが、気温は少しだけ下がってきていた。生ぬるい風が蚊取り線香の煙を横にたなびかせるのを見ていると、ケラ子が縁側をドタドタと走ってきた。
「にーちゃ、宿題もう終わったー?」
「いや、もう少し」嘘をついた。
どうせ夕飯の手伝いだろう。この時間、ケラ子は母のいいつけで夕飯に使う野菜を採りに行くことが多いようだ。ケラ子は深く考える様子もなく、そのまま横を通り過ぎて行った。
この家の食事はとてもおいしい。これだけは、再婚してくれてありがとうと父に礼を言いたい。お世辞にも商売人には向いていない父が周囲の予想通り3か月で事業に失敗してほぼ無一文になったとき、この村の食堂で出会った母と再婚にまでこぎつけたのは奇跡と言っていい。母は見た目も美人だし、家族みんなに優しいが、何より料理がうまかった。父が未だに農家の仕事に身が入らず、再就職先を探したり、旨い儲け話を探したりしているのを除けば、僕にとっては本当に幸せな再婚だった。
やがて、ケラ子が手ぶらで戻ってきた。そして台所に直行すると、母と何事かを話し始めた。何かあったのだろうかと台所を覗き込むと、僕に気づいた母が言った。
「ヨウちゃん、忙しいところ悪いけど、ケラ子と一緒に行ってくれる?」
「どうしたの」
「トウモロコシを採ってきてって頼んだのだけど、ケラ子じゃちょっと届かないみたいなのよ」
なんだ、そんなことか。
「にーちゃ、お勉強してるって言ってたから…」
直接頼めばいいのに、と言いかけてやめた。ケラ子なりに、突然できた兄にずっと気を使っていたのかもしれない。
「わかった。いこ」
ケラ子はニパっと笑い、僕の前を歩き始めた。
僕はついていこうとして、裏口に自分の履物を置いていないことを思い出した。考えてみれば、この家に来てから三週間、一度も家の裏側に出たことがない。玄関からサンダルを持ってきて、先に出たケラ子の後を追って裏口の扉を開ける。
だがそこに広がっていたのは、家の裏なんかではなかった。
…村。
だが、日本の市区町村の「村」ではない。
欧州に近い雰囲気が漂う、洋風の古い建築物。
外界と仕切るためのゲートと、そこを警備する甲冑の男。
建物の前に繋がれた、馬…?
家の裏は、こんな風になっていたのか?いや、でも、家を横から見たこともあるが、後ろは藁ぶきの納屋と水車くらいしかなかったはず…。
振り返ると、自分が立った今出てきたはずの日本建築も、洋風の古い家屋になっている。
「にーちゃあ、こっちこっち!」
呼び声で我に返ると、ケラ子は甲冑の男の前にいた。
「守衛さん、紹介するね!新しいにーちゃあ!」
甲冑の男が、じろりとこちらを睨んだ。僕は少しちびった。
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