お礼は一夜の輝く夢

それからはあっという間だった。


クレバールに呼ばれた警備隊が倒れ伏した男たちを一網打尽にして、事件は終息した。予想通り彼らの中には手配書が出回っていた者も少なくなく、クレバール達は報奨金が得られることになった。


思わぬ収入を得たことを喜んでいるところへ、事情聴取を終えたアイリがラウレアを抱えて近寄ってきた。


「いやあ、それにしてもまさかこんなことになるとは」たははと笑うアイリは、言葉とは裏腹にとても楽しそうだった。「貴重な体験だったよ」


にゃーん、とラウレアが甘えた声で鳴く。右手で抱えた猫の喉を撫でてやりながら、彼女は二人に向かって頭を下げた。


「何はともあれ、この子が無事に見つかってよかったよ。グルナとクレバールのおかげだね。ありがとう」

「えっへん! どういたしましてだぞ!」

「めでたしめでたし、ってか」


偉そうに胸を張るグルナの頭をぽんぽんと撫で、クレバールもほっと一息つく。


アイリが続けた。


「お礼と言っちゃなんだけどさ、あたしがこの街に来た時に必ず行く、美味しいお店があるんだ。ちょっと遠いけど、よかったらどう?」

「いいね。ちょうど動いた後だから腹も空いてるし」


その言葉を裏付けるようにグルナの腹がくうと鳴る。それを恥じらうこともなく、彼女はアイリの申し出を万歳して喜んだ。


「わーいごはんだー!」

「んじゃけってーい! ついてきて!」



東地区から南西へしばらく。中央市場を素通りして更に西へ。


「ついたよー」

「って、ここって……」


連れてこられた場所は、クレバールとグルナの二人にとってとても見覚えのある場所だった。頭上では『凪いだ海の宿』と書かれた看板が潮風に揺られてぱたぱたと踊っている。


グルナがきょとんとし、クレバールが言葉を失っていることに気が付かず、アイリは勢いよくドアを開けると奥に向かって呼びかけた。


「やっほー! おじゃましまーす! メルー!」


からんころんという来訪者を告げるドアベルと聞こえてきた声に、メルがぱっと顔を上げて喜びに満ちた笑顔で出迎える。


「アイリ! よくきたわね!」


両手を広げるメルにアイリが勢いよく抱きつく。ぶつかる前にするりとアイリの腕から滑り降りたラウレアが、彼女たちの足元で大きな伸びをし、そのまま毛づくろいをし始める。辺りの匂いを嗅ぐ様子も殆ど無く、慣れた様子なのが窺えた。


「久しぶりメルー。前に来てからどれくらいだっけ?」

「ちょうど一年かしら。最近は忙しいから公演の時くらいしか来ないもんね」

「うーん、あたしとしてはもう少し自由に出歩きたいんだけど、こればっかりは仕方ないかなぁ」

「わかってる! 今夜の公演も楽しみにしてるもの」

「ホント? ありがとメルー」

「あ、のさ、メル?」


呆然状態から戻ったクレバールが、おずおずと声をかける。そこで初めて彼女はクレバールとグルナが居ることに気が付いたように、あっさりとした反応を返してきた。


「あら、グルナにクレバール。おかえり、遅かったわね」

「メルもアイリをしってるのか?」


同じように混乱しているのか、ただいまも言うのを忘れてグルナが頭の上にいっぱい『?』を浮かべながら尋ねる。今度はメルはきょとんとした顔になった。


「知り合いも何も、この娘よ。さっき言ってた今夜来る特別なお客様。サーカスのチケットをくれた知り合い」


「なっ」

「そうなのか! じゃあアイリはサーカスのひとなのか?」


驚くクレバールとグルナに、メルから離れたアイリがあはははと照れ臭そうに笑った。


「実はそうだったんだ。そう言えばちゃんとした自己紹介はしてなかったね」

とんとんと彼女は足を揃え、背筋をしゃんと伸ばす。

「改めて、サーカス団アヒ・ウェラ所属の猛獣使い、アイリ・オハイウラだよ。よろしくね」


改めてなされた一礼は、頭の上から足の先までどこを取ってもするりと滑らかな動きだ。洗練されていて、芸に疎いクレバールでも見る者を意識していることがよく分かった。確かに彼女は演者なのだ。


しかし、とクレバールは口を開く。出てきたのは素朴な疑問だった。


「サーカス団の猛獣使いってだけで、あんなに鋭い武術が身に付くものなのか?」

「もちろん。確かにあたしのメインは猛獣使いだけど、伝統舞踊の名目で武術披露することもあるし、不審者対策ってところもある。それに何より、昔は行く先々でマモノに遭遇することが多かったからね」

「ふーん。なるほどな」


マモノなら仕方がない、と一応納得したクレバールに、今度はグルナがずいずいと身を乗り出してくる。


「なあなあクレー、まものってなんだ?」

「死んだ後、世界樹に帰らなかった魂の成れの果て。生きた体を求めてさ迷うバケモノ」

「せかいじゅ?」

「この世界の核となってる大きな木だ。全ての魂はここから生まれ、ここへ還る。4年前まで喪われていたからマモノも沢山出て……って、前に教えただろ」

「そうなのか?」


半分くらい聞き流していたような顔でグルナは首をかしげている。今日一番の溜息を盛大に吐き出して、クレバールは悪態を吐くように告げた。


「後で復習するからな!」

「えー! べんきょうやだー!」

「だったら少しは覚えろ!」


ギャーギャー言い始めた二人を横目に、メルがアイリに尋ねる。


「それにしても身分を隠して、なんて珍しい。何かあった?」

「そんな大層な理由があったわけじゃないんだけど」ぽりぽりとばつが悪そうに頬を掻きながらアイリが弁明する。「一応お忍びで出てきてる以上、大通りで名乗る訳にもいかなくてさ」

「それもそうね。今やアイリは人気者の有名人だもの」


メルが嘆息混じりに続ける。猛獣使いとして活躍する彼女はパートナーとする猛獣をあまり刺激しないよう、公演中は目鼻のはっきりする化粧に少しだけ模様を施すのみで派手な飾りや仮面などは極力しないようにしているのだそうだ。結果として、団員の中では珍しく、観客にも顔を知られることが多いのだという。


「ありがたい話だけど、こういう時、ちょっと困るね」

「前に一回、人が多いところでバレたときは本当にどうなるかと思った」


大変だったなぁ、と懐かしそうに彼女らは笑い合う。


ふと、アイリがクレバールとグルナの方を向いた。未だに椅子を挟んで睨みあっている二人に言葉を投げ掛ける。


「ところでさ、もしかして二人は今夜の公演に興味があったりするの?」

「あ、ああ――グルナ、逃げるな!――その為に宿の手伝いをしてたんだ」


ブー垂れているグルナを椅子に座らせ、クレバールは一からアイリに事情を説明した。


この宿に泊まっていること、グルナがサーカスを見たことが無いことなどなど。アイリはふんふんといった様子で聞き入った。


「そっかぁ。二人ともこの宿に出入りしてるなら、ここの料理がお墨付きなのはもちろん知ってるよね」

「そうだな」


こくりと頷くと、アイリはんーと少し考え込んで、すぐにぱんと手を打った。


「じゃあお礼変更! 二人をサーカスに招待するよ」

「え、いいのか?」


思わぬ礼に目を丸くするクレバールに、アイリは再び太陽の様な笑顔を向けた。


「もちろん! 演目にはこの子も出るからさ、期待してて!」


ね、とラウレアに向かって言うと、いつのまにかグルナと遊んでいたかの猫が足を止め、にゃあと鳴いた。まるで任せておけと言っているようで、先ほどまで樹の上で怯えていた猫と同じであるとは思えず、クレバールはとうとう噴き出した。


「そういうことなら招待を受けるよ。ありがとうアイリ。期待してる」

「任せてー!」

「さて」


話が一段落したのを見計らってメルが立ち上がる。


「みんな疲れたでしょ? 簡単なごはん作ってあげるから、食べていきなよ。もちろん、アイリの好きなフルーツシャーベットもばっちり用意してあるわよ」



***



和やかに軽食を食べたアイリがサーカスのテントに戻ってからしばらくして。


日が落ちた街中に軽快な音楽が流れ始めていることに気が付いたグルナが早く早くと急かすので、後から行くというメルに、仕事から帰ってくるであろう仲間のことを任せ、クレバールは開場するよりも少し前に宿を出た。


すっかり涼しくなった潮風に、楽しげな音楽が混じっており、テントのある広場に近付く程、大きくはっきりと聞こえるようになった。同時に通りのあちこちに輝くぼんぼりが浮かんでいて、黒とオレンジの彩りがまるで異世界へ続く道であるかのようだ。


更に、公演の宣伝をするパフォーマー達の存在が、より一層幻想的な雰囲気を醸し出している。普段祭りを楽しむことのないクレバールでさえ自然と浮き足立った。


グルナはといえば、クレバールとは比べ物にならない高揚っぷりで、あちこちきょろきょろと見回してはパフォーマーに寄って行ったり、食べ物の匂いにつられてクレバールから離れて行ったりとせわしない様子で祭りを楽しんでいる。


気が付けば居なくなっているので、その都度探し回る羽目になりつつも、その事がクレバールを落ち着かせ、現実に引き止めているような気がして、少しありがたかった。


そんなことを繰り返し、到着予定時刻よりも大分遅れながら、なんとか会場に辿り着いた。アイリから貰ったチケットを見せると、受付の男性が頷いて奥に向かって手招きをする。案内された席はなんと最前列だった。


「おおお……」


目の前には広い演目場が広がっている。まだ公演が始まっていなくてもそこが特等席であることは明白だった。グルナもそれがわかっているのか、身を乗り出して感動に震えている。


「こんな良い席に案内してもらえるなんてな」


お礼にしてはデカすぎやしないか、と苦笑しながら公演の開始を待つ。



果たして始まったパフォーマンスに、グルナもクレバールも圧倒され、あっという間に夢中になった。


中盤に出てきたアイリは、お下げにしていた髪をいくつもの青い花を挿して纏めたアップにし、顔にいくつもの模様が描かれていたけれど、なるほど確かに同じ人物と判る姿をしていた。


彼女はラウレアの他にも様々な猛獣を引き連れており、彼らと優雅に舞い踊る姿は先程まで同じ宿でふざけて笑い合っていた相手と同じとは思えない程、見事だった。


隣で夢中になっているグルナも、歓声を上げているが「あたしも!」と飛び出していく気配はない。本当に成長したなぁという実感と安堵がクレバールを包んで、少しだけ視界が滲む。おかげで集中して演目を観賞することができた。


***


ずっとここに居ればグルナのことも自分のことも忘れて楽しい夢に浸っていられる。

次々と切り替わる光の洪水の中でふと、そんなことを考えている自分がいることに気が付き、クレバールは苦笑した。


同時に、目の前に血が舞い散ったような気がして、びくりと体が僅かに跳ねる。


もちろん血など出ておらず、舞い散っているのは明るく輝く火の粉だった。いつの間に連れ出されたのか、舞台上では焔を纏った美しい鳥がアイリの指揮にあわせて弧を描いていた。隣ではグルナが相変わらず我を忘れて見とれている。


そのどちらも、急にひどく遠いもののように思え、クレバールは束の間目を伏せ、夢から遠ざかった。暗くなった視界へ、影絵のように昔の出来事が映し出される。積み重なった死体と、悲鳴。じっと、それが過ぎ去るのを待った。


自らのしてきた事を思い返せば、こんなにきらきらした、夢の溢れるものに居てはいけないということを、クレバールは十分に理解していた。


それでも、と彼は伏せなかった耳に届く歓声を聞きながら、この夢が続けばいいのにと願わざるをえなかった。



***



「たのしかった!」


それがテントから出てきたグルナの第一声だった。


「お前な、もっと他に感想はないのかよ」


呆れた調子で応じながら、クレバールも続いてテントから出てくる。


「うーんと、すごかった! きらきらしてた! アイリきれい!」

「はいはい、そういうのを帰ったら日記に書くんだぞ」

「おう! まかせろ!」


周囲はまだぼんぼりの灯りに包まれていて夢の続きのような気もした。しかし、聞こえなくなった音楽と少しずつ暗くなっていく街道が夢の終わりへ向かっていることを告げている。少しだけ、惜しい気がしたけれど、クレバールは振り返らずに歩みを進めた。


ふと、鼻歌交じりにスキップしながら先に進んでいたグルナがくるりと後ろを振り向く。その顔に浮かんでいたのは、とても満足そうな笑顔だった。


「今日はありがとうな、クレバール!」


それだけ告げ、不意打ちにぽかんとしたクレバールを置いてまたスキップし始める。少し間を置いて我に返ったクレバールが慌てて追いかけていく。


――こういうのも、たまには悪くない。


そんな笑みを口元に浮かべながら。

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花と猫とサーカスと 牧瀬実那 @sorazono

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