猫と少女にそれから戦い

「ああ、そいつなら確かにさっき見かけたよ」


猫が好みそうな人通りが少ない場所を中心に、三人で手分けをして聞き込みと探索を始めてから数時間が経過した頃。

ようやく目撃者を見つけ、クレバールは思わず身を乗り出した。


「本当か? どこにいたか教えてくれ!」


恰幅の良い商人――花屋で、たっぷりと水の入ったバケツを移動させていた――はエプロンで手を拭きながらのんびりした調子で応じる。


「東の街外れに待ち合わせ場所になってる大きな樹があるのは知ってるな?」

「ああ」

「あの樹の近くで見かけたよ。珍しい綺麗な色の赤い首輪をしてたから、間違いないだろうねぇ」

「そうか、助かる」


これまでの捜索では殆ど得られなかった具体的な情報だった。

急いで礼を言い、離れて捜索している他の二人に合流しようとしたクレバールを、ああそれからと商人が呼びとめる。


「なんだ?」

「なんだかガラの悪い連中がその猫を探しているのも見かけたんだ」

「なんだって」


ふむ、と商人は弛んだ顎を撫でさすりながら続けた。


「見覚えがあるような顔ぶりに見えたから、気を付けた方がいい」

「ああ、わかった。ありがとう」

「クレバール、みつかったのか?」


探しに行くよりも先にグルナとアイリがとことこと寄ってくる。グルナは猫を探して一体どこに入り込んだのか、泥と埃をあちこちにまとっていた。それらの汚れをぱたぱたと払ってやりながら、クレバールは彼女らに説明する。


「東の外れの笛石広場。あそこで見かけたってヤツが居た」

「おお! なら急ぐぞ!」


返事を待たずに、だっとグルナが走り出す。クレバールとアイリもすぐにその後に続いた。



***



交易都市東地区郊外。


入り組んだ街路の交差点にある小さな広場は時折吹き抜ける潮風がひゅうひゅうと笛に似た音を奏でることで有名な場所だった。

その中心に植えられた大きな広葉樹は、幹の太さが大人でも一抱えあり、一際目立つ存在となっている。


普段は待ち合わせ場所として賑わいを見せる場所だが、昼も半ばを過ぎてピークを過ぎたのか、今は殆ど人が居ない状態となっていた。

風の音と梢の閑静な雰囲気の中、じっと樹の上を睨みつけていたクレバールが、不意に声を上げる。


「居た!」


樹の一点を指し示す。グルナとアイリもそれを追って木の上に視線を走らせた。


「おお、あんなところに!」

「居たぁ!」


どうやって上ったのか、一番低い枝よりも数メートル上に白い影がちらりと見え隠れしていた。


アイリが両手を口の前に構えて声を張り上げる。


「おおーい! 下りておいでよぉラウ!」


呼びかけに、ちらりとほっそりとした顔がこちらを覗く。その動きに合わせて、ちかちかと、赤いものが陽の光を反射した。


しかし、ラウレアはそれきり、びくりともしない。にゃあと、かすれてか細い鳴き声だけが、かすかに届いた。


腕組みをしながらクレバールがうーんと唸る。


「あれは完全にビビってるな」


猫の中には勢いで高いところに登ってしまい、そのまま降りることが出来なくなるものがたまに居ると聞いたことがあった。樹の上のラウレアも同じなのだろう。


「うーん、結構旅慣れしてるはずだし、滅多なことでは動じないはずなんだけど」


やっぱりちょっと人が多すぎたのかなぁ、とアイリがひとりごちる。


「どうするかなぁ……」


ラウレアを見上げながら、クレバールが難しい顔をした。


「クレバールは木登り得意なの?」

「いや、残念ながら」


ふるふるとクレバールは首を振った。グルナがうんうんと同意する。


「クレバールはキノボリへただぞー! ちょっとのぼったらずるってなる!」

「ずるっ?」


ぽかんとした顔で訊き返すアイリに、ばつの悪そうな顔でクレバールはあさっての方向を向いた。耳と尻尾が落ち着きなくぱたぱたと揺れている。


「まあその……ずり落ちるってことだな」

「ああ、なるほどねぇ」


うん、わかるよ、とアイリが請け合う。彼女もあまり木登りが得意ではないようだった。


「誰も登れるヤツがいないとなると……誰か呼んできて手伝ってもらうのが正解だな」


ここはアイリとグルナに任せて、自分は人探しをしよう。この近くなら、と思案するクレバールをグルナの声が遮った。


「だいじょーぶだぞ、クレバール。あたしがなんとかする!」


堂々とした声で、胸を張り。あまりにも当然のように宣言されたその言葉に、クレバールが思わず素っ頓狂な声を上げる。


「は? お前が?」

「そーだぞー!」


ふん、と力強い鼻息で答える。クレバールはしかし、胡乱なまなざしをグルナに向けた。彼女がこうして自信満々に任せろという時は大体破壊行為が伴うことを、クレバールは身に沁みて理解していた。分かってると思うが、と釘を刺す。


「……言っとくけど、揺さぶる……というか薙ぎ倒すのと、火を噴くのは無しだからな」

「まかせろ!」


そう言うや否や、グルナは樹に抱きつくようにがしっと手をかけた。それから、ガリガリと少し木肌を削りながら少しずつ慎重に、だが確実に上へとあがっていく。

その姿は竜というよりもトカゲのようだ、と場違いな感想を抱きながら、クレバールは彼女に念を押した。


「くれぐれも慎重にな」

「わかってるぞー」


樹を登ることに集中しているのか、やや気の抜けた返事を返してくる。心配そうなクレバールとアイリが見守る中、グルナはずるずると着実に上へと進み続け、幾分もしない内に目的の枝へと辿り着いた。それまで微動だにしなかったラウレアが枝の揺れと訪問者に驚いたのか、びくりと飛びす去るように体を震わせたのが見えた。


グルナがぴたりと進むのをやめる。そのまま再び彫像のように動かなくなったラウレアに合わせるように、じっと見つめたまま全く動かなくなった。

数十秒後、にゃーんにゃーんと、彼女は話しかけるように鳴き真似を始めた。更にじりじりと少しずつ猫との距離を縮めているようで、枝がざわざわと揺れる。


警戒されているのか、猫の尻尾も不安そうに大きく揺れているのが下からでも見えた。

そのまま逃げて飛び降りてきてしまうことを考えて両腕を構えようとした時、ふとクレバールの耳にノイズの様な音が聞こえた。視線を樹の上に向けたまま、せわしなく耳を動かして辺りを探る。


物陰からこちらをうかがっている気配がした。少なくはない。

様子を窺う言葉も聞こえた。どうやらただの見物客、というわけではなさそうだ。


「あー、アイリ。少し離れて隠れてた方がいい」


怪しまれないように、首を動かさないまま低い声で忠告する。


「え、どうして」


きょとんと振り向いた彼女の視線を追い越し、


「お呼びでないお客様のお出ましってところだな」


言い終るや否や。ぞろぞろと物陰から男たちが出てきた。

揃いも揃って型にはまったようにガラが悪く、中には明らかに武器であろうものを構えている者も居る。


「ああ、なるほどねぇ」


アイリは納得したというように頷き、けれど物陰には隠れようとはしなかった。真っ直ぐチンピラを見据える瞳に猫の傍に居たいという意思が表れていた。


「見覚えのある顔が何人かいるみたいだけど、ひょっとしてあちこちで見かけた手配書の連中かな?」

「どうにもそうらしいな……グルナ! お前はその猫を連れてくることを優先しろ!」


声を張り上げてグルナに命令する。


「お、おう! わかった!」


不穏な雰囲気と戦いが始まりそうな気配に、グルナはすっかりとラウレアのことを忘れて高揚していたらしい。背後からがさりと大きく枝が揺れる音と一緒に慌てた声が返ってきた。猫が落ちていないといいが。


それから幾分もしないうちに、再びにゃーんという声真似が聞こえてきたような気がしたけれど、それを確かめることをせず、クレバールとアイリは現れた男たちを睨みつける。


それでも自分たちが有利であることを疑わないのか、リーダー格と思われる男がにやつきながら喋り出した。


「悪いなぁ、お三方。その猫は俺達が先に目を付けたんだ。横取りはやめてもらえないかねぇ」


へりくだっているように見せかけた脅し。今時こんな絵に描いたようなチンピラが居るのかよ、と呆れたクレバールが口を開くよりも先に、アイリがキッと強い口調で言い返す。


「何が先に目を付けた、だ! あの子はあたしの相方なんだ! アンタたちには手出しさせないよ!」

「アイリ落ち着け、下がってろ」


更に前に出ようとするアイリを諌めて自分の後ろに隠す。彼女には戦闘能力があるようには見えなかった。

グルナが居ない状態でどうやって切り抜けるか考える彼を、チンピラが馬鹿にするように吐き捨てる。


「はん、亜人のくせに騎士気取りか?」


ピクリとクレバールの耳が僅かに揺れた。しかしそれきり動揺することも激昂することもなく、ただ「ふむ」と一つ唸っただけで、


「騎士ねぇ。そんな御大層なもんでもないが、まあ少なくともお前らみたいな三下よりはマシなつもりだな」

「あぁん!?」


鷹揚に切り返すと相手はあっさりと挑発に乗る。やっぱり三下だ、とクレバールは肩をすくめた。


「あっは、言うねぇクレバールも」


けらけらと笑い、ていうかさ、とアイリが呆れた口ぶりで続ける。


「亜人のくせに、とか言うやつ初めて見た。ホントに居るんだねぇ」

「俺も久しぶりに見た」

「あー、クレバールも大分苦労してるんだねぇ。この街は交易都市だし、亜人差別とかそういうの無いと思ってたんだけど」

「逆じゃね。ヒトの出入りが多いからこそこういうのが居るんだろ」

「外から入ってきた価値観が混ざっちゃってるってことか。それもマイナスな方向で」

「そういうこと。けど、ま、確かに、元から亜人やら獣人やら色んな種族が暮らしてた土地だったらしいし。港として開かれた後もその辺を気にするヤツなんてそうそう居ないさ。つまりあいつらは、レアもの」

「うわぁ、こんな嫌なレアもそうそうないよ」

「言えてるな」

「ごちゃごちゃごちゃごちゃうるせぇな!」


けたけたと笑いながら話し込むクレバールとアイリに業を煮やしたのか、男が叫ぶ。


「どうしても引かねえってんなら仕方がねぇ。お前ら、やっちまえ!」


合図と共に怒号を上げて男たちが襲いかかってきた。


「うわ、せっかちな連中」

「あーあ、仕方ない。先に手を出したのはそっちだからな!」


隠れてろよ、という言葉だけ残してクレバールがアイリの視界から消えた。と思った次の瞬間


「ぐわぁ!」


間の抜けた叫び声と共に先頭に居た男の一人が綺麗な弧を描いて吹っ飛ぶ。男が元居た位置には拳を振り抜いた姿勢のクレバールの影だけが残っていた。その影もすぐに消える。


何が起こったのか分からず混乱する男たちの間を黒い風が吹き抜けていく。通り抜けた後には容赦なく拳や蹴りを叩きつけられた者が次々と倒れ伏す。

ほんの数十秒の出来事だった。


アイリが見ることが出来たのは、相手を吹っ飛ばそうとほんの僅かに失速した時にぼんやりと見えるクレバールの凶悪な笑い顔だけだった。


「どうした、随分とあっけないじゃないか」


とんとんと、一、二歩跳ねて速度を落としながらクレバールが挑発する頃には、誰一人動かなくなっていた。


いつの間にか相手から奪い取ったらしい刃物をくるくると検分し、クレバールはひとつ鼻を鳴らす。無造作に投げ捨てらてたそれが、地面で跳ねて立てたからんという音に反応したのか、呻き声が上がった。


「……こいつ……強い……!」

「なんだ、まだ意識があるヤツが居たのか。案外タフだな」

「くっそ……こうなったらそこの女を人質にっ」


そう言い捨て、男の一人がぐらつきながらアイリの方へ向かう。追い掛けようとしたクレバールを、更に一人が武器を構えて立ち塞がる。


「チッ、まだ持ってやがったか」


思うように動けなくなってしまった。そうこうしている間にも、攻撃の手がアイリに迫っている。


「アイリ!」


思わず、叫ぶ。


「あー、絵に描いたような悪人だね、ホント」


しかしアイリは、慌てた様子もなくぽりぽりと頭を掻いて呆れた様子でぽつんと漏らした。

次いでふらりとアイリの姿が揺らめいた、とクレバールが認識するかしないか。


「え」


三人分の戸惑いが、綺麗に重なった。一人はクレバールを脅していた男。もう一人はクレバール。そして最後の一人はアイリに向かっていったはずが何かに躓いたように宙に浮いた男のものだった。


全員がぽかんとしている中、宙に浮いた男の脇腹にアイリの鋭い蹴りがたたき込まれた。あまりにも素早く滑らかな動きはいっそ綺麗で、見ている者を呆然とするよりは見とれさせた。


呻き声と共にアイリに向かった男が地に伏して、ようやくアイリが倒したという状況を残党とクレバールも呑みこむことが出来た。


「ぐ……」

「……これ以上無駄な抵抗は止めた方がいいと思うぞ」


一応打診してみるが、聞き入れるのならこういうことにならないよな、と内心諦めていた。


「くっそ……こんな形で終われるかよ!」


案の定、男は向かってこようとした。やっぱりこうなるか、と、クレバールも拳を構えて迎え撃つ姿勢を取る。

その時。



「よし、つかまえたぞ!」



場違いな程に明るい声が上から降ってきた。同時にグルナがが木の上から飛び降りるのが見える。着地点には、男の姿が。


「ぎゃあ!」


あっという間もなく、予想通りグルナが男の背中に落ちた。ぐしゃっという嫌な音が辺りに響き渡る。

グルナに勢いよく蹴られた衝撃で潰れた蛙のような悲鳴を上げて男が昏倒した。その背の上でグルナがあっけらかんとした様子で言い放つ。


「お、なんかふんだ?」

「あーあー」


頭を抱えたクレバールが男の無事を確かめる。かなりの重量と無駄に筋力があるグルナをもろに受けて無事で済む、とは到底思えなかったが、少なくとも息はあるようだった。

やっぱりそこそこタフなのかもしれない。そっと安堵のため息をついた。

同じように屈んで男を突っついていたアイリが同情的な目で呟く。


「ちょっとかわいそうかもねぇ」

「襲ってきたのはこいつらなんだから、自業自得だろ」

「まあ、それもそっか」

「ところで」


クレバールは目の前の少女に顔を向ける。彼女は襲撃前と変わらない様子で、何、と小首を傾げた。


「アイリ、さっきの蹴りは一体……?」


きょとんと、彼女は少しだけ目を見開く。


「ん? あれは単純な護身術だよ。最初に転ばせたのは柔術で、蹴りはあたしの故郷の格闘技から学んだんだ。

長旅をしているとこういう身を守る術が必要になってくるんだよねぇ」


たははと笑い、しかし彼女はそれで説明は十分、とばかりに立ち上がり、転がっている男達を指し示す。


「それよりもこいつらどうしよっか? 放っといても直に回復するだろうけど、また悪事を繰り返されても厄介だと思う」


はあ、と溜息をついて、クレバールも頷く。確かにこれ以上追求する理由もなかった。


「それもそうだな。俺がヒトを呼んでくるから、アイリとグルナはこいつらを見張っててくれないか」

「いいよ。多分それが一番だろうから」

「グルナ」

「なんだ?」

「俺が戻ってくるまでの間にコイツらが息を吹き返して襲ってくるようだったら、容赦なく殴っていいぞ」

「やったー!」

「それから」

「うん?」

「猫はアイリに返してやれ」

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