第53話 春風の夢
「お疲れ様。素晴らしい劇だった。監督として誇りに思うよ」
真崎部長は演劇部員の前で言った。全てやり切った。思い返すことは何もないと言ったように。
「特に冬月、感動した。君を主演にして本当に良かったと改めて感じるよ」
「いいえ。私は自分のやるべきことをやったに過ぎません」
役を終えた沙夜はいつもの口調に変わっていた。
舞台では演技なのは当然だが、現実を見てしまえば悲しい気持ちになった。演技をしている沙夜の方が生き生きしている。
「夏宗君」と肩に指を叩きながら春風は言った。
「少し、抜け出さない?」
と誘われ、断るにもいかず僕と春風は少しの間、演劇部から抜け出すことになった。
「うまくいって良かったね。一時はどうなるかと思ったよ」
当然ながら春風の服装はバニーガールではなく制服だ。どちらかと言えばバニー姿の春風をもう少し堪能したかったが、あれは劇だけの限定衣装だ。
「ねぇ、焼きそば食べたいな」と春風はおねだりする。
そうだ。春風に奢る約束をしていたんだ。泣く泣く、僕は焼きそばを買う。
「ねぇ、どうして冬月さんはいなくなっちゃったの?」
「あぁ、それなんだけど」
僕たちは焼きそばを食べながら沙夜がいなくなった経緯を話した。
「なんだ。そんなことか。冬月さんも意外とビビリなんだね」
「うん。ごめん。迷惑かけて。僕の世話役としての監督不足だ」
「いつまで続けるの? 冬月さんの世話役」
「さぁ、正確には決まっていないけど、沙夜は僕がいないと問題を起こすから」
「辞めちゃえば? そんな役」と春風は言い切った。
突き刺さるような言葉に僕は口を閉ざした。それを見かねた春風は自分の意見を述べる。
「大体、変なんだよね。いくら幼馴染でもずっと一緒に行動しているし、かと言って付き合っているわけでもない。私から言わせれば何がしたいのかなって思うよ」
「それは分かっているよ。僕もいつまでもこんな役を続けられないことくらい」
「だったら一層、背中を押してあげるのも一つの手だと思うよ。冬月さんもいつまでも世話役をされたくないと思うし」
「春風、前から聞きたかったんだけど、沙夜のことをどう思っている訳?」
「何よ。急に」
「最初は仲良くなりたいってきっかけで演劇部に招き入れたのが始まりだけど、あの時から仲良さそうに見えないしどうなのかなって」
思い切って僕は聞いた。ずっと聞きたかった。それでもなかなか聞けず終いで今日になってしまった。
「あぁ、そのこと。別に好きとか嫌いとかないよ。最初に演劇部に招き入れたのは人助けだよ。ほら、冬月さんってあなた以外喋らなかったし、クラスでも浮いていたじゃない。室長として見過ごせないから私の管理下に置いとこうって考えた訳」
「それで演劇部に」
「結果として入学当初と比べてクラスにも演劇部にも馴染むようになってきたじゃない。結果オーライってやつ。それに夏宗くんの知らないところで実は冬月さんなりに成長はしているんだよ。うっすらだけど笑うようになったし、言葉遣いは変でもよく喋るようになったし小さな成長だけどね」
言われてみれば、頑なに僕から離れようとしなかった沙夜は一人で誰かと喋るようになった。確かに成長している。まるで乳歯がようやく抜けたように。
「私も聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「な、何?」
「私の本性、誰にも言っていないようだね。夏宗くんは私のことどう思っているんだろう?」
「誰にも言っていないってあれだけ脅して言える訳ないだろう。それに女が少し怖くなったよ。いくら演技でも実際に目の前で見ると怖いものは怖い」
小林先輩が何故か頭に浮かんだ。
「私のこと怖いんだ」
「まぁ、少し」
「安心してよ。もう、二度と素を出すことはないから。いつもの私でいるよ。勿論、演劇では素の演技をすることもあるでしょうけど」
「いつもニコニコしているのは演技なのか?」
「どうでしょう。でも、演技は大事だと思うよ。役者だったらね。私、女優になりたいんだ。映画やドラマの主演に。実は女優のオーディションに応募しているんだけど、三次止まりで困ったものだよ」
「え? 本当に?」
「うん。だからこうして演劇で演技力を鍛えたいの。もし女優になれなくても演劇の舞台のアシスタントや裏方で働くつもり。私は演技のプロになりたいの」
「凄いよ。春風ならなれるよ。必ず」
「ありがとう。こんなこと言ったのは夏宗くんだけだよ。夢の為に頑張らなきゃ」
両手で拳を握り、ガッツポーズをする春風。その姿がたくましく見えた。
また一つ、春風の秘密を知ってしまった。
その度に春風は手の届かない存在に感じた。
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