第42話 夏休み


 夏休みに入った翌日、高校生なら海にプールに夏祭りにと楽しい思い出作りを作る最高の期間であるが、今の僕にはそのような時間は無いに等しい。何故ならこの夏休みは演劇部で忙しくなるからだ。


 毎年、この時期になると秋のコンクールに向けて活動が活発になるらしい。

 スケジュールを見たところ、この夏休みの間で休日があるのはたったの四日間だけであり、後は全て部活動ということになる。

 夏休みの後半では二泊三日の合宿まであるのでかなりのハードスケジュールと言えるだろう。

 と、言ってもこの秋の本番が終わってしまえば静かな学校生活を送れる訳なので一時期の辛さはこの時期だけだ。

 今日は夏休みの初日であるが、午後からは部活動が待っている。


「こんにちは。私はあなたが現れるのを今か、今かと待っていました」


 扉を開けるといつもの口調で沙夜が出迎えてくれていた。

いつもの展開といつもの口調は変わらないが、一つだけ大きく違っていたものがあった。

 自然体の髪を一つに束ねてメガネを付けていなかった。沙夜の特徴が何もないことに僕は驚く。


「沙夜、いつもと違うけど、どうしたの?」


「特に意味はありません。今日は少々気温も高く蒸し暑い日ですので工夫を施したまでです。何か問題でもありますか?」


「いや、別に」


 少々、喧嘩腰に答えてきたので僕は一歩下がってしまった。

 昨日のことを少し意識しているのだろうか。

 そもそも沙夜にも暑いという感覚があるのだろうか。

 いや、あるにはあるがそれを表に出さないだけだろう。

 沙夜は無表情で汗を掻かない。逆に僕はそれが心配になる。



「冬月さん、どうしたの? イメチェン?」


 春風は沙夜を見るなり、興味津々で聞く。


「はい。少し暑いので衣替えというやつです」


 衣替えは服装に関して使う言葉であり、髪に関しては少し違うと思うが、僕はあえてスルーした。対して春風は様々な角度で沙夜を観察した後にこう発した。


「グッジョブ!」と、謎に春風は親指を立てながら言う。


 それに対して沙夜は少々ニヤついた。ほんのわずかだが。このやりとりが僕としては微笑ましい限りだ。


 沙夜を主役に演劇部では激しい練習が始まった。

 当然、僕もメインキャラである為、沙夜と同等にハードな練習をさせられる。台本を覚えるのに苦労したが、人間死ぬ気になればなんだって出来ると改めて身に染みた。

 しかし、台本を覚えるのなんて演劇をするにはスタート地点に過ぎない。

 練習から一週間、沙夜にある変化が起こった。


「私は負けない! この先、どんな苦難があろうと必ず脱出してみせる!」


 物語の中盤に来たところでようやく役になりきっていた。


 最初の段階から真崎監督の許可が下りるまでは何度も練習をさせられ、出来るまで前に進めなかった。

 進んだ先で前のシーンがまた出来なくなれば、またそこからやり直しだ。厳しくやらされ、ようやく折り返しまで来られて許可をもらった。

 先輩がいうには中盤まで一週間で来られたのは早い方だという。

 本来ならば倍のペースはかかるとのことだから沙夜の実力は格段と上がっていると言えるだろう。これも度々二人で秘密の特訓をしたおかげだ。

 沙夜は最初、乗り気ではなかったが、今では積極的に役になりきっている。


「冬月さん。かなり成長している。後半もこの調子でどんどん行こう……と、行きたいところだが、まだ先に行くには難しいかな」


 真崎部長は険しい表情でいう。


「真崎部長。沙夜は頑張っています。確かにまだまだ伸びしろはあると思いますが、一通り通しでやってみませんか? このまま、前に進まないと本番まで間に合わなくなると思います」


 僕は提案する。


「冬月さんは間違いなく成長している。そこは問題ない」


「だったら何が足りないんですか」


「君だよ」


「え?」


「冬月さんはこのまま継続すれば問題はない。だが、彼女のパートナーである夏宗君はまだ役になりきっていない。このままいけば、役を交代することも視野に入れなければならないな」


 真崎部長は期待外れとでも言いたいように言い放った。


「自分で何が足りないのか自覚はあるか?」


「……スキルですか?」


「いや、違う。分からないようであればこのまま主役を努めさせる訳にはいかないな。ヒロインと日常的に相性が良いという理由で夏宗君に役を任せたが、もう彼女は君がいなくても羽ばたける。それに他にも出来る人は何人もいる。君の代わりなんていくらでもいる。明日までに自分の足りないものを見つけ、克服出来る見込みがなければ真っ先に役の交代を言い渡す。以上」


 勝手に話を打ち切られた。

 そして、そのまま真崎部長に何も言われることのないまま練習が終わった。今までで一番厳しいことを言われた。


 自分が足りないことが分からないまま、今日は解散となってしまった。


 沙夜のことで一生懸命になり過ぎて自分のことが疎かになった結果だ。

 これじゃ何の為にやって来たのかまるで分からない。

 僕に足りないものとは何を指していると言うのだろうか。

 考えても思い浮かばない。いや、あり過ぎてどれが正解なのか分からない。

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