第17話 過去編③


 おかしな言動は数々あったが、僕が沙夜の世話役になる大きな決めてとも言える出来事は小学校五年生の冬に起こった。


 その頃になると同学年の生徒は少し大人になっていた。と、言っても見た目はまだまだ子供で考えも幼いが成長期の段階で無邪気さは収まっていた。沙夜は元々大人びた思考をしていたのであまり変化はなかった。

 周りは変わっても沙夜の中身も見た目もあまり変わらない。

 変わったと言えばより無表情と敬語が鋭くなったことだろうか。この頃になると説明口調の喋り方がプラスされ始めた。


「何故なら……」という口癖もこの頃だっただろうか。


 そのこともあり周囲の目は一層冷たくなった。

良い子ぶっている。周囲を下に見ている。何を考えているのか分からない。気味が悪い。などと印象が染み付いていて誰も沙夜と関わろうとする者はいなかった。当然、それは僕も同じだった。毎日のように顔を合わせるが、極力少ないやりとりで学校生活を送ってきた。結果、当時の沙夜は学校で口を開くのは授業中の発言のみである。

 その頃に校内ではある注意の呼びかけが広まっていた。


「最近、校内で不審者がうろついていると地域で噂されています。警察にも巡回を頼んでいますが、皆さんは登下校の際は一人で帰らず二人以上で行動を取りましょう」


 と、担任の教師から通達されている。

 まだ事件は起きていないがここ数日の間で不審者の目撃情報が後を絶えない。

 学校も地域もより警戒していた。


「おい。一緒に帰るぞ」と僕は沙夜に言った。


「どうしてですか?」と沙夜は首を傾げた。


「どうしてって、お前、先生の話を聞いていなかったのか?」


「聞いていました。登下校の際は一人で帰らず二人以上で行動を取りましょう。です」


「そういう訳だ。だから一緒に帰るぞ」


「私はあなたと帰りたくありません。あなたと帰るなら一人で帰った方がましです」


「へー随分な嫌われようだな。僕はあなたに何かしましたかな?」


 と、僕は煽るように聞いた。


「私はあなたから何もされていませんし、何も思っていません。ただ、私のことをあまり良く思っていないのに情けで一緒に帰ろうと言い出すことにどうも私自身が納得できないだけです」


「何を言っているんだよ。別に情けで言っている訳じゃない。ただ、家が隣同士だし、一緒に帰ろうってだけの話だろ」


「それなら、どうして今まで一緒に帰ろうとしなかったのでしょう? それは私のことがあまり好ましくないという結論で避けられていたという意味ではないのですか?」


「それは……その、なんていうか」


 無表情でメガネの奥から冷たい眼差しが僕を刺激した。沙夜の言うことは全くもって正しい。僕はいつの間にか自然と沙夜を避けていたのだ。それだけは否定できなかった。


「さようなら。また明日」


 沙夜はランドセルを背負って教室から出て行ってしまった。




 とは言ったものの、沙夜と一緒に帰る訳にも行かず、かといって一人で帰らせる訳にもいかないので僕は沙夜の後を尾行することにした。これならば一緒に帰らず、一人で帰らせない方法だった。ちょっとした探偵の気分に浸りながら僕は数メートルの距離を保ちつつ、物陰に隠れながら尾行を続けた。

 もしかしたら面白いものが見られるかもしれないと淡い気持ちになりながら僕の感情は高ぶった。

 沙夜は歩いては立ち止まり顔を上げて空を眺めていた。一体何をしているのだろうか。


 すると、沙夜は通学路の途中にある公園に入っていった。

 ベンチに腰掛けてランドセルの中から何かを取り出す。

 給食で残したパンだった。ここで食べるのかと僕は物陰に隠れながら眺める。


「出てきてください。居るのは分かっています」


 と、沙夜の発言で僕は胸を締め付けられた。僕の尾行は最初から気付いていたということなのだろうか。諦めて物陰から姿を現そうとしたその時だった。


 一匹の黒猫が「ニャー」と鳴きながら沙夜に近づいてきた。


「やっぱり居ましたか。お腹が空いていますか。どうぞ、召し上がれ」


 沙夜はパンを千切って黒猫に差し出す。黒猫は貪るようにパンを食べた。


「美味しいですか? あなたはいっぱい食べなければなりません」


 沙夜は無表情ながらにも楽しそうに黒猫と接していた。僕は出るに出られなくなり沙夜が黒猫と戯れている姿を眺めていた。顔は笑っていないがこんなにも楽しそうにする沙夜の姿は初めてだった。こんな意外な一面もあるものなのかと僕は不思議だった。


「こんにちは。その猫は君の猫かい?」


 沙夜の前に突如現れたのは長髪でマスクをした成人男性だった。身体が細くヒョロッとした男だった。


「いいえ。この猫は私の猫ではありません。この公園に住んでいる野良猫です」


 沙夜は男に向かって淡々と口を開いた。


「そうなんだ。いやー私は猫に目がなくてね。観ているだけで癒される。良かったら一緒に見ても良いかな?」


「どうぞ」


 沙夜は身体を左にずらしてスペースを作った。男は空いたスペースに腰をかけた。

 男は足元に生えていた猫じゃらしを抜き取り、それを黒猫に向けて左右に振った。黒猫は猫じゃらしに興味を示すように手を指し延ばす。


「やっぱり猫は可愛いな。犬なんかより断然、猫派だよ。お嬢ちゃんも猫の方が好きなのかい?」


「はい。私は犬より猫の方が好きです。自由で気ままで何事にも捉われない。そんな猫の生き方が好きです」


「お嬢ちゃんもそんな生き方をしてみたいのかい?」


「それは分かりません。私は私なりに自由に生きているつもりです。私は感情を表に出せない変わり者です。要するに私はこの子に似ているから好きなのかもしれません」


 沙夜……と、僕は沙夜の気持ちに触れた。

 沙夜は、本当は自分自身が嫌いなのかもしれない。猫と接することでその存在意義を確かめているようにも思えた。


「そうなんだ。私と同じだね」と男は言う。


「私も世の中の嫌われ者だ。何をやっても上手くいかない。猫みたいに自由に生きたい。そう思うから私も猫が好きなんだ」


「そうですか」


「お嬢ちゃん、良いものがあるんだ。君にだけ特別に見せたいものがあるんだ。良かったら来てくれないかな? すぐそこなんだ」


「良いもの?」


「ここじゃ人目がつく。凄いものなんだ」


「いえ、しかし……」


 その時だった。

 男は突如、手に隠し持っていた白い布を沙夜の顔に押し付けた。沙夜は意識を失って倒れた。

 男は大きめのカバンに沙夜を入れて公園から走り去ってしまった。

 僕は頭に先生の話が過ぎった。校内で不審者がうろついている。

 それはあいつだ。


「待て!」


 僕は物陰から身を乗り出し、男を追いかける。

 しかし、男は公園から出たところにバイクに乗り込み逃走した。

 ナンバーは折り曲げられて見えなかった。


「待ってくれ! 沙夜!」


 僕はバイクに向かって手を伸ばすが、その手は沙夜には届かなかった。

 近いようであまりにも遠かった。

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