第72話 代役

「今日は珍しく早起きですね、兄さん」


「…………そうだな」


「寝起きもいいみたいですし」


「まあ……そうだな」


 琴水の言う通り、今日は珍しく早起きだった。寝起きもいい。

 こうしてゆとりをもって朝食の席にありつけているのも、久しぶりだ。

 しかし、もしかすると、俺はまだ目を覚ましていないのかもしれない。深い眠りの最中に身を浸しており、夢を見ているのかもしれない。


「ハァハァ……と、ところで、その秘訣は、やはり……? 昨日の補充が?」


 明らかにヤバい目をしている興奮状態の義妹が目の前にいたら、夢だと思っても仕方がないだろう。母さんや父さんに何があったのかを訊ねることが出来ればよかったのだが、生憎と母さんはまだ寝ているし、父さんは仕事の都合かいつもより早めに家を出ている。


「……失礼しました。取り乱しました」


「自分の異常に自覚的でよかったよ」


 うちの義妹は時折、謎に『取り乱す』ことが多い。恐らく何かしらの理由があり、それを小白は知っているらしいのだが、なかなか教えてはくれない。よく分からないが俺は知らない方がいいらしい。ますます気になる。


 というか……ここは兄として、訊いておいた方がいいのだろうか……?

 今更になって兄貴面をしたいわけではないが、琴水には世話になっていることの方が多い。お礼を渡したとはいえ、それで全てチャラになっているとは思っていない。

 何か困っていることがあるのなら、力になるのが筋というものだと思う。


「琴水。何か悩みでもあるのか? あるなら、話を聞くぐらいは俺にも出来るけど」


「…………………………いいんですか? 話を? 聞いても? 根掘り葉掘り?」


「そっちが質問するのかよ」


 逆では? と思ったけど、それで妹の悩みが解決するなら構わないか。


「……まあ、別にいいぞ」


「……………………ッッッ……! YESッ……! フッゥゥゥゥゥ~~~~~……ふー……ふー……ありがとうございます。今後、この貴重な取材権は必要な時に行使させていただきますね」


 俺はなんだか、とんでもない約束をしてしまった気がする。

 いや、きっと気のせいだ。ところで取材権ってなんだ? なんの?


「ああ、今日は朝から気分がいいです。ごはんが進みます」


「俺の目が曇っていなければ、既にどんぶり3杯は食ってる気がするんだけど」


 たくさん食べることはいいことだけど。

 ……そういえば小白もよく食べるよな。もちろん、琴水ほどじゃないけど。

 俺が知らないだけで最近の女子は健啖家が流行りなのかもしれない。後で夏樹にきいてみるか。


「兄さんが食べなさすぎなのでは? 体育祭も近いですし、加瀬宮先輩との体育祭でも活躍するための体力はつけておかないと……いえ。兄さんに体力があるのは加瀬宮先輩から話を聞いているのでよく知っていますが、それでも体力をつけるに越したことはありませんし……むしろ体力をつけていただいた方が、わたしとしても捗ります」


「最近は運動してるから、体力がついてきてる方だよ。……でも確かに、小白と過ごす体育祭だからな。格好悪いとこ見せないように、頑張るよ」


 微妙に話がかみ合ってない気がするけど、これも気のせいに違いない。

 なぜか薄氷の上でタップダンスをしているような気分だけど、これも気のせいだ。


「体育祭といえば……加瀬宮先輩は、大丈夫ですか?」


「ん?」


「沢田先輩は学校でも有名人ですし、加瀬宮先輩も同様です。そんな二人が男女混合リレーのメンバーになっていることで、色々と話題になってますよ。一年生の間でも」


「……どんな内容の話か、訊いてもいいか?」


 一学期の小白の評判は、あまり良いものとはいえなかった。

 その頃の影響で風当たりが強くなっていないといいが……。


「兄さんが心配しているような風当たりの強いものではありません。むしろ逆です」


「逆?」


「二人がお似合いの恋人同士だと、勘違いしている人が多いんですよ。兄さんと濃密で深い仲であることも知らずに」


 ……………………言い方に少し引っ掛かりを覚えるが、今はスルーしよう!


「二年生の間では、兄さんと加瀬宮先輩が恋人同士であることは浸透しているようですが、わたしが聞いた限りでは一年生の間ではまだ認知不足のようで……というか、一時期は浸透しかけてたのですが、ひっくり返されたようですね。放課後の練習会に参加している様子を、偶然一年生の生徒が目撃したのが原因かと思われます」


 男女混合リレーのメンバー構成上、放課後練習会で小白と沢田が接する機会は多いからな……。美男美女という意味では絵になる二人だし、勘違いする一年生がいてもおかしくはない。


 その理屈は分かるが……面白くは、ないな。


「兄さんと加瀬宮先輩はもっとアピールするべきです」


「アピールって、恋人関係であることを、か?」


「そうです。このような噂が広がるのはわたしとしても不服です。兄さんと加瀬宮先輩は、わたしにとって推しカプなのですから。いやほんともう日頃から大変お世話になってます」


「推しカプとかどこで覚えてきたんだそんな言葉」


「友人に教えてもらいました」


 大丈夫なのかその友人とやらは。

 まあ、琴水なりに心配してくれていると、気持ちは受け取っておこう。


「アピールって……そんな特別にするようなものか?」


 少し独占欲に駆られたりして、小白に『しるし』をつけたことはあるけど。


「お二人の方針もありますし、強要するつもりはありませんが……無用な誤解は周囲にとっても不幸ですからね」


「……確かにな。沢田を好きな女子生徒が、勘違いのせいで諦めなくていい恋心を諦めたりするってことも、あるかもしれないし」


 実際、沢田はフリーなのに小白と付き合っていると勘違いして告白を諦めてしまうのは、確かに不幸だ。


「それもありますが…………そういう空気って、辛いじゃないですか」


「空気?」


「本当に沢田先輩のことが好きで、想いを寄せているのに。そういう沢田先輩と加瀬宮先輩が付き合っているという空気を周囲が作ってしまって、それを見ているというのは……とても、辛いことだと思います。それに、そこに割って入るように踏み込むもの、とても勇気がいると思いますし……」


 琴水が四杯目のどんぶりに箸をつけているのを横目に、俺はその言葉を噛みしめる。

 正直、今までの俺ならそこまで面倒は見切れないと切り捨てていたかもしれない。

 だけど、小白と付き合うようになった今だからこそ、そういった他者を想う気持ちの大きさや大切さが理解できる。そして、その想いを告げる機会を潰すことがどういうことか、ということも。


 琴水はそれを、既に理解しているのだろう。

 こうして自然に他者を思いやることができる琴水は、我が義妹ながら――――



「琴水。お前、かっこいいな」


「そういうセリフは、ぜひ加瀬宮先輩にむけてください。そして詳細なリアクションをテキストベースでいただけると助かります」


「あ、はい」


 やけに熱のこもった返答をいただいた後、黙々と朝食をとって学校へと向かった。

 道中でいつものように夏樹と合流して雑談を交えて登校する。だが、いつものように入った朝の教室は、明らかにいつもと空気が違っていた。

 沢田と八木を中心とした一部のクラスメイトたちがざわついている。その平常時ではない空気に困惑していると、こちらに気付いた八木が近づいてきた。


「おっす。成海、犬巻」


「おはよう。騒がしいけど……何かあったのか?」


 問いかけると、八木の表情が曇る。


「ん……実は、凛ちゃんが怪我したみたいなんだ」


「怪我? そういえば教室にも来てないみたいだし……入院とか?」


「そういう大きな怪我じゃねぇよ。一人でリレーの練習してる時に足を痛めたらしい」


 入院だとか、そういう大きな怪我じゃないことにはひとまず安堵する。


「けど、そう大した怪我じゃないんだよね? 学校に来てないのはどうして?」


「大した怪我じゃないんだけど、体育祭の本番は無理だって医者から言われたみたいでさ。まぁ、たぶん……それで落ち込んでるんだと思う」


 確かに今の時期に痛めてしまったら体育祭への参加は難しいだろう。

 ……清水がそこまで体育祭に賭けてたというのは予想外だったけど。

 いや、それはあくまでも俺の感覚だ。清水には清水なりの事情があったのだろう。

 そこは俺の物差しで測ることじゃない。


「で、今は男女混合リレーの代役をみんなで考えてるところだ」


「清水が抜けた穴を埋める代役か……となると女子の中から誰か、ってなるよな」


「おう。けど、こんな土壇場、しかもリレーっていう目玉競技だろ? 誰もやりたがらなくてさぁ……」


 沢田目当てで参加する女子がいるならすぐに枠は埋まるかと思ったが、この空気なら自分から手を挙げにくいか。


「…………芽乙女は?」


「え? めい子?」


「そ。芽乙女。立候補者がいないなら、俺はあいつを推薦するけど」


「うーん……けどなぁ……めい子って、走りはあんまり……」


「あいつ、最近はタイムも伸びてきてるぞ。体力もついてきたし。そりゃ確かに、リレーに出るようなメンバーに比べれば遅いかもしれないけど、少なくともやる気はクラスで一番あるやつだと思うし。……一応、俺も本人に確認をとってみるけど、芽乙女が走りたいって言ったら、走らせてやってほしい」


 芽乙女の努力は俺が間近で見てきたという自負はある。

 元々は来年に向けた努力ではあったけれど、チャンスがあるなら掴ませてやりたい。


「勝敗が気になったりするっていうんなら、何かあったら全部俺のせいにしてくれていいよ。推薦者としてそれぐらいの責任はとる」


「けっこー推すじゃん」


「練習友達だからな」


「ははっ。そっか。……分かった。とりあえず、めい子にも確認とってみるけど、そんな感じで話をまとめとくわ」


 それから八木は沢田たちの方へと戻ろうとして――――足を止め、こちらに振り向いた。


「それと、一人で責任おっ被るのは無しな。参加するからには、おれも責任ってやつは負うつもりだからな!」



――――――――――――――――――――――――――――

書籍版『放課後、ファミレスで、クラスのあの子と。』

発売まで1週間となりました!

予約もまだまだ受け付けているので、よろしくお願いします!


今回は店舗特典や口絵についてのお知らせです!

↓近況ノートでも公開しております!

https://kakuyomu.jp/users/left_ryu/news/16817330668577437867


【店舗特典について】


●アニメイトさま

SS「放課後まであと何分?」4P

小白が、紅太と過ごす放課後を待ち遠しく感じるお話。

ここは書籍版新規に書き下ろしたシーンの別視点となります。

読了後に読むのがオススメです!


●ゲーマーズさま

SS「胸いっぱいの買い食いを」4P

放課後の帰り道、小白が紅太と買い食いするお話。

加瀬宮小白はいっぱい食べる子です。


●メロンブックスさま

SS「退屈になった待ち時間」4P

紅太がバイトを終えてファミレスに来るまでの時間を過ごす、小白のお話。

何気にweb版でも書いてこなかったシーンだと思います。


更に!ゲーマーズ様とメロンブックス様には、上記SSの他にも有償特典があります!


●ゲーマーズ様

【オリジナルB2タペストリー付】


●メロンブックス様

【アクリルカード付き】メロンブックス限定版


電撃文庫公式Xでも確認できますので、要チェック!↓

https://twitter.com/bunko_dengeki/status/1734877378202247587

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る