第71話 清水凛の欲しいもの、加瀬宮小白の欲しいもの
「…………私じゃ、だめなのかな」
清水凛という人間は、高校に入ってから何度もそんな言葉を胸に秘めてきた。
その視線の先には、いつも沢田猛留くんがいた。そして沢田くんは、いつも私じゃない人――――加瀬宮小白を見ていた。
それはきっと、私の知らない中学生の頃から。ずっと、ずっと、なのだろう。
でも……私は小学生の頃から、沢田くんのことが好きだった。
小学生の頃の私は、引っ込み思案で、内気で、地味で、教室でも存在感のない子だった。
あだ名はジミズ。地味な清水だからジミズだ。
当時、クラスの目立つ男の子からそう言われたことをきっかけに、ジミズというあだ名が広まった。
本当は嫌だったけれど、嫌だって言うこともできなくて。
流されるままに苦笑いすることしかできなかった。何よりも怖かった。クラスで目立つ男子に逆らったら、いじめられると思ったから。
「じゃあこの問題はジミズ……あ、違う。すまん! 清水だ、清水!」
授業中。よりにもよって先生に呼び間違えられた時は、クラスのみんなから笑われた。
その時は力なく笑ってごまかしたし、後で先生には謝られたけど、帰り道でちょっぴり泣いた。
「大丈夫?」
その時に声をかけてくれたのが、沢田くんだった。
クラスは違っていたけれど、沢田くんは有名人だったから私でも知っていた。
だから声をかけられた時は驚いたし、同時に嫌だと思った。
ジミズ、と呼ばれるようになったことがきっかけで、人気者の男子にはトラウマがあったからだ。
「あ、ジミズじゃん!」
クラスメイトの目立つ男子にも見つかった。最悪だと思った。
「じみず?」
「えー、知らねーの沢田。こいつ、ジミズって言うんだぜ。なー、ジミズ!」
嫌だ。嫌だ。嫌だ。今すぐ消えてしまいたい。いっそ本当に消えてなくなればいいのに。
「この子は清水さんだよ。清水凛さん」
「……え? どうして、私の名前……」
「去年、同じクラスだったでしょ。それに清水さんって、花の水やりも忘れずにしてくれるし、字も綺麗だったから、覚えてたんだ」
その時の沢田くんの声は今でも覚えている。かけてくれた言葉も覚えている。
「は……はー? だからこいつはジミズなんだよー!」
「そーいうの、つまらないからやめなよ」
その時に抱いた気持ちも覚えている。だって今も抱えているものだから。
その目立つ男子よりもずっと人気者の沢田くんが言ってくれたおかげか、私がジミズと呼ばれることはなくなったし、それから卒業まで沢田くんと話すこともなかった。
本当は声をかけたかったけれど、当時の私には勇気がなかった。
それから親の都合で引っ越しをして、住んでいた街を離れて――――私は後悔した。
こんなことになるなら勇気を出して話しかければよかった、って。
後悔を糧に、私は自分を変えた。
服やメイクの勉強をして、髪も理髪店から美容院に行くようにして、外見を変えた。眼鏡もやめてコンタクトにした。
内面も変えるようにした。一人にならず、積極的に他人と関わるようにして。
勿論、それでたくさん失敗もしたけれど、それもまた経験になった。
沢田くんは私みたいな地味な子でもちゃんと見てくれていたから、私もできるだけ色んな人のことを、ちゃんと見て居ようって思ったし、それをできるだけ実践できるようにして。
中学を卒業する頃には、私は人気者グループの一員になっていた。
告白されたことも何度かあったけれど、沢田くんのことが忘れられなくて断っていた。
進学先の高校は、小学校の頃に住んでいた街の高校にした。沢田くんのことが忘れられなかったからだ。会えればいいなとは思っていたけれど、会えるとも思っていなかった。
――――そして私は、高校で沢田くんと再会した。
偶然じゃない。運命だと思った。
小学校の頃から好きで、自分を変えてくれるきっかけを与えてくれた、初恋の人。
彼と再会できたこれを運命と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。
「もしかして、清水さん? 久しぶり。小学校以来だね」
沢田くんは私のことを覚えていた。しかも、一目見て私だと分かってくれた。
再会してから、抱いていた恋心はどんどん大きく膨らんでいって。
サッカー部のマネージャーにもなった。全然ルールも知らなかったサッカーのことも調べて、勉強して。マネージャーとして働いて働いて働いて、先生の信頼も勝ち取るぐらいに、働いた。
だけど…………沢田くんの視線は、いつだって私じゃない別の人に向けられていた。
加瀬宮小白。
有名人の姉を持つ、学校でも注目の的になっている女子生徒。
モデルと言われても信じるぐらいに整った容姿は、歩けば誰もが目を奪われる。異性、同性、関わらず。私だってその一人だ。
悪い噂が流れていたり本人の態度が悪くても、あの子はいつも視線を集める。
孤高でありながら、みんなの視線を独り占めしている。
分かっている。沢田くんの視線すらも集めているって。沢田くんはあの子のことが好きだって。
それでも。それでもそれでもそれでも。
「…………私じゃ、だめなのかな」
そう思わずにはいられない。
清水凛じゃだめなのかなって、思わずにはいられない。
この感情は止められない。だってもう、私は恋をしてしまっているのだから。
どうしようもないぐらいに、想ってしまっているのだから。
加瀬宮小白じゃなくて私を見てほしい。私なら、あなたの想いに応えるから。
そんな時だった。くじ引きで決まった、リレーのメンバーに加瀬宮小白がいた。
負けたくなかった。だから練習会に参加できる時はかかさず参加して、普段は部活が終わってからも走り込みをして。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
そもそも同じチームだし、勝ったから何かあるわけじゃないけど、とにかく加瀬宮小白にだけは負けたくなかった。
「もっと……もっと、走り込んで、練習して……」
たとえ地味でも。目立たなくても。忘れられてたっていい。
沢田くんの視線さえ、私に向けられるなら。
「…………絶対に、負けない。あんなやつに」
沢田くんに好かれているのに。私が欲しくてたまらない物を持っているくせに。
別の男を作って、バカみたいにデレデレしてるようなやつに。絶対に負けたりしない。
だって。沢田くんとの出会いは、私にとって運命なんだから――――。
☆
芽乙女を送ったあと、俺はすぐに小白を迎えにいった。
ちょうど小白のバイト先が駅のすぐ近くだったので、しばらく駅のカフェで時間を潰しつつ、バイト先の建物の前で小白と合流する。
「お疲れ」
「ありがと」
バイトが終わる時間を見計らって購入しておいた、小白お気に入りのストレートティーを差し出す。俺もまたあらかじめ購入しておいた炭酸飲料を開封し、小白と一緒に一息ついたところで帰り道を歩き始めた。
季節も秋に入ったということもあり、日が落ちるのも早い。
辺りはもうすっかり真っ暗になっていて、一緒に帰る提案をしたのは正解だったと確信する。いくら慣れてるからって危ないもんな。
「はー……お腹空いた~……」
「何か買っていくか? コンビニ、近いし」
「んー……やめとく。この後、晩御飯あるし」
「………………………………だな」
「今、『小白なら買い食いしても余裕で晩御飯も入るだろ』って思ったでしょ」
鋭い。正解。流石は彼女だ。
「晩御飯って、これから作るのか?」
「昨日の残り物があるから、それを温めて食べる感じかな。今日はお姉ちゃんの帰りも遅いし、楽しちゃおうかなって」
最近はファミレスという選択肢も減ってきた。
俺たちはお互いに逃げることをやめて、家族と少しずつ向き合うようになって。
逃避先としてのファミレスからは少しずつ足が遠のくようになっていた。もちろん、今でも通ってはいるけれど――――前のように、毎日通ってはいない。
「偉いな、小白は。俺なんか未だに料理はあんまりだし」
母さんと二人で暮らしてきた期間もそれなりにあるから、全く料理が出来ないわけじゃない。だけど炒め物やカレー、パスタといった、比較的簡単に作れるものが限界だ。
「あはは。いいんじゃない? 琴水ちゃんのごはん、すっごく美味しいし。それに……」
小白は一瞬だけ間を開け、ほんの少し照れ臭そうに気持ちを吐露する。
「……紅太が料理作れない方が、私も作り甲斐があるし」
視線は合わせてくれなくて、自分で言って恥ずかしくなったのか耳がちょっぴり赤くて。
そんな小白がたまらなく愛おしい。
「今の、けっこーやばかった」
「えっ。やばかったって、何が?」
「抱きしめたくなった」
「……抱きしめればいーじゃん」
「小白が歩けなくなるからダメ」
「だ、抱きしめるだけで終わってないじゃん!」
それだけで終わるわけがないだろうに。
「練習の方は、どうだった?」
「んー? まあ、ぼちぼち。俺の場合は、借り物競争だしな」
「……芽乙女さんと、一緒じゃん」
ん。そういえば今日は芽乙女と二人だけだった。小白が心配しているのはそこだろう。
確かに芽乙女は男子から人気があるし、トップカーストグループに所属しているだけあって目立つやつだ。
「何もないよ。小白が心配するようなことは何もやってない」
「そーかなー……紅太、油断するとすぐに口説いてくるし……」
「俺をなんだと思ってるんだよ」
そんな歩くナンパマシンみたいな言い方をされるのは心外だ。
「小白の方はどうなんだよ。今日はバイトだったけど、普段は頑張ってるだろ」
「んー……こっちも、ぼちぼち?」
「同じじゃねーか」
「あ、でも清水さんはすごく頑張ってる」
「清水って、あいつか。サッカー部の、マネージャーの」
「そ。八木が言ってたけど、部活が終わってからも一人で練習してるんだって」
「へー……意外だな。そこまで熱心に体育祭に入れ込んでるとは思わなかったけど」
芽乙女も熱心だが、あいつにはあいつで理由があった。
清水の方にしたって、俺たちには分からないだけで理由があるのかもしれない。
「…………そうだね。理由はなんとなく、想像はつくけど……」
それから小白はため息をついて、夜空を見上げる。
「私ってさー……自分でもあり得ないぐらい、紅太に溺れてるんだよね」
「……急にどうした? 熱でも出たか?」
「うるさい。正気。そうじゃなくて……こんなにも紅太に溺れてて、こんなにも紅太に夢中になってるのに……周りの人には、関係ないんだなって。当たり前のことかもしれないけど」
どうやら混合リレーの方でも色々あるらしい。
俺に事情は分からないし、どうにかできるものでもない。きっと小白にも、どうにかできるものではないのだろう。
「送ってくれてありがとね」
二人で歩いている時間はあっという間で、小白と黒音さんの新居にはすぐにたどり着いた。あとはオートロック付きのマンションに入って、エレベーターに乗り込むだけ。
「もう少し、送ってもいいか?」
少しでも小白と一緒にいたい。そう思うと、自然と言葉に溢れていた。
「……ん。送ってくれると、嬉しいな」
小白の家にはもう何度かお邪魔させてもらっている。一緒にエレベーターに乗り込むのも慣れたものだ。鉄の箱が上昇する一時の浮遊感に包まれながら、肩が触れ合い、互いの息遣いを傍で感じる。
「小白」
耳元で囁くように、愛しい人の名前を呼ぶ。
「――――っ……な、なに……?」
「呼びたかっただけ」
「な、なにそれっ。やめてよ、もうっ」
ただでさえ赤かった耳が更に真っ赤になっていくのを横目に、エレベーターが目的の階に到着した。そのまま何事もなく部屋の前までやってくると、小白は心なしかいつもよりモタモタとした手つきで家の鍵を開ける。
「……………………さっき」
「ん?」
「さっき、エレベーターの中で、名前を呼ばれた時……」
家の中。玄関に足を踏み入れた小白は、くるりと振り向いて。
潤んだ瞳を上目遣いにしながら、言葉を絞り出す。
「キス、されるかと思ってた…………」
「しないよ。あそこ監視カメラあるし」
「じゃあ、もし……カメラがなかったら……」
「なくてもやらないかな。途中の階層でエレベーターが止まる可能性もあっただろうし」
「………………あっそ」
僅かに頬を膨らませて唇を尖らせる姿は見ていて飽きない。
きっと、小白は気づいていない。俺も玄関の中に入っていて、扉を閉めていることに。もうどこの誰も、俺以外の誰にも、小白を見ることが出来ない空間にいるということに。
「んっ――――」
そんな何も気づいていない小白を抱きしめて、無垢な唇を塞いでしまう。
どれぐらいの時間そうしていたのか分からない。不意を打たれた小白が、どれだけの時間されるがままになっていたのかも分からない。ただ、呼吸を求めて互いの口を離してしまうだけの時間は過ぎていた。
「こう、た……?」
「こんな顔した小白、他の誰にも見せたくない」
本当はもっと早く抱きしめたかった。もっと早く、こうして唇を塞いでしまいたかった。
でも、小白のこんな顔を他の誰にも見せたくなかった。
「だから、家に入るまでがまんしてたの……?」
「それもある」
「それも……?」
「言わなかったっけ」
他の男には決して見せられないような表情をしている小白の耳元で、優しく囁く。
「抱きしめたら、小白が歩けなくなるからダメだって」
それからまた小白の口を塞いでしまって――――その日のうちに帰りはしたものの、俺の帰宅時間は予定よりも伸びてしまった。
――――――――――――――――――――――――
【書籍版の内容と店舗特典について】
1月10日発売の書籍版「放課後、ファミレスで、クラスのあの子と。」について!
書籍版の内容ですが、第一章をベースとしつつ半分以上は書き下ろしになります!
ストーリーの内容もイベントを削ったり、逆に新しく増やしたりと、
web版を既読の方でも新鮮な気持ちで楽しめる内容になりました!
青春イベントを増やしたりしてパワーアップしたと考えてくだされば!
ですが、作品の軸そのものは変わっていません!むしろそこを立てるための改稿です!
それと、書影の公開に加えて各種店舗特典付きの書籍もぼちぼち予約がはじまりました!
まだ解禁されていない店舗もあるので、後であらためてお伝えしますが、
B2タペストリーやアクリルカード付きといった特典もあるのでお見逃しなく!
イラストはもちろん、magako先生が描いた加瀬宮小白のカバーイラストです!!
よろしくお願いします!
【電撃文庫】
https://dengekibunko.jp/product/322210000099.html
【電撃文庫の公式X】(書影は↓で公開中)
https://twitter.com/bunko_dengeki/status/1732988373478862936
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