第65話 最強魔王とのエンカウント
「ありがとうございました」
体育祭本番が少しずつ近づいてきた頃、小白のお泊りの際に話題に出た三者面談が行われた。といっても俺は成績と相談しながら大学に進学します、ぐらいのものだ。そして一学期の期末テストでは成績が上がっていたこともあって、教師からのお説教のようなものもなく面談は終わった。
「よかったね。先生、褒めてたじゃないか」
「この調子で頑張れよって釘も刺されたけど」
母さんは仕事で行き詰っていることもあって、面談は父さんが来てくれた。俺にとっては、はじめての父親同席の三者面談だった。
「大丈夫だよ。最近の紅太くんはよく頑張ってるし。そのへんは心配してないかな」
「小白を幸せにするために頑張るって決めてるから。……といっても、消去法的に勉強してるだけなんだけど」
小白のために頑張ろう、と漠然と思っているだけで、具体的に何をするかが定まっていない。
「……父さんは学生の頃、将来の夢とかあった?」
「あるよ」
「どんな夢かきいてもいい?」
「……役者さんになりたかった」
「役者?」
「うん。ドラマとか映画が好きでねぇ。これでも学生の頃は演劇部だったんだよ」
意外だ、と思っていたのが表情に出ていたのだろう。
父さんは少し照れ臭そうにしながら教えてくれた。
「……役者の夢は目指さなかったの?」
「僕には演技の才能がなくてね。それでも色々とオーディションとか受けてみたんだけど、ダメダメで。それであっさり諦めちゃったんだ」
「でも演技部に入って、オーディションまで受けてみたんだろ? それって、かなり好きだったり真剣じゃないと出来ないだろ」
たまに演劇部が汗だくになってランニングしている風景を見かけるし、オーディションにしたってわざわざ応募して審査を受けに行くなんてこと、相当のやる気がないと出来ないと思うし。
「……父さんが羨ましいな。俺はそういう夢中になれるようなことがないから」
正確に言えば、過去にはあった。
前の父親に認められたい。その一心で、勉強も運動もがむしゃらに努力を重ねていた。
結局その努力も報われることはなく、クソ親父にしたって俺の前から消えてしまった。
あの日、あの時から、成海紅太という人間の中身は空っぽになってしまったような、そんな感覚。この空虚感に苛立ったこともあって、荒れていた時期もあった。苛立ちをぶつけるように運動に打ち込んだこともあった。勉強はダメだったから、スポーツで何かしらの結果を出せばクソ親父は振り向いてくれる。心の片隅でそんな考えに縋っていた。けど、それでも、体の中にある空洞は何も満ちてはくれなくて。そして俺は疲れて、全てを諦めて、その果てが家族からの逃避だ。
あれから何か一つのことに夢中になったり打ち込んだりしたことはない。
……小白を幸せにする。そのために頑張る。本心だけど、あまりにも空虚な言葉だ。
結局は、自分が空っぽだから、小白で穴埋めしようとしているだけにしか聞こえない。
浅ましい。そんな自分に腹が立つ。
何よりも、そんな風に大切な人を使うのは嫌だ。だから欲しいんだ。何か夢中になれることが。そうすれば小白の前に胸を張って立てる自分になれると思うから。
「何もないことに負い目を感じる必要はないよ」
そんな俺の心の中を見抜いたように、父さんは優しく語りかける。
「何かに夢中になることは確かに素晴らしいことだと思う。でもそれだけが全てじゃないし、夢中になれるものがない人が悪いわけじゃない。何も後ろめたく思う必要はないよ」
「……そうかな」
小白は前に進んでいる。琴水にしたって、あいつなりに将来のこと、進路について考えているような様子だった。
何も進んでいないのは俺だけだ。前に進んでいる人たちが眩しくて、羨ましくて、焦りばかりが募っていく。
「そうだよ。何か一つのことに夢中になるのは楽しいけど、一つのことに縛られているとも言えるし。逆に言えば、今の紅太くんはとても自由だよね」
「自由……?」
「そ。自由だからこそ、一つじゃなくて色々なことを経験できるじゃないか。スポーツに取り組んだっていいし、本を読むだけの日を過ごしてもいい。ゲームをしたり、友達と遊んだり、アルバイトを頑張ったり、勉強をしたり。何もしない日があってもいいし、それこそ夢中になれるものを探してもいい」
「色んな選択肢を選べるってこと?」
「自由を満喫できるってこと。これは一つのことに夢中になっていたら出来ないことだよ」
そういうものかな。まだピンとはこないけど、でも……。
「……なんか、楽しそうだな」
「楽しいよ。きっとね。……僕が学生の頃、演劇部に夢中になるのも、それはそれで楽しかったけど、放課後に友達と遊ぶなんてこともあまりできなかったし、休みの日も部活があったし。もしかしたら僕は演劇に夢中になってた分、他に体験できたかもしれない色々なものを取りこぼしてきたかもしれない」
そう言いながら、父さんは穏やかに笑う。
……温かい感じがするな。あのクソ親父だったら、こんな風に受け止めてはくれなかった。そんなことは一度もなかった。結果だけを求められて、俺はその結果を出せなくて、毎日が息苦しくて……。
「何より紅太くんはまだ高校生だ。これからいくらでも探し物をする時間はあるよ。周りが前に進んでいるように見えて、自分が立ち止まっているように感じて、焦っているのかもしれないけれど――――大丈夫。君は君のペースで進めばいい。なんなら、別にやりたいことが見つからなくたって、誰も怒りはしないさ」
小白は俺のことを大人だとかなんだとか言うけれど、やっぱり違うよ。俺はまだまだ子供だ。
「一年生の教室はこっちかな。じゃ、僕は琴水の面談に行ってくるからね」
「……俺はこの後、体育祭のクラス練習があるから」
「わかった。がんばってね」
そのまま父さんと別れようとして……俺はふと、立ち止まる。
「……父さん」
「ん?」
「あのさー……いや、大したことじゃないんだけど……なんか、言っときたくて」
言い訳がましいな。小白に囁く愛の言葉ならいくらでも言えるのに。
親に対して素直な気持ちを言葉にするのは、とても難しい。
「………………俺の父さんが、父さんでよかった」
本心。本音。照れくささの入り混じった、心の底からの言葉。
「…………そんだけだから」
「…………そっか。うん。うん…………ありがとう」
「礼とか言われるような
「そうだね……うん。それでも……ありがとね」
父親の目元に光っている雫は見なかったことにして、声も僅かに震えていることは、聞かなかったことにした。
「じゃ、俺は行くから。琴水の面談、頑張ってな」
「うん。……いってらっしゃい」
……もしかしたら後で琴水に怒られるかもしれないな。面談前に何してるんだ、って。
☆
父さんと別れた後、俺はクラスの練習会に向かうことにした。
この体育祭に向けた練習会も、参加率はやはり日が経つにつれて減少傾向にあった。元よりその場のノリで決まったようなものだし、沢田が部活動に参加している時はあからさまに少ない。
なのでサボっても問題はないのだが、今は何となく頑張りたい気分だった。
それに小白は面談が終わった後に参加するつもりみたいだし、あいつが頑張ってるのに俺だけサボるわけにもいかない。
靴を履き替え。校舎を出て。怠惰な自分を押し込めて。一歩踏み出したその時に――――
「ありゃま。奇遇だねぇ、成海紅太くん」
――――
「あはは。やだなぁ。そんな最強最悪の魔王と出くわしたみたいな顔しないでよー」
「ああ、自覚があったんですね」
サングラスをかけたり帽子をかぶったりしてるけど、芸能人オーラ、否。シスコンオーラの圧が半端ないんだよなこの人。
「三者面談ですよね。小白なら図書室で待ってますよ」
「知ってるー。メッセがきたもん。あ、言っとくけど見せてあげないから。小白ちゃんとのメッセ画面は、本来なら文化の普及の貢献や人類の教養を養うために万全の警備態勢が敷かれたうえで美術館に展示されるべき名画だからね」
「……今日も幸せそうで何よりです」
いや本当に。俺も小白のことは愛しているけれど、さすがにメッセ画面を美術館に展示しようとは思わない。本人も嫌がるだろうし。
「でも、今日は特別に見せてあげてもいいかな~~~~? 驚くよ~~~~? 私と小白ちゃんの愛に溢れたメモリアル・シスター・メッセージ……♪」
「結構です。じゃ、俺は練習あるんで」
「見るよね?」
「見るので肩を離してもらえますか。砕けそうです」
この細い手のどこに万力のような握力が秘められているのだろうか。
(そういえば、最近はやり取りするようになったんだっけ)
以前までは黒音さんの方が気を遣って、小白に対するメッセージは控えていた。
だが小白からそういった気遣いをやめるように言われ、今では姉妹同士でメッセージをとりあっているらしい。
●kuon:小白ちゃん。愛しのお姉ちゃんはお仕事が長引きそうなので、今日は帰れないかもしれません。ごめんなさい。先に寝ていてください。今日も愛情たっぷりなお夜食を作ってくれてるんだよね。ごめんね。冷蔵庫の中に入れておいてください。家には必ず絶対に天地がひっくり返ろうが必ず一度帰ります。たとえ地を這いずり回り泥をすすることになっても帰ります。小白ちゃんの手作りお夜食を完食すること以上の幸福、優先すべき使命などありません。そうそう、先日贈った新しいルームウェアはもう着てみたかな? 小白ちゃんに似合うと思って脳内で『小白ちゃんに似合う新ルームウェア決定戦トーナメントを開催したんだ。一次予選、二次予選、三次予選、敗者復活戦を挟んで決勝トーナメントで優勝した一着から更に各決勝トーナメントを勝ち上がったルームウェアでファイナルトーナメントを開いて吟味して勝ち残った一着で
≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈(中略)≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈
愛が溢れて1万文字こえちゃったので、名残惜しいけどこのへんにするね。戸締りはしっかりしてね。寂しかったらお姉ちゃんに通話かけてね。どんな状況でも二秒以内に出るからね。おやすみなさい。
追伸 とりあえずNGを連発して撮影を遅らせているボンクラ役者はあとで締め上げようと思います。
●kohaku:長すぎて読めない
●kohaku:とりあえず冷蔵庫にオムライス入れてるから
●kohaku:お仕事頑張って。おやすみ
「ふふふ……どうかな?」
「ホラーかと思いました」
いくらなんでも怖すぎる。俺と小白でもこんなに話さないぞ。
「はぁ……やれやれ。この程度で長いとか正気? 君、小白ちゃんの彼氏のくせしてそっけない文章送ってるんじゃない?」
「黒音さんの文章を見た後だと俺の中で『そっけない』の定義が迷子になってるので判断に困りますね」
さすがにこの一万文字の大作に比べると自信がなくなる。
「仕方がないなぁ。小白ちゃんを寂しがらせてないか、不安にさせてないか、姉として文章チェックしてあげるよ。ほら、スマホ出して。メッセ画面見せて」
断りてぇー。けどこの人のことだから見せないとどんな手段を使ってくるから分からないんだよな。
「……普段はこんな感じでやり取りしてますけど」
「さーてと、そっけない彼氏くんのお手並み拝見といきますか……」
●kohaku:ごめん。こっちにくるときアイス買ってきてもらっていい?
●kohaku:お金はあとで払うから
●紅太:わかった。買ってくる。食べたいアイスとかある?
●紅太:てかお金はいいよ。アイスぐらい
●kohaku:だいふくのやつ。ふたりで食べよ
●kohaku:お金のことはちゃんとしなきゃだめでしょ
●紅太:わざわざ分けなくても何個か買ってくるけど
●kohaku:やだ。はんぶんこしたい
●紅太:あー、わかった。昨日のドラマでやってたやつか
●kohaku:あたり。紅太も見た?
●紅太:見た。俺もちょっとアイス食べたくなった。
●kohaku:あのお家デートしてるシーン、すっごく好き
●kohaku:わかる。私も食べたくなってきたもん。アイス
●紅太:あのシーンだと一緒にソファーに座って映画見てたけど、そうするか?
●kohaku:する
●kohaku:あと、ぎゅーってしたい
●紅太:そんなシーンあったっけ
●kohaku:ないけど、私はしたい
●紅太:ダメ
●kohaku:なんで?
●紅太:そっちに着くまで絶対に汗かくから
●kohaku:うちでシャワー浴びればいいじゃん
●kohaku:着替えもあるし
●kohaku:だからさせて。てか絶対にするから
「私のメッセと温度感ちがくない!!???」
さながら慟哭の如き黒音さんの叫びが、空に響き渡った。
「ねぇ、おかしくない!? 私とのメッセは毎回そっけないのに!」
「長すぎるんですよ。本人も言ってたでしょう」
「あれでも十分の一にまで削ってるんだよ!?」
じゃあ元の文章は十万文字あったってことかよ。文庫本一冊分じゃねーか。
「やだやだやだやだやだ! 私も小白ちゃんとだいふくのアイス半分こしたいし、小白ちゃんにぎゅーってされたいー!」
「本人に言ってください」
「私が言っても断られるに決まってるじゃん!」
「よくお分かりで」
良い
……まあ、夏休みの時みたいに変に思い詰めてるような感じじゃないだけマシなのか。
「ねぇ、あれってもしかして……」
「うそっ。kuonさん? 本物?」
そんな風に騒いでいるうちに、通りがかった周囲の生徒たちが黒音さんの存在に気付きはじめた。ここに留まり続ければ騒動になることは間違いない。
「ほら、そろそろ時間も近いですし、小白のところに行ってください」
「はぁ……ま、そうだね。小白ちゃんを待たせるわけにもいかないし」
それは黒音さんもわかっているのか、駄々っ子モードから切り替える。
これで今度こそようやく体育祭のクラス練習に参加できそうだ。
「じゃあ、俺はこれで」
「ああ、ちょっと待って。最後に一つだけいい?」
小白さんは俺の耳元に顔を寄せると、ぼそっと呟いた。
「うちで小白ちゃんといちゃつくのもいいけど、ほどほどにね」
「…………努力します」
やはりというべきか。この人には、色々と見抜かれてるようだ。
「ん。それだけ。じゃ、またね。成海紅太くん」
手を振って去ってゆく黒音さん。俺はその背中が見えなくなるまで、その場に釘付けにされてしまったような感覚を抱いた。
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