第66話 疼き

「そろそろ紅太は練習に参加してる頃かなー」


 三者面談が終わった後、僕は特に練習に向かうことなく校内をほっつき歩いていた。

 元々、体育祭の練習は紅太が行くからってだけで参加してたから、熱心なわけじゃないし。何よりこういう時にこそ色んな場所に顔を出しておかないとね。時間は有限なんだから。


(陸上部の真下先輩や学園祭実行委員会の須藤さんのところには顔を出して噂やグループの雰囲気は拾えたし、新任の吉浦先生にも顔を売った。後輩の皆地くんには手頃な女の子を紹介した一件で貸しを作れたし、小野寺さんのお父さんとも雑談の中で企業の情報を拾えた……うん。今日はこんなものかな)


 一通りの予定を済ませた僕は、脳内のメモ帳に記録を加える。人脈の維持コストも大変だけど、こういう普段の細かい積み重ねがないといざって時、動かしたいように動かせないからね。メンテナンスは大事。歯車と同じだ。


「……よしっ。くだらない用事おーわりっ。紅太のとこに行こーっと」


 足取りは軽く。スキップしたい気持ちを抑えて一階の廊下を歩く。うちの学校は校則にうるさいわけじゃないけど、注意されないわけじゃないからね。校則違反を咎められて無駄なお説教で時間を浪費したくはない。


 それでいうと加瀬宮さんは見事だ。ギリギリ目をつけられないぐらいのオシャレをしているし、そのギリギリのラインの見極めが絶妙だ。


「――――お姉ちゃんっ。恥ずかしいからやめてよっ……!」


 と、心の中で加瀬宮さんに称賛を送っていると、ご本人の声が窓の外から聞こえてきた。

 軽く覗いてみると、どうやらお姉さんと何かモメているらしい。


「えー。何が恥ずかしいのー?」


「だから、制服っ! なんで制服着てんの!?」


「ふふふ……さっきトイレで着替えてきた」


「いやそうじゃなくて! 制服を着てる意味がわからないんだけどっ!」


「せっかく学校に来たんだよ? もちろん撮るよね。小白ちゃんとの制服ツーショット。小白ちゃんとのラブラブ姉妹学生生活を妄想するための触媒として欠かせないし、わざわざいつもみたいに背景をコラージュする手間も省けるし」


「…………………………ごめん。できれば私に理解できる言葉で喋ってくれない……?」


 仲がいいなぁ。あんな加瀬宮さん、一学期の頃じゃ考えられなかった。

 彼女が変わったのは、紅太と関わるようになってからだ。

 やっぱり紅太はすごい。あんなふうに周りを拒絶する術しか知らなかった哀れな人間を、ここまで変えちゃうんだから。


 ああほんと、加瀬宮さんには感謝しないとね。

 彼女のおかげで紅太が昔のようなヒーローに戻りはじめたんだから。

 前まではどうでもいい人だったけど、うん。感謝の印に一度ぐらいなら力になってやってもいいぐらいだ。


「――――……」


 心の中で加瀬宮さんに感謝をしていると、視界の隅で黒髪が風に揺れた。

 同時に彼女の方も、僕の方に気付いたらしい。


「や。来門さん」


「……犬巻くん」


 来門柴織さん。この学園の生徒会長で、加瀬宮さんを通じて知り合いになった子だ。

 揺れる黒髪に調律されたかのような美貌。姿勢は定規に合わせたように乱れなく、細身の肢体は今にも折れそうだ。そんな、幽玄を思わせる印象の生徒会長さんの意識は、今も窓の外で騒いでいる友人へと向けられている。いいね。この僕なんかに興味ありませんって感じ。


「来門さんも三者面談、終わったんだ?」


「ええ。ついさっきね。……あなたが知らないはずないでしょう?」


「さあ? どうかな?」


 知らないわけないんだけど。だって全校生徒の三者面談スケジュール把握してるし。


「ところで、いいの? 加瀬宮さんに声かけなくて」


「かけてほしいの?」


「どうでもいい」


「でしょうね」


「僕は、どうでもいい。けど来門さんは違う。本当は声をかけたいんでしょう? 近づきたいんでしょう? だったら声をかけて近づけばいいのに」


 そんな物欲しそうな目で見てるぐらいならさ、とは思ってても口には出さない。

 ただ、僕の言葉は既に来門さんを苛立たせてしまったらしい。彼女は目を僅かに細める。


「……あなたには関係ないわ」


「あるよ。君、加瀬宮さんの親友でしょう? 親友の君が不調だと加瀬宮さんが気にする。で、僕は今、ちょうど心の中で加瀬宮さんに感謝してたからさ」


 親友の不調を気にしていると、加瀬宮さんの表情かおに出る。

 で、紅太はそんな加瀬宮さんを気にかけるだろう。だから僕としては紅太の心の安寧のためでもある。というかこれが一番の理由。ヒーローの日常は何よりも尊いんだから。


「親友……」


 その言葉の意味を確かめるように、噛みしめるような呟き。

 ……どうしてかな。それがほんの少し、気になった。


「違うの?」


「そうね。あの子はそう思ってる」


「来門さんは?」


「そんなキレイなものじゃない、と感じてる」


 うーん。なんだろ。この違和感? 違うな。もやもや? これも違うかも。

 放っておけない……っていうのかな? どうしてだろ。というか……。


「来門さんって人に悩み事とか相談するの苦手だったりする?」


 つい思ったことを口にすると、来門さんは目を丸くする。

 窓の方から視線を逸らして僕の顔をじっと見つめて、ぱちぱちと二度ほど瞬きをしたかと思ったら、数秒ほど考え込むような仕草をして。


「………………言われてみれば、そうかもしれないわ」


「だと思った」


「どうして?」


「うーん……しいて言うなら、勘かな」


 色んな人間と関わってきたことで蓄積された経験……ってだけでもなさそうだ。

 なんでだろう。すぐそこまで答えは出かかっているのに、なかなか言葉にできない。


「色々と自分の中に抱え込んじゃいそうな人だよね。来門さんって。今だってそう。加瀬宮さんに触れたくてたまらないって目をしてるのに、行動に移さない。体の中を鎖で縛りつけてるみたいだ」


「そういうこと、小白以外の人にはじめて言われたわ」


「よかったね。良い親友がいて」


「羨ましい?」


「ぜんぜん」


「成海くんがいるものね」


「そういうこと」


 この子の前だと不思議と口が軽くなる。それはたぶん、向こうも同じだ。

 少なくとも良い親友がいるという点で、僕と彼女は似ているからだろうか。

 似てる……うん。どこか似てるんだろうな。僕と来門さんは。


「生徒会長に対して差し出がましい申し出かもしれないけれど、お悩み相談なら受け付けてるよ」


「小白への感謝気持ちがあるから?」


「君と僕が似てるから」


 僕と彼女はどういうところが似ているのだろうか。

 それが気になってしまうのは、どうしてだろうか。

 ほんの僅かで些細な疑問。だけど僕は、自分の中に在るこの正体不明の好奇心を捨て置くことはできなかった。


     ☆


 最凶最悪魔王かぜみやくおんとのエンカウントという予期せぬトラブルを乗り越えた俺は、出席率低下の一途をたどっている体育祭の練習会に参加していた。

 練習場所として利用している公園に、かつてのような体操着の集団はもはや無く。

 あとはごく僅かな本当に真剣なやつらぐらいしか残っていなかった(俺のように小白に付き合う形で、といったようなのは例外として)。


 はじめの方に行っていた競技毎の振り分けなど、もはや無意味になっていたが、俺の足はなんとなく借り物競争組お決まりの場所へと向かっていた。


「あれ~? 成海く~ん?」


 そこには予想通り芽乙女めい子がいた。どうやらご丁寧にストレッチをしているらしい。

 ぽわぽわとのんびりとした動きだからストレッチなのかどうか、見ている分には判断に迷うところなんだけど。

 とりあえず怪我も嫌なので、芽乙女に倣って俺もストレッチをはじめる。


「面談は~?」


「終わったから来たんだよ」


「そっか~こないかと思ってた~」


「皆勤賞は逃してるが、来れる時は来てるだろ」


 バイトがある時は参加していないが、それ以外は参加している。

 むしろ今でも参加しているんだからクラスの中じゃ真面目な方だと思う。


「でも~加瀬宮さん、いないよ~?」


「知ってるよ。あいつも今日、面談だし」


「そっか~。あとで来るんだ~。納得~」


「悪かったな小白目当てで」


 そこはすっかり見抜かれているらしい。特別否定するようなことでもないし、それどころか事実なので特に問題はないが。


「っし。ストレッチ終わり」


「めい子も~」


「じゃ、いつものやるか」


「お~」


 いつもの、といっても大したことではない。やることはただのランニングである。

 借り物競争はお題に書かれた品物を素早く探し回る必要がある。見つからなければ走りっぱなしなんてこともありえるので、とりあえず体力をつけることを当面の課題としていた。


 なので、ランニングでの体力作りは練習での定番メニューだ。というかこれぐらいしかやることがない。


「はひ~はひ~~~~」


 で、芽乙女は走るのがお世辞にも早くないし、体力もあまりない。運動が得意じゃないと自分で言うだけのことはあって、俺はそんな芽乙女と並走している。


「なる、み、くん……めい、こ、の、こと……おいてって、いい、よ~……はひ~」


「そんなフラフラとしたやつほったらかしにして走れるかよ」


 それに、俺一人だけ走っていても意味はないしな。だったらわざわざ練習会に参加する必要もない。


「それに、走る練習したらいいんじゃないかって言いだしたのは俺だしな。付き合うよ」


「あり、が、とぉ~~~~……」


 俺が練習会に参加している理由の半分はこれだったりする。

 練習すればいいといった手前、ほったらかしにするのもな。


 それからしばらくランニングを行い、休憩に入った。芽乙女は毎回、走った後は完全にフラフラになる。


「ほら。水分補給しとけよ」


「ふぁ~~~~……ありがとね~ほんと~」


 近くの自販機で購入したスポーツドリンクを差し出す。

 こうやって頑張った芽乙女にスポドリの差し入れをするのも、毎回お決まりの流れになっていた。


(小白はともかく夏樹のやつ、遅いな……そろそろ来てもいい頃合いなんだけど)


 スポーツドリンクで喉を潤しながら、俺が来ている時は欠かさず参加している親友のことを考える。なんだかんだこうして芽乙女と二人きりになるのは、珍しいな。


「ぷはぁっ。生き返るぅ~」


「そりゃよかった。体育祭ほんばん前に死んだら元も子もないからな」


「あはっ。そ~だね~」


 と言いつつ、芽乙女はやや俯きがちになり、


「……成海くん。ほんと、ごめんね~。毎回練習に付き合ってもらってるのにさ~……なんていうか……せいちょ~? しんぽ? みたいなのがさ~。ぜんぜんなくて……」


「いやしてるだろ。成長も進歩も」


「え?」


「明らかに最初の頃より走れる距離も時間も増えてるぞ」


「……そうだったの?」


「むしろなんで気づいてないんだよ。本人だろうが」


 変な奴だ。芽乙女は普段から沢田たちと絡んでる上位層の人間っていうイメージがあったけれど、ここまでふわふわしているやつだったとは。


「成海くんってさ~……めい子のこと、ちゃ~んと見てたんだ~」


「毎回練習に付き合ってたら、そりゃあ目には入るだろ。この場合はむしろ芽乙女の方が鈍いんだよ」


「よく言われる~」


 言われるんかい。


「でも、ちょっと意外かも~」


「ん?」


「成海くん、加瀬宮さん以外に興味ないかと思ってた~」


「? 小白以外の女子に興味ないけど」


 そんなことは当たり前だ。


「俺が小白以外の女子に興味ないのと、芽乙女っていう人間を見ないのは違うだろ」


 そもそも俺は芽乙女に対して恋愛感情を抱いているわけではない……とまでは、女子に対して口には出せないけど。


「…………あはっ。そ~だよね~」


 少しの間を開けて、芽乙女はふにゃりと笑う。

 言葉を交わして休憩している間に、スポーツドリンクはすっかり空になっていた。


「じゃ、練習再開するか」


     ☆


「? 小白以外の女子に興味ないけど」


 そんなことは当たり前だと、理解していた。

 成海紅太には加瀬宮小白という彼女がいて、彼が恋人を大切にしている人間であることは、もう十分すぎるほどに理解していた。だから彼の返答もごく自然で当然なものであるはずなのに――――彼の言葉に動揺している自分を、芽乙女めい子は感じていた。


「…………なんでだろ」


 疑問の答えはきっと、もう、知っている。そんな気がする。

 だけどめい子は、それ以上考えることをやめた。自分の心から……逃げ出した。



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