第64話 琴水の悩み

 準備も整い、夕食の時間が始まった。良い肉をもらったというだけあって、確かにいつものハンバーグよりも美味しい。口の中でとろけるような肉汁が溢れて、体育や放課後の練習会で疲れ切った身体に染みわたる。うん。確かにこれは小白を誘いたがる母さんの気持ちも分かるな。


「体育祭に向けた練習は順調かい?」


「はい。みんな、頑張ってますよ」


「そうか。頑張るのもいいけど、ケガだけはしないようにね。応援してるよ」


「ありがとうございます」


 高校生とはいえ教師も見ていないところでの自主練習だし、父さんが心配するのも無理はない。


「……あ。加瀬宮先輩のお姉さん」


 つけっぱなしにしていたテレビ画面に映ったその人に、最初に気づいたのは琴水だった。

 黒音さんが出演している炭酸飲料のCMだ。


『しゅわっと弾ける、赤と青のベストマッチ炭酸! しゅわ太郎、スパークハワイ新発売!』


 ……しゅわ太郎って、八木が好きな炭酸飲料だっけ。

 聞いてるだけではよく分からない味だ。


「kuonちゃん、最近ますます忙しくなってきたんじゃない? CMにもドラマにも映画にも引っ張りだこだし」


「そうですね。とても忙しそうにしてます。最近は深夜に帰ってくることも珍しくないですし」


「……そこまで忙しいなら、体育祭に来るのは難しいかもしれないわね」


「本人は無理にでも来るって言ってますけど……難しいでしょうね」


「どうかな。俺はあの人なら地を這ってでも来ると思うけど」


 それどころか世界を滅ぼしてでも来ると思うのは俺だけだろうか。「こ、こ、こ、小白ちゃんの生体操着姿……! 生きててよかった!」とか言い出して目に焼き付けている姿が浮かぶ。


「だったら当日、うちで小白ちゃんの勇姿をカメラで撮影してもいいかしら? そうすればkuonちゃんもあとで見れるし」


「えっ、いや、いいですよ、そんな……悪いです。それよりも紅太と琴水ちゃんの方を」


「大丈夫よ。もともと明弘さんに体育祭はカメラで撮影してもらう予定だったし。そのついでよ、ついで」


「それにわたしと加瀬宮先輩は学年も違いますし、兄さんは男子の方ですし……被ることはありません。遠慮しなくてもいいかと。ですよね、父さん」


「うん。僕は問題ないよ。手間というほどでもないし、むしろ楽しみだな」


 うちの家族は小白ファンみたいなもんだからな。当然の反応だ。

 それどころか最初から撮影しようとしてたとしてもおかしくはない。


「………………」


 まだ遠慮しているらしい小白が無言で俺に視線を向けてくる。


「大人しく撮られとけって。減るもんじゃないし」


 むしろ撮ってなかったあとで俺が黒音さんに詰め寄られるまでありそうだ。


「でも……いいのかな。私、家族じゃないのに」


「別にいいだろ。どうせ家族になるんだから」


 一家団欒の夕食の席。ここに小白がいることに違和感なんてないぐらいに馴染んでるのに、未だに遠慮する小白の後押しをしつつ、口に放り込んだハンバーグを堪能する。


 ……そして、なぜかリビングが静まり返っていることに気づいた。


「「「「――――……」」」」


「…………? なんだよ」


 なぜか空気が変わったので問うてみるが、耳を真っ赤に染めている小白はだんまりだ。石みたいに固まってる。いや、ちょっと震えてるか。この感じは……恥ずかしがってる感じがするな。


「真紀子さんの教育の賜物だね」


「我が子ながら恐ろしいわ」


「兄さん、今のは参考にさせていただきます!」


 父さんと母さんは微笑ましそうにしながら頷き、琴水は何の参考にするんだ、と突っ込む間もないぐらいの勢いでスマホに何かをメモしていく。よく分からんが楽しそうで何よりだ。


「? とにかく、小白は気にしなくていいから。せっかくだし当日の弁当もうちのとこで食べてけよ」


「ああ、それはいいですね。加瀬宮先輩がよろしければ、お弁当も作らせてください」


「………………………………ありがとう、ござい、ます。お言葉に、甘えます……」


 耳を赤くした小白は、ぎこちない動きで頷いた。まるで油をさしていないロボットみたいだ。


「……あんた、進路ちゃんとしなさいよ?」


「なんで急に進路の話?」


「小白ちゃんに苦労させないためよ」


「させないために頑張るに決まってるだろ」


 といっても、具体的な進路はまだ考えてないんだよな。

 大学には行こうと思ってるけど……そこから先はまだあまりイメージが浮かばない。


「進路といえば、もうすぐ三者面談がありますよね。一応、私と兄さんは同じ日にしてますけど……」


「ああ、その日は休みがとれたから二人の面談は僕がいくよ」


 本来は夏休み前にあるはずだったが、今年は学校側で色々と都合がつかなかったらしく(夏樹情報)、一年と二年は夏休み後にズレこんだ。


「紅太。あんた、ボーっとしてるとあっという間に三年生になっちゃうからね。何回も言うけど進路のこと、少しは考えときなさいよ」


「分かってるよ。……というか、急になんだよ。前までは進路のことそんなうるさく言ってこなかったろ」


「事情が変わったのよ。ついさっきね」


 急すぎだろ。一体何があったっていうんだ。


「加瀬宮さん、三者面談は? お姉さんがくるのかな?」


「あ、はい。紅太や琴水ちゃんと同じ日なんですけど、なんとかオフにしてもらえたみたいで」


 父さんの質問に、油のさしていないロボット状態から回復した小白が頷いた。

 ……ああやって別れたばかりだし、母親が来ないのは当然か。


「あの、参考意見としてうかがいたいのですが……加瀬宮先輩は、進路はどうするか考えてますか?」


「うーん……まだあんまり深く考えてないんだよね。とりあえず大学に進学するつもりだけど」


「大学進学……そうですか…………そうですよね」


 小白の返答に、琴水は考え込むように僅かに目を伏せる。

 まだ一年生ではあるが、既に義妹には義妹なりの進路の悩みがあるようだ。一年生の頃の俺に見習わせたい。


「でも最近は、将来何したいんだろうって考えることは増えたかな。大学に行きながら考えるのもいいけど、今から何か見つかるにこしたことはないし……というか、私の場合は社会経験が足りないと思ってるし、まずはバイトとか挑戦してみたいかな」


「偉いわねぇ。むしろあたしが小白ちゃんぐらいの頃は、もっとちゃらんぽらんだったわ。明弘さんは?」


「僕も似たようなものだよ。漠然と過ごして、漠然と大学に行ってたかなぁ」


 むしろそういうもんじゃないかなと思う。中学の頃もそうだったけど、進路のことについて考えても漠然としたことしか浮かばないんだよな。先のことが想像つかなくて、あんまり現実味がないっていうか。


(進路か……)


 こういう時はやりたいことをやるとか、そういうのが定番なんだろうけども。

 今の俺には具体的にやりたいこと……いわゆる『将来の夢』というものが浮かばない。


(……思えば小さい頃は親父に認められたくて必死だったし、その後は荒れてたり、家から逃げてたり……未来さきのことについて考えられるようになったのも、それこそ小白と出会ってからだし……)


 自分が何になりたいのか。何をしたいのか。

 いずれ提出しなければならない宿題ではあるが、同時にかなりの難問だ。


     ☆


「加瀬宮先輩! さっそく取材させてください!」


「………………………………」


 ついにこの時間が来てしまった、というのが本音だ。

 夕食をご馳走になって、後片付けを手伝ったり、お風呂をもらったりして。

 一息ついたタイミングを逃すまいとでも言わんばかりに、琴水ちゃんは仕掛けてきた。

 ……まあ。私が紅太の家に泊まる時はいつも琴水ちゃんの部屋で寝泊まりさせてもらうわけだし、いつかはこの状況が来ることではあるんだけど。


 何より琴水ちゃんにはとてもお世話になっている。断るという選択肢はない。

 けど毎度のこととはいえ、私にも心の準備が必要なのだ。


「…………先に、今回のタイトルを教えてもらってもいい?」


「そうですよね。説明が先でしたよね。今書いてるのは『魔法学園の平民少女は隣国の王子に溺愛される ~交じり合う愛の獣たち、終わらぬ夜の体育祭~』というタイトルで……」


「ごめん。ちょっと一旦ストップしてもいい?」


 前に聞いた時よりもタイトルの文字数が格段に増えてる気がする。

 まさか想像の遥か斜め上の成層圏を越えてくるとは思わなかった。

 でも…………なんか、羨ましいな。ここまで夢中になれるものって、まだ私には無いから。


「ほんと、琴水ちゃんって小説……? 書くの好きだよね。創作意欲が凄いっていうか、エネルギーがとんでもないっていうか」


「あ、今書いてるのは漫画なんです」


 ごめん紅太。とうとう漫画になるみたい。もう私には止められない。


「といっても、わたしはあくまでも原作で、絵を描くのは友人なんですけど」


「そうなんだ……?」


「はいっ。わたしに創作活動の楽しさを教えてくれた恩人のような人で……」


 それまでとてもキラキラとした目で語っていた琴水ちゃんの勢いが、ピタッと止まってしまった。


「琴水ちゃん? どうかした?」


「…………実は最近、進路のことで少し悩んでて」


「…………私でいいなら、話きこっか?」


 夕食の時も、実は内心で気になってはいた。

 進路についてたずねてきた時の琴水ちゃんの様子が少しおかしかったから。


「参考になるようなことを話せるかは分からないけど、誰かに吐き出すだけでもスッキリするしさ。あ、これは私の経験則ね」


 紅太と過ごしたあのファミレスでの時間。

 みっともなく愚痴を吐き出す。ただそれだけで私は救われていた。


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」


 琴水ちゃんは呼吸を整えるように一拍の間を置いてから口を開く。


「えっと……その……実はわたし、最近……将来は創作者クリエイターになりたいと思うようになって……」


「それは……紅太ママみたいな小説家さんとか、漫画家さんになりたいってこと?」


「……はい。文字書きか漫画家なのかはまだ定まっていませんが」


「……あえて深く考えずに答えるけど、私はいいと思う。てか……だめなの?」


 私の問いかけに、琴水ちゃんは躊躇っているような様子だ。


創作者クリエイターの多くはフリーランスですし、安定性に欠けた職業であるという事実は否めません。『好き』だけでは成立する仕事でもないでしょうし、食べて行ける保証もありません」


「……うん。それは分かるよ。うちのお姉ちゃんもどちらかというと、そういう類のお仕事だし」


「……そんな職業に就きたいと言って、お母さんやお父さんを困らせてしまわないかと、悩んでしまって」


「難しいね……紅太ママは作家さんだからこそ、苦しみは一番よく分かってるだろうし……」


 自分の子供には堅実な道を歩んでほしいと願うのが一般的な親……なのかな?

 うちのママはお姉ちゃんをアーティストの道に進むことを応援してたわけだから、そのあたりの感性はよく分からないけど。


「……琴水ちゃんはどうしたいの?」


「えっ……?」


「家族のこととか、現実のこととかは一旦置いといてさ。まずは琴水ちゃんがどうしたいか、琴水ちゃん自身の気持ちから考えようよ」


「で、ですが…………気持ちだけで決めてしまうのは……」


「逆だよ。むしろそれが一番大事だと思う」


 私の言葉に琴水ちゃんは困惑したように首を傾げる。

 学年一位をとるほどの優等生がここまで『分からない』という顔を浮かべるのは、もしかしたらとても珍しいことなのかもしれない。


「お姉ちゃんが前に言ってたんだよね。芸能界でも覚悟が決まってる人が強いって。……というか、未来さきが不安定な職業だからこそ、覚悟を決めなくちゃ戦い続けられない。たぶんそれって、今の琴水ちゃんにも当てはまるんじゃない?」


「覚悟……」


「うん。何が何でも創作者クリエイターになる、書き続けるっていう、強い覚悟。それがないと結局は中途半端なことにしかならないんじゃないかな。もちろん、覚悟があるからって全てが上手くいくわけじゃないし、運が良ければ覚悟がなくても夢が叶うかもしれないけど……少なくとも私が見てきたお姉ちゃんの背中はそうだったよ。アーティストとして生きていくって覚悟を決めて、必死に頑張ってた」


「……………………」


「一番ダメなのは、家族や現実のせいにすることだと思う……って、ほとんどお姉ちゃんの受け売りだし、私は琴水ちゃんと違って将来の夢とかないから、あまり偉そうに言えないけどね」


「……いえ。とても参考になりました。むしろ、目が覚めた気分です」


 先ほどまで逡巡に揺れていた琴水ちゃんの目には、キラキラとした輝きが戻っていた。

 それどころか輝きが増しているかもしれない。


「流石はkuonさんの背中を見て育った加瀬宮先輩ですね! 言葉にとても説得力がありました……! 心に響くとは、まさにこのことです!」


「う、うん……琴水ちゃんの参考になったなら、よかった……かな? あ、でも琴水ちゃんはまだ一年生だし、あまり焦って結論付けなくても……」


「勿論、これからわたしなりに自分と向き合ってじっくりと考えていきます。ですが、これからの創作活動はもっともっと気合を入れて、覚悟をもってがんばります!」


 燃えている、っていうのはこういうことをいうのかな。

 ……やっぱり羨ましいなぁ。ここまで夢中になれることがあるんだから。


「加瀬宮先輩! これからも、何かあったら相談してもいいですか?」


「……私なんかでよければ」


「頼りにしていますっ!」


 う。琴水ちゃんの中で私に対する印象みたいなのがどんどん上がってる気がする。

 今のはたまたまっていうか……お姉ちゃんの背中を見て育った経験と上手く噛み合っただけな気がするんだけどな。


「ふふふ。加瀬宮先輩、意外と教師とか向いてるかもしれませんね」


「教師かぁ……うーん。あんまり考えたことないけど……」


 私が誰かを教える立場になるってイメージしづらい。

 ただでさえ自分が子供っぽくて悩んでるのに。


「では加瀬宮先生、さっそく一つ……いえ、たくさん質問させてください!」


「質問? 何の?」


「はいっ! それは勿論――――兄さんとのお泊りについて詳しくッッッ!」


 ……もしこれが授業だったら、私は教職をクビになっていたところだ。




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