第63話 辻川家+加瀬宮小白

「…………」


 疲れた。体育でこんなにも疲れたことってないかもしれない。

 ここまで全力で動いたことって、いつぶりだ。何年ぶり? ……いや。一学期の頃、家族との時間よりも小白を優先するために、ファミレスまで走った時以来か。


 体育祭に向けた放課後練習会も、体育の時に体力を使ったせいかちょっとバテ気味だった。気が付けば終わってたって感じだ。


「お疲れ様」


 練習会が終わった帰り道、隣を歩く小白も苦笑気味だ。

 ……彼女のためにかっこつけたつもりが、こうやって心配されていては本末転倒だ。

 そんなに疲れてる顔してたかな。もうちょっとシャキッとするか。


「なにそのカオ」


「疲れてない顔してる」


「急に睨み始めて何事かと思ったんだけど」


「睨んでない。シャキッとしてた」


「見えなすぎ」


 小さく吹き出す小白。


「今日の体育さー、けっこー頑張ってくれたんだよね。なんか、体育終わった直後ははぐらかしてたけど」


「フツーだよ」


「犬巻がすっごい頑張ってたって言ってたよ」


 夏樹。そこはこう、かっこつけさせてくれよ。


「…………」


「私のため?」


「自分のためだよ」


「半分ウソつき」


 うちの彼女は随分と勘がいい。困ったことに。


「ちょっとはかっこつけさせろよ」


「かっこよすぎて困ってるって話、する?」


「それだけ聞ければ十分だな」


 お互いにダメージを受けそうな気がするし。


「……今日はこのまま帰ろっか。紅太も疲れてるし」


「疲れてねーよ」


「いじっぱり」


「いじぐらいはらせろ。つーか、疲れてる時こそ彼女といたいんだよ」


 好きな子との時間が癒しになることだってる。少なくとも、今は特にそうだ。

 小白を誰にもとられたくない。その一心で頑張ったわけだし。


「あのさ。やめてよ。そういうこと言うの。ぎゅってしたくなるじゃん。運動したばっかで汗くさいのに」


「俺は気にしないけどな」


「私は気にすんの」


「――――……っと、悪い。通話だ」


 もどかしそうにしている小白に癒されつつ、スマホに入ってきた急な通知に応じる。


「母さん? 何か用?」


『練習会はもう終わったの?』


「終わった。今帰ってるとこ」


『小白ちゃんも一緒? ごはんは?』


「今、小白と一緒にいる。ごはんはまだ」


 なんだ。牛乳でも切らしたから買ってきて、なんて言われると思ったけど、用件がイマイチ見えないな。……まあ、ただのおつかいならわざわざ通話してくることもないか?


『そう。だったら小白ちゃんをうちに連れてらっしゃい』


「小白を? 本人に訊いてみないと分からないけど……なんで?」


『昨日はあんたを急に泊めてもらったでしょう? そのお礼しないと。それにちょうど、知り合いの作家さんから良いお肉もらったのよ~。琴水ちゃんも張り切ってご馳走作ってくれてるし。せっかくだから、ね?』


 そういうことか。急に泊めてもらったのはその通りだからな。

 それに最近、黒音さんがますます忙しくなってることもあって今日も小白は家で一人っていうし……。


「色々と理由つけてるけど、ようは小白に会いたいだけだろ」


『あら悪い? 毎日会えるあんたと違って、こっちはたまにしか会えないんだから。こっちは小白ちゃんロスなのよ。補充させなさい』


「……分かったよ。小白に訊いてみる。じゃ、そういうことで」


 通話を切って、ため息一つ。

 いや別に悪かないんだけどさ。ほんと母さんは小白のことが好きだよな。


「どうしたの? 紅太ママからだったみたいだけど」


「小白を家に連れてこいってさ。良い肉が手に入ったから、晩飯ご馳走したいんだと」


 ご馳走っていうけど、作るのは琴水だろという母親に対するツッコミは心の中だけにしておこう。


「昨日、俺が急に小白の家に泊っただろ。そのお礼も兼ねてってさ」


「や。お礼っていうか、それはむしろ私も嬉しかったし、むしろたくさん愛してもらえたわけだから、私の方がお礼しなきゃじゃない……?」


「お前、何気に恥ずかしいこと言ってる自覚あるか?」


「………………………………ごめん。今のナシ」


 そろそろ『小白』じゃなくて『自爆』に改名した方がいいんじゃないだろうか。そういうところが可愛いんだけども。


「と、とにかくっ! えっと、いいの? ホントに?」


「いいに決まってるだろ。そもそも夏休みあんだけ泊ったんだから、今更だろ」


「……そうだね。うん。じゃあ、お邪魔させてもらおうかな」


「おっけ。じゃ、母さんにもメッセ飛ばしとくわ」


 既読が一瞬でついて、嬉しさを全開にしているスタンプが一瞬でとんできた。

 スマホの前で待機でもしていたのかという速度だ。


「ねぇ。ちょっとお店に寄ってもいい? 何か手土産とか買いたいんだけど」


「いいよそんなの。気にすんな」


「気にする。急にお邪魔させてもらうわけだし、彼氏の家族だからこそちゃんとしたいっていうか……」


「そんなことしなくても、うちの家族の小白に対する好感度はマックスだぞ」


「だからって、礼儀とか忘れていいわけじゃないでしょ。……あ。あそこの洋菓子店、まだ開いてる。ちょっと寄ってくね」


 小白は自分を子供だというけれど、前からこういうところはきっちりとしてるんだよな。

 それでいうと、むしろ俺の方が子供だと思うぐらいだ。


「んーと……何にしようかな。焼き菓子にした方が日持ちしていいよね」


「普通にケーキとかシュークリームでもいいんじゃないか」


「この時間帯から? 持て余さない?」


 ああ、そういえば夜に甘い物食べたりすると体重の増加が気になるのか。

 そこは見落としてた視点だな。


「……まあ大丈夫だろ。母さん、夜だろうと仕事する時は甘いもの食べたがるし」


「仕事……そういえば紅太ママって」


「そ。作家。小説ラノベ書いたり……たまにゲームシナリオとか、アニメ脚本の仕事もしてたりする」


「ゲーム? 脚本? 小説書くだけじゃないんだ?」


「そういう人もいるけど、母さんは結構手広くやってるな」


 前の父親と離婚する前は小説のみの活動だったが、離婚してからは人脈を作って仕事を広げるようになっていったな。今思えば、女手一つで俺を育てようと必死だったのかもしれないし、仕事に打ち込むことで嫌なことを振り払おうとしていたのかもしれない。


「へー……小説家の人って、人と関わるようなイメージあんまりなかったけど、違うんだ」


「小説家って言っても、担当編集さんがいるし、人と関わらないなんてことはほぼありえないらしいぞ。それに仕事を広げようと思ったら、やっぱり作家仲間と交流を深めたり営業をかけたり、自分から動くことは必要になってくるって言ってたしな。ま、脚本の仕事はかなり運が良かったとも言ってたけど」


「……そうなんだ。すごいね、紅太ママ。紅太のためにめっちゃがんばったってことでしょ?」


「うん。尊敬してる。本人は『まあそんなに売れてないんだけどね~』とか言ってるけどな」


 こんな風に母さんの話を自然とできてるのも、小白のおかげだな。前まではやっぱりどうしても、心の中では家族の話をすることを避けていたところがある。


 そんな風に雑談をしながら、小白は色々と悩んだ結果、シュークリームとクッキーの両方を購入した。


「このクッキー、琴水ちゃんが好きって言ってたし、琴水ちゃんはいっぱい食べると思うから」


 とのことだ。確かにあいつならぺろりと食べてしまうだろう。そういえば琴水に日頃のお礼をするためのプレゼントもまた買いに行かなきゃな。

 頭の中で予定のリマインドをしつつ、一日ぶりの家に帰宅する。


「ただいま」


 鍵をあけて玄関に入るや否や、リビングの方からぱたぱたと小走りでやってきた琴水が俺と小白と迎えてくれた。


「おかえりなさい、兄さん。加瀬宮先輩」


「お邪魔します。ごめんね琴水ちゃん、急に夕食ご馳走になっちゃって」


「お気になさらず。招待したのはこちらですし、わたしも加瀬宮先輩とご一緒できて嬉しいです」


「あ、これ……よかったら」


「ありがとうございます。スイーツと……あ、クッキー。駅前のお店のやつですよね。これ、好きなんです」


「前に話してくれたことあったでしょ? ちょうど近くにいたから」


「覚えててくださったんですね、嬉しいですっ」


 仲睦まじいとはこのことだろうか。最初の頃を考えると感慨深いものがある。


「……あっ。ごめんなさい。玄関でつい話し込んでしまって……どうぞ、あがってください。ちょうど夕食が出来たところなんですよ。まずは手を洗ってきてくださいね。加瀬宮先輩の荷物は、わたしの部屋に置いてくだされば大丈夫ですから」


 言うや否や、琴水はぱたぱたとリビングの方へと戻っていく。それに合わせて俺達もとりあえず部屋に荷物を置いた後、手洗いうがいを済ませてリビングに入ると、食欲を刺激するソースと肉の温かな香りが漂ってきた。テーブルに並べられているものを見るに、どうやら今日のメインはハンバーグらしい。美味そうだ。


「おかえり、紅太くん」


「ただいま、父さん。……って、あれ? 母さんは?」


「絶賛執筆中。でも、もうそろそろ来るんじゃないかな」


 父さんの言葉が合図になったかのようなタイミングでリビングの扉が開き、


「うぅ~~~~……」


 ゾンビのようなうめき声と共に、ふらふらとした足取りの母さんが姿を現した。


「ああ、苦戦してるみたいだな」


「そうみたいだねぇ」


 父さんと顔を合わせて苦笑する。執筆に苦戦していると、母さんはああなることが多い。今思えば電話から聞こえてくる声も、ちょっとヘンだったしな。


「あ、こんばんは。お邪魔してます」


「は~~~~……生小白ちゃ~~~~ん。会いたかったわ~~~~」


 言うや否や、マザーゾンビは小白に抱き着いた。これがゾンビ物映画なら、小白は噛まれてゾンビの仲間入りをしていたところだ。


「えっと、お仕事ですか?」


「そォ~~~~なのよォ~~~~先方のお偉いさんからあれやこれや思い付きみたいなシーンをそのままねじ込めって言われて、そうなってくると整合性も無茶苦茶になってぇ~~~~……!」


「た、大変ですね……?」


「おい母さん。小白を困らせるなよ。あと勝手に抱き着くな」


「いいじゃないのよ別に。あんたは普段から小白ちゃんと一緒にいるからいいけど、わたしはそうじゃないの」


「……小白、相手にしなくていいからな」


「大丈夫。お姉ちゃんも家だとこんな感じだから、慣れてるし」


 それはそれでなにやってんだ黒音さんあのひと


「……あ、お水とコップを忘れてました。あとソースも冷蔵庫からとってこないと」


「俺がとってくるよ。琴水は座っててくれ」


「私もいく」


「いえ。加瀬宮先輩はお客様なんですから」


「これぐらい手伝わせてよ。ご馳走になるだけじゃ悪いし」


「いえいえ。むしろ加瀬宮先輩には常日頃から濃厚で濃密な参考資料をいただいておりますので、これぐらいのもてなしは当然です。今日もこの後はお泊りで夜の獣となった、朝までのひと時を取材するつもりで……」


「紅太、いこ。今すぐ。お水とコップは私が揃えるから、紅太は冷蔵庫からソースをお願い」


「お、おぉ?」


 冷蔵庫のあるキッチンスペースへと押し出される形で移動する。

 ……琴水のやつ、最近ああやって自分の世界に入り込むことが多いんだよなぁ。具体的にどんな世界なのかはよく分からないんだけど。

 そんなことを考えながら冷蔵庫からソースを取り出す。あとケチャップに……サラダ用のドレッシングやマヨネーズもいるよな。


「…………ふふっ」


 コップと、冷蔵庫から水を取り出した小白は、なぜか一人で笑みを零していた。


「どうした?」


「いや。なんかさ、やっぱり楽しいよね。紅太の家って」


「そうか?」


「そうだよ。あったかい感じがして、私は好き」


 温かい感じか。言われてみれば確かに、最近は……そんな感じがする。

 だけどそれはきっと、小白がくれたものだ。小白と出会わなければこの温かさもなかった気がする。少なくとも俺はそう思う。


「……じゃあ、俺も頑張らなきゃな」


「頑張るって、何を?」


「小白と、こういう『楽しくてあったかい家庭』を築けるように」


「――――っ……!」


 一瞬にして顔の色が熱に染まる小白。自爆しちゃうところもそうだけどこういう分かりやすいところは、本当に愛おしい。


「それ、って……さ…………」


「言っとくけど、プロポーズとかじゃないから」


「ち、違うんだ? ふーん……そ。なんか、それはそれで残念っていうか……」


「それは別の機会にちゃんと言うから。今のは予約みたいなもんだと思ってくれ」


「予約……?」


「小白の未来を予約させてほしいってこと」


 また一段と顔を赤く染めた小白は、その場で硬直してしまった。


「…………………………………………それって、もう変わんないじゃん……」


 かろうじてそんな言葉だけを絞り出した彼女は、それはもう可愛くて仕方がなかった。



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