第62話 八木太一の諦め

 八木太一やぎたいちという人間は、名前に反して常に一番手になれない人生を送ってきた。


 勉強は好きじゃないけど、まあできないってワケじゃない。ちょっと勉強すれば平均よりは上の点数がとれる。めっちゃくちゃ頑張れば上の下ぐらいは狙える。まあ、どんだけ頑張っても一番はとれないんだけど。


 スポーツは出来る方だと思う。自分で言うのもなんだけど、けっこー得意。

 中学の時も二年生の頃からずっとレギュラーだったし。体育の成績だって良い。運動を苦手って思ったことはない。たいていの競技は少し練習すればそこそこできるようになる。まあ、エースの座はいつも他のやつにとられてばっかだったけど。


 実は中学の頃、バスケ部から助っ人頼まれたことだってあるんだぜ。

 …………まあ人数が足りなくて困ってるから数合わせって感じだけどさ。でも、あの時のおれはヒーローの気分だった。やっと一番手っぽいこと来た! ってな。


 実際には、相手チームのエースに手も足も出なくて、あげくの果てにトドメとばかりにブザービーターを決められてしまったんだけどさ。しかも相手のチームはおれたちと同じ、弱小バスケ部。人数も覚束ないから他の部活から助っ人を連れて来てるところまで同じで、違うところは連れてきた助っ人の実力。


 その時だったな。沢田猛留ってやつに会ったのは。


 あいつのことは知ってた。このへんでサッカーやってる中学生ならちょっとした有名人だし。イケメンで勉強もできてサッカーでも大活躍。だけどそれ以上におれは、あいつから目が離せなかった。


 ある練習試合。猛留はドリブルでうちのチーム全員を綺麗に抜き去った。

 パスも無しに一人で。ボールがあいつの足からピタッてくっついたまま離れないんだ。もうプロかよっていうぐらいのキープ力。しかも動きも、見たことが無いぐらいにキレッキレ。止まったかと思ったら次の瞬間には消えてるし。


 しかもあいつ、シュートもすげぇんだ。

 矢とか銃弾とか、そういうのじゃなくて。キラって輝く流れ星みたいに、速くて、キレイだったんだ。思わず見惚れてたもんよ。もう立ちっぱなし。放心ってこういう状態のことを言うんだろうな、ってなんか考えてたし。


 それぐらいおれの頭の中に鮮烈に焼き付いたのが沢田猛留って男だ。

 同い年なのに憧れちまったもんよ。まさかバスケ部の助っ人として会うなんて思わなかったけど。


「もしかして八木も助っ人?」


「お、おうよ。てか、なに? おれのこと知ってんの?」


「勿論。この前、練習試合したろ。器用なやつがいるなって思ってたんだ。抜く時もちょっと苦労したし、何より試合が厳しくても笑ってたのが印象に残ってたんだよね」


 あの時は嬉しかったなぁ。あの沢田猛留に覚えられてたなんて。

 言っちゃえばさ、ヒーローなんだよ。おれにとってあいつは。そりゃあ覚えられたら嬉しいってもんだ。だから、同じ高校だった時は驚いたし、やっぱ嬉しかった。面識があったというのもあって、あっという間に友達になれた。


 最初はさ、『沢田猛留』を目標にしてたんだよ。

 追い抜くとか、勝つとかじゃなくて、沢田猛留みたいになるって意味で。

 あるじゃん? 子供の頃、ヒーローの真似して遊んだりした頃。ああいうの。だから強いていうなら……追いつくってことを目指した。同じ場所に立つことを目標にした。


 沢田猛留ヒーローになりたい。そのために色々、柄にもなく頑張ってみたっけな。

 勉強もスポーツも。あと、人付き合いも。ちょうど傍に目標もいたわけだし。でも、だからなのかなぁ。やればやるほど、がんばればがんばるほど分かっちゃったんだよな。


 ――――あ、これ無理だ。人間としての格が違う。


 ってな。


 おれは一生かかっても、どれだけがんばっても、こいつには追い付けない。


 同じ場所に立って、並び立つことすらできない。常に猛留に一歩遅れてる場所にしかたどり着けない。


 猛留が主人公なのだとしたら、おれは……あれだ。主人公の友人A的な感じ。


 それでもよかった。あいつには憧れの気持ちも強いし。


 そう思って、猛留を目標ではなく友達として付き合いはじめた。グループも固まって、いつものメンツってやつもできて。


 そんで、まあ……好きな女子ってのもできた。


 清水凛ちゃん。サッカー部のマネージャーで、黒い髪がすっげぇ綺麗でさ。他の女子よりちょっぴり小さくて、華奢な身体してて、姿勢も良くて。まつげも長くて、可愛くて。見た目もかなり好きなんだけど。


 でも好きになったのは――――恋に落ちたのは練習試合の時だった。


 珍しく猛留じゃなくておれがシュート決めたりして、その時に足をヘンに捻って、でも平気なフリしていつもみたいにヘラヘラ笑ってた。かっこつけたかった。猛留じゃなくておれがシュートを決めたから。それに泥をつけたくなかった。


 そんでいつもみたいに調子乗ったフリして、こっそり部室に入って足見たら腫れてて。

 うわダッセェとか思ってたら、凛ちゃんが部室に入ってきた。マネージャーだから


「お、なになに? どしたの凛ちゃん」


「足、見せて。さっき捻ってたでしょ……ああ、ほら。やっぱり腫れてる」


 どうやら最初から用意してたらしいアイスパックを取り出すところを見るに、バレバレだったみたいだ。他の部員にはバレなかったのに。


「えー? すごいね凛ちゃん。なんでわかったん?」


「分かって当然。明らかに足、捻ってたし。それに八木って辛い時ほど笑ってごまかす癖あるでしょ」


「えっ、マジ? そうなん?」


「自覚なかったの?」


「なかった。でも、んー……言われてみたらそんなことあるかも。中学の時、先輩からも呆れられてた気がする。『こんなに負けてるのに楽しそうだなぁお前』って。そっか、おれは辛いのを笑ってごまかしてたのか」


「バカっぽ」


 凛ちゃんは小さく笑って、手際よくおれの足をテーピングしはじめた。

 そういえば中学の頃からマネージャーやってた、みたいなことを言ってたなぁ、なんてことを呑気に思い出していると、グラウンドの方から次の試合の始まりを告げるホイッスルの音が聞こえてきた。


「あー……始まっちゃったなぁ。もったいねー。今日は練習試合だから、一年でも試合に出れるのに」


「怪我しちゃったものは仕方がないでしょ」


「だなぁ。フフフ……けど、試合展開はきっと厳しいことになるだろうぜ。なにしろこのおれが居ないんだから――――」


 と、自分で言ってて思わず渇いた笑いが出た。


「――――……そんなわけないか。猛留がいるし。おれなんていなくても変わんないよな」


「なに言ってるの? ぜんぜん変わるでしょ」


「え? いやいやいや。なに言ってるの凛ちゃん。猛留がいるんだぜ?」


 心底呆れたような凛ちゃんの言葉に、おれは思わず聞き返していた。


「八木がいるとチームの空気ぜんぜん変わるよ。部活の時も八木が調子に乗ってるとみんな笑うようになって雰囲気いいし、傍から見ててもリラックスして練習できてるし。真剣な試合の時だって、良い意味で肩の力抜けてプレーできてると思うよ。沢田くんは凄いけど、だからこそミスして足引っ張ったら申し訳ないって感じの空気も少なからずあるしね」


 すらすらと出てくる根拠に、おれはただ目を丸くしていた。

 思ってもみなかった。考えてもみなかったことだ。おれがいてもいなくても変わらないと思ってた。だって、猛留がいるわけだし。


「沢田くんには出来ないことも、八木にしかできないこともあると思うよ」


「――――……」


 そんな凛ちゃんの言葉は、おれの心を一瞬で撃ちぬいていた。

 猛留の流星のようなシュートすらも超える、強烈な一発。


「……よし。テーピング終わり。ほら、保健室までいくよ。肩貸すから」


「お、おぉ……」


 みっともなかったと思う。女子に肩なんか借りちゃってさ。

 でも、保健室に着くまでの、二人で歩いたあの時間は、今でも覚えている。


 忘れるわけない。女子っぽい甘い香りとか。男子よりずっと華奢な肩とか。汗まみれだったおれを気にせず肩を貸して付き添ってくれた優しさとか――――


 ――――ああ、好きだなぁって思った時の、気持ちとか。


 そういうの、全部。


 凛ちゃんのことが好きだってなって、でも気づいてた。凛ちゃんが猛留のことを好きなのは。中学の時もこんなことあったなぁ……好きだった子には彼氏がいてさ。……ああ、でもまだ猛留は凛ちゃんの彼氏じゃないのか。


 おれにはまだチャンスがある。そう思ってたけど……………………自分でも分かってた。相手が猛留と知った時、おれは殆ど諦めていた。


 猛留は主人公だ。ヒーローだ。追いつけるわけがない。ましてや勝てるわけがない。

 だからせめて、凛ちゃんの恋が成就することを願うことぐらいしか、おれにはできない。


「沢田のチームに勝ってみたくないか」


 だから成海がこんなことを言いだした時は、そりゃあもうびっくりした。


「いやいや無理っしょ。相手は猛留だぜ?」


 そしておれは即答した。当然だ。あんな主人公ヒーローに勝てるわけがないんだから。


「俺は勝ちたい」


「…………そりゃあ……もし、万が一? 偶然? 勝てるなら、勝ってみたいけどさぁ……」


 成海の言葉に、ずっと昔に埋めてしまったはずの気持ちが、顔を出した。

 勝てるなら勝ちたい。そりゃあそうだ。勝ちたいよ。でも無理だ。


「じゃあ勝つぞ」


「いやいやいやいやいや。いくらマジ尊敬な成海パイセンつっても、猛留に勝つ方法なんてないっしょ」


 あるわけがない。そんなものは。


「勝てる。というか、絶対に勝つ」


「やる気だねぇ、紅太」


「ああ。沢田が集めたギャラリーには、ちょっとムカついたからな。八木。夏樹。手を貸してくれ」


「紅太が言うなら勿論そうするよ」


 犬巻は満足げに頷いた。つーか、なに? 猛留がギャラリーを集めた?

 いやいやいや。それは考えすぎ。そんなことする必要なんかないだろ。だってあいつは完全無欠のヒーローなんだ。そんなことするもんか。するわけがない。


「まあ、やるだけやってみるかぁ……」


 やるだけやってみる。言い訳と予防線をいっぱいに張り巡らせた、我ながら情けない言葉だ。


「勝って、文句言えなくしてやる」


 成海の言葉には妙な力がこもっていた。だから……昔埋めて、忘れて、捨て去ったはずの気持ちがまた、おれの中でじわりじわりと滲み出てきた。


     ☆


 試合が再開された。

 言ってもこれは体育の授業。タイムアウトのような厳密なルールはない。軽い作戦会議をする時間ぐらいはあったし、わざわざ体育の授業の試合で作戦を立てるおれたちのことは、教師の目から『熱心に授業に取り組んでいる生徒』に見えたっぽかった。だから、まあ、作戦は立てたは立てたんだけど……。


(いや、ほんとに大丈夫かぁ……?)


 細かい作戦を立てる時間まではなかったから、成海の立てた作戦はめちゃくちゃ簡単なものだ。たぶん、おれの頭よりも単純で、効果的ではある作戦。というかこれ、作戦と呼べるようなものでもない。


「――――……!」


 また猛留が動き出した。ドリブルしている犬巻のボールを奪おうと迫り……。


「――――っと」


 猛留の前に、成海が立ちはだかった。


「…………! 成海……」


 そう。成海の立てた作戦と呼べない作戦は、至極単純。

 成海が猛留をマークする。それだけだ。


 ――――で、紅太。どうやって勝つつもり?


 ――――向こうのチーム、沢田以外は大したことない。バスケ部はいるけど、うちのバスケ部はそんなに強くないし、他の三人も運動ができるやつらってわけじゃない。むしろ見た感じだと平均より下だ。パスミスだって十分にあり得るし、カットもしやすい。逆にこっちのパスをカットされる可能性は低い。極端な話、沢田にボールを触らせなきゃチーム力の差でゴリ押せる。


 ――――いやいやいや。猛留にボールを触らせないって、それができれば苦労しないって話っしょ。


 ――――俺がなんとかする。だから夏樹と八木は、他の二人と協力してガンガン攻めてくれ。


 ――――アテはあるの?


 ――――彼女に良いトコ見せたい男子高校生の力を信じろ。


 ――――あははっ。なるほどねぇ。うん。僕は良いよ。


 ――――えぇー……?


 猛留に徹底的にボールに触らせないなんて夢物語もいいとこだ。そんな不安を抱きながらも犬巻とパスを回しながらゴールを狙っていく。


(って、さすがにもう猛留が来るだろ……)


 パスを回している合間に、猛留の方へと視線を向ける。そろそろ成海も抜かされて……。


(マジか)


 確かに猛留は成海を追い抜いていた。だけど、その度に成海は食らいつき、猛留の足を鈍らせる。成海をかわすための時間的ロス。それで生まれた余裕が、おれたちの攻撃に繋がっていた。


「八木っ!」


「おぉっ!?」


 犬巻からのパスをギリギリのところでキャッチし、そのままシュート。

 ……うぉっしゃっ! 入った!


「ナイスシュート」


「グーゼンだよ、グーゼン」


 いやマジで。確かにバスケはやったことあるけど、普段から練習してるわけじゃないし。運がよかった……つーかさぁ。今度は向こうにボールが回るじゃん? 絶対に猛留はボール触ることになるじゃん? どうするんだろ……とか思ってたら、成海と犬巻の二人が何か言葉を交わすと、今度は成海がおれに話しかけてきた。


「八木、前に出てくれ。ゴール前にパスを送る」


「え? けど、猛留からどうやってボールを奪うんだよ」


「なんとかする」


 とかなんとか言ってる間に、向こうのボールが猛留に渡った。

 うわやっべぇ、と思ったのもつかの間。最初から猛留にボールが渡ることを見越していた成海が、既に猛留の目の前に立ちはだかっていた。


「おぉー! また沢田だ!」

「よっしゃいけいけいけー!」

「ダンクやれダンクー!」

「スリーでもいいぞー!」


 猛留にボールが渡り、周りのギャラリーたちが盛り上がる。うへぇ……こんなに熱気のある体育の授業、おれはじめてかも。


 熱気の狭間に、体育シューズが床を擦る音や、ドリブルでボールをつく音が細切れに幾度も響く。……猛留と対峙してる成海、なんか見覚えがあるなと思ったら……あれ、中学の時のおれじゃん。


 中学時代の助っ人バスケで、猛留とマッチアップした時の、おれだ。

 右、左、そしてまた右に一気に動いて、おれはその動きについていけなくて、あっさりと抜かされた。


「君じゃオレは止められないよ」


「言いたいことはそれだけかよ、王子様」


「…………」


 猛留が動いた。右、左、そしてまた右……ああ、ダメだ。やっぱり成海も抜かされて――――……。


「もーらいっ」


 成海が抜かされた直後、犬巻の手が猛留のボールを弾いた。

 転がっていくボールはそのまま吸い込まれるように成海の手に渡る。


「八木!」


「お、おぉっ!」


 成海からのロングパス。受け取った俺は、そのままフリーでレイアップを決めた。


「すげっ。沢田の攻撃止めたぞ」

「八木、今日調子いいじゃん」


 とか、周りのやつらは言ってるけど……違う。


(すげぇのは成海だろ)


 今のは多分、わざと抜かせたんだ。成海が猛留を意図的に抜かせて、待ち構えていた犬巻がボールを奪う。そういう連携だ、今のは。


「お前ら、よくあんな連携できたな」


「夏樹とは幼馴染だし、こんだけ付き合いも長いとな」


「僕も紅太の動きなら分かるしね」


 しれっと言ってるけど、だからって出来るかフツー。


「……すげぇな」


 気づけば、純粋が気持ちが零れ落ちていた。


 それからまた試合の激しい攻防は続いた。成海は徹底的に猛留をマークして、ボールに触らせない。勿論、実際の作戦通り絶対に触らせないなんてことはできなかった。猛留がまた取り返すこともあった。だけど成海はまたすぐに点を取り返した。


 当初は猛留のチームが勝つと誰もが思っていた。だけど……実際に試合は拮抗している。いや、おれたちが僅かにリードしている。そして、ここまで試合が進めば誰もが理解していた。


 あの沢田猛留を抑えている成海の働きが、どれほど大きいか。


「紅太!」


 犬巻からのパスを受け取った成海はドリブルで一気に駆け抜け、その先で猛留が立ちはだかる。


「通さない……君だけは、絶対に!」


「……悪いな王子様」


 ボールが放たれ、弧を描く。おれはバスケ部ってわけじゃないけど、見た瞬間に分かった。


 ――――これ、入る。


「逃げるのは得意なんだ」


 その直感は間違ってなかった。ボールはキレイにゴールに入り、その瞬間に試合終了、おれたちのチームの勝利を告げる笛が鳴り響く。


「――――試合終了!」


 その宣言と共にギャラリーが沸く。体育館は、迸る熱気に包まれた。


「……っし!」


 成海は小さくガッツポーズし、犬巻と軽く拳を合わせる。ほんと息ピッタリだなあの二人。


「…………勝った。猛留に勝ったのか」


 沢田猛留はおれにとってのヒーローだ。絶対に敵わない壁だ。だけど成海は、そいつに食らいついた。おれみたいに諦めてたら、この奇跡はなかっただろう。あんまり実感はないけど。


「すげぇ……! 沢田のチームに勝ったぞ!」

「沢田のチームが負けてるとこはじめて見た」

「今までの体育、あいつのいるチーム絶対に勝ってたからなぁ」

「マグレじゃね?」

「いや、でも成海が沢田を抑えてたのはでけーだろ」

「成海ってあんなに出来るやつだったんだ」


 周りのやつで、もう成海を見下すような眼で見ているやつは殆どいなかった。

 少なくとも、見直したやつもいるんじゃないか。


「――――……くそっ」


 そんなギャラリーたちの反応の狭間で、猛留が一人、密かに悔しがっているのが見えた。小さく呟いた悔し気な声は、きっと、おれにしか聞こえてなくて。


(……猛留って、あんな風に悔しがったりするんか)


 知らなかった。今までのあいつは、いつもにこやかに笑って、当たり前のように勝ってたから。そりゃあ、部活でチームが試合に負けたことはある。でも……あそこまで悔しがったりしなかった。


「ヒーローだって人間だからね」


 ぼーっと突っ立っていたおれに話しかけてきたのは犬巻だ。


「全能でもなければ万能でもない。絶対だってない。欠点はあるし、隙もある。そういうもんだよ」


 まるでおれの中に在る気持ちを全て見抜いているみたいな一言に、目を丸くする。


「沢田だってそうだし、紅太もそうだよ。どれだけカッコイイ仮面をつけてたって、中身は僕らと変わらない、かっこ悪いとこもある普通の人間なんだからさ。逃げず諦めず、ちょっとはがんばってみてもいいんじゃない?」


 そんな助言めいた犬巻の言葉は、おれの胸にスッと入り込んできた。


「人間、か……」


 ……たぶん、この体育の授業が始まる前に聞いてたら何にも感じなかっただろうな。

 その言葉を受け入れられたのは、きっと……。


     ☆


「よーっす。おつかれー、猛留」


 体育の時間が終わった後。おれは、体育館の裏で一人休憩している猛留の姿を見つけた。


「ん。おつかれ」


「てかさー、こんなとこで何してんの? 着替えないと次の授業遅れるっしょ」


「今日の体育の授業はハードだったからな。ちょっと休憩」


「へー。じゃ、おれも休憩するわ」


 いつもなら会話も弾むのに、今日はおれら史上珍しく沈黙の方が多い。

 だけどおれは、思い切って切り出してみることにした。


「……珍しいよな。猛留があそこまで悔しがるって」


「……そうかな?」


「そうだろ。部活の試合でもあそこまで悔しがってるトコ、見たことねーし」


「まあ、そうだな。うん……悔しかったな。今日の負けは」


 猛留がふいに向けた視線の先。ちょうど同じように授業を終えたであろう加瀬宮さんが、成海と話している姿が見えた。……前まで、教室では一切見せたことないような、幸せそうな表情。つーかあのジャージ、なんかサイズが合ってない感じがする。もしかして成海のか? 本当に甘々って感じだなあの二人。


「……絶対に勝ちたかったから」


 そんな二人の様子を見ながら呟く猛留。その言葉に秘められた感情の名前を、おれは多分、知っている。


「そっか。そりゃあ、死ぬほど勝ちたかったんだろうなぁ……」


「……って、オレを負かしたの太一のチームだろ」


「フフフ。それほどでもねーぜ……なんてな。勝てたのは成海のおかげっしょ。どう考えても。おれはなんもしてねー」


 おれは諦めてただけだ。それを成海が引っ張り上げてくれただけだ。

 ……そう。おれはずっと諦めてたんだ。勝手に壁作って、諦めて、逃げだした。


「…………おれ、頑張ってみるわ」


「何を?」


「諦めてたもんを、諦めずにやってみるわ」


 分かってるよ。これは負け戦みたいなもんだ。

 でもさ、可能性はあるかもじゃん? 確かに相手はピッカピカのかっけぇ仮面をつけたヒーローだ。でも、中身はおれと同じ人間なんだからさ。最初から尻尾巻いて逃げるのは、それこそ……モブ以下だ。


 がんばってみるか。うん。がんばろう。

 勉強とかスポーツでなれなくてもいい。好きな女子にとっての一番ヒーローになれるように。

 おれだって人間なら、ヒーローになれる可能性はあるじゃんか。

 なれない可能性の方が大きいかもだけどさ。やるだけやってみよう、って気にはなったよ。勇気もらったってやつ。


「負けねーぞ、猛留」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る