第60話 クラスメイトたちの視線

「ねぇ」


「ん?」


「視線、めっちゃ感じるんだけど」


「慣れてるもんだと思ってた」


「慣れてるけど、こういうのは慣れてない。紅太はどうなの?」


「俺も慣れてねーよ。こういうのは」


「よかった。おんなじ」


「なんで安心してんだよ」


「紅太が前にもこういう視線を感じるようなことがあったら、ちょっと嫉妬してた」


「誰に」


「一緒に歩いてたかもしれない女子に」


「そういう相手はいなかったから安心してくれ」


 いつも歩いている廊下なのに、今日はいつもとは違う感じがする。

 小白と肩を並べて歩いているせいだろうか。隣を歩く小白の微かな息遣いや、触れそうになる肩の気配か。それとも、周りの好奇の入り混じった視線を浴びているからだろうか。


 ……たぶん、どれも正解だ。どれも真実だ。そして確実に言えるのは嫌じゃないということだ。


 教室のドアを開く時、少し手に力がこもる。ほんの一瞬の躊躇いを噛み締めて、そのまま小白と一緒に教室の中へと入り、登校を果たす。


「――――――――……」


 一瞬で、クラスメイトたちの空気がざわついたことを肌で感じた。

 最近は徐々に変わりつつあるとはいえ、教室での加瀬宮小白は何者をも寄せ付けぬ拒絶のイメージが張り付いていたのだろう。それは一面では真実だ。この空間における小白はそうだったし、今もその印象を拭えていない人がいるのも知っていた。


「あれ……? 今日の加瀬宮さん、なんか……」


 だけど今の小白から拒絶の雰囲気は感じられない。彼氏の贔屓目だろうかと一瞬考えてしまったが、クラスメイトたちの反応を見るにそうでもないようだ。


「……なんか、嬉しそう……?」


 学校でも他人のフリはしない。そう決めただけだ。大声で俺たちは付き合ってますなんて言いふらすことなどしない。だけど――――気持ち的には、楽だ。もう学校でも一緒にいることができるという事実が、たまらなく嬉しい。


 微かなざわめきに混じって、探るような視線と呟きが耳に入ってくる。

 俺と小白はそんな視線を感じながらもそれぞれの席についた。クラスメイトたちの探るような眼差しは――――訊きたくても訊けない。そんなもどかしさを感じる。


「おはよ、紅太」


「ああ。おはよう、夏樹」


「隠さないことにしたんだね」


 周りの微かなざわめきに消える程度の絶妙な音量での一言に、俺は淀みなく頷いた。


「色々あってな」


「そっか。ま、僕もそれがいいと思うよ。紅太も辛そうだったし」


「顔に出てたか」


「顔どころか全身に出てたよ」


「……忘れた」


 机に突っ伏してたりしてた気がするけど忘れることにしよう。


「というか、なんで知ってんだ? 隠さないようにしたこと」


「ここに来る途中で噂になってたよ。加瀬宮さんが男子と楽しそうに歩いてたって。それを聞けばなんとなく分かるよ。もうメッセとかでも出回ってるんじゃないかな。……流石にそれだけで付き合ってるとまでは結びつけてないだろうけど」


 登校する時にあれだけ注目されたのだから当然といえば当然か。

 小白は普通に歩いているだけでも人の目を惹くぐらいには魅力的だし。


「いや、噂になってたのはなんとなく察しがついてたけどメッセまで出回るのかよ」


「そりゃーそうだよ。加瀬宮さんはうちの学校じゃ有名人だし、何より今までずっと一人でいたわけだし。狙ってても手が出せなかった男子も大勢いたし。そこにあの加瀬宮さんと仲睦まじそうに歩いてる男子なんかいようものなら、メッセ送りまくるよね」


「詳しい解説をどうも…………あっ」


「どうしたの?」


「教科書、忘れた」


「どの教科?」


「全部」


 鞄の中を覗いた今になって気づいた。昨日は小白の家に泊まってそのままだから、鞄の中に入ってる教科書は昨日の授業に合わせたもの。つまり、今日の授業で使う教科書は入っていない。


「隣の席の人に見せてもらえば?」


「それもそうだけど、流石に今日一日中、全部の教科を見せてもらうのはな」


「大丈夫じゃない? 今日は体育もあるし、一限目は自習になるから」


「自習?」


「先生が体調不良なんだってさ」


「一応訊くけど、なんでそんなこと知ってるんだ?」


友達・・から聞いただけだよ」


「毎回思うんだけど、お前の交友関係って本当に謎だよな」


「気にしないで。友達はたくさんいても、親友は紅太だけだから」


「急に嬉しくなること言うなよ」


 そして一限目が始まり、体調不良になった先生の代わりに教室に現れた担任の言葉から、夏樹が教えてくれた通り自習となることが告げられた。


 ――――が、それだけでは終わらなかった。


「ついでだから、この時間を利用して席替えでもやるか」


 突発的な提案。クラスメイトたちは盛り上がり、体育祭の競技決めよりもスムーズに席替えは行われた。


「また紅太の前の席になっちゃうとはね」


「流石は俺達の腐れ縁だな」


「そこは友情パワーって言ってよ」


「縁じゃないだろそれは」


 偶然にも夏樹は今まで通り俺の前の席になった。そしてここから更に、偶然は重なる。


「………………偶然、だね」


 俺の隣の席に座ったのは――――


「ああ。偶然……だな。小白・・


 これはきっと、運命なんてキレイなもんじゃない。

 ただのクジ運。偶然にすぎない。でも、運命だったなら重なることはなかっただろう。偶然は重なるもの。偶然だからこそ重なったんだと思う。


「えっと……よろしく?」


「じゃあ……こちらこそ?」


「あと犬巻も」


「こちらこそよろしく。紅太のついでだろうけどね」


「そんなことは……まあ、あるけど」


「あるのかよ」


 ……ああ。なんか、ひしひしと感じるな。


「「「「「――――――――……」」」」」


 周りの視線、というやつを。

 まだ席替えをしている途中のクラスメイトもいるせいか、教室は少し騒がしい。

 それぞれ替わった席についての感想を話題の種にして雑談に興じているものの、明らかに小白と、小白と親し気に言葉を交わす俺たちへと意識を向けていることは明らかだった。


「そうだ加瀬宮さん。紅太が教科書忘れたみたいなんだよね。加瀬宮さんは隣の席だし、見せてやってよ」


「それはいいけど、全部? なんで?」


「なんでって、そりゃ……あれだろ」


「……………………あぁ、そっか」


 どうやら小白も理由に思い至ったらしい。察してくれたようで何よりだ。


「今日はうちから直接学校に来たもんね」


「「「「「――――……!?」」」」」


 小白さん。また自爆してしまったのでしょうか。

 御覧なさい。最低限取り繕っていたはずのクラスメイトたちが、にわかにざわつき始めたではありませんか。


「あ………………………………ごめん」


「一応訊くけど、わざとじゃないよな?」


「違う……てかわざわざ言わないし。恥ずかしいし流石に……」


 どうやら本当に自爆してしまったらしい。耳を真っ赤にしながら俯き始めた。

 俺の彼女、本当に「うっかり」が多すぎる。そこが可愛いところでもあるんだけど。


「え? 家?」

「今、直接学校にって……」

「メッセで回ってきたんだけど、今朝も一緒に登校してたって」

「それ私もきいた」

「じゃあ、あの二人って……」

「加瀬宮さんが? 成海と?」

「どういうこと?」


 小白の突発的な自爆によって、教室の中の話題はもはや小白一色だ。

 いや、正確には小白と俺とのことか。こういう注目のされ方はやはり慣れない。


「……とりあえず教科書、頼むな」


「…………それは、うん。はい」


     ☆


 浮かれて頭がバカになっている。


 誰かにそう言われてしまえば、私は認める以外にできないだろう。

 それぐらい今は、浮かれてる。自分でもバカみたいって思う。でも嫌じゃない。むしろ幸せ。学校で紅太と一緒に居れること。同じ時間を過ごせることが、とても幸せ。


(あー……ほんと……)


 ………………………………………………最初からこうしてればよかったなぁ。


(ほんとバカだったな、私)


 紅太を独り占めしたかった。

 世界一素敵な彼氏を私だけのものにしたかった。

 誰かに見つかって、盗られちゃうのが嫌だった。


 だから隠そうとした。自分の不安から逃げるように。

 やってることは幼稚な子供だ。少しでも早く大人になりたくて、ママから離れたのに。


 紅太は、自分が不安にさせたって言ってるけど、それは違う。

 これは私自身の問題だ。私の弱さが招いた不安だ。


 ――――私には覚悟が足りなかった。戦う意志が欠如していた。


 仮に誰かが紅太を好きになって、奪おうとしたとしても、戦えばいい。

 盗られないように奪われないように全身全霊全力で。紅太の心を離さないように。


 それだけの決意と覚悟を持つべきだった。

 この後悔は、そんな最低限の意志を持てなかった自分への罰だと思おう(紅太にはとばっちりかもしれないけど)。


(けど、悪いことばかりじゃないかも)


 弱さが不安を招いたからこそ、昨日は紅太がそれを埋めてくれたわけだし……。

 てゆーか……ランニングの量とか増やそうかな。体力、もっと上げたい。

 これから始まる体育の授業も、いつもより真面目に取り組もう。


「…………よし」


 私は更衣室の片隅で一人、これから始まる体育への気合をひそかに入れる。


「か~ぜみ~やさん」


「――――っ。め、芽乙女さん……?」


 着替えようとした矢先、声をかけてきたのは芽乙女さんだった。

 紅太と同じ借り物競争のメンバーだ。……羨ましい。


「……な、なに?」


 芽乙女さんとの面識はそんなにない。クラスメイトというだけ。あと、沢田と同じグループにいるな、ぐらいだ。


「えっとね~あのね~訊きたいことがあるんだけど~」


「訊きたいこと?」


「成海くんと付き合ってるの?」


 芽乙女さんの真っすぐな探りに、先ほどまで女子同士の会話で溢れていた更衣室の中が一気に静まり返った。クラスメイトの女子たちの着替えの速度が明らかに低下して、手元がおろそかになっている。耳に神経を集中させているのだろう。その雰囲気を例えるなら、さながら餌に飢えた猛獣たちの群れといったところか。


 だってもう他の子たちの心の声が聞こえてくるし。

 芽乙女よくやったとか、それが訊きたかったとか、そういう感じのが。


「…………付き合ってるよ」


 これは別に否定するようなことでもない。てか否定したくない。


「「「「「――――……!!」」」」」


 静まり返っていた女子たちが一気にざわついた。

 興奮したようにざわめきの波が広がっていく。


「うそ。マジ?」

「ホントっぽいけど」

「からかってるとか?」

「遊びってこと?」

「ありえるかも」


 からかってるだの遊びだの、好き勝手な言葉には苛立ちもあるけど、ここで言い争っても意味は無い。何より、言われたからって私たちの関係が変わるわけじゃないし…………ムカつくけど。


「そうだったんだ~。知らなかった~」


 紅太と同じ借り物競争のメンバーだから警戒していたんだけど、芽乙女さんの様子は見たところ……ただ興味があったから、訊いてみただけという感じもする。少なくとも周りの女子よりはぜんぜんマシだ。


「ねぇねぇ、もっと訊いていい? 恋バナしよ~よ」


「芽乙女さんも好きな人いるの?」


「いないよ~?」


「じゃあ恋バナにならなくない?」


「そうなの~? そうかも~」


 緩いけど、なんかいいな。こういうの。ちょっと楽。

 あ、でも着替えも急がないと。あんまりモタモタしてると授業に遅れるし。


「でもでも、今日の加瀬宮さんってすごくすごくすご~~~~く、ふわふわした感じで可愛いし~。めい子、気になるんだぁ~」


 ゆるゆると喋りながらも芽乙女さんは手を動かして着替えを進め……でっか。

 え。なにこれ。いやでも私だって負けてないし。はぁ……これが紅太の目の前にあるわけ? ジンクスとか関係なしに今すぐ引っぺがしたいんだけど。


「めい子のお姉ちゃんもカレシがいるんだけど、ちょ~ラブラブなんだよね~。憧れるよね~。成海くんと加瀬宮さんも、ラブラブな感じ?」


「らぶ……普通だよ。フツー。たぶん」


「そうかなぁ……?」


 着替えをしていくと、なぜか芽乙女さんは首を傾げながら、じっと私のことを見つめてくる。


「でもでも~。ちょ~~~~らぶらぶに見えるけどな~」


「え?」


 芽乙女さん、そして、周囲のクラスメイトたちからの息をのむような視線。

 その導線を辿っていくと、私の身体に行きついた。もっといえば、下着では隠し切れないほどの……昨日、紅太がつけてくれた紅い花々へ。


「――――っ……!」


 忘れてた。そういえばそうだった。

 手早く体操着への着替えを済ませて、髪を後ろでまとめてしまう。


「うなじ……」


 女子の誰かが呟いた。ああっ……それも忘れてた!

 せっかく隠すために紅太からジャージ借りたのにこれじゃ意味な……いやでも紅太のジャージは着ときたいし、無意味じゃないしっ……!


「いいな~。いっぱい愛されてるんだね~」


 芽乙女さんの言葉で撃沈した後、私は顔を真っ赤にしながら彼氏のジャージの上着を羽織る。


 ただ、その頃にはもう私と紅太のことを『遊び』だとか『からかってる』だとか、そういう声は出なくなっていた。


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