第58話 痕
私たち男女混合リレー組の練習は主にバトンパスの練習や、走り方のコツを教わったり実践してみたりといった内容になった。
「おっ、いいじゃ~ん。センスあるよ加瀬宮さん」
「……ありがと」
正直、このメンツの組み合わせは私だけがアウェーの状況。
疎外感を抱いてもおかしくはないと覚悟していたつもりだったけど、八木の良くも悪くも軽いノリや、練習に集中していたおかげか、思っていたより居心地が悪くなかった。
じゃあ居心地が良かったのかと問われたとして……それも違う。
悪くはない。ただ、しっくりとはこない。ここはやっぱり私のいたい場所じゃなくて、私のいたい場所は他にもあって。
「みんな~。差し入れだよ~」
どうやら借り物競争組がジュースの差し入れを買ってきてくれたらしい。
芽乙女さんの声かけに、クラスメイトたちが集まっていく。
「八木くんたちもおいで~。しゅわ太郎あるよ~」
「マジかー! さっすがめい子! 分かってるぅー!」
一目散に走っていく八木。しゅわ太郎って……炭酸のジュースだっけ。
あれ近くのコンビニには売ってなかったはずだし、わざわざ別の店まで行ってくれたんだ。……紅太と一緒に。
「加瀬宮さん」
差し入れをもらいに行こうとした私を、沢田が引き留めた。
「ん。なに?」
「今日さ。この後、みんなでご飯に行くんだけど加瀬宮さんもどうかな? 太一と凛もいるけど。せっかくクジで同じチームに決まった仲間同士、親睦会ってことで。あ、めい子もいるけど」
「………………」
今までの私なら反射的に断っていただろう。特に何も考えず、ただ拒絶するだけだった。
でもそれだと今までと同じだ。全部ママのせいにしてきて逃げてきた私と。
「……誘ってくれてありがと。でも、やめとく」
だから――――考えた上で、断った。
「……用事でもあった?」
「ないよ。ただ、ごはんを一緒に食べたい人は他にいるから」
「じゃあ、その人も一緒に」
「ごめん。今日は二人で食べたい気分なんだ」
「…………そっか。残念。またの機会にするよ」
「そうしてくれるとありがたいかな」
それから私は差し入れを取りに行こうとして……ふと、立ち止まる。
「……ねぇ。さっき、『せっかくクジで同じチームに決まった仲間同士』って言ってたよね。私をごはんに誘ってくれたのは、『運命』ってやつを大切にしたいから?」
「大切にしたいからっていうか……信じてるからかな。加瀬宮さんは信じてない?」
「……どうかな。『運命』は分からないけど、『偶然』はあると思ってる」
「それは当然あるだろうね。でもただの『偶然』なんて特別じゃない。普通のことだよ」
「そうかもね。『偶然』は普通で、『運命』に比べれば特別じゃないのかもしれない」
運命。その言葉に心がざわついた。私と紅太が出会ったのは、ただの偶然でしかない。
私が一方的に拒絶して、逃げていなかったら……もしかしたらこういう風に、放課後に沢田たちと一緒に楽しく遊んだりする未来もあったのかもしれなくて。
ただの『偶然』は、とても儚くて脆い、薄氷の上に成り立っているもののようにも思えたから。
だからこそ、いつか紅太との関係もアッサリ終わってしまうんじゃないかって……そんなことも考えてしまって、心がざわついた。
それに比べて運命の出会いというのは、とても強固なものなのかもしれない。
運命という力強い糸で結ばれた関係。私が子供の頃に好きだった少女漫画もそういう運命的な恋をしていたし、憧れてたし。
「……でも私は、全部決まってる『運命』よりも、奇跡的な『偶然』の方が好き」
紅太に出会ったのは運命じゃなくて、ただの偶然かもしれないけど。
儚い偶然の出会いだからこそ奇跡的だし、大切にしたいし、何より愛おしい。
「……そんだけ。ごはん、誘ってくれありがと」
なんだか胸の中がすっきりした気がする。もやもやとしていたものが、すっと晴れたような感じ。足取りは軽く、スキップしそうになるのを堪えながら、私はカレシのとこまで一直線に向かって。
「差し入れ、もらっていい?」
「どうぞ」
紅太が手渡してきたのは、私の好きな紅茶だ。
うん。今はスポドリよりもこれが飲みたい気分だった。紅茶を飲んでると、ファミレスで紅太と一緒に居る時の気分になれるから。
「ありがと」
視線が交わったのは、ほんの一瞬。今はただのクラスメイト。……ああ、早く恋人に戻りたいな。
☆
五時になって、放課後の練習会は特に延長することもなく終了した。
清水が時間をきっちりと管理していただけのことはある。他のクラスメイトたちは、そのまま家にまっすぐ帰ったりする者たちもいれば、沢田達のようにどこかの店で夕食を済ませようという者たちもいる。
「じゃ、僕もそろそろ帰ろうかな。本当なら紅太と一緒に晩ごはんでもってとこだけど、それどころじゃなさそうだし」
「どういう意味だよ」
「あははっ。顔に出てるよ。紅太が今、誰に会いたいかは」
それだけを言い残して、夏樹もまた他のクラスメイトたちに紛れて夕方の街の中へと消えていく。
幼馴染に気持ちを見抜かれてたのか、俺が分かりやすく顔に出ていたのか。
どちらの可能性かを吟味しながらスマホの画面を確かめると、通知が一件入っていた。
●kohaku:ごはん、いこ
その愛らしいメッセージに『OK』のスタンプを返し、俺達は別々に歩いてからいつものファミレスで合流した。
「差し入れ、ありがと」
「どういたしまして。……ま、借り物競争組は暇だからな」
席に着いてすぐにタブレットを小白に手渡す。
注文は小白が先にする。その順番がなんとなく、俺達の中で根付いていた。
「今日は運動したし……ちょっと多めに食べよっかな」
「いつも多いだろ」
「言ったなこのやろ。……はい、次どーぞ」
「どうもありがと……まあ、俺も今日はガッツリいくか」
小白と同じハンバーグセットを注文。ドリンクバーも忘れずにつける。
注文は片方ずつだが、ドリンクバーを取ってくるのは二人で一緒に。これも、俺達の中で何となく根付いていたルールだ。別にどちらかがやろうと言い出したわけではない。これまでの俺達の時間の中で築かれてきたもの。
「やっぱりメロンソーダ? さっきも飲んでたじゃん」
「そういう小白だって紅茶入れてるだろ」
「最初の一杯は紅茶って決めてんの」
「俺だってそうだよ」
各々の飲み物歩を確保して席に戻ってきた後、とりあえず乾杯としてグラスを軽くぶつけ合う。
「とりあえず、お疲れ」
「お疲れ……っていうか、こういうのって普通、本番後の打ち上げでやるもんじゃねぇの?」
「まあそうだけどさ。なんとなく。流れで」
ちびちびと紅茶をすする小白。
「……リレーの練習、どうだった? 上手いことやってるように見えたけど」
「……ん。そーだね。思ってたよりは、いい感じかも」
「………………そうか。なら、よかった」
心が狭いな。俺は。今、一瞬、寂しくなった。
もう十分にみっともないところを曝け出したと思っていたけれど、自分の中にまだこんなにも見苦しい心が渦巻いていたなんて思ってもみなかった。
「――――っ」
ばしん、と。両の手で頬を強く叩いた。
「……よし」
「えっ。ちょっ。『よし』じゃなくて、なに? 急にどうしたの?」
「気にするな。こっちの事情だ」
「いや言えし。めちゃくちゃ気になるじゃん」
「……………………」
まだ溶け切っていない氷で冷えたメロンソーダを流し込んで喉を潤す。
小白からの視線に応える形で、鉛のように重くなった口を開いた。
「……………………嫉妬だよ。みっともない嫉妬。小白が上手くやってて嬉しいと思ったけど、同時にちょっと寂しくもあったんだ。すまん」
「謝るようなことじゃないでしょ。それに、私だって…………」
「何だよ」
「…………芽乙女さんと歩いてる紅太を見た時、不安に思ったし」
「…………そっか」
やばい。嬉しい。なんて単純なんだ、俺は。
「…………ごめんね。なんか、私が隠そうって言ったから」
「それも謝ることじゃないだろ。そもそも、周りに言いふらすもんでもないし」
「それはそうなんだけどさ……今日、沢田と話してて分かった気がするんだよね。私が付き合ってることを隠したかった理由。……や。勿論、紅太のことを隠したいってのは本当だけど、そうした理由っていうかさ……」
小白は止まることを恐れるように、残り少ない紅茶の入ったカップを指でなぞる。
「……紅太は、運命って信じる?」
「運命か……さあな。それよりもまだ偶然ってやつの方が信じられるし、そっちの方が俺は好きかな」
運命なんてものがこの世にあるかは分からない。不確定で不確かで、そんなもので自分を決められてしまうのは、あまりいい気分じゃない。それよりも偶然で片づける方がいい。悪いことが起きても偶然ならなんとなりそうな気がするし、逆に偶然で良いことが起こったら、その奇跡が愛おしくなる気がする。
「……そっか。ふふっ。そっか。うん」
小白は俺の回答に一瞬だけ呆けていたけれど、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
なんだ。今の答えの何がそんなに嬉しくなるような要素があったんだ。
「それがどうかしたか?」
「うん。あのね……私と紅太が出会えたのって、偶然でしかないなって、考えることがあってさ。もし少し何かが違ってたら……私達は多分、今ここでこうしてない。恋人にもなってなかったんだろうなって」
それは、俺も考えたことがなかったわけじゃない。
だって小白との出会いは俺にとって奇跡で、かけがえのない偶然だ。
この偶然がなかったらと思うと、ぞっとする。
「…………私さ。多分、怖かったんだよね。偶然っていう、消えてしまいそうな奇跡で繋がった私と紅太の関係が、ある日突然終わってしまうかもしれないことが」
俺達は偶然出会い、偶然恋に落ちた。それはとても素敵なことで、同時に危うく、か細い糸のような奇跡で構成されているもの。
いつか、何かのきっかけで消えてしまいそうなほど、偶然という奇跡は儚く脆い。
「少しでも、何かが違っていたら……だから、紅太を独り占めしたかったのかも。誰の目にも触れないようにして、ほんの些細なきっかけもないようにして、閉じ込めたかったのかも…………って、あー……。何言ってんだろ、私。重すぎて自分でも引く」
「いいじゃんか、別に。俺は小白のそういうところも好きだし」
「……言ってろ。ばか」
もしかしたら小白は、俺が思っているよりも束縛が重いタイプなのかも。
まあ、これまでの家庭事情や家族のことを考えたら、なんとなくしっくりはくる。
「ごめんな」
「えっ。なんで謝ってんの……?」
「小白を不安にさせてたのは、俺の責任でもあるから」
「や。不安とか責任とか、大袈裟でしょ。紅太は何も悪くないし」
「俺がもっと小白を夢中にさせてたら、こんな不安を抱かせずに済んだってことだろ。だから……頑張るよ。小白がそんな不安を抱く暇がないぐらいにするから」
「――――――――……それ、って……」
小白の顔がみるみる赤く染まっていく。紅茶の飲みすぎ、というわけでもないのだろう。
「……家帰ったら、シャワー、先に浴びたいんだけど」
「運動の後だしな。俺も浴びたい」
「……ん。それとさ……………………………………いいよ」
「ん?」
顔を真っ赤にした小白は俯きがちに、か細く小さな声で何か告げる。
「今日は……いいよ…………つけても……」
そして、首筋や鎖骨のあたりを指で躊躇いがちになぞりながら、俺のカノジョはぽつりと呟いた。
「……………………痕」
頬を染め、上目遣いになって、とんでもない許可をくれたカノジョに、思わずいじわるなことを言ってみたくなった。
「楽しみにしてる」
「……っ。でも、私だって紅太につけるからねっ」
「それも楽しみにしてる」
「~~~~っ。なんか、いつも私ばっかりやられてる気がする……っ!」
さっきよりも一段と紅くなった顔のまま悔しがるカノジョは、可愛らしいことこの上なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます