第57話 差し入れ

「借り物競争の練習って、何すればいいんだろうね?」


 夏樹の至極真っ当な疑問は、俺達『借り物競争グループ』の全員が抱いているものだった。


「うーん。一応、沢田くんから送られてきた練習メニューはあるけど」


 夏樹の疑問に応じるようにスマホの画面を見せてきたのは、同じ借り物競争に選ばれた津村秋穂だ。俺はクラスメイトであること以上の面識はないものの、夏樹の友達の一人ではあるようだ。本当に顔が広いな。俺の幼馴染。


「ランニングやスクワット、アンクルホップ……体力と瞬発力を鍛えようってメニューだな。でもまあ、ぶっちゃけ借り物競争って本番勝負だし……あんまり意味ない感じがするんだけどな」


「僕も紅太の意見に一票かなー。というか、沢田くんも清水さんも借り物競争の練習には困ったんだろうなぁって感じがこの練習メニューから伝わってくるよ」


「あはは。それは確かに……ていうか、ウチらだけ手持無沙汰な感じするよねぇ」


 と、津村が探るような目を向けた先にいたのは、俺達と同じ借り物競争のメンバーである芽乙女めい子だ。いつもは沢田達トップグループにいる彼女だが、同じトップグループにいる八木の勧めでこの借り物競争メンバーに入ることになってしまった。


 同じ女子ではあるが、津村は普段から芽乙女と交流があるわけではないのだろう。

 ましてや相手はカーストトップの、言うなれば教室における王族のようなもの。その影響力は計り知れず、機嫌を損ねれば学生生活に泥がつきかねない。コミュニケーションに慎重になるのも無理はないだろう。


「ん~……練習しないなら、差し入れとかど~かな~」


「え?」


 芽乙女からの反応レスポンスが返ってくるとは思ってもみなかったのだろう。

 津村だけではなく、俺と夏樹もまた驚きが顔に出てしまった。


「みんな放課後の時間を使って頑張ってるし、差し入れとかあると、喜んでもらえると思うけどな~。少なくとも、めい子だったら嬉しいかも~」


「……差し入れか」


 その言葉に反応して、つい視線が小白の方へと向く。何か沢田と話しているらしく、その光景に胸が嫉妬に疼いた。あの二人は、並んでいるだけで絵になる。そんな感想が頭の中に浮かんでしまった。


「ま、いいんじゃないか。ダラダラ練習して時間を無駄にするよりも、誰かに喜んでもらえることに使った方が有意義だ」


 つい目を逸らしてしまう。逸らしてしまったのは、小白に気づかれたくなかったからだ。

 こんな子供っぽい嫉妬をしている自分を。こんな醜い感情を抱く、情けない自分を。


「じゃ、買い出しはみんなで行く? 人数分買うなら人手はいるだろうし」


「あ、だったら手分けしてほしいかも~」


「手分け? 四人で近くのコンビニに買いに行けばいいんじゃないの……?」


 津村の疑問に、芽乙女はのんびりとした仕草で首を横に振った。


「ううん。えっとね~。近くのコンビニって~、ゼロイレでしょ~? あのコンビニ、しゅわ太郎が売ってないんだよね~」


「しゅわ太郎って……炭酸のジュースだよね? こういう時の差し入れって普通スポドリとかじゃない?」


「八木くんは部活が終わった後に、しゅわ太郎を飲むのが好きなんだよね~。それに凛ちゃんは、フレマのミルクティーが好きだし~。できれば、そっち持って行ってあげたいな~って」


「ああ……八木くんと清水さんの……」


 普段から仲良しの友人に対する気遣い、穿った言い方をすれば贔屓か――という津村の心の声が聞こえてきそうだ。実際、俺も似たようなことは感じてはいるけど。


「あと、五十メートル走にいる楠田さんはこの前フレマで出た桃のフルーツジュースが好きって言ってたし~。二人三脚に出る田中くんはフレマの紙パックのジュースが好きなんだって~。それとね~……」


 と、芽乙女はつらつらと他のクラスメイトの好みを挙げていく。

 普段から絡んでいる沢田たちのものだけではなく、あまり関わり合いの無さそうな他の生徒の分まで。これには俺も、そして津村も驚きを隠せなかった。


「だから~。フレマ組とゼロイレ組で手分けするのがいいと思うんだよね~。男子の手も借りたいから~……めい子と成海くん、津村さんと犬巻くんで分担する感じでどうかな~」


「う、うん……ウチもそれがいいと思う……」


 普段からのんびりとしている印象の芽乙女とは思えぬ提案に、津村は言われるがままに頷いていた。そして俺と夏樹からは特に反対もない。


 その後、俺と芽乙女のフレマ組、夏樹と津村のゼロイレ組に別れて、俺達は差し入れの買い出しを行うことになった。

 俺と芽乙女は夏樹達とは違う方向の出口から公園を出て、フレマまで徒歩で向かう。

 夏樹達の買い出し先であるゼロイレに比べると、俺達が向かうフレマはほんの少し距離がある。その僅かに道のりを往き、コンビニの店内に入るまでの間で、俺は芽乙女めい子という生徒の評価を改めていた。


(…………正直、意外だったな。あそこまで周りを見てるなんて)


 どちらかというとマイペースで、周りのことなんか気にしないやつだと思っていた。


「しゅわ太郎、確保~」


 それも多分、俺が今まで家族からも周りの人間からも逃げてきたから、分からなかったことでもあるんだろうな。


「えっと、カゴは~……」


「カゴなら俺が持ってるから、どんどん入れてくれ」


「おっ、気が利くね~。ありがと~……って、あれ? 成海くんが持ってるの、紅茶? それ美味しいよね~。成海くんも飲むの~?」


「……いや。俺じゃない」


 頭の中に浮かんだのは、愛しい人の顔。


「他のやつの分」


「ふ~ん……?」


 その後、必要な分の差し入れをつつがなく確保した後、レジで支払いを済ませる。


「あ、あれ? 差し入れ、言い出しっぺのめい子が払うって話じゃなかったっけ~……?」


「割り勘でいいだろ。少なくとも俺と夏樹は払うし。お金は後で夏樹達と合流した時でいい」


「あ、じゃあ袋……」


「いいよこれぐらい。大した量じゃないし」


 実際、クラスの全員が参加しているわけでもなく、夏樹達と分担している。

 袋の中に入っている飲み物の量は大したものじゃない。筋トレ代わりになって丁度いいぐらいだ。


「それより、早く戻った方がよくないか。ジュースがぬるくなっても嫌だし」


「…………ん。ありがと~」


 そして俺たちは、公園までの少し長い帰路についた。

 来た時と同様に最初は無言で歩いていたけれど、しばらくしてから芽乙女が口を開いた。


「なんかごめんね~。こっちの道、遠いしさ~」


「別に謝るようなことはしてないだろ」


「でも、成海くんをこっちに選んだの、めい子だし」


 あれはただ、夏樹より俺の方が芽乙女の近くにいたからだと思っていたけど。

 ……選んだ?


「成海くんさ~。『誰かに喜んでもらえることに使った方が有意義』って言ってたでしょ~? なんかさ~。真理子まりこお姉ちゃんも、同じこと言ってたから~。興味出ちゃってさ~」


「へぇ。お姉さんがいたのか?」


「あ、お姉ちゃんって言っても、姉妹とかじゃないよ~? めい子の家の隣に住んでる、中村真理子なかむらまりこさんっていう大学生のお姉さんで~……う~ん……幼馴染、みたいな感じかな~」


 ああ、なるほど。お隣さんのことを『お姉ちゃん』と呼んで慕っている、と。そういう話か。


「真理子お姉ちゃんはね~。すごいんだよ~。めい子にたくさん優しくしてくれて、勉強もみてくれてね~。今の学校に入れたのも、真理子お姉ちゃんが家庭教師してくれたからなんだよ~」


 どうやらその『真理子お姉ちゃん』とやらを相当、慕っているらしい。

 言葉の節々から喜びや嬉しさのようなものが滲み出ている。


「運動も得意でね~。あ、うちの学校のOGなんだけど~。体育祭の男女混合リレーで、アンカーを走ったんだよ~。めい子、その時のリレーを見てたんだけどさ~……もう、ちょ~~~~~~~~かっこよくてね~! めい子も高校生になったら、ぜったいぜったいぜ~~~~ったいにリレーに出る! って、決めてたんだけど~……」


 それまで嬉しそうに『真理子お姉ちゃん』のことを語っていた芽乙女だが、その喜びもなぜか徐々に消え失せていった。


「……あはっ。ほら、めい子、あんまり運動得意じゃないしさ~。一年生の頃は他の子に反対されて、出れなくて」


 ふと、体育祭の出場競技を決める時のことを思い返す。


 ――――めい子も出た~い。

 ――――やめとけって。お前、足遅いんだから。

 ――――借り物競争とかいいんじゃない?

 ――――え~。


 ……そういえば。最終的にくじ引きになったものの、芽乙女も出ようとしてたっけ。

 くじに外れて、結局は八木に勧められた借り物競争になってしまったけど。


「今年はくじに外れちゃったし……まあ、仕方がないよね~。めい子、昔っからどんくさいし。仮にくじで当たってたとしても、みんなに迷惑かけちゃってたかもだし~。むしろ出られなくてよかったかも~」


「よくはないだろ」


 反射的に口を挟んでしまった。自分は不出来だからと、諦めたような口ぶりに覚えがあって。その諦めを否定したくて。


 芽乙女のためじゃない。ただ……幼い頃、親父に全てを決めつけられていた自分を重ねてしまった。小白と出会って変われた現在いまの自分で、過去の抑圧を否定したかった。


「昔から憧れてたんだろ。この学校で、近所のお姉さんみたいにリレーに出るの。自分を卑下してその憧れまで諦めることないだろ。だから……出られなくてよかった、なんて寂しいこと言うなよ」


 寂しい。そう。寂しい言葉だ。芽乙女の言っていることは。

 どこかに逃げるわけでもなく。ただ、その場で立ち止まっている。

 それは――――寂しい。


「あは……そんなこと、はじめて言われたかも」


「ご自慢のお姉ちゃんは言ってくれなかったのか」


「言えないよ~。こういうこと、お姉ちゃんには」


「見栄っ張りなんだな」


「うん。そうかも~」


 嬉しそうな声。俺は今、芽乙女の前を歩いているから、実際にどんな表情をしているのかは分からないけど。まあ、少なくとも、さっきまでの寂しさのようなものは消えている気がする。


「こんな差し入れとか買ってる場合じゃなくてさ、もっと走る練習でもしたらどうだ」


「でもリレーには……」


「来年があるだろ。それまでに走る練習でもしてたらいい。一年あればなんとかなるかもしれないし」


「練習…………うん。そうだね~。がんばってみる」


 たたた、と背後から小走りしてきたような音が聞こえてきて、それが止まった頃には芽乙女は俺の隣を歩いていた。そして彼女は、ジュースの入った袋の取っ手を片方、握ってみせた。


「はんぶんこ~」


「別にいいって」


「めい子だって持ちたいな~。なんか今、そ~いう気分~」


 今にもスキップしそうな歩調。意外と周りは見ているけれど、やっぱりマイペースはところも確かにあるようだ。


「ありがとね、成海く~ん」


「…………? お礼言われるようなこと、してないけど」


「したんだも~ん」



――――――――――――――


早ければ明日、遅くとも数日中には次の話を更新できればと思います

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