第56話 運命と偶然

 放課後――――いつもだったら、ファミレスに行って紅太を待ってたり、紅太と一緒に遊びにいったり、紅太のバイト先に顔を出してみたりしてる時間。


 加瀬宮小白わたしという人間にとって、とても大切で、愛おしいひと時を送っているはずの時間。


 だけど私は今、そのどれでもなく。そして恋人と二人だけでもなく。

 クラスメイトたちと電車で移動し、移動先の駅付近にある公園を訪れていた。

 ここは都内でも有数の敷地面積を誇る公園で、クラスのメンバー全員で練習する場所としては申し分ないという理由で選ばれた。


 そう。この放課後に行われていているのは、沢田が提案した体育祭に向けた練習会だ。

 この練習会は強制参加じゃない。部活動や個人的な用事のある人はそっちを優先してもいい。だけど沢田の人望もあるのか、部活動に入っている人を除いたクラスメイトの参加率は百パーセントだ。


 そこには私や紅太、犬巻も含まれている。

 本当ならあまり参加したくはなかった。というか、私は体育祭に対するモチベは低い。


 …………体育祭のジンクスのことが頭から離れないからだ。


 サボってもよかった。一学期の頃の私ならそうしてた。

 でも、夏休みに私は決めた。自分なりに頑張ると。自分の傷を全てママのせいにしないために、少しでも大人になっていこうと。


 だから、自分が気に食わないからってサボるようなことはしたくなかった。

 愚痴ってたのは……子供っぽいなとか、思ってたけど。うん。それぐらいは許してほしい。全員がそうと言うわけじゃないけど、恋人との時間を削られるのは大人でも嫌な人はいるだろうし。


「よーし。じゃあ、この後は各競技に別れて練習開始ってことで。時間はとりあえず、五時までな。練習はまずストレッチを入念にしてくれ。水分補給も忘れずに。それと、練習メニューを作ってみたから、参考にしてくれ。クラスのグループメッセに貼っといたから」


「やけに張り切ってるじゃん猛留」


「やるからには全力でやらないとつまらないだろ」


「お前そういうとこは真面目だよなー。部活サッカーもそうだけど」


「そういう太一はサボりすぎ。せっかくやればできるんだからさ、やらないと勿体ないぞ」


「マジ? リレーで本気出せばモテる? 女子から告白されちゃったり?」


「されるよ。太一は良い奴だし、お前の良いとこをみんなが知れば好意を持たれても不思議じゃないよ」


「具体的な良いとこプリーズ!」


「真っすぐで気持ちのいいとことか、意外と誠実なとことか」


「おっ、猛留分かってるじゃん! よっしゃ! いっちょ一肌脱ぎますか……って、『意外と』ってどーいう意味だよぉ!」


 ウチのクラスの中心人物二人――――沢田と八木の周りは盛り上がっている。

 ……確か沢田と八木はサッカー部だったらしいけど、沢田は言い出しっぺは自分だからと部活を休んでいる。八木はそんな沢田についていく形で同じく休み。あの様子を見た限りだと、単純に部活を休みたいだけかもしれない。


 沢田は……犬巻から聞いた話だと、次期サッカー部部長は間違いないとか言われてるだけあって、リーダーシップがある感じ。クラスのみんながこうして放課後の練習会に意欲的に参加しているのも、沢田の力が大きいのだろう。


 私個人としては、あまり良い印象のある男子じゃないけど。

 ていうか、いたなぁ……小学生の時にも中学生の時にも、ああいう人気者の男子。

 ああいう男子がいると、だいたい私には厄介ごとが降りかかってくる。


「加瀬宮さん」


 沢田たちのことを遠巻きに眺めている私のもとにやってきたのは、清水さん。

 いつも沢田や八木と一緒にいる、人気者グループの一人。

 運動のためか、肩にかかるぐらいの黒い髪を今は後ろで束ねている。こうして近くで見てみると……その髪もつやがあってサラサラで、毎日丁寧に手入れされていることが一目で分かった。


「クラスのグループメッセ入ってなかったでしょ? これ、私と沢田くんで考えた練習メニュー」


 そういえば清水さんもサッカー部でマネージャーやってるんだっけ。だから一緒に考えたってことなんだろうけど……今のは牽制かな。

 わざわざ沢田と一緒に考えた、と言ってるあたり。つまり要約すると『私はあなたよりも沢田くんと距離が近いから』ということで、それを見せつけているって感じかな。


「あー……うん。ありがと」


 とりあえずスマホの画面に表示されている練習メニューを見せてもらう。

 はぁ……予想はしてたけど、やっぱりか。


 ――――清水さんは沢田のことが好きで、私のことを警戒している。


 確たる証拠はない。これは私の勘だ。でも、こういう勘はよく当たる。なにせこういう厄介ごとが降りかかってきた経験だけでいえば、私は多分、お姉ちゃんにも負けない。


 小学生の時も中学生の時もそうだった。

 人気者の男子に好意を寄せている女子はたくさんいて、そういう女子が警戒するのは、いつも私だった。クラスで私以外の女子はみんな仲良し、なんてことも珍しくなかった。高校に入ってからはとにかく周りを拒絶してきたからかなりマシになった。色恋沙汰で敵視されるよりは全然良い。


「……加瀬宮さん、断るかと思ってた。こういう練習会とかさ」


 その反応はある意味、当然だ。

 確かに一学期までの私だったら確実に断っていただろうから。


「……これからは、頑張ろうかなって思ったんだよね。色々なこと」


 嘘じゃない。本心だ。体育祭のジンクスのこともあって嫌だったけど、それでも頑張るって決めた。


「ふーん……そ。一人で頑張ってね。何のことか知らないけど」


 それだけ言うと、清水さんは私に背を向けて沢田と八木の方へと向かっていった。


「……ストレッチしとこ」


 怪我したくないし。身体を動かしてれば時間も過ぎてくかもだし。


(久々かも……こういう敵意とか、牽制とか)


 今の私には宇宙一素敵なカレシがいて、そのカレシに溺れてしまうぐらい夢中なのに…………いや。違うか。今の私だからこそ、こうやって牽制してくる清水さんの気持ちが分かる。


(そうだよね。好きな男子がとられるかもしれないのに、じっとしてらんないよね)


 てかどうしよう。いっそ、清水さんには言っちゃおうかな……私にはカレシがいるって。勿論、紅太の名前は伏せて。清水さんは沢田のことが好きなわけだし、紅太のことを知っても……あ。でも私から紅太に秘密にするって言いだした手前、勝手にその約束を破るのは気が引けるかも……あとで紅太に相談してみようかな。


「加瀬宮さん」


 一人でストレッチをしながら考え事をしている私を呼びかけたのは、沢田だった。

 清水さんとすれ違う形でやってきたのだろうか。ああ……これでまた清水さんに睨まれそう。というか、既に沢田の向こう側から湿った圧を感じる。


「もう準備運動はよさそう?」


「ん。十分」


「そっか。じゃ、オレも急いでやらないと」


 私の様子を見に来たのだろうか。それとも練習を始めるから呼びに来たのか。

 だけど沢田が次の言葉を発することはなく、なぜかここでストレッチをはじめた。

 ……待っている義理もない。というか、沢田の傍にいるとまた買いたくもないやっかみを買うことになる。


「加瀬宮さんが来てくれるとは思わなかったよ」


 身体を動かしながらかけられた言葉に、反射的に足が止まってしまった。


「体育祭の練習とか、断ると思ってたし」


「……それ、清水さんにも言われた」


「なんて答えたの?」


「これからは色々なことを頑張ろうと思ったから、って答えたけど」


「へぇ……変わったね。加瀬宮さん」


 それは知ってる。だって、私を変えてくれた人がいるから。


「中学の頃を考えると、凄い変化だよ」


「…………そういえば、あんたと同じ中学だったっけ」


「そうだよ。クラスは被ったことないけどね」


 それも知ってる。というか、中学時代に沢田のことを好きな女子に目をつけられたことがあるから、私から見た沢田猛留という男子は、私に厄介ごとを運んでくる奴という印象が強い。だからこそ、一学期の頃にわざわざ話しかけられてきた時の心中は穏やかではなかった。紅太に愚痴りたくなるぐらいには。


「あの頃の加瀬宮さんは、周りの人間に嫌気がさしてたって顔してた」


 沢田の言っていることは事実だ。中学の頃の私は、周りの人間に嫌気がさしていた。高校からは対応を徹底して拒絶にふって人除けをしていたおかげか、二年生になったあたりは落ち着いてたけど……今思えば、中学時代は私にとって拒絶のピークだったのかもしれない。


「それがなに?」


「知りたいんだよ。そんな君が、どうして変わったのか」


 それを教える義務はないと、私が言うよりも先に、沢田は言葉を挟みこむ。


「オレも、加瀬宮さんに似たところあるから」


 似てる? 沢田と私が?

 そんな私の疑問が顔に出たのだろう。沢田は苦笑しながら、続きを話し始めた。


「オレには年の離れた兄がいるんだけどね。加瀬宮さんのお姉さんほどじゃないけど、これがまた出来が良くてさ。中学、高校で成績トップは当たり前。人望も厚くて、野球部のキャプテンを務めてた時代には甲子園にも行ったりしてさ。子供の頃からよく比べられたよ」


 出来の良い兄。比べられる弟。どこかで聞いたような話だ。


「でもあんたはそつなくこなしてるでしょ」


「そう見える?」


「少なくとも、私の目からは」


「ははっ。残念ながら、オレの親はそう思ってないよ。学年一位は来門さんにとられっぱなしだし、サッカー部だって全国大会に出場できるってほどじゃない。中学や高校だって、親の希望通りじゃないしね」


 私の目からはそつなく色々なことをこなしているように見えたけれど。沢田にも色々な事情があったらしい。


「……だから、中学の頃から加瀬宮さんのことは気になってたんだ。加瀬宮さんのお姉さんが有名人なのは知ってたし、そのせいで色々と嫌な思いをしてきたことも知ってる。シンパシーっていうのかな。それを感じてた」


「――――……」


 それは。きっと、私が紅太に感じていたものと同じ……いや。同じじゃないのかもしれない。どちらかというと、沢田の味わってきた劣等感や無力感は、紅太よりも私にずっと近い。


「ずっと加瀬宮さんには声をかけてみたかったんだけど、タイミングがなくてさ。今回、クジ引きでメンバーが決まった時はちょっと運命的なものを感じてたりもしたんだ」


 ……運命、か。その言葉には心がざわつく。

 たまに考えることがあるからだ。もしあの店を、ファミレスを、選んでいなかったらって。

 きっと私と紅太は出会っていない。こうして恋人になってはいない。


 私達のはじまりは、ただの偶然でしかない。


 なのに沢田は『運命』という言葉を口にする。『偶然』よりも強固なものであるかのように。それが……どうしようもなく、心をざわつかせる。


「――――さて。ストレッチ終わりっと。加瀬宮さん、練習はじめよっか」


「…………ん。分かった」


 なんとなく、公園の中を見渡す。紅太の姿を探す。ざわつく心を落ち着かせるように。

 いつもならすぐに見つけられるはずの姿はなかなか見つからなくて、視界の端に過ぎったそれを捉えられたのは偶然だ。


「――――……紅太?」


 紅太は練習場所であるはずの公園の出口に向かって歩いていた。

 一人じゃない。二人で。誰かと一緒にいる。しかもそれは、犬巻じゃなくて……紅太と同じ借り物競争のメンバーの、女子で……名前は、確か――――。


(芽乙女めい子、だっけ……)



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