第55話 拗ねるカノジョ
――――体育祭のメンバー決めが行われたのは、小白と話した数日後のことだった。
体育委員がメンバー決めの司会を行っていく中、クラスメイトたちの熱意は高いとはいえなかった。無論、運動に対する自信や、やる気のある生徒たちは一部にいたものの、積極的にクラスをけん引していくほどの熱意があるわけでもなく。
緩慢な空気で進行される中、ついにその時が訪れた。
「じゃあ次は……男女混合リレー。出場したい人はいますか?」
来た、と思ったのだろうか。こちらに視線を向けてきた小白と目があった。
ここで手を挙げて男女混合リレーに参加する。正直この空気の中で自発的に挙手をして名乗り出るのは恥ずかしさがないわけでもないし、むしろこのままやり過ごしたくはあるけれど、小白の釘を刺すような視線がそれを許してくれそうにない。
そして、小白と一緒に手を挙げようとした、そのタイミングで――――
「リレーかぁ。オレ、出ようかな」
沢田猛留の挙手で、教室の空気が明らかに変わった。まさに『一石を投じる』という言葉が相応しいほどに。
「じゃあ私も出ようかなぁ」
「俺も出る出る!」
「めい子も出た~い」
「やめとけって。お前、足遅いんだから」
「借り物競争とかいいんじゃない?」
「え~」
「沢田くん出るなら私も!」
「私も出たーい」
「希望者多くね?」
「ジャンケンとか?」
「やだなー。俺ジャンケン弱いし」
「くじ引きにでもする?」
先ほどまでの緩慢で退屈そうな空気から一変し、教室中のクラスメイトがざわめきだした。それはもう怒涛の勢いで、真っ黒なオセロが一斉に白へと裏返っている光景を見ているかのようだった。
で、結局――――公正にして厳正なクジ引きの結果、俺は借り物競争に、小白は当初の希望通り男女混合リレーのメンバーとなった。そしてそのすぐ直後、小白から即座にメッセが飛んできた。
●kohaku:きて
●kohaku:昼休み
●kohaku:あいたい
おまけのスタンプ付きで、まさかの呼び出しがかかった。
学校で他人のフリするのはどこいった、と思わず苦笑してしまったが、学校の中で会えること自体は嬉しいので断る理由もない。
●紅太:場所は?
返事がない。周りに見つからないように会える場所について考えるよりも前に、反射的にメッセを送ってきたということなのだろう。しかし、どうしたものか。俺も見つからずに過ごせる場所に心当たりはない。
「ねぇ、紅太」
「ん?」
スマホを片手に考えていると、夏樹がちょいちょいと指で促してきたので、耳を近づける。すると、手で口元を隠しつつ、周りに聞こえないように配慮したような小声で話し始めた。
「もしかして加瀬宮さんとの密会場所でも探してる?」
「……なんでわかった?」
「そりゃ分かるよ。ずっと紅太のことを見てたらね。加瀬宮さんと目を合わせてたし。大方、一緒に男女混合リレーに出ようとしてたけど失敗しちゃったから、紅太と会いたいってメッセがとんできたってとこじゃない?」
「正解。百点」
「あははっ。やっぱり。で、条件付きなら密会場所に心当たりがあるんだけど」
☆
「まさか生徒会室とはなぁ……」
悪戯っ子のような笑みを浮かべた夏樹の提示してくれた密会場所。それは生徒会室という、この学園の中枢とも呼ぶべき拠点だった。
「けど夏樹、よく生徒会室を抑えられたな」
「なに言ってんのさ。僕たちは生徒会長と机を囲って勉学を共にした仲でしょ?」
来門さんか。確かに勉強は教えてもらったから知り合いというカテゴリーには入るだろうけど、ゴリゴリの私用で使うから生徒会室を貸してほしい、なんてお願いは俺には出来そうにない。
「いつも思うけど、夏樹のコミュ力ってホントどうなってんだ」
「必要なのは経験と思いやり、あとは度胸と勇気かな」
「参考になったよ」
遠くから微かに聞こえてくる昼休みの喧騒を流しながら歩き、辿り着いた生徒会室の扉を開ける。鍵はかかっておらず、数年前に交換したという真新しい扉は力に逆らうことなく滑らかにスライドした。
教室とは違う紙やインク、備品のパソコンの匂いに包み込まれた部屋に入ると、事務所の机に突っ伏すふわふわとした金色の塊が一つ。というか俺のカノジョがいて、そんな小白の頭をよしよしと言わんばかりに来門さんが撫でていた。
「いらっしゃい」
「あー……どうもご迷惑をおかけしております?」
「迷惑ってほどじゃないから気にしないで」
「そう言ってくれると助かる」
黒髪のクールな生徒会長様にあやされている金髪少女。
この二人の関係は結構、謎だ。今度、小白に訊いてみようかな。
「好きな席に座って。他の役員が来ることは滅多にないから」
「はいはーい。僕ここにしよーっと」
と、来門さんの向かい側に座る夏樹。俺はその隣、机の上に突っ伏して来門さんに頭を撫でられている小白の向かい側に座る。
「悪いな来門さん。急に生徒会室を開けてもらって。……つーか、大丈夫なのか? 俺ら部外者だけど、使っちゃって」
「気にしないで。わたし、普段から昼休みはここでお昼を食べてたし、ここは生徒会室よ。用事のある生徒が来たって何もおかしくないもの。あまり大っぴらに言いふらされるのは困るけど」
つまり建前を守っていればOKというわけか。
だから夏樹も提案してくれたんだろうが……むしろよくそんなルールを知ってたな。
「ところでカレシさん。愛しのカノジョを慰めてもらえる? そろそろわたしも腕が疲れてきたし、愚痴を聞くのも飽きてきたから」
「任された。おい小白、そろそろ起きろ。昼飯、食っとかなくていいのか」
「…………………………食べる」
のそり、と起き上がる小白。傍に置いていた包みをのろのろと開き、弁当箱を開封する。
それを合図に俺や夏樹、来門さんも各々の昼食を取り出した。
「成海くんのお弁当、美味しそうね」
「ああ、最近は妹に作ってもらってるんだ」
琴水は父親と自分の弁当を毎朝作っている。その流れもあり、最初は俺の弁当も作ると申し出てくれていたのだが、俺がそれを断っていた。義理の妹に対して借りを作りたくないというのと、家族と関わることから逃げ出していたからだ。
だが二学期が始まり、俺は琴水に弁当を作ってもらうようにお願いした。そしてあいつは、それを快く引き受けてくれた。
「例の義妹さん? もうすっかり仲良しなのね」
「仲良し……かは分からないけど、まあ家族らしくはなってきたとは思うよ。ただこの弁当に関しては妙な感じで引き受けてくれたんだよな」
「妙な感じって?」
「や。『参考資料にさせてもらってますから』って、ちょっと後ろめたそうにしてるんだよな。何のことかよく分からないんだけど」
「そりゃ家族に秘密の一つや二つあるだろうしねぇ」
「そういう犬巻くんは、コンビニで買ってきたパン?」
「うん。僕がパン好きなんだよね。特にコンビニは色んな新商品をチェックしてるよ。最近食べた中で一番よかったのは、桃とスイカとからしマヨネーズがかかった、期間限定真夏のレッドピーチパンかな」
「聞いてるだけで食欲がなくなりそうな一品ね」
「同感だ」
夏樹の味覚は独特だからなぁ……どうしてこうなってしまったんだと夏樹の母親も頭を悩ませていた。
「でも悲しいことに、僕が好きなパンって二度と発売されないんだよね」
「企業からしたら死神のような存在ね」
「ちぇーっ。言ってくれるなぁ。そういう来門さんのお昼は……うん。至って普通のお弁当……に、見せかけて、栄養バランスも計算し尽くされた完璧弁当だね。自分で作ってるの?」
「ええ。自分で作るしかないから」
…………自分で作るしかない、か。
来門さんも家で何か……いや。他人の家の事情に安易に踏み込むのはよくないか。
小白の時が例外中の例外だっただけだ。
「でも、小白だって最近は自分で作ってるでしょ?」
「へぇー。そうだったの?」
「ああ。家のことはできるだけ自分でやるようにしてる……らしい」
「……ん。まあ、琴水ちゃんとか紫織ほど上手くはないけどね。お姉ちゃんは褒めてくれるけど、あんなヤバい目ぇしてる人の評価はアテんなんないし」
まあ……黒音さんなら、小白の手作り弁当を受け取ったらそりゃヤバい目もするだろう。
「てか…………あ~~~~~~~~……ほんっとサイアク……なんでよりによってリレーと借り物競争に……」
「さっきからずっとこんな調子?」
「さっきからずっとこんな調子」
「本当にご迷惑をおかけしました」
「どういたしまして」
俺の問いに淡々とした顔で応える来門さん。
「なにその反応。こっちは真剣なんだけど。てか紅太、『体育祭の競技ぐらいでそこまで落ち込むなよ』とか思ってるでしょ」
「…………正直、体育祭の競技ぐらいでそこまで落ち込むなよ、とは思ってる」
「……………………」
「蹴るな蹴るな」
拗ねたように、長机の下でぽこぽこと軽く蹴ってくる小白。もう慣れたもんだけど、相変わらずカワイイ反応だ。
「紅太も来門さんも淡白だなぁ。僕は加瀬宮さんの気持ちも分かるけど」
夏樹はパンを咀嚼して呑み込み、紙パックのコーヒー牛乳に口をつけて喉を潤すと、再び口を開いた。
「なんたって、体育祭のジンクスがあるからね」
「そりゃアレだろ? 去年教えてくれた、『男女混合リレーに出場したカップルは将来必ず結婚する』とか、『カップルの片方ずつが男女混合リレーと借り物競争に出場すると、それぞれに新しい恋人が出来る』……とか。そういうやつ」
「そ。僕もあれからちょっと気になって調べてみたんだけど、そのジンクスって結構バカにできないみたいなんだよね。少なくとも僕が確認できた過去二十年分の範囲だと、今のところ的中率百パーセントみたいだし」
「えっ。うそ。やだ」
一気に小白の顔が青ざめる。……正直、俺も驚いた。いや一番驚いたのは過去二十年分も調べ上げた夏樹の方なんだけど。
「夏樹。人のカノジョをからかうなよ」
「あははっ。ごめんごめん。加瀬宮さんの反応が面白くってさ」
「確かに。小白は元々、面白い子だったけど、成海くんと関わるようになってからは特にそうかも」
「ねー。教室ではあんなにもクールでトゲトゲしてたのに、今じゃ紅太にデレデレだもん。ジンクス一つに振り回されてるところも想像できなかったなー」
「中学時代の写真あるけど、見る?」
「興味はあるね」
「おいこらそこの二人。勝手に人の写真をシェアしてんな」
「俺も見せてもらっていいか?」
「ちょっ……!?」
「あとで送ってあげる」
「紫織!」
うーん。このメンツにおける小白の立ち位置が固まってきた感じがする。
主にいじられ役という方面で。
「……ジンクスの真偽はともかくとして。そこまで嫌がるなら、辞退すればよかったのに」
来門さんの至極真っ当な意見に、俺達は揃って苦笑した。いや、小白だけはふてくされたように、むすっと頬を膨らませる。
「そうだねぇ。加瀬宮さんはそうするつもりだったみたいだけど、辞退する前に沢田が手早く決めちゃったんだよね」
「まあ、時間もなかったし、それまで結構だらけてたからな。体育委員から司会を乗っ取って、一気に手早く決めちゃったんだよ。文句も辞退もナシってことにして、ちゃちゃっと資料も作って先生に報告も済ませる手際の良さには感心したぜ」
「あら。それだとクラスメイトから反感を買ったんじゃない?」
「ところがどっこい。そこは我らが二年生男子の頂点、
「約一名を除いてな」
それが小白であることは言うまでもない。
「…………………………(むすっ)」
で、うちのお姫様はまだご機嫌斜めといった様子だ。
「経緯は分かったけど、決まったことは仕方がないんじゃない? 小白はどうしてここまで拗ねてるの?」
「あー……小白の機嫌が悪いのは、リレーに出ることに対してじゃないんだよ」
「沢田を中心にまとまってみんなやる気が出ちゃってさー。うちのクラス、部活動や用事がある人たち以外は放課後に自主練することになったんだよね。ちなみに、今日の放課後からさっそくスタート」
「ああ、なるほど。成海くんとの放課後デートの時間が削れるから拗ねてるのね」
「…………そうだけど。悪い?」
「だそうよ、カレシさん」
「あとでたくさん慰めとくよ」
「あら頼もしい」
来門さんは口元で小さく笑うと、食べ終えて空になった弁当箱を淡々と片付け、席を立った。
「ごちそうさま。わたしはもう行くわ」
「来門さんのクラス、次は移動教室だもんね。僕もごちそうさま」
他のクラスの時間割も把握しているのかよ……まあ、夏樹なら普通か。特別驚くことじゃないな。
「じゃあ僕、他の友達のとこに顔を出しに行くよ」
「生徒会室はこのまま空けておくから好きに使って。鍵はかけなくて大丈夫だから」
それだけを言い残すと、夏樹と来門さんの二人は足早に生徒会室から去っていった。
残ったのは俺と小白の二人だけ。生徒会室という部屋に、二人きり。
「…………気を遣ってくれたのかな」
「多分そうだろ。夏樹も来門さんも、そういうのに聡いし」
「…………………………………………なんか」
「『私だけ子供っぽすぎて恥ずかしい』か?」
「先読みすんな」
「小白が分かりやすすぎるんだよ。そういうところが可愛いんだけど」
だから今、目の前のカノジョがどうしたいのかも、何となく分かる。
「小白」
「…………」
「こっち、おいで」
「…………ん」
向かい側に座っていた小白は、そそくさと席を立つと、そのまま速足で、先ほどまで夏樹が座っていた、俺の隣の席にちょこんと腰を下ろした。
ただ、それだけ。生徒会室なので、来門さんに迷惑をかけないように自重はしつつ。俺はスマホの画面を眺めながら、小白との時間に浸っていた。学校では他人のフリをするというルールだけれど、今この時間だけはそれを忘れられる。
窓の隙間から、風や校庭で遊びに興じている生徒たちの喧騒が聞こえてくる。
そうした心地良いひと時を小白と共に過ごすことができるのが、たまらなく幸せだ。
「なんかさー……私、最近ちょっと浮かれすぎてるのかな?」
「いいんじゃないか? 浮かれてて。見てる分には可愛くて好きだし」
「見てるだけって……よく言うよね。見てるだけで済んでないくせに」
「可愛すぎる小白が悪い。そもそも、そっちだって散々煽って来ただろ」
「う…………そ、そんなことよりさっ」
露骨に話題を変えたな。不利だと悟ったか。
「紅太は……やっぱり、気にならないの? 体育祭のジンクス……」
「借り物競争と男女混合リレーに出たぐらいで別れてたまるかよ」
「なんか、私だけ気にしてばっかでばかみたいじゃん……てか、カノジョほったらかしにしてさっきからなにスマホいじってんの?」
「いろいろ調べることがあるんだよ」
「調べるって何を?」
「んー……? まあ、いろいろ」
「…………えっちな動画とかじゃないよね?」
「お前はカレシをなんだと思ってるんだ」
流石に生徒会室で堂々とそんな動画を見るような勇気は持ち合わせていない。今後、持つつもりもない勇気だ。
「じゃあ見せてよ」
「まだ見せない」
「ますます怪しい。動画でも浮気は許さないからっ」
と、小白がこちらの不意を突くようにして画面をのぞき込んできた。
「なにこれ……『旅行にオススメの観光地』? ふーん……? どこの女と行くつもり?」
「どこって、目の前にいるだろ」
「…………えっ?」
俺が指したのは当然、加瀬宮小白。ただ一人。
「旅行って……これ、私と……?」
「そ。旅行っていうか、たまにはデートでちょっと遠出するのもいいかと思ってさ。体育祭が終わったら、お互いに頑張ったご褒美ってことで。その前に単発のバイトとか入れなきゃだけど」
「…………………………あ」
ここにきてようやく、小白は気づいたらしい。
「体育祭のジンクスが気にならないわけじゃない。でも俺は目の前のくだらないジンクスよりも、小白と過ごす未来のことで頭がいっぱいだから」
「~~~~~~~~っ……!」
あっという間に顔が赤くなった。やっぱり面白いな。俺の世界で一番可愛いカノジョは、見ていて飽きない。
「っと」
小白はすっかり真っ赤になった顔を隠すように、俺の胸に頭を埋めてきた。
「なんかさー……私、やっぱり紅太のことすっごく好き」
「俺も小白のことが好きすぎて、最近はちょっと困ってるよ」
「……浮かれてる?」
「自分でも驚くぐらいには」
「ふーん……ふーん。浮かれてるんだー」
自分の中に込み上げてくる甘い熱を誤魔化すように、小白の頭を包み込むように撫でた。
金色の美しい髪に触れ、軽く指に絡めてみたり。されるがままのカノジョは、ただ静かに受け入れてくれていた。
「ん。これで放課後の練習、頑張れそう。てか頑張る」
「……俺も、これで頑張れるよ」
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