第53話 補充

「――――というわけで、体育祭のメンバー決めがあるからなー。あとの連絡事項は……」


 二学期の始業式も終わり、先生の連絡事項が終われば今日は解散。放課後の時間がやってくる。帰宅部にとっては通常よりも長い放課後の時間に心躍らせるのが当然なのだが、今日一日、俺はどことなく悶々とした気分を拭えないままだった。


●紅太:なんで無視してんの

●kohaku:無視じゃなくて

●kohaku:ごめん

●kohaku:今はまって

●kohaku:むり

●kohaku:後で話す


 小白にメッセを送ってみてもちゃんとした答えは帰ってきていない。

 昼休みにこっそり話してみようかと思ったが、逃げ出すように教室から消える。


 …………流石に傷つくぞ、おい。


 と、俺が一人で傷ついている間にどうやら先生からの連絡事項は終わったらしい。

 教室中がいつもより長い放課後に喜びを隠しきれないとばかりに騒がしくなった。

 こうなったら俺も切り替えるか。小白は…………って、もう教室から居なくなってるし。今日はもう話すのは無理そうだな。


「夏樹、今日バイトないんだけど、遊ばね?」


「んー……それはとてもとても魅力的な提案なんだけど、ごめん。今日に限って用事があるんだ」


「いや、急に誘った俺が悪い」


 今日は夏樹も無理か。こうなってくると、交友関係に乏しい俺は遊び相手がいなくなる。

 まあ、今更になって無理に友達作ろうとは思わないし、カノジョができて楽しい時期だし……って、そのカノジョになぜか避けられてるんだけど。


(心当たりはないんだけどなぁ……)


 何度思い返してみても心当たりがない。

 むしろ小白のことは宝物箱に入った宝石よりも丁重に、咲き誇る花々よりも丁寧に、蜜よりも甘く甘やかしているつもりなんだけど。


「……ん?」


 と、首を捻っているとスマホにメッセージが入った。


●kohaku:公園で待ってる


 突然のお呼び出し。先に出て行ったのはそういうことか。


●紅太:今からいく


 返事を送り、気持ち急ぎ目にまだ慣れていない道を往く。

 小白の言う『公園』とは、小白の引っ越し先の近くにある公園だろう。学校から行くのは初めてだ。


「……よう」


「ん。ごめん。急に呼び出して」


 公園に着くと、ベンチに座って待っていたであろう小白はすぐに立ち上がって歩き出した。心なしか急いでるというか……そわそわと、落ち着きがない感じ。


「じゃ、いこっか」


「行くってどこに」


ウチに決まってるじゃん」


「決まってるじゃん、って……てっきりファミレスに行くもんだと思ってた」


「それは晩ごはん食べる時に行こ。それまでは、ウチでゆっくりしたいし」


 だったら今店に行っても同じだろうに、と思いながらも小白の後をついて行く。

 小白と黒音さんの新居は前の家とセキュリティーのレベルが変わらない高層マンションだ。本当はもう少しこじんまりとした住まいにしたかったらしいのだが、仕事が多忙で家を空けることが多い黒音さんとしては、大切な妹のためにもセキュリティの面で妥協はできなかったらしい。カレシとしてもありがたいので、黒音さんの方針には俺も全面的に賛成している。


「前に来た時はまだダンボールも多かったけど、もう片付いたんだな」


「……うん。お姉ちゃんがお仕事がんばってる分、私も家のことはやらないとだし」


「そうか。頑張ってるんだな、小白も」


「ん。そう。がんばってる」


 なんだろ。小白の様子がさっきからおかしい。ずっとそわそわしてる。落ち着きがないとでも言うべきか。


「小白。お前、今日はどうした? ちょっと変だぞ」


「…………むり。もうむり」


「は?」


 絞り出したような声と共に、金色の髪が揺れる。華奢で柔らかい感触と、華のように甘い香りが体を包み込む。小白が抱き着いてきた、と気づいたのは数秒遅れてだ。


「は~~~~むりむりむり。ずっとこうしたかった。教室とかさー。ずっとガマンしてたんだけど」


 顔を埋めてくる小白を見て…………どうやら、俺は色々と勘違いしていたらしいことに気づいた。


「我慢、してたんだな」


「してた。朝からさー……たまんないって思ってた」


「その言い方なんかやらしいぞ」


「……………………やらしくないし」


 心当たりがある時の間だろそれ。


「ははっ」


「なに。なんで笑ってんの」


「可愛いなーって思ってた」


「あっ……そ」


 嬉しさもありつつ、やや不服そうに頬を膨らませる小白。

 別に子供扱いしてるわけじゃないんだけどな。


「言っとくけど、ほんっとうにがまんしてたんだからね。キスしたいなとか、そういうの……でも学校の中でするのはちょっとアレだし――――んっ……」


 色々と言葉を尽くしてくれていた小白の唇を、唇で塞ぐ。

 周りが殆どの音が消えて、聞こえるのは高鳴る鼓動と、時を刻む音だけ。


「……あのな。俺だってお前が我慢してたこと我慢してたし、したいと思ってたことはしたいと思ってたんだよ」


「……そっか。我慢してたんだ?」


「してた」


「……思ってたんだ?」


「思ってた」


 こうなるからガマンしてたんだ。俺だって。なのに、簡単に家に招いたりして。


「……じゃあ、さ。しちゃえばいいじゃん」


「……これ以上したら歯止めが利かなくなるんだよ」


「夏休みあんだけしといて、今更歯止めとか……」


「…………あのなぁ。言っとくけど、ここで歯止め利かせないと困るの小白だからな」


 困ったことに、俺のカワイイお姫様は何も分かってはいない。

 俺が今日一日どんな気持ちで過ごしていたか。沢田と言葉を交わす小白を見て、どれだけ嫉妬し、割り込みたいと思ったか。教室から連れ出してしまいたいと思ったか。


「何か困ることある?」


「ある」


 分かってないなら、分からせることにしよう。

 目の前の無垢な眼差しを振り解き、無警戒の白い首元に唇で触れる。紅いしるしが咲かないように、己を理性で縛り付けて、慎重に丁寧に愛おしく。


「ここに痕でもつけたくなる」


「……つけたいんだ」


「あたりまえだろ。ここにしるしを刻んで、誰にも手出しできないようにしたい。重すぎてひかれないか心配してるぐらいだぞ」


「お互いの家族のことに踏み込んどいて、今更重いとかある?」


「あるよ。俺は小白が思ってる以上に小白のこと好きだから」


 ああ、勿体ないことしたな。視えなくても分かる。小白はきっと今、照れてる。世界で一番可愛い顔をしてる。


「……痕つけるのはダメ。体育あるし」


「わかってる。前につけた時に反省したんだよ、これでも」


「でもつけたいんだ?」


「だから…………そうだよ。でも我慢してるって話だろ。教室にいる時とか、何の拷問かと思ったし……つーかさ、やめね? 教室の中で他人のフリってやつ」


「それもダメ」


「なんで」


「こんなにかっこいいカレシがいるって分かったら、私が女子から嫉妬されちゃうし」


「……………………あのなぁ」


 体中の力が一気に抜けた。脱力し過ぎて、そのまま小白の身体に体重を預けきってしまったぐらいには。


「ちょっ、重いって」


「買い被り過ぎだろ、それは。どんだけカレシバカなんだよ」


「は? 誰がバカだ」


「小白。……ちょっ、こら。叩くな叩くな」


 別に痛くもなんともない。ぽこぽこ、とか、ぺしぺし、みたいな擬音が聞こえてきそうな、そんな甘噛みのような叩き方。


「言っとくけど私は、同じ教室に紅太のことを好きになる子が出てきてもおかしくないって思ってるからね。むしろ紅太のガードが緩すぎて心配になるんだけど。カノジョ不安にさせんな」


「努力するよ。これからも」


「具体的には?」


「不安に思う暇がないぐらいに甘やかす?」


「…………もっと具体的に。行動で示して」


「お前、結局それが言いたかっただけだろ」


「こ・う・ど・う・で・し・め・し・て」


 甘え方が下手というべきか、上手いというべきか。

 どちらなのかは定かではないけれど、どちらだとしても俺がとるべき行動は一つだ。


「「――――――――」」


 手を繋ぐ。指を絡める。解けないように、一つになるように絡め合う。

 口から熱を交換して、微かに漏れる甘い吐息に揺蕩いそうになって。華奢な身体を抱き寄せて、小白もしがみつくように制服に空いている指をたててきた。ソファーに座っていなかったら、きっと足元が覚束なかったであろうことは、容易に想像できた。そんな小白を想像しているうちに、理性で縛り付けているどろどろとした熱が温度を上げていく。


「…………ん。紅太のこと、補充できたし、明日も頑張れる気がする」


「俺は休み時間も堂々と補充したいけどなぁ……」


「だめ。絶対に渡したくないから、少しでも可能性は潰しときたいの」


 どうやら意志は固いらしい。買い被り過ぎだと思うんだけど、ここまで真剣に思ってくれるのは幸せなことだと……思うことにしよう。やっぱりちょっともどかしいけど。


「あ、そーだ。まだ晩ごはんまで時間あるし……今日は一緒に映画観ようよ。気になってたやつさ、サブスクに入ってきたんだよね」


 テレビのリモコンを操作して配信サイトを飛び出す小白。

 どうやら彼女の中で『補充』はもう終わってしまったらしい。


「紅太も気になってたやつでしょ?」


「そうだな。でも、映画は後だ。というか、勝手に終わらせるな」


「……えっ? 何が――――」


 分かっていない小白の肩に手を回し、繊細で新雪のような体を抱き寄せる。

 腕の中に包み込み、有無を言わさず、逃げ場を与えず、加瀬宮小白を独占して。

 ただ静かに、耳元で囁きかける。


「まだ俺の『補充』が終わってないんだけど」


「あ…………」


 どうやら小白も俺の意図に気づいたらしい。密着する胸から、鼓動が跳ねたことが伝わってきた。


「…………歯止めが利かなくなるから我慢するんじゃなかったっけ……?」


「その歯止めが利かなくなった」


「…………なんで?」


「誰かさんが好き勝手に補充してきたからな」


「………………………………」


 小白は抱き寄せている俺の胸に顔を埋めると、そのままゆっくりと頷いた。


「…………映画観る時間、あるかな」


「時間がなくなったら、また今度、一緒に観ればいいだろ」


「…………その今度も『補充』してたら?」


「その次の時に観る」


「…………それ、一生見れなさそう」


「じゃあ、やっぱりやめとくか?」


「…………むり。やめらんない」






 ――――――――結局。小白が懸念していた通り、映画を観る時間はなくなった。






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