第43話 成海紅太の試練
「…………加瀬宮」
「……………………」
「おーい、聞こえてるかー」
「………………………………」
「いい加減、無視するのやめろって」
「…………………………………………」
「というか、なんでいきなり逃げ出したんだよ」
「……………………………………………………」
加瀬宮に告白して、OKをもらって、注文したモーニングを手早く食べ終えた後、俺達はファミレスを出た。……正確には、早歩きで逃げるように店を出た加瀬宮の背中を、俺が追いかけた。
「……もしかして、俺ってもうフラれた?」
「そんなわけあるかっ!」
急にキレられた。が、ようやく加瀬宮が足を止めて俺の方に振り向いてくれた。
「やっと顔、見せてくれた」
「あっ……ちょっ。待て。見んなっ」
「待たない」
咄嗟に顔を隠そうとする加瀬宮の手を掴む。だけど加瀬宮は頑として俺と目を合わせようとしてくれず、露骨に顔を逸らした。俺と目を合わせることを嫌がっているかのように。
「いきなり無視されたりしたら気にもなるだろ。理由ぐらい教えろよ」
「無視してた、わけじゃ、なくて……」
俺が譲らないことを理解したのだろう。加瀬宮は観念したように、ほんの少しの羞恥を滲ませながら、言葉を絞り出す。
「………………今、目が腫れてるから……見せたくない。絶対、可愛くない顔してるし」
「あ~。そういうことか」
確かに加瀬宮の目は少し腫れている。その原因は明白。先ほど、ファミレスにいた時に泣いていたから。
「……彼氏にはカワイイ顔、見せたいじゃん。だから成海にはできるだけ可愛くない顔、見せたくないし、早く家に戻って、目の周りケアしときたくて……」
「…………ふっ」
「は? 今、笑った?」
「悪い。別にバカにしてるとかそういうのじゃなくてさ。……やっぱ俺達、似てるなって思って」
笑われたのが面白くないのだろう。不服そうにする加瀬宮。
「……加瀬宮はアレだな。見栄っ張りなんだな。好きな人に対して」
「見栄って言うな」
「じゃあ、かっこ付けだ」
「それもなんかムカつく」
「でも当たってるだろ。特に……母親に対してとか、そうだったんじゃないのか」
図星だったのだろう。何か思い当たるフシでもあるかのように黙り込む。
「……そーかもね。ママに対して本気で喧嘩したの、家出する時ぐらいかも。それ以外はなんだかんだ、取り繕うことも多かったし」
「俺も同じだよ。俺の場合は前の親父相手にだけど。捨てられないように見捨てられないように、『良い人間』であろうとしてた。正義の味方ぶったりしてた。そういうところは今も変わってない」
「……今は、どうなってるの?」
「加瀬宮相手にかっこつけてる」
「……もしかして、さっきの恥ずかしい告白とかも?」
「恥ずかしいは流石に傷つくぞ」
「自分のセリフを思い返してみなよ」
「……………………恥ずかしいなぁ」
何度思い返しても恥ずかしい。よくもまぁ、あんなことを言えたもんだと自分でも感心している。
「でも後悔はしてないぞ。かっこつけてはいたけど本音だし本心だし。何より相手は『加瀬宮小白』だからな。かっこつけでもしないと釣り合わないだろ」
加瀬宮はとても魅力的な女の子だ。
だからこそ、いつ誰かに取られてしまうかも分からない。
だからこそ、精いっぱい背伸びをして、かっこつけたい。
「……私だっておんなじだよ。成海相手にかっこつけたいからかっこつけてるだけ。だから見られたくなかったのに……」
「悪い。でも俺が見たいんだよ。加瀬宮の顔を」
「……目ぇ腫れてる顔なんか見てどーすんの」
「色んな加瀬宮の顔が見たいんだよ。今まで見れなかった顔も、今まで見せてくれた顔も。カワイイ顔も、可愛くない顔も。出来ることなら、それを全部独り占めしたい」
「だから、そーいう恥ずかしいコトをすらすら言うなって」
「嫌か?」
「……嫌じゃないから困ってんの」
「じゃあこれからはもっと言っていく」
「……………………勝手にしろバカ」
また加瀬宮はスタスタと家に向かっての帰路を歩いていく。
だけどその進みは先ほどよりもゆったりめで、俺と肩を並べて、一緒に歩いてくれている。
「あぁ、でも。早く店を出たのは、恥ずかしいからだろ」
「そーだよっ! 当たり前じゃん! 店の中であんなに泣いちゃってさ! もう行けないでしょ、あの店!」
「店員も大して気にしてないって。注文の事務連絡以外で会話するわけでもないし。気にしすぎだ。あ、これバイト経験者としての意見な」
「そこでバイトマウントとんな。……そもそも成海がファミレスまで連れてくるからでしょ。告白してくれるなら、別に家の中でもよかったじゃん」
「だって俺達にとって、あの場所は特別だろ。だから……あそこでしたかったんだよ」
「…………………………………………その気持ちも分かるからムカつく」
それから加瀬宮をなだめつつ、俺達は帰宅した。
家を出る前のような『友達』としてではなく――――『恋人』という、新たな関係となって。
だが、この時の俺は気づいていなかった。
今朝は特に気にしてはいなかった……というよりも、加瀬宮にちゃんと告白しようということに頭がいっぱいで、気づいてもいなかったことなのだが。
――――俺にとっての試練は、ここから始まるのだ。
☆
ファミレスでモーニングをとった後、加瀬宮はさっそく目の周りをケアして、体質的なおかげでもあるのか目の腫れは比較的早くひいたらしい。
午後になって一緒に琴水が作り置きしてくれていた昼食をとる頃には、加瀬宮は俺の前に顔を出してくれた。昼食をとった後、加瀬宮は軽くシャワーを浴びはじめた。外を歩いて汗をかいたことが気になっていたのだろうか。
俺はその間にスマホという文明の利器を駆使して、以前、夏樹から教えてもらったカフェの情報を確認する。……流石は夏樹だ。店の中の雰囲気も、センスも良い。
「加瀬宮。昼なんだけど、せっかくだし……デートしに行こうぜ。夏樹にけっこー良さげなカフェを教えてもらったんだ」
シャワーを終えてリビングのソファーでくつろいでいる加瀬宮に話しを振る。
せっかくの夏休みだ。彼女と一緒にデートをしに行きたいというのは自然のことだろう。
「
「じゃあ、準備が終わったら……………………って、『嫌』!?」
「そ。絶対に
確かに今は夏ということもあって暑い。が、この前プールに行った時ほどじゃない。
むしろ少し涼しいぐらいだ。だからこそ、今日はデート日和だと思って誘ってみたわけなのだが……まさか断られるとは思っていなかった。
「今日は家にいるって決めてるから」
「何か用事でもあるのか?」
「ない」
「……じゃあ、なんで?」
「……………………」
リビングのソファーに座っている加瀬宮は、自分の隣に空いているスペースをぽんぽんと軽く叩く。どうやら隣に座れ、という意味らしい。
初デートの誘いを断られた理由も掴み切れぬまま、俺は加瀬宮の隣に腰を下ろす。
シャワーを浴びたばかりなせいか、仄かにシャンプーやリンスに入り混じった、加瀬宮の華やかな香りが鼻腔をくすぐる。思わず脳が揺さぶられそうになるが、意志を強く持ってなんとか耐える。
「……外だと……しづらいから、
いつもより小さく絞り出すような声。
しづらい。何を? と、思わず訊ねかけるよりも先に、加瀬宮は答えを口にした。
「…………キス、とか」
「――――っ」
ガツン、と脳を殴られたような感覚だった。
ギュッ、と心臓を掴まれたような感覚だった。
世界の時間が止まって、凍てついてしまったような、感覚だった。
「帰ってきたらさ、しづらくなるでしょ。声とか……我慢したり、注意したり、しなきゃだし……でも…………今日、この家には誰もいないんでしょ。成海ママも、成海パパも、琴水ちゃんも」
「……そう、だな」
ただの事実確認のように頷きを返す。
「だったら……声とかも、我慢する必要もないし……こういう日って、あんまりないだろうし……だから……今のうちに、たくさんしときたいなって、思って」
思えば今朝、加瀬宮と二人きりになると分かった時は、告白することでもう頭がいっぱいになっていた。
そうだ。恋人になって、家に二人きりの状態で……こうなることは、予測できたじゃないか。
ましてや加瀬宮はプールの時、あんなにもねだってきたのに。
(――――まずい)
これはちょっと、まずい。
分かっている。分かっている、はずなのに。
「……じゃあ、今日は……家デートってことにするか」
まずいと分かっていながらも、俺は加瀬宮の提案を断れなかった。
結局のところ、俺は――――加瀬宮小白の前では、尽くかっこつけてしまうということなのだろう。
「……それなら、いいよ」
「……ありがとう、でいいのか?」
「……どういたしまして、でいい?」
「……それはそっちに任せるけど、さ」
「……なに。言いたいことがあるなら言いなよ」
「……お前、やたら攻めたこと言ってるって自覚あるか」
「……攻めたこと言ってきたのは成海も同じでしょ」
「……もしかしてファミレスでのこと、根に持ってる?」
「……根に持つっていうか、なんか、成海に攻められっぱなしだなって」
「……だから攻め返すって?」
「……それもある。半分ぐらいは」
「……もう半分は?」
「……私が成海とキスしたいから」
だからそういうこと言うなよ。それが攻めてるって言うんだよ。
というか本当にまずい。この様子だと本当に際限なくキスをせがんできそうだ。
まずい。それはほんっとうにまずい。今のこの家でそれは。何とかしないと。何とか――――……!
「……加瀬宮」
「……なに」
「……回数を決めないか?」
「……キスの? なんで?」
「……察しろ。というか察してるだろ、お前」
もたないんだよ。俺の理性とか、そういうのが、色々。
「……やだって言ったら?」
「……俺は今日一日の時間を家の外で過ごすことになるな」
「……………………わかった。いいよ」
しぶしぶといったていで頷く加瀬宮。お前、俺がこの提案をしていなかったらどうするつもりだったんだよ。
「……で、何回するの?」
「……に、二回」
「は?」
睨まれた。これでもかなりの譲歩だというのに。
「……三回」
「十回」
「正気かお前」
「十回。これでも譲ってるんだけど」
「四……」
「……………………」
「ご、五回! 五回が限度だっ!」
半ばヤケクソ気味に叫ぶように告げると、加瀬宮は勝ち誇ったように笑った。
「いいよ。五回ね」
「……お前、最初から五回のつもりだったろ」
「知らない」
絶対にそうだ。俺が加瀬宮の立場でもそうするだろうから。
「……じゃあさっそく……一回目、しよっか」
「…………ん」
俺達以外誰もいない家のリビングで行われた『一回目』は、時間も忘れるほど長く続いた。
――――こうして、俺の試練とも称すべき一日が始まった。
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