第40話 ふたりきり②

「お目当てのホットドッグは思っていたより美味しくなかった? 犬巻くん」


 フードコート形式になっている飲食スペース。

 その一角にあるテーブルでホットドッグを片手にくつろぐ僕の前に現れたのは、来門紫織さんだ。傍には紅太も加瀬宮さんもいない。どうやら一人で抜け出してきたらしいね。やっぱり気が利く人だな。思った通りの人だ。


「そんなことないよ。これが家で食べるものなら『普通』って感じの味だけど、やっぱり『シチュエーション』に勝るスパイスはないよね。こんなぼったくり価格のホットドッグも、青春の思い出を彩る極上の一品に早変わりさ」


「シチュエーション、ね……」


 来門さんは僕と同じテーブルの席に腰を下ろす。その一連の日常動作だけで、周囲の男性約十八人の目を一気に惹きつけた。その内、向かいに座っている僕の存在に遅れて気づき、残念そうに肩を落とすのが十五人。残りの三人は僕の存在などお構いなしに声をかけるか検討中、といった感じだ。僕って我ながら腕っぷしが弱そうな見た目だしね。


「『シチュエーション』。それがあなたの狙い?」


 だけど来門さんはそんな周りの目などお構いなしに僕に問いかけてくる。

 慣れてるんだろうな、こういうの。


「狙いって?」


「小白と成海くんのこと。二人を恋人同士にさせようとしてる?」


「んー……五十点だね。あ、でも平均点はあるかも。やっぱり七十五点で」


「そんな点数をとったのは初めてよ。よければ残り二十五点の解答を教えてくださる? 先生」


「仰せの通りに」


 ホットドッグの残りを平らげて、注文していたメロンソーダで喉を潤してから、僕は優秀な生徒からの質問に答えることにした。有象無象なら気づかせないように話題を誘導するけど、あの来門紫織さんだもんね。このシチュエーションでそのへんの小細工は通じなさそうだし。


「紅太は加瀬宮さんのことが好きらしいからさ。せっかくの夏のプールっていうシチュエーションだもん。二人きりになれる機会を作ってあげようかと思って。これは友人としての気遣い……幼馴染としてのお節介でもあるのかな。これぐらいは普通じゃない?」


 これだけでは来門さんの欲する答えにはならないらしい。顔にそう書いてる。たいていの人なら今ので納得してくれるんだろうけど、やっぱり来門さんはしてくれないな。流石は生徒会長。本当に……。


「紅太が『好きな女の子とプールに来ている』っていうシチュエーションを楽しんで、幸せな時間を過ごしてくれればそれでいいんだ。告白するかどうかは本人の自由だし、玉砕しちゃったらそれはそれで仕方がない。僕たちまだ若いしね。新しい恋だってそのうち見つかるだろうし。だからまあ、極論として――――加瀬宮さんと恋人にならなくてもいい」


 本当に優秀だよ。煩わしく感じてしまうほどに。


「さっき『二人を恋人同士にさせようとしてる』って言ったよね。違うよ。『二人』じゃない。紅太の幸せは考えてるけど、加瀬宮さんの方はどうでもいい」


「…………なるほど。成海くんのファンってわけね。それも随分と熱心なファン」


「あははっ。そう。『ファン』が一番近いかもね。今度は百点をあげてもいいよ」


 流石は生徒会長。ここまで的確な表現をしてくるなんて思わなかったな。

 僕がヒントをあげすぎたせいもあるけど。まあ、来門さんなら構いやしない。


「推しの幸せを願うのはファンとして当然のことだよね」


「どうしてそこまで成海くんを推すのか、訊いてもいい?」


「どうして、か……」


 少し目を外に移せば、近くのプールで小学生ぐらいの子供たちが元気にはしゃいでいるのが見える。楽しそうに泳いだり、水を掛け合ったりして、とても楽しそうに。あんなにも無邪気な笑顔をしているけれど、同じ顔で人を平気で痛めつけることができるのが人間という生き物だ。


「来門さんってさ、泥がどんな味をするのか知ってる?」


「……いいえ。知らないわ」


「僕は知ってるよ。サッカーボールになってお腹を蹴られたこともあったし、家庭科で使う裁縫の針を何度も刺されたこともある。最悪だよ、ホント。知らないのならそれが一番いい」


 苦い思い出だ。同時に――――


「紅太が、僕が泥を口の中にねじ込まなくてもいいようにしてくれた。サッカーボールにならなくてもいいようにしてくれた。何度も針で刺されなくてもいいようにしてくれた。紅太はね――――僕にとってのヒーローなんだ」


 ――――僕にとっての光を見出すことができた時でもある。


「来門さんはヒーロー番組とか見たことある? 土曜日とか日曜日の朝にやってるやつ。あ、僕は今でも見てるんだけどさ。カッコイイんだよ。ヒーローって。ピンチになると駆け付けてくれて。まるで紅太みたいで。……でもね。たまにあるんだよ。頑張って戦ってるのに、ヒーローが不幸になる展開が。僕はそれが許せないんだ」


 頑張ってくれたのに。僕の為に戦ってくれたのに。紅太ヒーローは不幸になってしまった。周りを失望させてしまうかもしれないと、他者と距離を置くようになってしまった。


「ヒーローは幸せになるべきだ」


 悲哀の結末なんて要らない。そんなものは見たくない。僕にとっては価値が無い。

 頑張って戦ったヒーローのエンディングは、最高のハッピーエンドであるべきだ。


「……それが残りの二十五点というわけね」


「うん。そーいうこと。だから紅太が加瀬宮さんのことが好きなら、その想いが実るように後押しはしてあげたいんだよね。だからって無理やりくっつける気はないよ? 幸せは自分の手で掴まないと、逆に不幸になってしまうかもしれないから」


「随分と考えてるのね」


「まぁねー」


「……で、アレもアナタの言う『後押し』の一環かしら?」


 来門さんが促した先。このフードエリアから少し離れたところを歩いている、ある高校生グループの集団。その中の一人、というか中心人物は――――僕たちと同じ学園で、僕や紅太と同じクラスの沢田くんだ。学園の王子様とも名高い、所謂人気者。トップカーストと称すべきグループだ。


「学校の人気者さんたちがわざわざ同じ日に来るなんて偶然?」


「偶然だよ。僕も彼らの予定を知った時は驚いたし。ある意味でツイてるよね、紅太」


「……予定は把握してたけど、黙ってたと?」


 来門さんの指摘に、僕はただ笑顔で返事をする。


「そっちの方がシチュエーション的に盛り上がるでしょ?」


     ☆


 犬巻のことは分からないけど、たぶん紫織は私に気を遣ってくれたんだと思う。

 私が成海のことを好きって報告したから。だから……二人きりにしてくれた。

 今日は紫織に対するお礼もあったはずなのに気を遣わせちゃって申し訳ないな、という気持ちもあるけれど、それ以上に感謝の気持ちの方が大きかった。


「……ねぇ。せっかくだしさ。ちょっとだけ、他のプールに入ってみない?」


 成海と二人きり。そんなシチュエーションに心が浮かれてたのかもしれない。

 そんなつもりはなかったのに、気が付けば口からその言葉が出てしまっていた。


「二人だけで……さ」


 言った。言った。言った。どうしよ。私、ヘンな顔してなかったかな。

 心臓もバクバクってすっごい音してるし。……頭の中でイマジナリー琴水ちゃんが腕組みをしながら満足げに頷いてるからいいのかな。


 でもホント、紫織に感謝しないと。あの子が気を利かせてくれなかったら、私、こうやって成海と二人きりになろうなんて誘えなかっただろうし……。


(――――あっ)


 言ってしまった後で、私は紫織との会話を思い出した。


 ――――ねぇ、小白。もしかしてだけど……。


 ――――……………………………………。


 ――――ちょっと太った?


(私……今……ちょっと、ふ――――……!)


 いくら心の中でのこととはいえ、それ以上の言葉をカタチにすることは許せなかった。

 緊張のあまり忘れてた……! いや、ふ……って言っても、本当にちょっとだけなんだけど! あ~~~~……! でも今は水着だし……!


「…………や、やっぱ無しっ!」


 まだ成海からの返事をもらってなくて助かった。今ならまだ間に合う。キャンセル。キャンセルだよ。うん。


「ごめんっ。急になんか、ヘンなこと言って。忘れていいから。てか忘れて。早く紫織たち、探そ」


 まくしたてた後、私は成海の顔も見れないままその場を離れようとした。そうすることしかできなかった。だって意識しちゃえばしちゃうほど自信なくなってくるし。成海が太ってる方がいいのか痩せてる方がいいのかまでは分からないけど、でも、好きな男子にはちょっとでもよく見られたいし……!


「加瀬宮」


 その場を立ち去ろうとする私の手を、成海の手が掴み取る。


「…………な、なるみ?」


 う。どうしたんだろ。もしかして私がちょっとふ……たことに気づいたのかな。


「逃げるぞ」


「えっ? ちょっ……!?」


 なんで、とか。どこに、とか。そういうことを訊ねる間もなく、私は成海に連れられて、その場から逃げるように移動した。


     ☆


 視界の端を見覚えのあるグループが掠めた。その中に沢田猛留さわだたけるの姿があったことも見えた。クラスメイトで、二年生でも有名人で、加瀬宮に対して何度も声をかけたりしたこともあって。


 あいつなら。ここで加瀬宮を見つけたらきっと、声をかけるだろうという予感があった。いや、あいつじゃなくても。こんなにも綺麗な加瀬宮を見つけたらきっと声をかけてしまうだろう。


 ……嫌だ。想像するだけで嫌になる。


 加瀬宮に声をかけてほしくない。触れてほしくない。近づいてほしくない。加瀬宮との時間を独り占めしたい。


 俺は自分がおかしくなっていることを自覚していて、そんな自分を抑えようとしていたけれど、もう限界だった。抑えきれなくなって、気が付けば加瀬宮の手をとってその場を離れていた。


「な、成海。ねぇ。逃げるって、どういうこと?」


「知るか。俺も分からねぇよ」


 ――――それが紅太の本音でしょ。


 夏樹の言葉が頭の中でフラッシュバックする。

 これが俺の本音? 加瀬宮を独り占めしたいっていう、醜い感情が?


「……沢田が来てたのが見えたんだよ。他の友達を引き連れて」


 適度な場所で立ち止まり事情を説明すると、加瀬宮は納得したような、それでいてどこか残念そうな……そんな、顔をしていた。


「……そっか。そーいうことか」


「見つかると面倒だろ。色々と。特にお前は」


「…………だね。ありがと。私のこと気遣ってくれて」


 加瀬宮に対する気遣い。そのはずだ。俺はきっと、そう言おうとしていた。でもなんだかそれは言い訳じみている。本当に言いたいことは他にあったはずだ。


「…………加瀬宮を気遣ったわけじゃねーよ」


 気遣いなんて嘘だ。そんな綺麗なもんじゃない。この心は、もっと汚いものだ。


「違うの? じゃあ……なんで?」


 ――――自分の気持ちから逃げて不幸になるなんて笑えないし。


 また夏樹の的確な言葉が脳裏をよぎる。俺の中にある蓋をこじ開けるように。


「…………俺が、加瀬宮を独り占めしたいからだよ」


 俺たちはあのファミレスの中で逃避を続けてきた。俺たちの関係は逃避から始まった。でも、きっと、今だけは何があっても――――逃げてはいけない。


「加瀬宮を誰にも渡したくないからだよ。今の水着姿も、すっげぇ可愛いし。出来れば誰にも見せたくない。夏樹にも。来門さんにも。ましてや沢田達なんかに、お前の水着を見せたくない。だから……逃げた」


 まくしたてるように、目の前で広がっている流れるプールのように、胸の内にたまっていた言葉を放流させていく。もう止められなかった。止まらなかった。今まで無意識のうちに、いつの間にか逃げていた気持ちを、自覚してしまったから。


「……悪い。ヘンなこと言った。忘れてくれ」


「やだ。忘れたくない」


 今度は加瀬宮の手が、俺の手を掴み取る。


「成海が言ってくれたこと、忘れたくない。もっと聞きたい。私も…………成海を独り占めしたい」


 加瀬宮の目が真っすぐに届く。互いの目が、真っすぐに惹かれ合って見つめ合う。

 夏の暑さすら忘れてしまうほどに、今、世界が透明になって。

 目の前の瞳に、吸い込まれそうになって――――。


 ――――ドォォォォォォオオオオオオオオオオンッ!!!!!!!


「「――――っ……!」」


 火山の噴火を彷彿とさせる巨大な音に、思わず我に返る。

 それは加瀬宮も同じだったらしい。驚きに染まった綺麗な顔が目の前にあった。

 ワンテンポ遅れて大量の水飛沫が降ってきて、俺たちはあっという間に土砂降りの雨の中に晒された。


 どうやら俺たちが隠れていた巨大な岩のようなオブジェの演出らしい。

 そういえば、一定時間ごとに噴火の音と同時に水が噴き出す仕掛けをしたゾーンがあったような気が……。


「うおー! なんだ今の音!?」

「沢田もこっちこいよ! なんかすげー岩あるぞ!」


 まずい。この声……噴火の音を聞きつけて、沢田のグループが集まってくるようだ。

 どこか近くに逃げられる場所は……。


「加瀬宮、こっちだ」


「……うんっ」


 目の前に広がっていたのは流れるプール。反射的に加瀬宮の手を取って二人で水の中に潜り込む。そのまま身を任せて、俺たちは水の中を一緒に流れていく。これなら身を隠しながら見つからないように移動できるはずだ。


 夏の流れるプールの中はまるで地上とは別の世界だ。

 不思議と二人だけしかいないような、錯覚すら――――違う。今、俺の世界に居るのは加瀬宮小白だけだ。


「……………………」


「……………………」


 水の中には俺と加瀬宮の二人しかいない。

 ここに居るのは俺たちだけだ。この静かな水の世界には、辛い現実も、家出のことも、何も介在する余地が無い。何も。何も。


「――――……」


 何かを言おうとして口からは気泡が零れるだけだ。

 加瀬宮も同じだったようで、その美しい唇から淡く気泡が漏れた。

 俺たちは互いに見つめ合い、互いの瞳に夢中になる。

 流れるプールに身を任せるように、引き合って惹かれ合って。俺の方からか、加瀬宮の方からか、分からないほど自然に俺たちの唇は――――水の中で重なった。


 接触は一瞬。感触は刹那。だけど口から全身を駆け抜けた、痺れるように甘い熱だけは永遠となって、身体に刻まれた。


「「――――ぷはっ」」


 互いの唇が離れてすぐ、空気を求めて太陽のもとに顔を出す。

 そのまま俺たちは流れるプールから上がって、近くにある岩のオブジェに身を潜めた。

 頭上から降ってくる水のカーテンが丁度目隠しになっており、滝の内側を彷彿とさせる空間になっている。ここなら誰かに見られることも、沢田達に見つかることもないだろう。


「…………ねぇ。私達、今……キス、した?」


「…………さぁな。水の中だったし、一瞬だったし」


「…………やっぱり私も、分かんなくなってきた」


「…………そっか」


「…………うん」


 しばらくの沈黙が続き、その間に互いの呼吸は十分に整って。


「…………じゃあ、分かるまでするか」


「…………する」


 それからまた、呼吸を整えるのにしばらく時間がかかった。


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