第38話 魔法の呪文

 バスを降りた私と紫織は、あまりの暑さから先に影のある場所まで避難することにした。奥の座席に座っていた成海たちと合流するまで少し時間がかかるだろう。


「今更だけど、本当によかったの?」


「ん? 何が」


「せっかくのプールなのに、わたしと犬巻くんまで誘っちゃって」


「紫織とも一緒に来たかったから」


 来門紫織らいおもんしおり

 私の数少ない友達の一人で、ついこの前、星本学園高等部の生徒会長に就任した優等生だ。

 今日はキャミソールとデニムのパンツにサンダルといった装いで、ちょっとオトナな感じがする。よく私はお姉ちゃんの存在もあってモデルみたいと呼ばれることは珍しくないけど、私から言わせれば紫織の方がそれっぽい。いつも凛々しくてクールな紫織の表情は、しれっと雑誌の表紙を飾っていてもおかしくないほどに整っている。


「……それに、正直今日に限って成海と二人きりになるのは避けたかったから、助かるっていうのが本音かな」


 実は昨晩、私はある事実に気づいてしまったのだ。その事実に気づいてから、私は成海と目を合わせることができず避けている。バスの中で混雑に乗じて別々の席に座るようにしたのも、そのためだ。


「水着が恥ずかしいとか?」


「それもあるし、それも関わってるけど、それだけじゃなくて……」


「……………………」


 じっ、と紫織が私を見つめてくる。そして私をひとしきり観察し、頭の中で答えを導き出したのだろう。


「ねぇ、小白。もしかしてだけど……」


「……………………………………」


「ちょっと太った?」


「うっ」


 真実をずばりと言い当ててみせた。


「実は、ちょっと……ちょっとだけ」


 昨晩、荷物の準備をしている最中に目に入った水着を見ていたらつい気になってしまって体重計に乗ってみたのだ。今思えばかなりの失敗だった。


「まぁ、あれだけファミレスに通ってればそうなるよね。しかも成海くんと一緒になってから、食べる量も飲む量も増えたんじゃない?」


「……やめて。言わないで」


 成海と話し込んでいると楽しくなって、ついつい余計な注文を追加でしてしまう。特にデザート系は明らかに量が増えたのは大きい。


「……てかさ。そんなに見た目で分かるほど太った?」


「ううん。言われても分からないと思う」


「じゃあなんで紫織は分かったの」


「愛のなせる技かな」


「す、涼しい顔して冗談言わないでよ」


「冗談じゃないって言ったら?」


 その言葉の意味を咀嚼しきれずに固まっているうちに、紫織の手が私の頬に触れる。

 紫織の手は顔を逸らすことを許しはしなかった。


「冗談なんて言わないでよ。傷つくでしょ? 小白のこと、こんなにも真剣に愛してるのに」


「えっ」


「家出の話を訊いた時、成海くんに嫉妬したんだよ? どうしてわたしの家に来てくれなかったんだろうって……わたしだって、傷ついた小白のことを癒してあげたかったのにって……」


「し、紫織……?」


 熱のこもった視線から逃れられない。絡められた手は私を逃してくれない。


「でも成海くんの家でよかったかもね。本当にわたしの家に来てたら……たぶん、我慢できなかったかもしれないから」


「我慢って、何を……?」


「教えてあげてもいいけど……言葉よりも、身体で説明させて?」


「か、からっ……!?」


 だめだ。どうしよう。こんな。外なのに。というか紫織、本当に? 私に? こんな……知らなかった。ぜんぜん。どうしよう。私、どうすれば。だめ。紫織の顔が、どんどん近くなって……。


「ほんと、小白って可愛いね――――嘘にも簡単に引っかかるから」


 耳元で囁かれたその言葉で、魔法が解けたように私の動揺も解けた。


「…………紫織」


「ふふっ。ごめんね。夏休み、あんまり会えなかったから、つい」


 まただ。また紫織のからかいに引っかかってしまった。

 いつも引っかかってしまう。でも紫織ってかなり演技が上手いから、私だけに原因があるわけではない……と信じたい。


「ほんと、毎回騙されるわ。将来は役者でも目指した方がいいんじゃない?」


「進路の一つとして考えてるよ」


「ホントかよ」


 これも本当かどうか怪しいな。


「……でも、思ってたよりも元気で安心した。家出したって聞いた時は正直心配したし」


「……ごめん。心配かけて」


「ううん。むしろ……こう言っていいのかは分からないけど、嬉しいかな。家族に対して未練のある小白が、家から追い出されても、こうして遊びに行けるぐらいには元気があるなんて……ちょっと前なら考えられなかった」


「……そうだね。私もそう思う」


 実際、少し前の私なら、こんな状況になったらきっとどうしようもなかったと思う。どこかでうずくまって、膝を抱えて、ただ俯くことしかできなくて。多分、許しを請うために家に戻ってたと思う。


「成海くんのおかげかな」


「……………………ん」


 紫織の言葉に、色々な想いを噛み締めるように頷く。

 そういえば私……まだ紫織に言ってないことがあった。隠し事ってわけじゃないけど、親友の紫織だからこそ言っておきたいことが。


「ねぇ、紫織」


「なに?」


「……私、成海のことが好き」


「知ってる。ていうか、バレバレ」


「そうかなって思ったけど、一応。紫織には言っておきたくて。……てか、そんなに見た目で分かるほどバレバレだった?」


「かなり」


「そっか……私、役者にはなれそーにないね」


 映画でも活躍しているお姉ちゃんとは大違いだ。

 …………お姉ちゃん。今頃、仕事してるのかな。そこにはきっと、ママもいるはずだ。


(…………だとしても、今は考えないようにしよ)


 せっかくの夏休み。片思いしてる相手と遊びに出かけているのに、こんな気分じゃ楽しめない。現実のことなんて忘れてしまおう。少なくとも今、この時だけは。


     ☆


「賑やかだねぇ。さっすが夏休み。お客様が多いこと多いこと」


 額に手を当てて見渡すような仕草をしながら、夏樹は感慨深そうに頷いている。

 実際、着替えを終えてプールのあるアトラクションエリアに出てみると、家族連れや俺たちのような学生を始めとする多くの人々で賑わっていた。


「入場券は予約制だからこれでもマシだと思うけどな」


「予約制じゃなかったら、まさに地獄だっただろうね。けど、それでも人は多いし……加瀬宮さんと来門さん、僕たちを見つけられるかな?」


「集合場所は決めてあるし、俺たちが下手に動かなきゃ大丈夫だろ」


 この『立上りつがみウォーターシティー』は公式サイトで施設内の様子や通路をストリートビュー形式で確認することができる。それをもとに集合場所を指定したので、よほどのことが無い限りは迷わないだろう。ちなみに集合場所は広場に設置されているヤシの木の下だ。


「ねぇ、紅太」


「なんだよ」


「今、何してる?」


「お前と一緒に女子を待ってる」


「宿題、終わってる?」


「まだに決まってるだろ」


「加瀬宮さんと付き合ってる?」


「付き合ってな…………って、なんだ今の質問!?」


「あはは。残念。素直に吐いてくれるかと思ったんだけど」


 悪びれもせずに笑う夏樹。何気ないただの雑談を振ったような顔をしながら爆弾を投げつけたつもりなど微塵もないようだ。


「お前なぁ……こういう悪ふざけはやめろよ」


「悪ふざけで訊いたつもりはないよ。今日は一学期のお礼って言ってもさ。せっかく『立上りつがみウォーターシティー』に来てるんだよ? もし付き合ってたとしたら、気を利かせて二人きりにするぐらいの協力はするし」


「残念だったな。その気遣いは空振りだ。俺と加瀬宮は付き合ってねーよ」


「素直じゃないなぁ、紅太は。照れくさいからって嘘つかなくてもいいよ。水臭いよねホント。そこまで幼馴染が信用できない?」


「いや、本当に」


「……………………」


「……………………」


「……………………えっ? 本当に? 付き合ってないの?」


 夏樹の笑顔が凍り付いた。凄い顔してんな。こいつにしては珍しく。


「だから何度も言ってるだろ」


「あれで!?」


「どれでだ」


「あんなに距離が近くて!? リビングのソファーで肩がくっつきそうなぐらいの距離で座りながら一緒に動画見たりいちゃついたりしてて!?」


「リビングのソファー……って、なんでお前がそんなこと知ってるんだよ! あと別にいちゃついてねぇ!」


「あ、それはおばさんから画像もらって」


 どうやら母さんが隠し撮りして夏樹に送り付けていたらしい。


「おばさんも、義妹ちゃんから教材? か何かの画像を貰ったって言ってたけど」


「アイツ何やってんの!?」


 盗撮の犯人、琴水かよ! 一学期まではバチバチやってたのが嘘みたいだな!

 ……ん? というか……教材? 何ソレ? いやそんなこと今はどうでもいいか。


「それに、いくら家出っていう事情があっても、クラスの女子を夏休み中ずっと家には泊めるなんてさ。てっきり恋人同士になったからかと……」


「ち、ちげーよ。俺は加瀬宮の友達としてだな……」


「友達ねぇ……まあ、確かに? 紅太はいざっていう時、なりふり構わず人助けしてくれるっていうのは僕が一番よく知ってるつもりだけど……」


 夏樹は考え込むような仕草をして一拍、間を置いた。


「……実際のところどうなの?」


「……どうって?」


「加瀬宮さんのこと、どう思ってるの? ただの友達?」


 夏樹が投げかけた問いは、ありふれたもの。

 仮に高校生活を送るにあたっての参考書があるとすれば、目次に項目として、太文字で記載されているであろう普遍的な質問だ。


 しかし、どうしてかその質問は俺の心を大きく揺さぶった。

 見て見ぬふりをしてきた問題を、敢えて空欄にしていた解答用紙を直接突きつけられたような。


「……………………わかんねぇよ」


 俺にとって加瀬宮小白とは、どういう存在なのか。

 友達。そのたった一言、口を動かせばたった四文字で収まるはずの言葉が出てこない。


「分からない? 本当に?」


「……何が言いたいんだよ」


「お父さんのことがあってから、紅太が他人と距離を置いてるのは知ってるよ。小学校の頃は友達も多かったのに、今じゃ普通に遊ぶのは僕ぐらいしかいないし。他人に失望されるのが怖くなったんだよね」


「流石は幼馴染。なんでもお見通しかよ」


「ずっと見てきたからね。紅太は僕のヒーローだし」


「昔から大袈裟なんだよ、お前は」


「そうかもね」


 赤の他人だったらよかったのにな。そうすれば、「知ったような口きくな」ってはねつけられたのに。


「今の紅太が一番恐れてるのはきっと……加瀬宮さんに失望されること。失望されたくないから、友達のままで居たいんだよね」


 ……夏樹だもんな。こいつはいつでもなんでも受け止めてくれる。それこそ、海のように大らかで大きくて。話してると自然体でいられて、多少踏み込まれても激しい怒りなんて湧いてこない。


「逃げるのはいいよ。でも、自分の気持ちからは逃げられない。一生、死ぬまでついてまわる。それが本音ってやつだよ。……でもまあ、紅太は本音と向き合うのが下手くそだからね。今回は手助けしてあげる」


「手助け?」


「紅太の本音を引き出す、魔法の呪文だよ」


 今は夏休みシーズン。予約制とはいえ混雑しているこの広場は煩いぐらいのはずなのに、俺の耳はいつの間にかノイズキャンセリング機能付きのイヤホンをつけていると錯覚しそうなぐらいに静かだ。唯一聞こえてくるのはいつもより早くなっているであろう心臓の鼓動だけ。


「『加瀬宮さんを僕にちょうだい』」


「絶対にダメだ」


 反射だった。意識したわけではない。夏樹の言葉を耳がキャッチして、脳が認識した瞬間、先ほどまで上手く回らなかった口が自分でも驚くほど滑らかに動き出していた。

 自分が何を口走ったのか。ソレが分からないほど、俺は愚鈍ではない。


「それが紅太の本音でしょ」


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