第37話 プールへ行こう

 楽しい夏休みも中盤に入り、蝉の鳴き声も耳に馴染んできた頃。

 加瀬宮と共に立てた夏休みの計画の中でも特に大きなイベントの日がやってきた。

 ずばり、プールに行く日。

 行き先は『立上りつがみウォーターシティー』と呼ばれる、オープンしたばかりのテーマパークだ。様々なウォーターアトラクションを中心とした大型施設で、全天候型ドームによって季節に関係なく一年中レジャープールが楽しめるらしい。


「今更だけど、本当によかったの?」


「ん? 何が」


「せっかくのプールなのに、僕と来門さんまで誘っちゃってさ」


 電車から乗り継いだバスの中。隣の座席に座っているのは夏樹だ。

 その視線の先には、少し離れた座席に座りながら談笑している加瀬宮と来門さんの姿があった。


「期末テストの時には世話になったし、特にお前にはかなり迷惑かけちまったからな。そのお礼もって考えたら、やっぱこれぐらいのことはしないとな」


 期末テストの時はわけあって俺は家を出て、テストが終わるまで夏樹の家に連日泊まり込みをさせてもらっていた。あの時はかなり迷惑をかけてしまった以上、缶ジュース一本や食事一回……などではとうてい釣り合わないと思った。だから今日一日は、チケット代や交通費含めて夏樹と来門さんの分は俺がもつことになっている。


「別に僕は気にしてないけどねー。毎日紅太と遊べて楽しかったし、母さんたちには別でお礼はしてるんでしょ?」


「なんだよ。プールが不服だったのか?」


「まさか。今日は楽しみ過ぎて昨日の夜は眠れなかったぐらいだよ。そうじゃなくて……加瀬宮さんと二人きりで来なくてよかったの? せっかくのプールなのに」


「むしろせっかくのプールだからこそ、加瀬宮も来門さんと一緒の方が楽しいだろ」


「そーいうことね。加瀬宮さんのことを想えばこそ、か」


 と、夏樹が苦笑したところで、電車とバスを乗り継いだ約八十分の長旅が終わりを告げた。

 バスが停車して、車内にいた乗客たちが次々と降りていく。どうやら目的地の『立上りつがみウォーターシティー』に到着したらしい。


「じゃ、俺たちもそろそろ降りよーぜ」


「りょーかい。あー、ワクワクするなぁ。僕まだ行ったことなかったんだよねー」


「そりゃよかった。お礼のし甲斐があるってもんだ」


 と、夏樹には言いつつも……俺も楽しみだったりする。夏樹みたいに前の日に楽しみ過ぎて中々眠れなかったぐらいには。


 そりゃあ俺もここのテーマパークは行ったことが無かったし、前から気になっていた。よほどのファンでもない限り、一人で来るには中々にハードルが高い場所でもあるし。だけどここまで楽しみにしているとは自分でも驚きだ。


「あっちぃ……」


 冷房の効いていたバスから下車すると、真夏の日差しが熱を孕んだ光となって降り注ぐ。

 容赦のない熱線の雨を手で遮りつつ歩いていると、先に来門さんと共にバスを降りていた加瀬宮たちが視界に入ってきた。屋根で影になっている場所まで避難しているようだ。


 加瀬宮の長い金色の髪が、吹き荒ぶ涼やかな風に流れて揺れる。

 片手で髪を軽く抑える加瀬宮の姿は太陽よりも眩しくて、晴れ渡った空よりも綺麗だった。

 容赦のない太陽の日差しと地面に敷き詰められたアスファルトからの熱にサンドイッチにされて、今にも干からびそうになっているというのに、なぜだか今の俺は暑さなど全く気にならない。


 それよりも今は、ほんの少し先の未来のこと。加瀬宮と一緒に遊ぶことへの期待感で胸がいっぱいで、暑さを感じる機能が麻痺してしまったかのようだ。この感覚は昨日の夜からずっと抱いているもので、俺はプールが楽しみだったというよりも、加瀬宮と一緒に遊べることが楽しみだったのだと、ようやく理解した。


(……いや。でも、この夏休みの間、ずっと一緒に遊んでるしな)


 それどころか同じ屋根の下で一緒に暮らしているわけで。

 今更になって夜眠れないほどワクワクするような理由になるだろうか? 俺は一体、何をそこまで楽しみにしているのだろう。


「ふふっ。今日、ほんとに暑いよねー」


「なんで嬉しそうに言ってんだ」


「せっかくの夏なんだから、夏でしか楽しめないことを楽しんだ方がいいじゃん」


「夏樹のそういう、悪条件の中でも良いところを見つけ出せる前向きさは結構好きだわ」


 だからこそ夏樹の周りには人が寄ってくるんだろうな。こいつのコミュ力の一端を垣間見た気がする。


「夏でしか楽しめないこと、か……まさにプールもそうだよな」


 目の前の『立上りつがみウォーターシティー』のように温水プールがあれば冬でも楽しめるが、冬にわざわざ温水プールに行くのは恐らく多数派ではないだろう。それに屋外で楽しめるのは夏場だけだろうし。


「いいよねー。僕、浮き輪に乗って流れるプールをゆらゆらするの好きなんだー」


「ちょっと油断するとすぐにどっかに流されて行方不明になる度に探してるこっちの身にもなってほしいけどな」


「ごめんごめん。どれだけ流されても最後には紅太が探し出してくれるからさ、つい安心して流されちゃうんだよねー」


「いっそ見捨ててやろうか」


「できないくせに~」


「……うるせぇな」


 実際、夏樹がどっか行ったら探し回っちゃうだろうしな。


「まぁ、今日は女の子たちもいるわけだから、流されるのは控えておくよ」


「そりゃ朗報だ」


「それこそ水着の女の子と遊べる機会なんて、夏ならではだしね」


「水着……」


 水着。その言葉は不思議と俺の心の中にピタリと納まった。

 そしてなぜか、視線の先に居る加瀬宮を見ていると、夏樹の言った『水着』という単語が頭の中をチラついて仕方がない。


 何より嫌なことに。昨日の夜からこの胸を膨らませていた期待感の正体を、俺は感じ取ってしまった。


(…………俺はアレか。加瀬宮の水着姿が見れると思って期待してたのか!)


 しかも夜眠れなくなるぐらいに! どんな変態だよ! 自分でもひくわ!


「どしたの紅太。急に頭を抱えて」


「…………頼む夏樹。俺を殴ってくれ」


「えー……いくら紅太の頼みでもそれはちょっと……ていうか僕、そういう趣味はないし」


「俺だってねぇよ! これはそういうのじゃない!」


「じゃあどういうのさ」


「罪に対する罰だ!」


「ますますわけわかんない」


 よりにもよって今、同じ屋根の下で一緒に暮らしている相手にだ!

 加瀬宮だって俺を友人として信用してるからこそ、うちに泊っているというのに!


「俺はもうダメだ……あの家から逃げ出したい」


「一学期の件をまるまる無駄にしたような発言だよそれ」


     ☆


「……………………!」


「どうしたの? ことみん」


「今、わたしの『参考書』作りの参考になりそうな気配がしました!」



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