第26話 加瀬宮小白のプロローグ

 加瀬宮小白という人間にとって成海紅太という人間は、同盟相手であり、大切な友達だ。

 大切な友達だからこそ、彼の抱えている問題が解決することを喜ぶべきだ。


 勿論、喜んでいる。だけど同時に――――寂しさも感じている。


 家族の問題が解決してしまえば、成海はもうここには来ない。

 だってここは、逃げるための場所だ。逃避するための場所だ。

 逃げる必要がないのなら、もうここには用がない。


「…………嫌なやつだな、私」


 このファミレスで成海と一緒に過ごしている時間が好きだったけど、あの時間がなくなってしまうと寂しくもあって、悲しくもあった。


 壊れた家族がやり直せること。それがどれだけ嬉しいことで、喜ばしいことで、素敵なことか、私が一番よく分かっているはずなのに。


 どうして素直に祝福できないのだろう。


「……………………」


 行儀が悪いかもしれないけど、テーブルの上に突っ伏して目を閉じる。

 何も考えないようにしよう。これ以上、嫌な子になってしまわないように。




「…………ん」


 どうやらいつの間にか、本当に眠ってしまっていたらしい。

 店で眠ってしまったことにちょっぴり恥ずかしくなって顔を上げると。


「あ、起きた」


 目の前にいたのは成海だった。


「お前なぁ、いくら店の中だからって無防備に寝てんなよ。何かあったらどうすんだ」


「…………なんでいるの?」


「あとで迎えに来るって言ったろ」


「言ってたけど……えっ? バカなの?」


「誰がバカだ。今の俺は学年十二位だぞ」


「私は八位」


「ぐぬぉぉぉ……!」


「じゃなくて」


 思わず乗ってしまったけど、そうじゃない。


「……もしかして。家族のこと、失敗したの?」


「いや、おかげ様で上手くいった……まあ。色々と、これからではあるんだけどな」


「……ますます意味わかんない」


「俺もお前の言ってることが意味わかんない」


 これは夢かもしれない。きっとそうだ。夢だ。


「……じゃあ、もうここに来る意味ないじゃん」


「なんで」


「だって……成海はもう、家族から逃げる必要なんてないし」


「そんなことないだろ」


 私の不安なんてお構いなしに、成海はあっけらかんと言い切った。


「今回のことが解決したからって、この先また家族から逃げたくなる日は来ると思う」


「……そうなの?」


「そうだと思う。自分以外の人間と一緒に暮らしていたら、合うところも合わないところも出てくるだろうし。この先、生きてれば家族に言いづらいことの一つや二つできると思うぞ」


「……言われてみれば、普通のことだね」


「そうだよ。普通のことだ。……だって、『家族から逃げたい』っていうのは、別に特別な話じゃないと思うんだよ。どこにでもあって、誰にでもあるような、ありふれた、普通の話だ」


 今回のことは御伽噺や童話のような特別な物語じゃない、と成海は言う。


「でも今は違うんでしょ?」


「そうだな。今は俺なりのペースで、できるだけ、家族と向き合えたらと思ってる」


「だったらもうこんなとこに来てないで、さっさと家に帰りなよ」


 だめだな、私。本当に嫌なやつだ。自分が寂しいからって、こんな……。


「…………加瀬宮はどうするんだ?」


「どうって、変わらないよ。なにも。私はまたここで時間を潰すだけ」


 私の家族はもう終わってる。手遅れだ。

 成海の家とは違う。だから私はずっとここにいる。


「私はこれからも逃げ続けるよ。あの家から、家族から」


「じゃあ、俺はそれに付き合うか」


「は?」


 何を言ってるのだろう、こいつは。


「さっき自分で言ったじゃん。家族と向き合うって」


「それは俺の家族とだ。加瀬宮の家族じゃない」


「……意味わかんない」


「加瀬宮は自分の家族から逃げてるんだろ。だったら俺も一緒に加瀬宮の家族から逃げるだけだ。……俺の家族から逃げ出すわけじゃない」


 それって。つまり。


「……ようするに。アレだ。これからも一緒に居よーぜ、ってこと」


 成海は照れくさそうにそっぽを向きながら、そう言ってくれた。


「そもそも夏休み、一緒にどっか行こうって約束してたしな」


「そう……だったね」


「あのリスト、紙で書いたやつはお前が持ってるんだろ。忘れるなよ」


「忘れるわけないじゃん。ただ……そうだね。ごめん」


 そう。忘れるわけがない。あのノートに書いたリストは折りたたんで、スマホカバーに挟んで持ち歩いている。


「……でも、さ。本当によかったの? 流石に今日は家族と居た方がいいと思うけど」


「分かってる。つーかさ、言ったろ。迎えに来るって」


「えっ?」


「まー、正直。家の空気がまだぎこちないんだ。悪くはないんだけどな。だから、ここは加瀬宮パワーでなんとかしてもらおうかと思って」


「なにそれ」


「うちの父さんも母さんもお前のことは気に入ってるからさ、加瀬宮の話題になると家の中が明るくなるんだよ……母さんはちょっとウザくなるけど」


「いいじゃん。私、成海ママ好きだよ」


「そう言ってくれると母さんが喜ぶよ」


 成海は伝票をとると席を立った。


「まだ自分の家に帰りたくないんだろ? だったら俺んに泊ってけよ。家族みんな歓迎してくれる」


「それって、妹ちゃんも?」


「たぶんな。来門さんの方から話を聞いたみたいだし、もうお前のことをとやかく言ったりはしないだろ」


 苦笑する成海。そして彼は、まだ席に座ったままの私に手を差し出してきて。


「加瀬宮が逃げたいなら、いつまでもどこまでも、世界の果てだろうと、俺が一緒に逃げてやる」


 ――――成海は言った。今回のことは御伽噺や童話のような特別な物語じゃない、って。


 確かにそうかもしれない。『家族から逃げたい』という思いは、誰にだってあるものだ。


 でも。


 成海が私に手を差し伸べてきた、この瞬間。この一瞬はきっと。


「たとえお前が世界を滅ぼす魔王になったって、俺は加瀬宮小白の味方だよ」


 少なくとも加瀬宮小白にとっては、御伽噺や童話以上に、特別な物語のワンシーンだ。


「……なにそれ。私をなんだと思ってんの」


「魔王」


「言ってろ」


 差し伸べられた手に応える。


「ありがと、成海」


 重なり合った手は意識せずとも、自然に繋がった。











 成海の家に行くと、成海ママも成海パパも本当に歓迎してくれた。

 あと、妹ちゃん……琴水ちゃんも、ちょっと気まずそうにしながらも、歓迎してくれた。

 まあね。そもそも義理の兄の女友達っていうポジションって、どう接すればいいのか戸惑うよね。


 ごはんも一緒に食べたりして、お風呂ももらって。

 成海が作り直した家族の団欒はとても眩しくて、温かかった。羨ましくなるほどに。


 そして私は、琴水ちゃんの部屋で寝ることになった。

 正直、リビングのソファーで十分だったんだけど、意外なことに琴水ちゃんの方から提案してきた。


「では、電気を消しますね」


「ん。わかった」


 琴水ちゃんが譲ってくれたベッドの上で、私は何となく天井を眺めていた。


 ……眠れない。思えばさっき、ファミレスで居眠りしちゃったばかりだ。


「…………起きてますか?」


「起きてる」


「そうですか」


 電気も消えた暗い部屋の中には琴水ちゃんの声しか聞こえてこない。

 まるで修学旅行の夜みたいだな、とぼんやりと思った。


「…………ごめんなさい」


「えっ?」


「先輩のことを誤解していました。噂も真に受けて……だから、ごめんなさい」


「ああ、そのこと。別にいいよ。誤解を解こうともせず、噂を放置してた私も悪いし。むしろ当然じゃない? 自分の兄に、悪評のあるヘンなのがついてたらさ」


 なるほど。琴水ちゃんが私と同じ部屋で寝ようとしていたのは、このためだったのか。

 成海の言ってた通り、律儀で真面目な子だなぁ。


「来門会長からも色々、お話を聞きました。お友達だったんですね」


「まあね。意外だったでしょ」


「それは……正直、はい。正反対のお二人だな、と」


「たしかにね。私もそう思う」


 それからまた少し、無言の間が続いた。

 でも琴水ちゃんは起きているようで、何か言いたいことがあるけど言い出せないとか……そんな雰囲気を感じた。なので私はただ、黙って待った。彼女が言い出せるまで。


「あの…………それと……」


「ん?」


「…………それと、ありがとうございます」


「どうしたの、急に」


「兄さんが言ってました。自分がまた家族と向き合えるようになったのは、逃げたからだって。……それって加瀬宮先輩のことですよね?」


「……そうかな。そうだったら、嬉しいけど」


「きっとそうです。だから、ありがとうございます。おかげで……わたしたち家族は、これからやり直すことができます」


「そっか。よかったね」


「はい」


 琴水ちゃんの声は本当に嬉しそうだ。なんだかこっちまで嬉しくなるぐらいに。


「……正直、ほっとしてます」


「何が?」


「加瀬宮先輩が――――兄さんの恋人で」


「……………………………………えっ?」


「兄さんがどのような人を恋人にしようと勝手ですが、ヘンな人だとわたしも心配ですし……だから、加瀬宮先輩でよかったです」


「……………………………………待って」


「はい?」


「……………………………………恋人?」


「そうです」


「…………………………………………誰と? 誰が?」


「加瀬宮先輩と、兄さんがですけど……」


 困惑したような琴水ちゃんの声に、逆に私も困惑してしまう。


「……………………………………違うけど」


「えっ!? 違うんですか!?」


「うん。違う」


「だって今日も、家に来た時に手を繋いでたじゃないですか!」


「と、友達同士でも手ぐらい繋ぐでしょ…………」


「リビングに居た時、兄さんの隣に座っていちゃいちゃしてたじゃないですか!」


「フツーに話してただけだし……」


「あんなにも距離が近かったのに!?」


「そ、それもフツーでしょ……たぶん」


「お父さんとお母さんも『あれは恋人の距離感』って言ってましたよ!?」


「…………そんなことないと思う。たぶん。てかそんなこと言ってたの」


「恋人でもないのにあの距離感は、それはそれで問題があるのでは……?」


「…………………………………………」


 ダメだ。何も言い返せない。


「あの……では、加瀬宮先輩は兄さんを特に異性として意識はしていない、と?」


「成海はあくまでもただの友達で…………別に好きとか、そういうのじゃ……」


 ない、と言えなかった。それ以上、口が動かなかった。


 成海の顔が頭の中で浮かんで、消えなくて、胸がどきどきして、顔が……熱い。


(…………あ、そっか。そうなんだ……)


 私はこの熱の正体から逃げ続けていた。

 でも、琴水ちゃんの言葉で、とうとう気づいてしまった。


「…………私、成海のことが好きなんだ」


 加瀬宮小白は、成海紅太に恋をしている。




――――――――――――――――――――――――


これにて第一章、完結です!


第二章は夏休みのお話で、加瀬宮家の話になり、これまで名前しか出てこなかった加瀬宮さんの姉も登場予定です。


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