第24話 これはきっと、兄妹喧嘩
一学期期末テスト初日。
緊張と不安と希望が入り混じりながらも登校した俺は、どういう偶然か辻川とばったり出くわした。朝の早い時間帯だからか、学園のすぐ傍の通学路にはまだ人けはなかった。
「おはよう」
「……おはようございます」
こちらから挨拶をすると、向こうも複雑そうながらも挨拶を返してくれた。
「……余裕そうですね」
「吐きそうなぐらい緊張してる。おかげで早起きしちまったよ」
あれだけ派手に啖呵をきって出てきたんだから、自業自得とはいえかかるプレッシャーは大きい。
「母さんの様子はどうだ?」
「……落ち込んでますよ。あの日からずっと、あなたのせいで」
「そうか。悪いな、母さんのこと頼みっぱなしで」
「そう思うならどうして帰ってこないんですか」
「今帰ったところで何も変わらないからだ」
「そこまでして変えるべきものがあるんですか?」
辻川の目は、俺の言葉を否定していた。
「お父さんがいて、お母さんがいる。それが世間がわたしたちに押し付けてくる『普通の家族』。『普通の幸せ』です。これでもう他人から同情されることはない、哀れまれることもない、不幸だと決めつけられることもない。これ以上の幸せなんてない。あるはずがない。……わたしもあなたも、欠落の無い家族という完璧な幸せを手に入れた。それの何が不満なんですか?」
辻川琴水という少女が何と戦ってきたのか。どう戦ってきたのか。
それがハッキリと見えた気がした。
……やっぱりそうか。思っていた通りのやつだったよ、お前は。
「……でも俺は居心地が悪かったよ。お前の言う『普通の幸せ』ってやつで満ち溢れてるあの家に、帰りたいとは思えなかった」
「じゃあなんで言ってくれなかったんですか。最初から言えばよかったじゃないですか。居心地が悪いって、気遣いなんて要らないって」
「そうだな……ぶっちゃけ、そこを突かれると耳が痛いわ」
俺はそれを言い出せずに逃げ出してしまった。
「今となっては思うよ。もっと早く言えばよかったって。本音で話し合えばよかったって。そうすれば……少しは変わってたのかもしれない」
「今更ですよ」
「今更だな」
たぶん、誰が悪いとかじゃない。この問題に分かりやすい犯人も悪人もいない。
母さんが俺を気遣う気持ちは理解できる。
俺はクソ親父が求める優秀な子供にはなれなかった。
そこに辻川琴水という、まさにクソ親父の理想を体現したような存在が現れれば……必要以上に慎重になり、気遣ってしまう気持ちも分かる。
辻川が普通の家族を求める気持ちは理解できる。
俺も母子家庭で育ってきた身だ。世間の連中が勝手にこっちを不幸だの可哀そうだのと決めつけてくる不愉快さ、自分を一人で育ててくれる親を蔑まれることへの悔しさ。そういったものを、ただ見ていることしかできない無力な自分への苛立ちも、分かる。
そして俺たち家族は――――壊れる寸前まで誰も、何も、言い出せなかった。
言葉を交わすこともなく、ここまで来てしまった。
罪があるとすれば、家族全員に罪がある。
「今更だとしても……今更だから、俺が責任もってなんとかするんだよ。これでも一応さ。今の俺は、お前のお兄ちゃんだから」
「何が言いたいんですか?」
「お前だって居心地が悪かったんじゃないのか?」
「…………っ……」
俺の指摘に辻川は黙り込んだ。図星を衝かれたかのように。
「そりゃそうだよな。周りは俺に気を遣って、自分が頑張ったことに触れてもらえない。それどころか、自分が頑張れば頑張るほど俺の肩身が狭くなるんじゃないか、とかな……普段の会話にさえ必要以上に気を遣うだろうし」
「……お母さんがそれを望むのなら、わたしは従います」
「俺はそんなこと望んでない」
「わたしが望んでるんです!」
「お前を犠牲にして得た幸せで、父さんが喜ぶとでも思ってんのか」
「――――っ……!」
辻川は目を見開き、虚を突かれたように驚きを露わにする。
「今、お父さんのこと……」
「……ああ。最近な、ようやく呼べるようになった。悪かったよ、ここまで時間がかかって」
あらためて辻川の前で言うのは、ちょっと照れくさいな。
「……実はさ。父さんと協力してんだ」
「えっ……?」
「夏樹の家に泊まらせてほしいってお願いする時に、一緒に頭下げてくれた。裏で連絡とりあってたりもしてる……心配してたぞ。お前のことも」
「…………うそ……お父さんが……」
「申し訳ないとも言ってた。俺にも、お前にも」
辻川からすれば多少なりともショックなのだろう。
俺が家族を壊した。辻川の信じる幸せを壊した。それに自分の父親が絡んでいたなんて。
「……お父さん、幸せそうでした」
俯いて、こちらに目線も合わせないまま、辻川はポツリと言葉を漏らす。
「お母さんと再婚してから、とても幸せそうで……あんなにも幸せそうにしてるお父さん、見たことがありませんでした……だから…………壊したく、なかったのに……」
「……分かるよ。あんなにも幸せそうな母さん、俺も見たことが無かったから」
「それが分かってて……どうして、壊したんですか」
「誰も犠牲にせずあの幸せが手に入るなら、やってみる価値はあるだろ」
俺は再び歩き出し、立ち尽くしている義理の妹よりも先に前へと進む。
「テストは嫌いだけど、今回はちょっと楽しみなんだ。……兄妹喧嘩って、はじめてだからさ」
そう。これは兄妹喧嘩だ。
どこにでもある、ありふれた、普通の、兄妹が喧嘩しているだけの。
「じゃあな。お互い頑張ろうぜ――――
☆
成海先輩は前へと、先へと進んでいく。
その背中はどこか眩しい。少し前までの成海先輩とは違う。
あの人は変わった。良い方向に。
だったら。変化が良いものだというのなら。わたしが望むものは。
ただ俯いて、立ち止まっていることしかできないわたしが望む、不変は。
「…………違う!」
違う。違う。違う。
わたしは知っているじゃないか。
普通こそが、もっとも得難い幸せだと。もっとも正しいカタチなのだと。
「…………わたしは負けない。あなたには、絶対に負けない……!」
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