第23話 よくがんばりました

 強力な助っ人を得た俺は、期末テストに向けての勉強を開始した。


 来門さんは流石、生徒会長。そして入学してから常に学年トップの座を維持している優等生というべきか。一人で勉強していては詰まるところも、彼女に質問すればとても分かりやすく、かつ丁寧に教えてもらえた。おかげでかなり進みはいい。来門さんには生徒会長としての仕事があるのであまり時間はとれないのが残念だ。


 夏樹とは一緒に家で勉強している。成績上位者というだけあって頭がいいが、それ以上にこいつは要領がいい。問題を解くペース配分や効率的な勉強の仕方など、来門さんとは違った面でプラスになった。


「啖呵きって家を出てきたんだよね」


「ああ。それはもう派手にな。それがどうかしたか?」


「ちょっと見たかったかも」


「やめろよ」


「あ、そこ間違ってるよ」


「えっ、うそ」


「途中式の計算ミスってる」


「……うわっ、ほんとだ」


 ノートに書いた途中式を消しゴムで擦り、あらためて計算していく。


「これでどうだ」


「完璧。やるじゃん」


 来門さんや夏樹がいない時は、ファミレスで加瀬宮と勉強している。

 少し前まではバイト帰りにしていたけれど、既にテスト期間に入った今では放課後はこの店のこの席まで直行してギリギリまで加瀬宮と勉強漬けだ。

 ここなら休憩したい時に何か注文できるし、夕食もそのまま済ませることができる。


「加瀬宮って成績いいよな。勉強、得意なのか?」


「普通。たまに紫織に教えてもらったりしてるから、それも大きいかな」


「学年一位の家庭教師か」


「贅沢でしょ」


「けどそれだけで上位には入れないだろ。普段もがんばってるんじゃないのか?」


「まぁ……朝、学校いく前にちょっとだけね」


「俺からすれば、そっちの方が凄いなぁ。今は別だけど、前までの俺なら朝の時間まで勉強に使う気は起きなかったからな」


「こんなの、ただの習慣だから」


「習慣?」


「お姉ちゃんに負けないようにがんばってた頃の、無駄な習慣。それが今もだらだら続いてるだけ……でも、続けててよかったかも」


「一応、理由をきいておこうか」


「成海に勉強を教えてあげられるから」


 目の前で悪戯っ子のように笑う加瀬宮。その顔に思わず見惚れそうになるが、今は見惚れている場合ではない。


「言ってろ。今回で追い抜いてやる」


「じゃあ、成海が教えてくれる番だ」


「おーおー、楽しみにしてろ」


「うん。楽しみにしてる」


 不思議なことに、こうやって時折、加瀬宮との会話を挟むことで逆に集中力が途切れずに続いている気がする。

 いつも耳にしている店内の環境音に加えて、ノートの上にシャープペンシルを走らせる音が心地良い。


「……今回の試験勉強、入試の時よりがんばってるかも」


「奇遇だな。俺もだ。こんなにも勉強したのは中学受験以来だな」


「それ、聞いていいやつ?」


「加瀬宮ならいい」


「じゃあ聞かせてよ。私も成海のこと知りたいし」


「そんな面白い話でもないけどな。クソ親父……前の父親がさ、能力至上主義みたいな感じだったんだよ。ようは『俺の子供なら優秀で当然』『出来の悪い息子は息子に非ず』ってことかな」


 クソ親父のことを思い出すだけでも苛立っていたはずだ。

 なのに今は落ち着いて話せる。なんでだろう。……やっぱり加瀬宮だからかな。


「なんかうちのママに似てる」


「だよなー。俺も同じこと思ってた」


 加瀬宮と二人で笑い合う。穏やかに。なんてことのない雑談みたいに。


「そんなんだからさ。当然、小学校受験もやったんだ。その時は落ちたけど、母さんが庇ってくれてさ。許してもらえたよ。……で、今度は中学受験だ。そりゃーもー、死ぬほど勉強したよ。俺を庇ってくれる母さんの背中とか思い出しながらさ、死ぬほど勉強した。父さんに気に入られるために色々と無茶もやった。とにかく良い息子にならなきゃーってがむしゃらだった。人助けみたいなこともして、俺は価値のある子供ですってのを示したかった」


 勝手に首を突っ込んで、泥だらけになったり擦り傷を作ったりしてた。今思えば黒歴史だ。


「……で、まあ。なんだかんだで中学受験には合格したんだけど、ダメだった」


「受かったんじゃないの?」


「小学校受験には落ちたんだから、中学受験は主席合格じゃないとダメだってことらしくてな。……その時、言われたよ。『お前は、どれだけ俺を失望させれば気が済むんだ?』ってさ。以上、終わり。つまらない昔話だっただろ」


「……………………そっか」


 加瀬宮はしばらく無言になった後、ペンケースから一本の赤いペンを引っ張り出してきた。


「成海。手、出して」


「え? 別にいいけど……右手? 左手?」


「どっちでも。好きな方でいいよ」


「じゃあ……左手で」


 シャーペンを持っていない方の手を差し出すと、加瀬宮の手が優しく包み込んだ。

 伝わってくる柔らかい感触と温もりに心臓の鼓動が急激に跳ね上がる。

 手が熱くなっていることが伝わってしまわないかと気にしていると、赤いペン先が左の手のひらの上を滑り始めた。

 赤いペンが渦巻きのような模様を描くと、その周囲に花びらを付け足していく。


「よくがんばりました」


 左の手のひらに咲いたのは、加瀬宮が俺にくれた花丸マーク。


「――――……はっ。なに、やってんだよ」


「がんばった成海に、ご褒美あげようかなって」


「なんだそれ…………わけ、わかんね」


 …………本当に。加瀬宮とは気が合う。


 だからだろうな。


 あの時、まだ小さな子供だった俺が欲しかった言葉を現在いま、くれたんだ。


「…………っ……」


 まずい。ダメだ。今、加瀬宮の顔をまともに見れない。

 視界が滲む。涙が溢れる。ああ、くそっ。なんでだ。なんでこんなに泣きたくなってんだ。

 いきなり泣き始めた俺に対して加瀬宮はしばらく何も言わなかった。

 俺が落ち着くまで、ただ一緒に居てくれた。黙って傍に居てくれた。


「…………期末テストが終わったらさ、夏休みだよな」


「だね」


「俺たち、今回の期末は死ぬほどがんばってるだろ。だからご褒美にどっか遊びに行かねーか」


「一緒に?」


「当たり前だろ。遊びに誘ってんだよ」


「だったら紫織とか犬巻も誘わなきゃね」


「そうだな。お礼もしたいし……でも、それ以外の日はさ。二人で遊ぼうぜ」


「……私と成海だけで?」


「嫌か?」


「嬉しい」


 加瀬宮がそう言ってくれて、どこか安堵の気持ちが湧いてきた。


「どこか行きたいとこあるか?」


「連れてってくれるの?」


「お前が行きたいところなら」


「じゃあ……プール行ってみたい」


「他には?」


「夏祭りとか」


「いいな、それ。調べとく」


「あとは普通に街をぶらついてみたりとか……あ、テーマパークも。夏に新しくオープンするアトラクション、あれ気になってるんだよね」


「ノートにメモっとくか」


 勉強用のノートから一ページだけ破り取って、夏休みのご褒美リストを埋めていく。


「よし、完成だ」


「夏休み、けっこー楽しみになってきた」


「俺は毎年楽しみだけどな」


「私の場合、あんまりやることないから」


「今年は忙しくなるぞ」


「こんなにも忙しい夏休み、はじめてかも」


 加瀬宮の笑う顔を見ながら、俺は一人、胸の内である決意を固めた。


 この先、加瀬宮が助けを求めることがあったその時は――――全力で加瀬宮の力になる。


(俺に何ができるか分からない。それでも……お前と笑って過ごせるなら、何でもやってやるさ)


 ほんの少し先の未来へと思いを馳せながら、日々は過ぎ去っていく。


 そして、一学期期末テスト当日が訪れた。

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