第4話 同盟

 加瀬宮小白、という少女を語る上で真っ先に思い浮かんだイメージ。

 それを言葉にするならば、『孤高』というところだろうか。

 クールで、そっけなくて、だけど綺麗で。周りを寄せ付けない孤高の輝き。


 それが俺の中で思い浮かべる加瀬宮小白という少女のイメージである。


 彼女の方から誰かに話しかけた姿を見たことが無い。……とはいえ。俺も加瀬宮とクラスメイトになったのは二年生になってからで、つまりまだクラスメイトとしては一ヶ月程度の付き合いしかないのだけれども。


 それ以外はこのファミレスぐらいでしか見たことが無いし、俺が見た範囲では友人と談笑している様子はおろか電話すらもしていなかった。例外があるとすれば、店員さんに注文をする時ぐらいだろう。


「……それって、俺に質問してる?」


「他に誰がいるの」


 そりゃそうだ。加瀬宮が座っている席は店の角で、隣には俺しかいない。

 離れた席の人に声をかけるならもう少しボリュームを上げているだろうし、消去法的に考えても今、加瀬宮が質問した相手は俺しかいない。


「母親とは……そんなに悪くない、かな。良好な親子関係だとは思う」


「母親とは、ね」


 思わず、「しまった」と内心で冷や汗をかいた。


 この言い方だと「母親以外とは仲が悪い」と白状しているようなものだ。

 厳密には新しい父親との関係は悪いというわけではない。向こうから歩み寄ろうとしてくれていることは伝わっているし、それに俺が応えられていないだけ。義妹の方は……まあ、残念ながら悪いという表現が当てはまる。


 しかし、加瀬宮小白は意外と……鋭いな。

 今のは俺の不注意だったとはいえ、きっちり拾ってくるとは。


「ごめん。急に変なこと聞いて」


 俺の警戒心が滲み出てしまったのだろうか。加瀬宮は苦笑しながら謝罪してきた。


「別にいいよ。母親以外と微妙な関係なのは事実だし」


「そっか」


 それから数秒ほど無言が続いたが、またすぐに加瀬宮が口を開いた。


「…………私さ。家族とあんまり上手くいってないんだよね」


「えっ?」


 彼女にとっては地雷だと思っていた家族に関する話題が出てきたので、思わず驚きの声を漏らしてしまった。そんな俺の反応を見て、色々と察したのだろう。


「さっき、家族のことで質問しちゃったでしょ。私だけ踏み込んでそのままなのは公平フェアじゃないし」


「別にそんなこと気にしなくていいだろ」


「そういうの私が気にするんだよね。他人ひとの家には口出さない主義なのに」


「あ、それ俺も」


 同意の言葉が反射的に、口をついて出てきた。


「そうなの?」


「自分の家でさえ持て余してるのに、他人の家にまで口を出せる余裕なんてないだろ」


「あははっ。理由までおんなじだ」


 ――――加瀬宮って、こんな風に笑うんだな。


 思わずそんなことを考えていた自分に、一瞬遅れて驚いた。だけど、加瀬宮が今みせた顔は教室では見たことのないもので、思わず目が惹きつけられてしまったのも事実。


「へぇー……そっか。成海もそうなんだ」


「あれ? 俺の名前……」


「知ってるに決まってるじゃん。クラスメイトなんだから」


 意外だな、と思った。

 俺から見た加瀬宮という少女は、周りのことなんて気にも留めていないと思っていたから。クラスメイトの名前だって大して興味がないものかと、勝手に決めつけていた。


 …………俺は俺で、まだ名前を憶えてるか怪しいクラスメイトが何人かいるのだが。それは黙っていよう。加瀬宮の前で白状するのは気まずすぎる。


「それに、行きつけのファミレスに、いつも決まった席にいるやつがクラスメイトだったら、嫌でも覚えるでしょ」


「ああ、それは確かにそうだな」


 仮に加瀬宮が学園内で有名じゃなかったとしても、覚えていたと思う。

 いつも同じ席にいる、いつものあの子。それがクラスメイトだったら印象に残るだろう。


「……じゃあ、この店に通ってる理由も同じか」


「そーだね。たぶん、同じだと思う」


「「家に居づらいから、店で時間を潰してる」」


 せーの、でタイミングを合わせるまでもなく、俺たちの言葉は完全に一致した。

 思わず吹き出してしまう。そしてそれは、加瀬宮も同じだった。


「気が合うじゃん」


「そうだな。気が合う」


 思わず笑いが零れる。まさか、家に居づらいという理由で同じファミレスで時間を潰している生徒が他にもいたなんて。


「お待たせいたしました。チョコレートアイスになります」


 そのタイミングで、注文したアイスが運ばれてきた。


「きたね。アリバイ作りのデザート」


「無駄な出費だと思うよ。我ながら」


「無駄じゃないでしょ。私たちにとっては心の安寧を買うための必要経費じゃない?」


「……ほんと、つくづく気が合うな」


 その後も、チョコレートアイスを完食するまで加瀬宮との会話は続いた。

 スプーンを持った手よりも口を動かし続けていたせいだろうか。食べる速度よりもアイスが溶ける方が速かった。

 正確に時間を計測したわけじゃないから分からないが、食べ終えるのにいつもより時間がかかった気がする。


「俺、そろそろ帰るわ」


「そ。だったら、私も帰ろうかな」


 伝票を持って二人で立ち上がりレジに並ぶ。今度はかち合って譲るようなくだりは発生しなかった。

 店を出ると、当然のことながら日は沈んでおり、包み込む闇に抗うように街が光を漲らせている。


「せっかくだし、家まで送ってくれない?」


 その提案の意味が分からないほど鈍くはない。


「帰宅時間が引き延ばせて助かる」


「どういたしまして」


 加瀬宮が俺と同じタイミングで店を出たのも、そういった配慮が働いたからだろう。


 いつもの家路とは真反対の道を、加瀬宮と肩を並べて歩く。

 見慣れないアスファルトの道。見慣れないビル。昨日までなら通りかかることもなかったであろう道を、こうして加瀬宮小白と一緒に歩いているのは、なんだか不思議な気分だ。


 ……ああ、まったく。本当に不思議だ。


 昼間までは加瀬宮のことを、ただひたすら『孤高』の存在だと思っていた。

 俺なんかとは違う世界の人間だと思っていた。

 今日も明日もこれからも、特に関わることのない人間だと思っていた。


 だけど今は、こんなにも近い。

 烏滸がましくも、彼女のことをとても身近な人間だと思える。


 それはきっと――――安堵しているからだろう。


 家族とあまり上手くいっていない。わざわざファミレスに入り浸って夜まで粘るぐらい、家に帰りたくないと思っている。

 家族という、死ぬまで逃れられない呪縛に囚われている人間。

 俺と同じ人間がいた。そのことに、とても安心しているんだ。


「成海はさ。こんな遅くまで家に帰って、家族になんて言い訳してんの?」


「さっきも電話で伝えたみたいに、バイト帰りに飯食ってるとか、バイトで疲れたから休憩してたとか……色々だな」


「でもそれ、さすがに毎回だと厳しくない?」


「実はそろそろ限界かなと思ってる。参考までに訊きたいんだけど、そっちは?」


「『私の勝手でしょ』で押し通してる」


「強いなぁ……」


「こうでもしないと、やってらんないから。昔からそうなんだよね。普通に昼間に出歩いてても、向こうは私が変なことしてるんじゃないかとか、疑ってくるようなことばっかりだったし。基本的に信用されてない感じ。まあ、トラブルに巻き込まれたら、お姉ちゃんに迷惑がかかるから仕方がないけど」


 夜に出歩いているから信頼を失くしたのではなく、恐らく順番が逆なのだろう。

 信頼されてないから、こうして夜まで家の外にいるようになった。

 ……それなら確かに、無理やり押し通すしかなくなる気がする。


「そっちの方が大変そうだな」


「かもね。けど、家に居づらい気持ちは一緒じゃん?」


「そこには同意する」


「成海は、明日もファミレスくんの?」


「そうだな。明日もバイト入ってるし」


「ふーん。そっか……」


 加瀬宮が何かを考えるようなそぶりを見せたことで一瞬、会話が途切れる。


「だったら、提案があるんだけど」


「提案?」


「ん。どうせなら、今日みたいにお喋りでもした方が楽しく時間が潰せない? 成海って話してみたら意外と気が合うし……言い訳だって作りやすいでしょ」


 なるほど。確かに今日、話してみて意外と気が合っていたのは事実だ。

 それにいつもより時間が過ぎるのが早く感じた気がする。

 ……正直、数時間も一人で時間を潰すのもこれはこれで大変だったりする。話し相手がいれば、一人でSNSやサイトの巡回をしたりするよりも有意義な時間を過ごせるかもしれない。


「それに……成海になら、話せそうだからさ。愚痴とかも」


「愚痴? 何の」


「色々だよ。学校のこととか、プライベートのこととか――――家族のこと、とか」


 言われて、思わず吹き出してしまった。


「家族の愚痴か。いいな、それ」


「なんでウケてんの」


「ごめん。そういう発想はなかったから」


 家族に対する後ろめたさ。居づらい家。

 たまに夏樹に話したりはするけれど、やっぱりそれでも言いづらさはある。


 愚痴として存分に吐き出すことができる相手なんて――――家に居づらいという気持ちを共有できる加瀬宮ぐらいしかいないだろう。


「愚痴を言い合って、聞くだけ。それ以上、先には踏み込まない……っていうのはどう?」


「うん。いいな。俺たちのスタンスにも合ってるし」


「そっか。じゃあ、決まりだね」


「おう。同盟締結だな」


「同盟か。いいじゃん、それ」


 店を出てから五分もかからずの場所にあるタワーマンションの前で、加瀬宮の足が止まった。


「ここがうち。ありがとね、送ってくれて」


「どういたしまして……うわっ、すっげ。良いとこ住んでるんだな」


「居心地が悪いから、あんまり意味ないけど」


「そりゃそうか」


「そうだよ」


 スマホで時間を確認してみると、時刻は二十二時を越えていた。

 ここから帰るといつもより帰宅時間は遅くなることは間違いない。


「帰ったら何か言われそうな時間だな。言い訳としてはどうする?」


「私の場合は『ファミレスで友達とお喋りして、帰るのが遅くなった』かな」


「ついでに俺の方は『女友達を家まで送って遅くなった』……ってところか。そっちは『帰りは友達と一緒だから変なトラブルに巻き込まれる心配はない』も付け加えたらどうだ?」


「いいね。それ採用」


 無論、二人だからといって安心はできないし、絶対にトラブルに巻き込まれないとは限らない。だが、夜遅くに女子高生が一人で歩いているよりはマシ。……そんな理屈を、いちいち説明する必要はないだろう。


「最後に連絡先交換しとかない?」


「確かに。必要になるかもしれないしな」


「必要なら電話でお母さんに説明してあげようか」


「やめてくれ」


「冗談に決まってるでしょ」


 加瀬宮ってこんな冗談もとばせるんだな。

 そんなことを考えている間に、連絡先の交換が終わった。


「じゃあ、おやすみ。成海」


「ああ。おやすみ、加瀬宮」


「「――――明日の放課後、いつもの店に集合で」」




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