第3話 母親からの電話

 放課後。

 今日も今日とてバイトを終えた俺は『いつものファミレス』ことファミリーレストラン、フラワーズへと直行する。


「申し訳ありません。少々お待ちください」


 が、店内は珍しく混雑していた。いつもなら賑わってはいても、ここまで混むことはない。

 中の様子をうかがってみると、どうやら偶然にも複数の団体客が来店していたみたいだ。

 そんな場面に出くわしてしまうとは。運が良いのか悪いのか分からない。俺としては時間を潰しに来ているので、別にいくら待っても構わないのだが。


 店内端末のタッチパネルにある『大人:一人』のボタンを押す。

 発券機から『26』という番号が印刷された、レシートに似た紙を手に取り大人しく順番を待つ。


「二十六番の方」


 店員さんに誘われるまま、複数の団体客で賑わう店の中を歩いていく。

 いつもは「お好きな席へどうぞ」と、好きな席を選ばせてもらえるのだけれど、今日は混雑しているためそれも難しいらしい。いつも俺が座っている席は、テーブルの上にタブレットを広げて何かの打ち合わせをしているらしい見知らぬ女性たちが使っていた。


「こちらのお席へどうぞ」


「……あ、はい」


 そんな『いつもの席』を横切って辿り着いた席。

 片づけを終えたばかりなのだろう。テーブルを拭いた痕跡が残ること以外、特に何の変哲もないその席の前で、俺は一瞬だけ棒立ちになる。


「…………」


 俺が案内されたのは……今朝と変わらずつまらなさそうにスマホを眺める金髪の女子生徒。加瀬宮小白が今まさに陣取っている、いつもの席の真隣だった。


 驚きのあまり思わず立ち止まってしまったが、そんな反応をされたら向こうだって不愉快だろう。そのままソファー側の席に腰を下ろして、メニューを広げる。

 メニュー自体はもうほぼ暗記しているレベルで通っているのでわざわざ広げる必要はないのだが、常連ぶっているような感じがしてちょっと恥ずかしい。なので、一応パラパラとめくって確認するようにはしている。何を頼むか特に決まっていない時も、こうしてメニューに載っている料理の写真を見て食指が動くこともある。


 今回がまさにそうだった。メニュー表に載っている綺麗な黄色いオムライスが、なんとなく俺の食指を動かした。そのままボタンを押して、店員さんを呼び出す。


「特製ソースの黄金オムライスを一つ。ドリンクバーをセットで」


 注文を終えた後、グラスにコーラを注いで再び席に戻る。

 加瀬宮は相変わらずつまらなさそうにスマホを眺めていたが――――その綺麗な蒼い瞳が一瞬、揺れた。表情も僅かにではあるが険しさを滲ませたものに変わっていく。


 何か事件でもあったのだろうか。それとも家族の誰かに何かあったとか……。


(……俺には関係ないか)


 思考を打ち切って、そのまま自分の席に戻る。

 スマホを眺めて時間を潰していると、注文したオムライスが届いた。


「いただきます」


 スプーンですくった卵の下には熱でとろけたチーズが挟まれており、卵と絡み合って濃厚な甘みが舌で踊る。上からかかっている特製ソースが絶妙で、単調な味にならず完食するまで飽きがこない。


「ごちそうさまでした」


 食べる手が止まらず、あっという間に食べ終えてしまった。

 男子高校生としてはもう少し量があった方がいいが、それは贅沢というものだろう。

 普通ならここで一息ついて帰るのだろうが、家に居づらい俺としてはまだここで時間を潰していたい。


 タイムラインの巡回でもするかと、スマホのSNSアプリを立ち上げたその時だった。


「…………っ……」


 スマホの画面が電話の着信を知らせるものに変わる。

 電話の相手は母さんだった。なぜかかってきたのか。なんとなく予想はついている。

 息を吸って、吐き出す。深呼吸をして精神を落ち着かせて、声にヘンな反応が滲み出ないように心がけながら通話ボタンを押す。


「もしもし、母さん?」


『紅太。あんた今、どこにいるの?』


「……バイトから帰ってるとこ」


 嘘はついてない。

 実際バイトはもう終わってるし、このファミレスは帰り道にあるのだから。


『じゃあ、もう少ししたら帰ってくる?』


「……もうちょっと時間はかかるかな。晩御飯、外で食べて帰るつもりだし」


 厳密にはもう食べ終えているのだけれども、これからデザートを頼めば嘘にはならない。


『晩御飯ならわざわざ外で食べなくても、家に帰れば……』


「バイト終わりってお腹が空くからさ。早く何か食べたかったんだ」


 これも嘘じゃない……はずだ。バイト終わりに空腹を感じているのは事実。


『……そっか。じゃあ、気をつけて帰ってきてね。明広あきひろさんと琴水ことみちゃんも待ってるから』


「……分かった。ああ、別に俺に気を遣って待ってる必要ないから。そっちの方が、辻川つじかわさんたちも気楽でいいでしょ」


 辻川、というのは母さんの再婚相手の苗字だ。辻川明弘つじかわあきひろが新しい父親で、辻川琴水つじかわことみが義理の妹。


 義妹の琴水さんも年頃の娘だし、一つ上の異姓が急に義理の兄になったと周囲に知られれば学園生活に何かしらの影響が出ないとも限らない。高校に入学したばかりで人間関係の構築にも影響が出るデリケートな時期ということもある。なので、戸籍上は既に俺は既にもう「辻川」なのだが、旧姓の「成海」を名乗るようにしている。俺としてもその方がありがたかった。


 別段、必死こいて周囲に関係を隠しているわけではないけれど、だからといって積極的に明かしたりはしない。疑われたらはぐらかしはする。信頼できる口の堅い人間には明かしているが(俺の場合は夏樹)、それだけだ。


『……わかった。伝えておくわ。とにかく、もう暗いんだし気をつけて帰ってきなさいね』


「了解。じゃあ、切るから」


 切ることをこちらから宣言して、通話を終了させる。


「ふぅ…………」


 思わず安堵の息が漏れる。

 別に母さんとは仲が悪いわけではない。むしろ良好と言えるだろう。作家業を営んでいる母さんの原稿を読んで感想を返す、みたいなことをしている程度には、親子関係は良好だ。


 なのに、五分も満たない通話をしただけでここまで疲れるとは。


「……デザート、注文しなきゃな」


 ああ、ほんと。我ながらバカバカしいな。『真実でもないが嘘はついていない』。そんなバカげた免罪符が欲しいためだけにメニューを広げている。

 俺にとっては心の安寧を買うための必要経費だが、傍から見れば無駄な出費だろう。


 とりあえず、デザート系の中では比較的安めのチョコレートアイスを注文する。だけど注文した後で、やっぱりパフェでも頼めばよかったと後悔した。

 だって、きっとアイス単品よりもパフェの方が出てくるまで時間がかかるだろうから。


「家族と仲、悪いの?」


 透明感のある綺麗な声だな、と思った。

 そしてワンテンポ遅れてその綺麗な声が自分に向けられたものだと気づいて、思わず振り向く。


 その問いかけの主は、隣の席に座っていた加瀬宮小白かぜみやこはくだった。


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