第2話 加瀬宮という少女
星本学園高等部二年D組の月曜日一時間目の授業は数学である。
休日明け。月曜日という、恐らく学生と社会人のパフォーマンスが最も落ちているであろうタイミングで数字の羅列と向き合わねばならない。月曜日一限目が数学であるという、学園側が組んだ悪魔のカリキュラム対する不平不満を吐き出すのは、俺たちのクラスの定番の話題だ。
「で、どーなの? 新しい家族との生活は」
そんな定番など知らんと言わんばかりに、人のプライベートに踏み込んできたやつがいた。人懐こい笑みが印象的で、身長は高校生男子の平均よりやや低いぐらい。背の順で並べば真ん中から少し下ぐらいの体格すらも愛嬌に変えている。
にこにことしながら俺の返答を待っている姿は、まるで尻尾を振ってる犬みたいだ。
「あのなぁ、
「嫌なことがあるから、何か雑談して気を紛らわせたいんじゃん」
「だったらもう少し他の話題があるだろうに……」
俺の幼稚園からの幼馴染であり、ついでにいえばクラスも同じ。一度だって別のクラスになったことはない。高校二年生となった今でもその記録は続いていて、「来年どうなるかこうご期待だねぇ」と本人は言っている。
ついでに付け加えると、「どうせ幼馴染ならかわいい女の子がよかったー!」とほざいているが、それはこっちのセリフだ。
「そりゃさー。僕だって親友のプライベートに踏み込むようなことはしたくないけどさー。紅太、お母さんが再婚してからずっとバイト入れてるじゃん。おかげで遊びにもいけないし、気にもなるでしょ」
無遠慮にずかずかと踏み込む無神経なやつ……と、思われがちだが、夏樹はこれで結構その辺のラインは見極める。この会話の中でだって俺が本気で嫌がらないラインをついているし、何よりも俺を心配してくれているものだというのが分かるから邪険にはできない。それに、本当にあの家が嫌になって飛び出したいといえば、夏樹は真剣に俺の力になってくれるだろう。そういう細やかなで大らかな気配りというか……絶妙な立ち回りが、こいつの周りに人が集まってくる要員なのだろうと、俺は勝手に思っている。
「……どーもこーも、相変わらず家には居づらい。以上だ」
「そっかー。お母さんが再婚して、新しい家に引っ越してから……まだ一ヶ月ぐらいだもんね」
「おまけに一個下の義妹付きだ。正直、どう接していいか分からん」
「だからわざとバイトを多めに入れて、バイト終わりにはファミレスで時間を潰してる……だったよね?」
確認するような夏樹の問いに頷く。
――――高校二年生への進級を控えた春休み、俺の母親は再婚した。
相手は、某玩具メーカーに勤めているサラリーマン。
悪い人じゃなかった。むしろ良い人、だと思う。母さんが選んだ相手なら文句はない。女手一つで俺を育ててくれた分、ちゃんと自分の幸せを掴んでほしいと思ってるし、心から祝福もしてる。
それに伴って、俺と母さんは相手の家に引っ越すことになった。
今まではアパート暮らしだったが、今度はなんと小奇麗な二階建ての一軒家。全体的に生活レベルは上がったと思う。新しい父親は良い人だし俺にもよくしてくれている。幸福だ。俺はきっと恵まれている。
だけど、問題が二つあった。
一つは、相手に娘がいたこと。しかも、この春から星本学園高等部に入学してきた、一つ下の後輩だ。成績優秀でスポーツ万能。新入生代表挨拶まで務めていた。
同年代の異姓と一つ屋根の下。接し方には頭を抱えているというのが正直なところだ。
しかも向こうの俺を見る目はどこか冷たい。最初は男性不信なのかと思ったけれど、父親の方とは普通に会話してるし、学園で見かけた時は男性教師とも普通に会話していた。
そして二つ目の問題は……これは単純に、俺が家に居づらいということだ。
まだ新しい家族に馴染めていない。あの家にも馴染めていない。
だから帰りづらくて、バイトを多めに入れたり、バイト終わりにファミレスに寄って時間を潰している。
「ちょっとお節介かもしれないけどさ。いいの? それで。再婚して新しい生活をはじめた途端にバイトを多めに入れたり遅く帰ったりしたら、向こうも気にするよーな気がするけど」
「それは分かってるし、母さんにも新しい父親にも悪いと思ってる。けど……それでもやっぱ、居づらいんだよなぁ……」
こればっかりはどうしようもない。原因はなんとなく分かっているので、自分でも直さなきゃとは思っているが、直せていないのが現状だ。
「ふーん。そっか。居づらいものは居づらいし、どーしよーもないことってあるよね」
ここで「頑張って歩み寄ってみなよ!」とか無理に言ってこない、からっとした感じが、夏樹の好きなところだ。
「バイトやファミレスもいいけど、時間を潰したいなら僕ん
「ん。そうだな。その時は頼らせてもらうわ」
たぶんこれが夏樹の言いたかったことなのだろう。
いつでも逃げ場になってくれる、と。
……ありがたい。特に夏樹は、俺の前の父親のことも知っているから、唯一気を抜いて接することのできる相手だ。
「ねぇ、加瀬宮さん。ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」
不意に耳に届いてきたのはクラスの女子生徒たちの会話だった。
「…………なに?」
進級してから約一ヶ月。新しいクラスメイトに対してまだ慣れていないという点を抜きにしても、加瀬宮の態度は俺の目にもそっけなく映る。元々、どこかクールめというか、孤高さを滲ませている人ではあるけれど、やはりそれを抜きにしてもどこかそっけない。そもそもスマホから目を離していないし。
彼女に話しかけた女子もそれは感じているのだろうが、それでも負けず加瀬宮に話しかける。
「あのさ。加瀬宮さんのお姉さんって、歌手のkuonさんだよね?」
やや興奮気味に問う女子生徒。彼女の言うkuonとは、現在高校生を中心として大人気の歌手(厳密にはシンガーソングライターだった気がする)のことだ。
kuon。本名は
「そうだけど。それが、なに?」
「私、kuonさんのファンなの。だから……お願いっ! お姉さんのこと、紹介してもらえないかな?」
「
クラスメイトの嘆願をバッサリと、一瞬で切り捨てる加瀬宮。
こんなお願い事はもう何度もされているのだろう。実に手際の良いお断りに、心の中で思わず拍手してしまった。
「そこをなんとか……あっ、サインをもらってくるだけでも……私、kuonさんがデビューしてからずっとファンで……!」
「聞こえなかった?」
明らかに、声が一段階冷たくなった。
「嫌だ、って言ったんだけど」
「…………っ……」
まさに気圧された、というのだろうか。話しかけた女子生徒は完全に沈黙し、加瀬宮に背を向けて自分の席へと帰っていった。
いつの間にか二人のやり取りに注目していたクラスメイトたちも、何事もなかったかのようにそれぞれの雑談に戻っていく。
「いやー、清々しいぐらい綺麗に地雷を踏みぬいたね」
「地雷?」
「そ。加瀬宮さんってさ、お姉さんの話されるの嫌がるっぽいんだよねー。去年なんか今みたいな子がたくさん押しかけてきて、大変だったらしいよ」
「へー。知らなかった」
「ま、違うクラスの時だったしね。僕だって誰かの話を又聞きしただけだしさ。……それにどちらかというと、加瀬宮さんは別の噂の方もあるしね」
「あぁ……あれか」
そっちは俺も知っている。むしろ、俺の中で加瀬宮小白という少女に関する噂はそちらの方がよく聞こえてくる。
「夜に遊び歩いてるとか、あんまりよくない連中とつるんでるとか、そういう本当かどうかも分からないテキトーな噂。ああいう話、僕あんまり好きじゃないからさー。耳に入ってくる方も大変だよ」
夏樹がこういう言い方をしているということは、信憑性が低いということだろうか。
こいつは交友関係が幅広い。その分、入ってくる
「……ま、どっちの噂にしたって、俺にはどうでもいい話だな」
「あははっ。確かに、紅太ならそうかもね。
「誰だってそうだろ」
「いやいや。自分勝手な興味や好奇心で、他人の家や家族のことに土足で踏み込んでくる人は多いでしょ。さっきの子みたいにさ」
さっきの女子生徒に対して、なかなかに辛辣な物言いだな。
夏樹も今のやり取りに思うところはあったのだろうか。
「…………」
加瀬宮は引き続き、淡々とスマホを眺めていた。
その姿は夜のファミレスにいる時と何ら変わらない。
もうさっきの女子生徒とのやり取りなど忘れてしまったみたいに……振る舞っている。ように見えるのは俺だけだろうか。
「あ、チャイムだ」
俺の思考を中断させるように学園内にチャイムが鳴り響き、夏樹を含むクラスメイトたちは雑談を止めてそれぞれ席についていく。
(……どうでもいいか)
加瀬宮が何をどう考えていようが、家族とどんな関係だろうが、俺には関係ない。興味もない。
自分の家でさえ持て余しているのに、そんな余裕はないのだから。
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