第509話 私を沖縄に連れて行って その25
俺はギュッと拳を握り締める。
そして……「俺、大学辞めるかもしんない」と。
一瞬の空白。
那覇空港から飛び立った飛行機がはるか上空を飛んで行き、亜熱帯の香りを含んだ潮風が俺達を包み込む。
すると……「うん、知ってた」と弥生。
「へっ?知ってたの?」と鳩が豆鉄砲を喰らった感じで俺。
「うん、遥から聞いた。司君も昨日、そのこと遥に言ったから……」と。
「そ……そうか、知ってたか」と思わず拍子抜けの俺。
「うん」とばつの悪そうな弥生。
気まずい空気が辺りに広がっていく。というのも、弥生には以前から大学に通いながら教員免許を取得してプロになると公言していたからだ。
男子たるもの言っていることがコロコロと変わってしまってはその後の信用にかかわるというものだ。
「そ……その、お前はどう思う。俺が大学辞めるかもしれないってのを……」
もともとは特別指定をもらって、SC東京かビクトリーズ、近場のJのクラブに入団して大学も通いながらプロになるというのが当初の予定だった。
だが、大本命だったSC東京からのオファーがあんな感じではとてもじゃないがそんな悠長なことなんて言ってられない。
俺と司のプライオリティーは既に再来年に開催されるロシアワールドカップに出場するということに変わってしまったからだ。
そのためには、より良い契約を結んでくれるチームに行くことが必須条件なのだ。
たとえそれが北海道でも九州でも、試合に出れる可能性が高いチームならどこにだって行く覚悟を持っていなければならない。
それはポポさん率いる『那覇マーリンズ』だとしてもやぶさかではない。
そうでなければ、今現在、既にワールドカップ予選で鎬を削っているフル代表に割って入るだなんて、夢物語もいいところだからだ。
すると……「神児君が決めたならそれでいいと思うよ」と弥生。
「……へっ?それだけ?」
もう少し、賛成なり反対なりの踏み込んだ意見が聞けるかと思った。
なぜなら、目の下に隈を作った司から、その件について、昨日の深夜遅くまで、遥と喧々囂々のディベートを繰り広げたと聞いていたからだ。
「うん、だって、神児君の人生でしょ。私がどうこう言うのもお門違いじゃない」そう言うとニッコリ笑って弥生。
あれれ、ちょっと投げっぱなしジャーマン過ぎじゃありませんこと?弥生さん。
「えっ……あっ……そのー」
弥生の思いもかけずのつれない返事に次の言葉がなかなか見つけられない俺。
するとすぐに弥生は察してくれたのか、「あっ、勘違いしないでね、神児君。私は神児君の判断を全面的に尊重するから……ね」とすかさずフォローを入れてくれた。
「あっ、そう。そのー……ありがとう」どうやら俺の早とちりらしい。
「ううん、私こそ、そんな大切な事、私に相談してくれてありがとうね、神児君」
弥生はそう言ってペコリと頭を下げた。
ああ、ちょっと心配し過ぎたかな。
てっきり、「そんな成功するかどうかも分からないプロの世界に、せっかく二年間も在籍した大学をほっぽっり出して飛び込むだなんて、そんな計画性の無い人とはお付き合いを考えさせていただきます」ぐらいの事言われてもしょうがないと思ったのに……そこまで全面的に俺のことを信頼されても、それはそれでちょっと心配になっちゃう。
「でもね、神児君」と思いつめた顔して弥生は言う。
その途端、背筋にゾクッと寒気が走った。
大体こういうパターンって、その直後、芯を食ったような大正論をぶち込まれ二の句が継げなくなったりしますよね。みなさんもそういうご経験ありませんか?
「ハイッ!」と思わず直立不動になって返事をする俺。
すると……「私ね、神児君の最後まであきらめないところ……とても好きなんだけど……でもね……頑張り過ぎて無茶するのは……もう……よして欲しいな。だって、君が怪我して悲しむところ……もう見たくないから」と弥生は作り笑顔で言う。
けれど、そこからは、どこか痛々しそうな感じが、どうしてもヒシヒシと伝わってくるのだ。
「俺、そんなに悲しんでたかな……」そういって俺は左足の太ももの裏をギュッと掴んだ。
確かにハムストリングの怪我でオリンピックは棒に振ったけど、不幸中の幸いでそれ程の大怪我って訳じゃなかったし……そんな風に弥生は見てたのかな。
なんとなく腑に落ちない感じがして弥生の顔をまじまじと見返すと……
「やだっ、私、何、言ってんだろ。プロのサッカー選手目指している人に……ゴメン。今の無し、忘れて」弥生はそう言って必死に取り繕った。
でも、俺はそれが弥生の本心だと確信したんだ。
その瞬間、俺の脳裏に前の世界の出来事が思い浮かぶ。
今とは違う170cmに満たない体で、プロの世界に入り、なんとかこの世界で生き抜いてやろうと悪戦苦闘してたあの頃を……
一か八かのプレーは当たり前、それどころか絶対に間に合わないと思ったボールでも、無理やり頭から突っ込んで脳震盪を起こしたことも何度もあった。
サポーターの間では「恐れ知らずのフットボーラー」なんて称賛されてはいたが、そんなのはまやかしだった。
本当のことを言うと、それ以外での生き残る術を当時の俺は知らなかったのだ。
そして、それが最悪の形で現れたのが1年目のシーズン終盤での出来事だった。
自らの稚拙なトラップミスで招いたピンチに、俺は無茶な体勢から、ボール奪われないように体を入れたその時だった。
ちょうど、左膝の関節がロックした状態で俺と相手プレーヤーの体重が一気のしかかったのだ。
俺の左膝から「ブチンッ」と終わりを告げる音が聞こえた。
その瞬間すぐに分かった。
なぜなら司からその音の事はこれまで何度も聞かされていたからだ。
診断は『左膝前十字靭帯断裂及び半月板損傷』、全治10カ月の重傷だった。
けれどもその時既に、俺は気付いていたんだ。
俺のフットボーラーとしての寿命はあの瞬間に尽きてしまったことを……
今なら分かる。「勇気」と「無謀」は全くの別物なのだと。
一か八かのプレーなら、冷静に立ち止まり何度でもチャレンジすればいい。
「あきらめないプレイ」とは本来そう言うものなのだ。
だが、いつ契約が切られるか分からない恐怖に怯えた俺は、そんなことを考える余裕すら無かった。
司からは何度も口酸っぱく言われていた。
「そんなプレーを続けていたら、いつか壊れちまうぞ」と……
全てが終わったと思いつつも、諦めきれずに、終わりの見えないリハビリを続けていたあの日、俺に一通の手紙が届いた。
名前は書いてなかった。
けれど、その手紙には、俺がプロ入りしてからずーっと俺の試合を見続けてくれた事を……
そして俺の最後まであきらめないプレーがとても好きだという事を……
いつの頃からか俺のプレーが勇猛果敢なものから無茶で無謀なものに変わってしまったという事を……
毎試合、心配で心配でしょうがなかったという事を……
それでも、俺の試合を見ずにはいられなかったという事を……
そしてその手紙の最後には、お願いですから『勇気』と『無謀』をはき違えないで下さいと……
読んでいる俺にまで伝わってくるような切実さで書き綴ってあった。
その手紙をもらって、こんな俺でも見ていてくれるファンがいることが純粋に嬉しかった。
いつ治るかもわからない、暗い暗いリハビリのトンネルの中、その手紙だけが唯一の心の支えとなった。
あの手紙を書いてくれた人は、あの世界での俺の最後の試合を見てくれたのであろうか……俺はあの後もずーっと心の奥底で引っ掛かっていた。
そしていつの頃からあの手紙を書いたのは……弥生、実はお前だったんじゃないのかと……そう思うようになっていたんだ。
けれど、そんなことを尋ねたところで今のお前は知る由もない。
だってそうだろ。
なぜなら、あの手紙を書いたのは、前の世界での、俺のプレーを見続けてくれたあの人なのだから。
ポジションを失わないために、毎試合綱渡りのようなプレーを続けてその挙句、奈落の底に落っこちた鳴瀬神児という結局プロの世界では生き残ることのできなかった一人の哀れなフットボーラーの末路を、最後まで見届けてくれたあの人なのだから。
相変わらず弥生は、俺に背を向けて俯いたまま。
「分かったよ、弥生。勇気と無謀は違うもんな」
願わくば、あの世界の俺に手紙をくれたあの人にも伝わればと……そんな思いを抱きながら、俺は弥生を背中からゆっくりと抱きしめたんだ。
11月の沖縄の潮風は、そんな俺達をどこまでも優しく包み込んでいった。
https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16818093075571317466
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