第500話 私を沖縄に連れて行って その16

 八王子の鯱が先頭集団に合流したもつかの間、スコールが吹き荒ぶ天仁屋の下り、拓郎はR(アール)のキツイブラインドコーナーへノーブレーキでダイブした。


 あっ、コレ、死んだ。


 『八王子の鯱、沖縄の地で客死する』


 俺の脳裏にそんな言葉が浮かんだ瞬間、拓郎の『ヴェンジ』はまるでオン・ザ・レール感覚であっさりコーナークリア。


 まるで俺達と全く別の乗り物に乗っているかのようだった。


 そしてそのまま、一気に独走状態。


 あれ……これって、ヤバイ奴じゃね?


 集団のみんなもそう思ったに違いない。


 明らかに自分たちのマシンとは違う挙動、違うスピードでスコールの中を突き進んでいく『SPECIALIZED S-Works Venge』


 すると、その異変にいち早く気が付いた、キング・オブ・ツール・ド・おきなわは拓郎を追いかけるべく、集団から抜け出したのだ。


 そしてその様子を一番近くで見た俺達は、勇気を持ってその場でステイ。


 だって、こんなスコールの中、あんなイカれたスピードで坂を下ったら、命がいくつあっても足りませんもの。


 そのくらいに今の拓郎のダウンヒルは圧倒的だった。


 だが、三度王者に輝いた誇り高きキング・オブ・ツール・ド・おきなわは、そのプライドに掛けて、スコールの中を我が物顔で走る八王子の鯱を捕まえに行く。


 そうして、二人は俺達の視界からあっという間に消えてなくなった。


 もしかして俺達は今、二人を追いかけなければならないのか?


 若干不安に駆られてた俺は石巻さんの顔を見ると、キュッと唇を真一文字に引き締めてからしっかりと首を振る。


 ここは我慢。そして、こんな雨の中でハイペースになった展開では 自滅するのがオチだ。


 俺達は皆、心の底から拓郎の健闘を祈ることにした。


 なぁ、拓郎、偉大なチャンピオンと思う存分タイマンやって来いよ。


 後で骨は拾ってやるからさ。


 ついでに名護湾にでも捨てとけばいいかい?


 それから俺達は、今のは見なかった事にして淡々とペダルを漕ぐ。


 だって、そのくらいに酷いスコールだったんですもの。


 まずは自分の身の安全の確保。


 他人(ひと)のパフォーマンスに煽られて自分を見失っちゃダメダメ。


 だって雨の中のカーボンホイールの下り程おっかないものは無いんだもん。


 自分、不器用ですんで……


 でも、確か中岡さんもリムブレーキ勢だったはずなのに、よくこんな大雨の中、ディスクの拓郎を追走できたもんだ。


 改めて俺達と中岡さんとのテクニックの差は天と地ほども開いているのだと思い知らされた。


 そんな感じで、カヌチャリゾートの坂を抜けた時だった。


 オフィシャルカーのスピーカーから、「ただいま先頭の選手が久志(クシ)の関門を通過、三つ目のスプリント賞を取ったのはゼッケン238番、森下拓郎選手です」と聞こえてきたのだ。


 やりやがったな、拓郎。しっかりと、爪痕ならぬ歯形を残せたじゃねーか。


 俺も司も思わず拳をギュッと握った。


 さぁ、今度は俺達の番だな。 



 ……三日前、


 

「ピンポーン♪」


 玄関のチャイムが鳴った。


 俺は玄関のドアを開ける。


「こんにちわー、元気しとったかー」と優斗。


「おじゃましまーす」と陽菜ちゃん。


「にーちゃーん、後で海水浴しよー」と春樹。


「沖縄はまだまだ暑いなー」と親父。


「神児、あんた足のケガの方は大丈夫なの?」とおふくろ


「あなた、なんか得体のしれない請求書が家に来たんだけれど」と司の母ちゃん。


 ツール・ド・おきなわの応援に来た皆さんが到着しました。いらっしゃーい。



「陽菜ちゃん、待てーい」


「あはははは、春樹君、捕まえてごらん」


https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16818093074519381173


 青い海と白い砂浜。



 午前中に軽い練習を終わらせた俺達は、そのまま、最寄りの『美ら(ちゅら)SUNビーチ』で春樹達と水遊び。


 海水浴はもうちょっと無理かもしれないが、波打ち際での水遊びだったらまだまだぜんぜん行ける。

 

「しっかし、びっくりしたでー、神児君や司君はともかく、拓郎まで学校ほっぽらかして沖縄来るだなんて」と優斗。


「まあ、『那覇マーリンズ』から練習参加のオファーがあったしな、奴もオリンピックで夏休み返上だったし、少しくらい羽延ばしてもいいだろ。優斗だって『マーリンズ』から練習参加の要請が来てたんだろ、一緒に来ればよかったのに」とアルコール抜きのブルーハワイを飲みながら司。


「羽延ばす言うても、こっち来てからは自転車漬けなんやろ」とうんざりとした顔の優斗。


「「まあ、確かに」」そういって、ゲラゲラと笑う俺と司。


「でっ、拓郎の奴は何やっとるんや?」


 見ると拓郎は先程から、隣のパラソルでウエイターよろしく、じいちゃんや、ばあちゃんや、おふくろさんのご機嫌を取っている。


 おや、おじいちゃんも、おばあちゃんも、トロピカルカクテルだったらいけるんですね。


 見ると、おばあちゃんは、ココナツミルクベースの『チチ』を、おじいちゃんは、オレンジジュースとグレナデンシロップの入った『セックス・オン・ザ・ビーチ』を美味しそうに飲んでいる。


 おそろいのかりゆしウェアが似合ってますよ。


「そういや、優斗、先週の試合、ハットトリックおめっとさん」と司。


「ああ、司君、試合チェックしてくれてたんか」とコーラを飲みながら優斗。


「サッカー部の方はどうよ」と俺。


「まあ、10月中にリーグ戦の優勝決めたけど、流石に司君に神児君に拓郎までいなくなるとちょっと厳しかったわ」


「でも、得点王、ぶっちぎりじゃないか、優斗」


「まあ、言うても、大学生で唯一オリンピックに選ばれたFWさかい、得点王くらいとっとかんと手師森監督に合わす顔ないやろ」と優斗。


「「「「言うよねー」」」」と俺と司と遥と弥生。


「そのくらい言わせてーな、みんながいない間、ボク頑張ってきたんやから……ってか、神児君も司君もインカレまでには戻ってくるんやろな」


「いや、ツール・ド・おきなわ終わったら、すぐに帰るよ。八王子に」と司。


「えっ、『那覇マーリンズ』の練習出なくてええんかいな?恒田さんに聞いたんやけれど、『神児も司も、2、3回顔出しただけでその後ずーっと自転車乗ってんだよ』ってブツブツ文句言っとったで」


「「……ですよねー」」と俺と司。


 『那覇マーリンズ』さんには往復代のチケット及び宿泊費まで全部出してもらっているにもかかわらず、実際、俺も司もほとんど全体練習には参加してない。ポポさんにもお世話になってることだし、『ツール・ド・おきなわ』が終わっても来週いっぱいまで沖縄で『那覇マーリンズの』練習に参加しますか。


「ってか、お前も、『那覇マーリンズ』からお金出してもらって沖縄来たんだろ」と司。


「はい、ついでに陽菜のチケットも出してもらってますわ」と優斗。


 まあ、親父におふくろ、そして春樹までお金を出してもらっている俺からは何も言えないけど……


「ってか、大丈夫なのかよ、『シーサーエアライン』随分と大盤振る舞いすぎやしないか?」と司。


「まあ、大丈夫やろな、今朝乗った飛行機の中ガッラガラやったで、あと10人くらい余分に乗せても楽勝やろ。やっぱ茨木空港まで行くんはキツイて」と優斗。


「ちなみに、今朝、何時起き?」


「なにいってるんや、前泊や前泊、八王子駅から二時間半かかんのに始発で間に合う訳ないやろ」とごもっともの優斗。「まぁ、言うても、神児君のお父さんがホテルのでっかい部屋取ってくれたんで俺も陽菜もそこに泊まらせてもらったんやけどな」


 あら、そうなんだ。あとで親父にお礼いっとかなきゃ。


「ってか、司君も策士やなー」とキッチンカーで買ってきたハンバーガーを食べながら優斗。「あっ、これっ、うま!!」


「何がだよ」と。


「聞いたで、SC東京の横堀さんから。司君、かなり怒っとったって言ってたで」と優斗。


 ちなみに横堀さんとはSC東京のスカウトさんね。


「いやいや、全然そんなこと無いよ」……と言いながら、怒筋を浮かべる司。こういう時のこいつは怖いんだ。


 実はオリンピックが終わった後、SC東京のフロントさんに呼ばれて、来シーズンから特別指定でうちに来ないかという話をしたのだ。


 俺も司も、もともと、明和から特別指定でSC東京に入団することを目指していたので、渡りに舟かと思っていたのだが……提示された条件が『SC東京』ではなく、セカンドチームの『SC東京U-23』だったのだ。


 こういう考えはちょっと傲慢かなとは思うんだが……一応、俺達、U-23日本代表ですよ。それなのに、J3の『SC東京U-23』からスタートですか?


 ってか、そもそも高三の時にJ2だったビクトリーズのオファー断ってんですけど……


 さらに司はもっと露骨に態度に出して「これって、どういう了見ですか?」と社交辞令ナシのノータイムでいきなり核心を突く。


 すぐにSC東京の強化部長さんは「もちろん、U-23で結果を出せばすぐにトップチームに引き揚げるつもりだよ」と言ってくれたのですが……


「じゃあ、僕たちは、最初からトップチームの25人枠には入って無いってことですよね」と司。


 こういうことに関しては全部司に任せ、俺は美味しく出されたコーヒーを飲んでいる。うーんおいしー、これはモカですか?


「いや、もちろん、君たちの実力は私達も高く買っている、ただ、チームの編成上、どうしても優先順位というものがあってだね……」と苦しそうな部長。


 まあ、確かに俺達のポジションにはチームレジェンドの徳長選手や代表経験者の小田さんなんかもいて、チーム事情が大変なのは分かるけれど、だからと言って向こうの都合にこっちが合わせてあげる必要など何もない。あー、コーヒー美味しかった。「じゃあ、帰るか、司」と俺。


「へっ、だって、話はこれからで」と目が点の強化部長。


 すると、以心伝心の司は「SC東京さんのおっしゃりたいことは、とてもよく分かりましたので、『那覇マーリンズの』ポポリッチさんからも同じようなお話を頂いているので、そちらの方の話も聞いてきますね」と昨年までSC東京の監督だったポポさんの名前を出す司。こういうところがいやらしいんだよな、コイツ。あっ、褒めてるんだからね。


 そうして、SC東京さんとの最初の交渉はものの5分で物別れとなった。コーヒーごちになりました。げふっ。



「……でっ、どうするつもりや」と優斗。


「どうするも、こうするも、なぁー」と俺。

「なぁー」と司。


「そもそも、『那覇マーリンズ』に行く気あるんか、神児君達」


 正直、本命のSC東京の当て馬として、ポポリッチさんには悪いが利用させてもらっているが、こうして沖縄に来てみると、これはこれで沖縄もいいかも~と思っている自分がいる。


 もっとも、こっちに来るのなら、大学は休むか辞めるかのどっちかしかないんだが……


「まぁ、八王子に帰ったら、もう一回『SC東京』の話を聞いてみるよ」と司。


「それで、条件が変わらんかったら?」


「うーん、実は札幌ドサンコーレからも話もらってるんだよなー。一緒にジンギスカン食いに行くか優斗も?」と司。


「……考えとくわ」


 沖縄の青い海に白い砂浜、そしてどす黒い俺達の心内。はてさて一体どうなる事やら。


「あっ、すいませーん、店員さん。俺にも『ブルーハワイ』アルコール抜きで持ってきてもらいませんか?」


「了解なのねー」


 決戦まであと三日。俺たちの運命やいかに!!


https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16818093074543206872

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