第499話 私を沖縄に連れて行って その15
https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16818093074052811977
天仁屋(アニヤ)の二段坂を越えると、そこから一気に下りに入り海岸線に出る。
山を登って海に出る。今日俺達は一体何度この工程を繰り返してきたのだろう。
起伏に富む沖縄本島の山原の森。観てる側からしたら面白いだろうが、やっている側からしてみたらまさに地獄だ。
そして天仁屋の下りも相変わらずの片側車線。どうやら随分と派手な土砂崩れがあったみたいだ。
頼むぜ、レース中に発生……なんてのだけは勘弁してくれよな。
アタックを潰された中岡さんは再び集団に戻ると、またまた虎視眈々とチャンスを窺っている。
もっとも下りに入ると誰もがリスクを背負おうとはせず、集団のペースは一向に上がらぬまま。
常識的に考えれば、ここにいるメンバーの誰かが今年の勝者になることは間違いない。
ならば、こんな路面の悪い状況での雨の下りで勝負を掛ける必要などまったく無いのだ。
万が一落車でもしようものならその瞬間に全てが終わってしまう。
誰もが勝利とリスクを天秤にかけ、互いに牽制しながら天仁屋の下りの中ほどを過ぎた頃だった。
その時、俺達の背後から、あん畜生の声が聞こえてきたのだ。
「アイルビーバックなのねー!!」
そこにいる皆が思わず振り返った。
視線の先には泥まみれの八王子の鯱が……あれ、鯱って淡水でも泳げたんだっけか?
まあ、いいや。
とにかく、待ちくたびれたぞ、コノヤロー!!
最先端の技術を用い、空力性能を極限まで引き上げた『エアロロード』、
ダウンヒルでの性能を限界ギリギリまで引き上げる『ディスクブレーキ』に『スルーアクスル』、
そしてウェットな路面状況でも確実にグリップする『チューブレスレディータイヤ』、
おまけに乙女心のように移り変わりの激しい沖縄の天気、
最新鋭の機材とそこそこの実力、そしてありったけの運、それら全てを味方につけた八王子の鯱が、今、再び、集団に合流した。
お前、もしかしてここで一生分の運を使いきっちゃいやしねーか?
デデン・デン・デデン!!
…………またまた、九日前だよ、
「ピンポーン♪」
玄関のチャイムが再び鳴った。
あれっ、誰だろ。弥生も遥もまだ帰ってこないはずだが……
俺は玄関を出てドアを開ける。ガチャリ。
https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16818093074049165277
「…………あっ、拓郎のおばさん、こんにちは、奴なら奥のリビングにいますよ、ハイ」
俺はそうとだけ言い残すとスマホを持ってさっさと近所のコンビニに避難した。
すると、背後から……「あんた、一体、何考えてんのー!!おじいちゃん、腰抜かしちゃったじゃないのー!!」とおばちゃんの怒鳴り声が……くわばら、くわばら。
お買い物は計画的にね♪
俺は近所のコンビニに行ってスマホ決済でアイスコーヒーを頼むとイートインで時間つぶし。
あれっ……なんだか最近全く同じシチュエーションに出くわしたような気が……しないでもないでもない。こういうのってデジャビューっていうんだよね♪
なんて思っていたら……「あれ、神児君どうしたの?」と弥生。
あらやだ、ここまで一緒かい。するってーと……「司の馬鹿はどこ?」と遥様も。
「馬鹿は逃げ遅れました」と俺。
「はっ?何いってんのアンタ」
「いや、実は、かくかくしかじか……」
……三十分後、
そろそろ話しは終わったかと、民泊に戻ってみると……あらやだ、まだまだお説教の真っ最中じゃないですか。
司、とっとと話を終わらせちゃよ、まったくもー。
見ると、テーブルに座っている拓郎を囲むように、拓郎のおばちゃんとおじいちゃんとおばあちゃんも居た。
おおっと、これまた随分と大人数でいらしたんですね。ようこそ沖縄に。(ハート)
すると……「あんた、いい加減に本当の事いいなさい、この自転車一体いくらなの!!」と、おばさんはそう言うなり、バーンッ!と79万円の請求書をテーブルの上に叩きつけた。
おやおや、4割引きのはずなのに結構いいお値段してますね。
「だから、定価が123万円なのねー、ウソじゃないのよー」と涙目の拓郎。
おいおい、どうやら、初っ端のところで躓いてるじゃねーかよ。
俺はポケットからスマホを取り出すと、123×0.6×1.08と計算する。
お値段は……おや……79万7000円。
「店長さん、7000円もおまけしてくれたのね」と弥生。
だが……「そんな100万円もする自転車がある訳ないじゃない!!」と拓郎の『VENGE』を指さすおばさん。
はい、私もそんな風に思っていた時期がありました。100万を超す自転車なんてある訳ないと……でもおばさん、聞いてください。
実は『VENGE』の両脇にある俺とおじさんの『TARMAC』も、そして、そこの壁に吊るしてある司の『CANYON ULTIMETE』も、ここにある自転車は全部100万オーバーなんですよ。
ついで言ってアレなんですが、そこの『CANYON』なんて、ホイールだけで100万オーバーなんですよ。怖いですね。ウホッ。
そういや、MJKの皆さんもいつの間にかいなくなっちゃってます。賢明なご判断かと思います。はい。
すると……「よろしかったらどうぞ」と司が皆さんにコーヒーを持ってきた。
https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16818093074049203587
「あっ、わりーな司。じゃあ、俺は砂糖とミルクのアリアリでヨロー」と俺。
その途端すげー勢いで睨みつけて来る司。やだなー、上司、冗談ですよ、冗談。
しかし……「司、悪いんだけど、冷蔵庫からホイップクリームとキャラメルソース持ってきて」と遥様。
さらに、「あっ、司君、ごめんね、ついでにそこにあるブランデーもスプーン一杯入れてくれると嬉しいかな」と弥生。
お前も容赦ないね。いや、確かに美味しいだろうけどよ、このタイミングでカフェロワイヤル頼むか、ふつー?
さらに、「あっ、ボーイさん、わたしゃどうも、コーヒーみたいなハイカラなもんはちょっと……お茶とかありませんか?」とおばあちゃん。
「出来たらわしも、お茶の方がええのー」とおじいさん。
「承知しました」
司はそう言うと、スタスタとキッチンに戻っていった。
なるほど、お前はそうやって逃げたのか。
そして拓郎の横で申し訳なさそうに正座しているおじさん。
そうですよね。考えようによっちゃあ、おじさんも共犯者ですもんねー。こりゃ、たいへんだー(棒読み)
すると……「拓郎、わしはな、お前が変なことに巻き込まれてるんじゃないかと心配で心配で夜も眠れんのじゃ」とおじいちゃん。
思わず目を逸らす、おじさんを含めたここにいる全員。
まぁ、『ツール・ド・おきなわ』は変な事……ではないですよ。多分、はい。
さらに……「せっかくオリンピックに出て近所の皆さんにも応援してもらったのに、変なことに手を出して皆様の期待を裏切っちゃいけないぞ。拓郎」と至極まっとうなことを言うおじいちゃん。
そうだぞ、拓郎。今の言葉、ちゃんと胸に刻んでおけよ。
「そうだよ、たっくん。もし変な人に騙されているんだったら、ここで正直に全部話しなさい。ばぁちゃんも一緒におまわりさんとこ行って謝ってあげるから……ねっ」とおばあちゃん。
俺は思わず司のおじさんを見る。すると可哀そうなくらいに縮こまっている。
やっぱーさー、それだけの金額の物買うんだったら、ご両親の確認くらい取っとかないとまずかったんじゃないんですか?おじさん。
すると、「本当に、こんなことになって情けない」とシクシク泣き始めたお母さん。
誤解が誤解を呼んで、今まさに濁流に飲み込まれようとする八王子の鯱。
いざとなったら差し入れしに行ってやるからさ、『ヤンジャン』と『ヤンマガ』どっちがいい。今のうちに聞いておくから。(ゲラゲラ)
確かに「自転車買ってあげるよ」とは言ったが、突然、80万弱のトマホークのような請求書が飛んで来たら誰でもヤバイことに足突っ込んでいると思うだろ。
お前、馬鹿じゃねーの?いや、マジで。
本当にそれで行けると思ったの?
後でちょっとガチで詰めたいと思う。
すると……「お待たせしました。粗茶になります」とウエイター司がやって来た。
おっ、そういや、『ウエイター司』ってなんか語呂がいいな。
各々のテーブルの前にお茶やらコーヒーを置き終えると、また司はそそくさとキッチンへと戻っていった。
こいつ、完璧に逃げ切るつもりだな……ったく。
まぁ、お仕置きはこのくらいでいいかなと思ったところで、俺と遥と弥生で目を合わせてから、遥が頷く。
確かにこの中だったら遥が一番信頼があるからな。
すると遥は自分のスマホをポチポチポチ。
そして……「おばさん、これちょっと見てもらいたいんだけれど」と遥がスマホの画面を拓郎の母ちゃんに見せる。
覗いてみると、それは『スペシャライズド』の公式ホームページ。
「まったくもー、ちゃんとHPに乗ってるじゃないの……」と司が持ってきたコーヒーを啜りながらおばちゃん。
「おやおや、たっくんの乗っている自転車と同じ奴だねー」と老眼鏡を覗き込みながらおばあちゃん。
「ふーん、どれどれ」と同じく胸のポケットから老眼鏡を取り出したおじいちゃん。
直後、「「「ブフォ」」」と盛大にお茶とコーヒーを噴出すたっくんのご親族。うん、それがまっとうな反応ですよね。
「なっ、なっ、なんじゃ、この123万円とかいう頭のおかしい値段は」とおじいちゃん。
「なんなの、拓郎、これ、エンジンかなんかついてんの」とおばさん。
「この自転車は空でも飛べるのかい、たっくん」とおばあちゃん。(まぁ、ある意味空は飛べますが、ゲラゲラ)
どうやら、拓郎が嘘をついているのでも、騙されているのでもなく、自分の意志で123万円もする自転車を(40%のoffだよ)購入してしまったことを理解してしまったご家族のみなさん。これはこれである意味地獄だ。
「あんた、123万円あったら、お米何トン買えると思ってんの?」とおばさん。
おや、この発想はおばさんからのものだったんだな、たっくん。
「車じゃ、自転車じゃなく、車の値段じゃ」とおじいちゃん。
「たっくん、アンタはこのすぺしゃなんちゃらとかいう会社に騙されてるんじゃ」とおばあちゃん。
おばあちゃん、『スペシャライズド』ですよ。(ニッコシ)
「いったい、サイクリングするだけなのに123万円もする自転車に乗るってどういう了見なの、ちゃんと説明しなさい拓郎!!」と、どうやら何から何までお家の方には黙って沖縄までやって来た拓郎。
お前さー、もうちょっと、親子のコミュニケーションって奴、大切にした方がいいぞ。いや、マジで。
すると、それすらもすでに織り込み済みだったのか、今度は弥生が拓郎のおばちゃんとおばあちゃんとおじいちゃんに『ツール・ド・おきなわ2016(熱帯の花となれ 風となれ)』のパンフレットを渡す。ついでに選手エントリーシートもね。
「えっ、なに、あんた、サイクリングじゃなくって自転車レースに出るの?」とびっくしのおばちゃん。
「拓郎、お前、サッカー選手じゃなかったっけ?」とキョトン顔のおじいちゃん。
「おや、まー、自転車の世界にも甲子園があるんだねー」と妙に納得顔のおばあちゃん。
そして、「そうなのねー、僕はサッカーでもオリンピックに出て、そして自転車でもロードレースの甲子園といわれている『ツール・ド・おきなわ』で日本一になるのねー」と盛大な大風呂敷を拡げた馬鹿。
おいっ、お前、ナニ開き直ってんだよ。
馬鹿も休み休み言え馬鹿っ!!
お前程度の登坂能力で勝てる訳ねーだろ。『ツール・ド・おきなわ』舐めんなよ。
俺は拓郎に大上段から大正論をぶちかましてやろうと思ったら「「まぁまぁまぁまぁ」」と弥生と遥から何故だか止められた。
ふと、周囲を見渡すとあたりの空気が変わっている。おやっ?
「本気なのか、拓郎?」とおじいちゃん。
「本気なのね、大谷翔平がピッチャーとバッターの二刀流なら、僕はサッカーと自転車の二刀流なのねー」と随分な事を言う拓郎。冗談も休み休み言え。そして、とりあえず翔平さんに謝れ。
「たっくん……いつの間に、こんなに立派になって」とハンカチで涙を拭うおばあちゃん。もしもし、騙されちゃだめですよ。
「拓郎、アンタ、本気なの?」とおばさんも。
いや、だから、本気になってもやれることとやれないことがあるじゃないですか。
だが、留まるところを知らない拓郎は、「大谷翔平がピッチャーとバッターで世界一を目指すのなら、僕はサッカーとロードレースで世界一を目指すのねー」と高らかに拳を上げた。
おい、お前、とりあえず、一つだけ言わせてもらうぞ。『ツール・ド・おきなわ』勝っても、『日本一』にはなれるけれど『世界一』にはなれねーからな。
すると……「よく言った、拓郎、エライ!!さすがは森下家の跡取りじゃ」とおじいさん。
えっ、さっきまで拓郎の事、犯罪者かなんかだと思ってませんでしたか?
「たっくん、いつの間にやら立派になって」と涙を拭き拭きおばあちゃん。
いや、おばあちゃんも、一緒に警察に出頭するって言ってましたよね。
いやいや、騙されちゃいけませんよ。そもそも立派な人間がおじいちゃんに80万弱のあんなエグイ請求書渡しませんて。
気がつくと拓郎の大風呂敷にまんまと丸め込まれてしまった森下家の皆さん。ご愁傷様です。
すると……「もう余計な事言うな神児」といつの間にか俺の背後に立っていたウエイター司。あっ、すいません。コーヒーおかわりお願いしできますか?アリアリで。
「そうよ。とりあえず、なんだかうまく話が収まりそうだから、これ以上余計な事言わないでね。めんどくさいから」と結構なことを言う遥。
そして、「神児君、『雄弁は銀、沈黙は金』って言葉知ってる?」と意外と冷静沈着な弥生。
……まぁ、みんながそこまで言うのなら、黙ってようじゃないか。幾ばくかの罪悪感を感じながら俺は司の入れたコーヒーを飲む。
……ずずっ、あっ、やっぱ、こいつの入れたコーヒーうめーなー。
すると、どんどんと盛り上がっていく森下家の皆さん。
「うちの孫は、八王子の大谷翔平じゃー」とテンション爆あげのおじいちゃん。
「さっそく、インスタに上げて、シニアクラブの皆さんにLINEでお知らせじゃー」と意外としっかりSNSを使いこなしているおばあちゃん。
「拓郎、本当に信じていいのね」と唯一まともな(?)お母さん。
いや、だから信じちゃダメだって。
そして……「よーし、分かったー。優勝したら、じいちゃん、その自転車の代金、積み立てNISA解約して払っちゃうぞー」とおじいちゃん。おやおや、随分とハイカラな資産運用をされてらっしゃるのですね。ってか、それ、絶対やめない方がいいっすよ。後で後悔しても知りませんからね。
すると、「おじいちゃん大好きなのねー、でも、万が一、優勝できなくても表情台に上がれたら、なにかご褒美頂戴なのねー」そういっておじいちゃんにギュッと抱きつく拓郎。その瞬間、目がキラリと光ったのを俺は見逃さなかった。
あっ、お前もしかして、スプリント賞だけゲットして、どうにかしようなんて思ってんじゃないだろうな。
結構腹黒いんすよ、うちの鯱。
そんな感じできゃっきゃうふうふと盛り上がっている森下家。
その様子を見て、もう俺達は、変に水を差すのはやめて思うという賢明かつ無難な判断をした。
すると、ひとしきり盛り上がった拓郎の家族はすっかり満足したのか、「じゃあ、私達は泊っているホテルに帰るから」とおばさん。
家族三人でホテルですか。なかなか豪勢ですね。まあせっかく沖縄まで来て日帰りじゃあアレですもんね。
「えーっと、いつまでこちらにいらっしゃるのですか」とおじさん。
「せっかくだから、たっくんのレースが終わるまでこっちにいようかのー」とおじいちゃん。
そんな急に贅沢してもいいんですか?こっちのホテル代って結構しますよ。
「そうじゃのー、せっかくのご招待じゃから、お願いしたらステイをエクステンションしてくれるんじゃないのかのー?」と結構所々で若者言葉使うおばあちゃん。
「「「……って、えっ?ご招待?」」」と思わず首を傾げる俺達一堂。
「あれ、皆さんもご招待で沖縄に来てるんじゃないんですか?」とおばさん。
「……いや、ご招待というか」
まぁ、『那覇マーリンズ』の練習に参加って名目で来てるんだけれどね。一応は。
「そうじゃよ、なんやら、『那覇マーリンズ』とかいう来年からたっくんがお世話になるチームのおエライさんがウチに来て、『是非、沖縄にいらしていろいろ見学して行って下さい』ってのう」とおばあちゃん。
「そうじゃよ、飛行機のチケットからなにから用意してくれて、おまけにホテルも好きなだけ泊ってっていいって、おーしゃんびゅーじゃよ、おーしゃんびゅー」とノリノリのおじいちゃん。
那覇マーリンズの手回しの良さに思わず背筋がぞっとする。
「えーっと、僕、学校辞める気は全然ないのね」とちょっと顔色が青ざめてきた拓郎。
「これ、気が付いたら外堀埋められちまう奴じゃねーか?」と若干口元を引きつらせながら司。
「あんまり調子に乗んない方がいいかも知んないわよ」と遥。おい、お前、飛行機ただ乗りしてそれ言っちゃうの?
狸と狐の化かし合いの様相を呈して来た沖縄合宿。
さぁ俺達の明日はどっちだ!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます