第497話 私を沖縄に連れて行って その13

 東村(ひがしそん)平良(たいら)の交差点を通過すると集団はまた山道に入っていく。


 そこからは細かなアップダウンが延々と続き、170kmからの距離を走り終えた選手達の体力を躊躇なく削っていった。


 西海岸側に比べて東海岸側のコースは明らかにキツイ。


 その上、先程のスコールのせいで、山肌から流れ出した泥水がところどころで茶色い水たまりを作っている。


 カーボンホイールのリムは水で濡れると途端に制動力が落ちる。泥水ならなおさらだ。


 選手達はなるべく水たまりに入らぬように走るのだが、折悪しく、最近、土砂崩れが起きたのか、国道331号線は片側の車線が通行止めとなっている。


 選手達はやむを得ずと言った感じで、茶色い水たまりに次々とバイクを突っ込んで行く。


 そうなると必然として集団のペースが落ちていく。


 もしかしてこの展開だと、最後のゴール前でスプリント勝負になるのか?


 中岡選手はそこまで見越して集団の後方で体力を温存させていたのか?


 どうも全てが後手後手に回っているような感がして精神的にも疲れが溜まっていく。


 ふと、隣を走っている司の顔を見ると、やはりと言うかあんまし顔色が良くない。


 きっと100万からするおニューの『ライトウェイト』を泥水に突っ込ませるのは精神衛生上よろしくないのだろう。それともアレか?もしかしてスタミナ切れとかいうんじゃないんだろうな。


 おい、司、頼むぞ、ツール・ド・おきなわの勝負所はここからなんだからな。


 集団は天仁屋(アニヤ)の二段坂に入っていく。


 ツール・ド・おきなわ 2016、ゴールの『21世紀の森体育館』まで残り32.5kmとなった。




 …………九日前、



 朝一番でポポさんの所に行くと、「ちょっと膝に疲れがたまったので、しばらく練習はお休みします」と伝えた俺達。


 だって、昨日もツール・ド・おきなわのコースを試走してきたんですもの、嘘は言ってないよね。


 ポポリッチ監督の寂しそうな目が俺達の罪悪感を甚く刺激する。


 さっ、切り替えて行こう。


 すると、ロード練に入るや否や、『水を得た魚』ならぬ『水を得た鯱』のようにぐいぐいとスピードに乗る拓郎。


「待て、待て、待て、待てーい」


 司の声を無視して、後続を一気に引き離していく。


 おい、司、お前もヤバイホイール入れたんだからさ、ちょっとはアタックして潰してこいよ。


 だが、俺も司も慣れないカーボンホイールにちょっとおっかなびっくり。


 だって加速の感覚も、ブレーキの利き具合も今までと全然違うんですもの……


 それに段差一発、うん十万円ですし…… 


 ってか、なに、この『BORA ONE』、全然スピード落ちないんですけど……



 そんな感じで午前中はお互いのバイクを交換しながら、やいのやいの新兵器の分析をする。


 ヤダ、これ楽しいー。


 おじさんの気持ちが今なんとなく分かったような気がする……



「ってか、なにこの『ヴェンジ』、明らかにスピードの乗りがヤバいんだけど……」と司。


「何いってんの、司君。この『ライトウェイト』だって相当ヤバいのねー。こんなに剛性あるのに重さが今までの半分だなんて感覚がバグっちゃう。登り坂なのに下り坂みたい。登り坂が得意になっちゃうのねー、ボク」と目を白黒しながら拓郎。


「さすがにヒルクライムになると司の『ライトウェイト』や俺の『ターマック』の方が分はあると思うけど……やっぱ平地になると圧倒的だねこの『ヴェンジ』」と俺。


「いや、恐るべきはエアロロードよ。空力追及するとこんなにスゲーんだ」とこっちも目をパチクリと司。


「いやー、うちのチームでもそんな高価なバイク誰も持ってないっすよ、ヤバいっすね森下さん」と石巻さん。


 あっ、石巻さん、調子に乗るんで、コイツ呼び捨てでいいっすよ。


「でもさー、これだけ高価なホイールだから本番だけ使おうかと思ったんだけど、今までと感覚が違い過ぎるんで、しっかり走り込まないと本番ヤバいぞ」と、百万からする『ライトウェイト マイレンシュタイン オーバーマイヤー』をマジマジと見ながら司。


「そうですね、スピードの乗りやブレーキングの感覚もかなり違うんで、本番までこのままで行った方がよさそうですね」と新浜さん。


「確かに、これで集団とか走るとブレーキのタイミングが今までと違うからちょっと怖いんですよね」と『ボーラワン』を見ながら俺。


「うん、そうだね、司も神児君も今日からカーボンホイール履いて練習しておいた方がいいよ。僕から大下さんに言っておくから、司も遠慮しないで下りではブレーキをガンガンかけて走りなさい」とおじさん。


「サンキュー、おやじ」と司。


 カーボンホイールを履いて、下りでハードブレーキングをすると熱を持ちやすいと言われているが実際のところ、今日初めて使ってみたのでそう言うところの感覚がまだ全然分からないのだ。


 聞いた話だと、下り坂でブレーキ掛け過ぎると、途中でカーボンのリムが熱もってタイヤがバーストするとか、ブレーキパッドが熱もってフェード現状起こすとか……まぁ、怖い話はいろいろと聞いている。


 その一方で……


「でも、ボクの『ヴェンジ』、ディスクだから全然関係ないのねー」と新品の油圧ディスクブレーキをキュッキュと掛けながらニコニコの拓郎。


「まあ、確かに、下りの安定感が半端ねーなー、それ」と司。


「僕、登り坂も苦手だけど、下り坂もあんまし得意じゃなかったのねー。でも、今日はすごく早く下れたのよ」と拓郎は首を傾げる。


「それ、多分、スルーアクスルのお陰じゃないですかね?」と新浜さん。


「「「スルーアクスル?」」」と俺と司と拓郎。


「あっ、じゃあ、森下さん、ちょっとソレ貸してもらっていいですか?」と『ヴェンジ』を指さす新浜さん。だから、呼び捨てでいいっすよ。


「はい、どうぞなのね」と新浜さんにバイクを渡す拓郎。


 すると、新浜さんは慣れた手つきで『ヴェンジ』のフロントホイールを固定しているシャフトを外す。


「はい、これが、スルーアクスルです。僕たちのレリーズバーよりも太いでしょ」そういって、拓郎のバイクから取った『スルーアクスル』を見せてくれた。


「はい、ものすごく……太いです……(ポッ)」



 ロードバイクの場合、通常、タイヤを固定するにはレリーズバーという直径9mm程のシャフトを使っているのだが、拓郎の『ヴェンジ』はディスクブレーキの為、固定するシャフトは直径15mmの『スルーアクスル』という部品を使っている。


 本来、『ディスクブレーキ』のメリットとしては、ホイールの中央にあるブレーキローターでバイクを停止するためにリムにダメージを与えないということがあるのだが、実戦で使用してみると、実はそれ以上に、ダウンヒル(坂の下り)でのフロントの安定性が素晴らしという声が上がるようになってきた。


 つまりどう言う事かというと、ディスクだと下りでガンガン攻められるということなのだ。


「そうそう、狙ったラインをスーッと通ってくんですよ」と俺。


 こういっちゃ悪いが、ダウンヒルの性能に関しては拓郎のバイクの方が俺のバイクよりも一枚も二枚も上だ。ヤバイな、こっちの『ヴェンジ』もだんだんと欲しくなっちゃった。


 するとおじさんは俺の気持ちを見透かしたのか、ニコニコしながらうんうんと頷いている。


 あれっ、もしかして司の人の心を見透かす能力っておじさんの遺伝?


「ツール・ド・おきなわは富士ヒルみたいな登り坂だけじゃないから、そう考えると結構アドバンテージ大きいっすね」と高畑さん。クライマーなだけあって下りに関しても一家言持っている。


 と、その時、ポツポツと空から雨が降って来た。


「あー……振ってきましたねー」と掌を上に向けて石巻さん。


「沖縄の場合これがあるからねー」とため息をつきながらおじさん。


「でも、まあ、これが『ツール・ド・おきなわ』ですからねー」と新浜さん。


「どうします?今日はもう終わりにしますか?」と俺。


「いや、亜熱帯のツール・ド・おきなわ。レース中に雨が降るのは一度や二度は普通です。せっかくですから、今日は雨天走行の練習をしましょう」と石巻さん。


 石巻さんの提案によって『与那林道』下り終えた俺達は辺戸岬に向かって進んで行った。 

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