第496話 私を沖縄に連れて行って その12

 集団は沖縄本島北部の国頭村(くにがみそん)を抜け東村(ひがしそん)へと入る。


 沖縄県内では二番目の長さとなる県道70号国頭東線(くにがみひがしせん)が終わりに近づく頃、一団は学校坂から続いていた山岳地帯を抜け再び海岸線に出た。


 雨はその途端に上がり、雲の切れ間から太陽が顔を覗かせる。


 11月の陽光が海面(うなづら)に反射してキラキラと瞬いてる。既に太陽は中天に差し掛かろうとしていた。


 例年のこととはいえ、路面のコンディションがこの短時間で大きく変わるのはなかなか精神をすり減らす。


 これが南国特有のレースの難しさだ。


 雨が降ったせいで山岳地帯では中岡さんのアタックも影を潜め一団はペースを落とし淡々と走り続けていた。


 気が付くと中岡さんは、集団の最後尾に付け俺達の様子を虎視眈々と窺っている。


 ロードレースにおける駆け引きでは、どうやら俺達はこのチャンピオンの引き出しの多さに、初手から勝負にならないらしい。


 ならばとすっかり腹を決めて、俺達は最後の最後までこの偉大なチャンピオンに食らいついて行こうと決めたのだ。


 どうやら俺は、フットボールでも、そしてロードレースでもこういう戦い方しかできないらしい。


 まぁしょうがない。それもまた運命と受け入れよう。


 だが、あきらめの悪さだけは誰にも負けないと自負している。


 さあ、キング・オブ・ツール・ド・おきなわよ、名護の街に戻るまでにけりを付けようなんて寂しいことは言わないでくれ。


 そして、最後の1m、いや1cmまで、このレースを心ゆくまで楽しもうじゃないか。


 八王子の狂犬は一度喰らいついたらそう簡単には離さないんだ。


 レースは残り40kmを切り、今年の優勝者はどうやらこの集団の中の誰かになるのはほぼ決まったと言っていい。


 時折吹き抜ける潮風を感じつつ、集団は再び山岳地帯へと入っていく。


https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16818093073432327832



 …………相も変わらず、十日前だよ。



「おい、貴様、なんだそれは」


 もう父親だという事をすっかり忘れてしまったのか、おじさんに向かってずいぶんな口を利く司。

 

 さすがに俺と司の視線に気が付いたおじさんは、すぐに弁解を口にする。


「違う、違う、違う、違う」


 どうやら生命の危機を察知したらしく、可哀そうなくらいに取り乱すおじさん。


 大丈夫です命(タマ)までは取りませんから。(ニッコシ)


「訳を……聞こうじゃないか」


 まるで地獄の閻魔様のような声で実の父親を問い詰める司。うわーいおっかなーい。


 でも、しょうがないじゃないか。おじさんが持っている馬鹿でっかい段ボール箱の真ん中には『SPECIALIZED S-WORKS』のロゴがデカデカと書かれてあるんだから。


 それはどっから見てもロードバイク本体が入っている箱だよね。えっ、なに?また新車買っちゃったの?


 ちなみに今現在のおじさんのバイクは『SPECIALIZED S-WORKS TARMAC SL5 Di2』。


 なんだ、お前の乗ってるバイクと一緒じゃないかだって?


 そうだよ、おじさんから貸してもらってものすごく気に入ったから、おじさんもこのフレームを用意してくれたんだよ。そしておじさんが今抱えている箱を改めて見ると『Venge』の文字が……


 あーあー、やっちゃったねー、おじさん。こりゃ間違いなく『ギルティー(有罪)』だ。


 ちなみにおじさんの持っている『SPECIALIZED S-WORKS Venge』とはスペシャライズドが誇るフラッグシップモデルの両巨頭のもう一方。


 軽量かつオールラウンダーな『TARMAC』と空力性能を極限まで突き詰めたエアロモデルの『Venge(ヴェンジ)』。


 2016年現在、国内のアマチュアレースではほぼ、この2強で占められていると言っても過言ではない。


 しかも最近では、エアロモデルと言われているはずの『Venge』がヒルクライムレースを優勝することもしばしば。


 ほんと買うとしたら『TARMAC』か『Venge』かと悩ましい。


 以前から、おじさんが自転車雑誌に載っている『Venge』を見てため息を吐くのを何度も見ている。


 はいはい、その気持ちよーくわかりますよ。平地の『Venge』とオールラウンドの『TARMAC』、片方持っていたらもう片方の事とっても気になりますもんね。


 でもね、おじさん、やっぱ越えちゃいけないラインってあるよね。


 と、その時、「違う、違う、違うのねー」と今度は拓郎が声を上げる。


 おやっ、一体これはどういうことだい?


「それは僕がおじさんにお願いしたバイクなのねー」と拓郎。


 ……はい?


「拓郎の」と俺。


「バイクだと」と司。


「これが?」と弥生。


「アイスもう一つ行っちゃおっかなー」と遥。……おいっ!


「そうなのよー、『スイフト』のイベントレースで勝ったら『スペシャライズド』から割引クーポン貰ったので、買っちゃったのねー」と拓郎。


「そ……そうなんだよ、司。お前たちが沖縄に行った後、拓郎君から頼まれて購入したんだよ。ほら、大下さんの所の自転車屋、スペシャライズドの正規販売店だろ。俺が口利きした方が安く手に入るし」と、命拾いした様子でおじさん。


「なーるほど」と俺。


「そういう事ね」と弥生。


「なんかつまんないわね」と遥。……おいっ!


「ちなみにおいくら?」と司。


「んー……クーポンが30%オフでおじさんの口利きで10%引いてもらったから4割引きなのねー」とおじさんから渡された『Venge』の箱をなでなでしながら拓郎。


「できたら、拓郎君と一緒に持って来たかったんだけれど、部品が間に合わなくて、後から送ってもらったんだよ。それに神児君のフレームも一緒に買ったからホントお買い得だったんだよ」と苦しい言い訳のおじさん。


「ったく、紛らわしい事しやがって」と毒を履く司。


「どうもすいません」とおじさん。


 ……えっ、そこ謝るところですか?


 そう考えると、結局おじさんがお金を出したのって、海外通販で買ったボーラ二つだけか。もっともそのうちの一つは後で俺がお金払うし……親父、お金、貸してくれっかな……


 ちなみに拓郎、確かにこいつは俺達の中で一番スイフトをしてるのだが、乗っている自転車はおじさんに頼んで組んでもらった国産の中古のクロモリフレームにダブルレバーのデュラエース。そしてホイールはおじさんの手組。


 20世紀のロードバイクそのものって感じで、サイクリングするならこれで十分なんだけど、レースに使うとなると、やはり重量が9キロオーバーの自転車だとさすがにキツイ。


 もっとも、実際これで高校の時には何度か一緒にレースに出たりもしてたのだが……


 と、そんなことを思っていたら、おじさんと拓郎はテキパキと段ボールから自転車を出して組み立て始めた。


 そうなってくると、俺も司もそういうの嫌いじゃないので一緒に組み立てを手伝う。


 すると、ものの30分で組みあがってしまった。


 まあ、いうても、細かいところはほとんど大下さんの店で組み立て済みだったけどね。


 そんなわけで、出来上がった拓郎の新バイク、『SPECIALIZED S-WORKS Venge VIAS DISC Di2』


https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16818093073432395775


 スペシャライズドの叡智の全てを集結させたバイクと言ってもいい。


「いやー、こうしてみると、えっぐいなー」と俺。


「でっかいけどペらっぺらねー」と見たままの事を言う遥。


「なんか……鯱みたい」と弥生。


「ってか、ダブルレバーからいきなり油圧ディスクかよ……世代いくつ飛び越してんだか」と改めてため息を吐く司。


 にまにまと油圧ブレーキをキュッキュと握りしめながら拓郎。


「ってかー、あんたんちも相当お金持ちねー」


「いや、おじいちゃんとおばあちゃんがオリンピック出たご褒美に買ってくれたのねー」


「ご褒美で『スペシャ』の『ヴェンジ』かよ、おまえんちどんだけ金持ちなんだよ。しかもディスクブレーキだし」とため息つきながら司。


 ……いや、お前がそれ言っちゃう?俺から見たら、お前ん家も相当だぜ。


「うん、じいちゃんが『何が欲しい』って言ってくれたんで『自転車ー!』っていったら、『そんなもんだったら何台でも買ってやるぞ』って言ってくれたのねー」とニコニコの拓郎。


 すると……「それ絶対、普通のママチャリと勘違いしてわよ」とそっと俺に耳打ちしてくる遥。


「……だよなー、定価で100万からするバイクだなんて夢にも思ってないよなー」と眉間に皺寄せて俺。


「あらやだ、やっぱ100万からすんのね、コレ」と口を引きつらせて遥。


「ちなみに拓郎君、おじいちゃんからその自転車のお金、もうもらったの?」と俺達のやり取りを聞いて弥生。


「……んー、まだ、請求書も見せてないのねー」そう言って目を逸らした拓郎。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 意外と腹黒いんですよ、八王子の鯱って。まあ、このあと、こいつん家がどうなろうが知ったこっちゃない。


 それよりも大切なのは、俺達にとっての戦力が確実に上積みになったという事実なのだ。


 ところで、拓郎、その自転車、後でちょっと乗らせてみそ。

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