第495話 私を沖縄に連れて行って その11

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 中岡選手の矢継ぎ早のアタックにより徐々に集団がばらけて来る。


 これがキング・オブ・ツール・ド・おきなわの勝利の方程式だ。


 過去三度の優勝とも、終盤での終わりの無いアタックで集団を篩(ふるい)に掛け、最後は単独で名護の街に帰ってくるという展開だった。


「鳴瀬さん、ここで離されたら終わりですよ」とボトルを渡しながら石巻さん。ほんと何から何まですみません。


 すると……「北里さん、前に選手がいます、気を付けて」と新浜さん。


 見ると、俺達の前にスタートした女子の選手達がいた。


「追い抜くとき気を付けてくださいよ。あっちも、もうアップアップだから」


 確かに最後の力を振り絞りといった感じで坂を登っている。


 と、その時、前を走る女子選手の一人がふらーっとカーブで膨らんだ。


 それを避けようと集団のスピード一瞬落ちる。


 その間隙を狙ってキング・オブ・ツール・ド・おきなわがアタックを仕掛けた。


「鳴瀬さん、急いで!!」それと同時に石巻さんはダンシング。


 ……十数秒後、


 どうにか中岡選手の前に出て、石巻さんはチャンピオンのアタックを潰してくれた。


 本当に食えないチャンピオンだ。油断も隙もあったもんじゃない。


 その後もオフィシャルカーやオフィシャルバイクを巧みに利用してキング・オブ・ツール・ド・おきなわは揺さぶりをかけて来る。


 一瞬でも気を緩めたらあっという間に置いてかれる。


 気が付くとぽつぽつと雨が降って来た。


 亜熱帯に属する沖縄本島。


 この時期、一日の何度も天気が崩れることは珍しくない。


 気が付くとあっという間に辺りはスコールに包まれる。


 カーボンディープホイールの唯一の弱点と言われる雨の下り。


 俺達は細心の注意を持って学校坂の下りを走る。


 ツール・ド・沖縄2016。いよいよレースは佳境に入っていく。



 …………またまた、十日前だよ。



「なんだ、それは、親父」


 そう言っておじさんが抱えている黒い段ボールを指さす司。おやおや、声がちょっと震えてますぜ上司。


「んっ?これ?『らいとうぇいと』だよ」と事も無げに言うおじさん。


 まるで芸人のやしろ優が『あしだまなだよ』と言ってるのと同じ感じ。近所のコンビニで肉まんでも買ってきたかのようなお気楽さで言う。


「へー、黒い段ボールだなんてなかなかシャレてるわね」と普段はおじさんが買ってくる自転車部品など全く興味のない遥の目にも珍しく留まる。


「珍しいよねー、黒い段ボールだなんて」と二つ目の『元祖御菓子御殿 紅いもタルトアイス』を遥と仲良く分けながら弥生。あっ、それ、俺にも一口ちょうだい。


「この『ちんすこうアイス』もおいしいのよねー」とわざとらしく目を逸らしてアイスを頬張る拓郎。どうやら、こいつにもおじさんの持っている黒い段ボールの価値は分かるらしい。


 これから起きるであろう北里家の修羅場を察してか既に逃げの体勢に入っている八王子の鯱。流石、野生生物だけあって勘は鋭いぞ。


 すると……「何やってんだよ、オヤジ!!完璧にライン越えてんぞ、それ!!」といつも冷静沈着でよっぽどのことでは取り乱すことの無い司がついに大声を上げた。


 こんな司を見たのは、その昔、遥達と一緒に行った多摩っ子ランドのお化け屋敷以来だ。(ゲラゲラ)


 司の大声にビクンッを反応する弥生と遥。


「えっ、なに?なに?おじさんまたやっちゃったの?」と司の慌てっぷりに勘の鋭い遥は、その黒い段ボールの価値をなんとなく推測する。


「えーっと、それってやっぱお高いんですよねー」と恐る恐るといった感じで弥生。


「そっ、そんなことないよー」と幼稚園児でも分かるような見え透いた嘘を吐(つ)くおじさん。


「ところで、それは『Light Weight(ライト ウェイト)』のなんだ?」とまるで取り調べ中の検事さんのような鋭い目つきで詰問する司。もしもし、アンタ、一応血の分けた実の父親なんだからさ、もう少し穏便にならんもんかね?


 しかし、おじさんはそんな司の態度もまったく意に介さずといった感じで「んーっと、これは、らいとうぇいとの『まいれんしゅたいん おーばーまいやー』だよ」と。まるで穢れを知らない子供のようなつぶらな瞳で言いやがった。


「ブフォッ!!ゲホンゲホン」


 すると、まさかの拓郎が盛大にアイスを噴出し苦しそうに咳き込んでいる。


 一方の司は目を真ん丸にして口をポカーンと開けたまま。


 その二人の反応で大体察しがついた女子二人、気まずい空気がリビングに広がっていく。


「離婚案件だ」とボソリと司。


「いやいやいやいや、そんな訳ないって」とさすがに焦り始めたおじさん。


「おふくろに黙って、ターマックのフレームにボーラ2セットにライトウェイトのオーバーマイヤーって、なに考えてんだよ親父」と、どこまでも悲しそうな顔で司は言った。


「えーっと、それって、そんなに高いの?」と大体の事情を察した遥。


「たしか、『おーばーまいやー』って100万はしたのね」となぜか気まずそうに一番の門外漢の拓郎が言う。


「「ひゃっ、ひゃくまんえん!!」」と声をそろえて女子二人。


「そ……そんな、自転車の車輪二つでひゃくまんって」と口をパクパクしながら弥生。さらに「ろまねこんてぃが買えちゃうじゃん」と。


 おいっ、お前の例えも相当おかしいぞ、弥生。


「お米が3トン買えちゃうのよね」と拓郎。


 うん、お前の例えもちょっとおかしい。


「車よ、車。車が買えちゃうじゃん」とそういや先日、車の免許を無事取り終え、最近カーセンサーをちょくちょく見ている遥が言った。うん、お前の例えが一番しっくりくるわ。そういや、中古にフィットに決めたんだっけ?


「クーリングオフが使えるうちにさっさと返してきなさい!!」とここに来て父と子の立場が完璧に入れ替わってしまった司が言う。


 ところで司、『クーリングオフ』ってインターネット通販や普通の店舗購入では適用されないって、この前『商法』の講義で習ったろ。今度のテスト大丈夫か?


「ちがう、ちがう、ちがうって」と司の『離婚案件』という言葉に反応して明らかに動揺しているおじさん。うん、それじゃあまるで浮気のバレた旦那さんのような反応だぞ。


「ちがうじゃありません」と今度は浮気を見つけた奥様のようにヒステリックに叫ぶ司。


 まぁ、一家の危機に瀕してるんだから当たり前の反応か。俺もその一端に少なからず関わっているので余計なことを言うのはよそう。


「ちがう、ちがう、コレは買ってないって、買ってないのよ」と見苦しい言い訳をするおじさま。


「買ってないんだったら、どうしてここにある!!それとも何か?盗んで来たとでもいうのか!?」と、もう刑事さんの取調室のアレだ。親子の危機まったなし!!


「買ってもないし盗んでもない。借りてきたの、これは借りてきたの!!」とことさら苦しい言い訳をするおじさま……んっ?借りてきた?


「誰が貸してくれるっていうんだよ、そんな100万からするホイール。嘘も大概にしろ!!」と司。


「嘘じゃない、嘘じゃない、大下さん、大下さんから借りてきたんだって」


「だから、その、大下って一体何処のどいつだ!!」


「自転車屋さんの店長だよ!!」


「「「……んっ!?」」」



 どうやらおじさんから詳しい理由を聞くと、毎年一緒にツール・ド・おきなわに挑戦しているなじみの自転車屋の店長さんが、今年は満を持して、この『ライトウェイト マイレンシュタイン オーバーマイヤー』を買ったのだが、残念なことにケガで泣く泣く断念。


 するとそこに、俺達も今年はツール・ド・おきなわに挑戦するという話をおじさんから聞いて、だったら、是非とも俺か司にこのホイールを使ってツール・ド・おきなわを走ってきてもらいたいと預かって来たんだってさ。


 「だって、サッカーのオリンピック選手がうちの自転車でツール・ド・おきなわに参加するなんてすごいじゃん。ついでに宣伝もお願いね♪」という事だった。


「その証拠に、はい。コレ着て走ってね」とおじさんからその自転車屋さんの特注サイクルジャージも渡された。見ると背中にでかでかと『サイクルセンター大下』のロゴが……なるほどそういう事か。


 まぁ、そういう話だったら渡りに船だから喜んで。……という訳にもいかない。


「新品のライトウェイトかよ……」と複雑な顔をして司。


「そうなんだよなー。新品なんだよなー」と俺。


「んっ?貸してもらえるんだったら遠慮しないで使えばいいじゃない」と遥。


 どうやら、北里家離散の危機を回避できたことが分かると、またリビングの空気は通常運転に戻った。


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「いや、こういうホイールってブレーキ掛けると、リムの周りが削れるんだよ」とため息つきながら司。


「あら、やだ、じゃあ、使い捨てなのこのホイール」と袋から出した『黒いダイヤ』もとい『ライトウェイト マイレンシュタイン オーバーマイヤー』を指さして遥。


「いや、流石に使い捨てって程じゃないけれど、消耗するのは確かなんだよなー」としげしげとその『黒いダイヤモンド』を見る司。


「でも、それも込みで使っていいって店長さん言ってんでしょ」と遥。


「いや、それは分かってるけどさあ……」となんだか煮え切らない。


 んー、そういう訳なら、俺が使っちゃおうかなー。ほら、だって、自転車屋の店長、俺か司に使ってもらいた言ってる訳じゃん。と、そんなことを思いながら、俺は恐る恐るホイールを手にする。うわっ、軽っ!!


 ちなみにこの『ライトウェイト』というメーカーのホイール。別名、「究極の回転体」とか「ドーピングホイール」といった凄まじい異名を持つホイールだ。


 このホイールが有名になった逸話というのが、ツール・ド・フランスを7連覇をしてドーピングがバレて全部無かったことにされた『汚れた英雄』こと、ランス・アームストロング(俺は嫌いじゃないぜ)が、ツール・ド・フランスの勝負どころの山岳ステージで、自費で購入した『ライトウェイト』のホイールを使ってそのステージ勝ち、その年のツール・ド・フランスを制した(のちにはく奪)事から始まるのだ!!。


 世界中のサイクルジャーナリストがツールの勝負所で使ったこのホイールを「すわっ、ボントレガー(ランスに機材供給していたメーカー)の秘密兵器か」などと一斉にスクープしたのだが、実はそのホイールこそが、黒マジックで『Light Weight』のロゴを消した普通に市販されているライトウェイトのホイールだったのだ。


 すると、今度はその真相が分かった途端、それ以上のセンセーショナルで『ライトウェイト』の名が世界中のサイクルシーンに広まったのだ。 


 つまりどういうことかというと、スポンサーから無償で(あるいはお金を貰って)機材を支給されているにも関わらず、その機材を使わないで、自腹で購入した機材を用いて、優勝した訳なのだ。それも世界最大の自転車レースといわれているツールドフランスでだ!!(のちにはく奪されるけれどね♪)


 ぶっちゃけて言うと、スポンサーから供給されている機材じゃ勝てないから自分でもっと良い機材を使うね♪という事なんですよ。


 これじゃあ、お金払って宣伝してもらっているどころかまったくの逆効果。


 だってそうだろ。F1で置き換えて考えてもみろよ。


 フェラーリーに乗っているドライバーが、「このエンジンじゃ優勝できないから自分でお金出してホンダのエンジンに取り換えるね。あっ、『ホンダ』のロゴはマジックで消しとくから大丈夫♪」って言っているようなもんなんだぜ。


 このたとえで大体あってるよね?


 こうして考えると、それがどれだけ非常識な事なのかが分かるというものだ。


 だが、それすらも皆が納得してしまうくらいの性能の格差がある。それこそが『ライトウェイト』というメーカー(ブランド)のホイールなのだ。


 ちなみにこの『ライトウェイト』というメーカー。創業以来ただの一度も、選手に無償で機材を支給したことの無いメーカーです。


 つまり、「うちのホイールを使いたかったら皆さん、自腹を切って購入してね♪」という究極の殿様商売?(いや、これがまっとうなのか?)というか自社の製品に圧倒的な自信を持っているメーカーだ。


 だって、そうだろ。『デ・ローザ』に『コルナゴ』、『トレック』に『スペシャライズド』、そして『シマノ』に『カンパニョーロ』に『スラム』、どのメーカーだって多かれ少なかれ無償で機材供給はしている。


 それほどまでに、ロードレースという競技において、選手が使っているモノには広告宣伝効果というものがあるのだ。


 にもかかわらず、『当社の製品は職人が一つ一つ手作りで作っているので大量生産はできません。使いたかったら自腹切れ』というスタンスの『ライトウェイト』うーん、男心をくすぐるぜ。


 ちなみにこの『ライトウェイト』を立ち上げた人の前の仕事はスペースシャトルの耐熱パネルを作ってたんだってさ。アハハハハハハ。もう笑うしかない。


 そんな『中二心』もとい『男心』をくすぐるホイール、『ライトウェイト マイレンシュタイン オーバーマイヤー』。それが今、俺の目の前に……しかも、「ただで使ってもいいかも~」だなんて、ここで行かなきゃ男じゃない。


 そんな決意を決めた瞬間……「でも、落車して壊しちゃったりしたら、流石に弁償するんだよな、親父」と司。


 おおっと、そう来たか!!


「いやー、落車なんかしなくても、縁石にバチンとぶつけたらそれでおじゃんよ」とおじさん。


 ……マジか!?


「縁石一発100万か~」と腕を組んで考え込む司。


 伸ばした手が思いっきり引っ込んだ。


「まあ、でも、大下さんの所が代理店だから7掛けくらい?それに保障プログラムも加入しているから壊しても無償でいけるんじゃないの」と無責任におじさんは言った。


「無償プログラムってiPhoneの『アップルケア』みたいなものですか?」と弥生。


「まあ、そんな感じかな」


 ……うーん、悩む。どっしよっかな~。ってか、そもそも、新品のBORAもあるしな~。


 俺も司も腕を組んだまま時間が刻々と進んでいく。


 すると……「じゃあ、もういい。二人が使わないってんなら、おじさん使っちゃう」


 どうやら使わないという選択肢は無いらしい。


「猫に小判」と思わず俺


「豚に真珠」と思わず司。おい、一応父親だぞっ!!


「暖簾に腕押し」と思わず拓郎。いや、それ、全然違うし……



 とまあ、その後、三人であーだこーだ話し合った末、万が一壊しても、赤の他人の俺よりも、実の息子の司だったらそんなに角が立たないかな~という大人の判断により、『究極の回転体』こと『ライトウェイト マイレンシュタイン オーバーマイヤー』は司が使うこととなった。


 でも、上司、あとでちょこっと俺にも乗せてね♪


 と、まぁ、そんな感じで、最終的にどうにか丸く収まったこの日の夕食会。


 それでは俺達も那覇マリナーズの宿舎に帰ろうと思ったその時、「おっこらどっこいしょっと」と言ってまたまたおじさんが馬鹿でっかい段ボール箱を持ってきた。


 おい、お前、いい加減にしろよ。

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