第494話 私を沖縄に連れて行って その10
二回目の与那林道の下り、安波・安田の分岐を右に曲がると、そこから一気に海岸線に出る。
残り70㎞を切り、いよいよツール・ド・おきなわも終盤戦に入ってきた。
安波の集落に入ると、沿道で観客達が手を振ってくれている。
一度目の与那林道に入ってからというもの、ギャラリーの人影をとんと見ることができなかったので、久しぶりの声援を耳にすることができちょっとホッとする。
これぞ市民レースの醍醐味というものだ。
俺は沿道のギャラリー達に軽く目配せする。ふと視線を仰ぐと右手に小学校が見えてきた。
「オイッ、神児!オイッ、神児!!」
「なんだよ、うるせーなー」
こっちはペダル漕ぐのにイッパイイッパイなんだよ。
「KOM終わったのになんでこんな登り坂があるんだよ!!」と顔を真っ赤にしながら司。
「お前、それ、ここ来るたんびに言ってねーか?」
そもそもこのコース走るの何度目だよお前。
「言いたくもなるだろうがよ!!」
サッカーの時に見せる時の冷静沈着さはどこへやら。自然相手に随分とまぁ感情的になってるな。
あたりを見るといつの間にか山原の森の中。
そしてそこから斜度10%を越える登りが延々と続く。ツール・ド・おきなわの最難関の一つ『学校坂』だ。
と、その時、「鳴瀬さん、来ますよ」石巻さん。
集団の先頭に目を向けると、中岡選手が音を立てずにスッと集団から抜け出した。
「何が何でも付いていきましょう」と新浜さん。ひっつめ髪が様になってまるでユタ君のようでかっこいい。
それと同時に中岡選手の逃げに気付いた選手達も後に続く。
キング・オブ・ツール・ド・おきなわがいよいよ牙を剥いて来た。
先頭集団を絞りにかかる。
…………みたび、十日前だよ、
「おい、親父、それは何だ」と冷めた感じで司。
いや、まぁ、箱の形で大体想像は付いてますけどね。
するとおじさんは「ジャーン」と声を上げると、中からホイールを出して来た。
ロードバイクをやっている人間ならその箱を見ただけですぐ分かる。
「はーい、カンパニョーロ カーボンホイールのBORA(ボーラ)ONE(ワン)だよー」と悪びれる様子もなくおじさん。
「でっ?」と司。
「買っちゃったんですか?」と俺。
「うん、ツーセット」と言って高らかにVサイン。
「おいっ!?」と司。
だが、おじさんは司の声に反応することもなく、アイスを食べ終わって平和な空気が漂うリビングにカンパニョーロボーラワンの段ボール箱を積んでゆく。
「なにやってんだよ、おやじ」とちょっと悲しそうな顔の司。きっとギャンブル癖のある家庭の子供ってこういう顔になるのだろう。
「だって、ツーセット買うと送料無料でその上特別割引になるんだもーん」とまるで悪気が無い。まあ、そっちの方が始末が悪いわな。俺知らんけど。
「ツーセットあるんだから、親父さんとお前で仲良く使えよ」と他人事の俺。
ほら、こういう家庭の事情には関わらないのが無難じゃないですか。
それでなくとも、スペシャライズドのフレームは出世払いで絶対に返すと約束したばっかで微妙な立ち位置なんですよ俺。司のかあちゃんにこれ以上恨まれたくないし……
でも、まぁ、セミディープのカーボンホイールってちょっと興味あるかな。今度司にお願いして乗らせてもらおうっと。
話に全くついて来れない遥と弥生は、二本目のアイスを食べようかどうしようかでキャッキャウフウフ話し合っている。平和そうでいいな、おい。
「しかも、このボーラワン。ベアリングをカルトベアリングに変えてあるんで、実質ボーラウルトラツーと一緒なんだよ!!」とおじさん。
「知らん!!」と司。
ちなみにカーボンホイールのボーラには廉価版の『ワン』と高級品の『ウルトラツー』があるんだよ。
何が違うかというと、ハブの中にあるベアリングが鋼球かセラミックかの違いだけだってさ。(それ以外の部品のスポークもリムも全部一緒って司の親父さんが言ってた)
んで、鋼球とセラミックって何が違うかというと、鋼球は熱膨張するけどセラミックは熱膨張しないんだってさ。(司の親父さんが言ってた)
んなもんで、セラミックベアリングの方が粘度の低いサラサラのオイルが使えて回転の抵抗が少ないとかなんとか……(司の親父さんが……以下略)
そんでもってセラミックベアリングの事を通の間ではカルト(CULT)ベアリングって言うんですって。
ちなみに意味はCERAMIC(セラミック) ULTIMATE(アルティメット) LEVEL(レベル) TECHNOLOGY(テクノロジー)の頭文字を取って『CULT』なんだってさ。
為になるね~、為になったね~。
あっ、そうそう、違いがもう一つ。一番の大きな違いは、ホイールに張ってあるステッカーが『ONE』か『ULTRA TWO』かなんだってさ。
やっぱ『ULTRA TWO』の方が派手で見栄えがいいんだよねー。
ウルトラツー、ハイッ!!ってか。
んで、お値段は全盛期で『ワン』が15まんえんくらいで、たしか『うるとらつー』が48まんえん……たっか!!
口の悪いユーザーからは「きっと『うるとらつー』のステッカーが30万円するんだろ(げらげら)」などと言われたとか言われなかったとか。
まあ、最近になってお値段の差は以前ほどではなくなってきましたけれど……でも、一度は乗ってみたいカンパニョーロのセミディープカーボンホイール。
ワンでもウルトラツーでもどっちでもいいです。きっと俺程度の乗り手じゃわからんし。
そんなことを思いながら俺も二本目のアイスを食べようかなー……なんて思っていたら、「あとこれもあるんだよねー」と今度は真っ黒な段ボールの箱を抱えながらおじさんがやって来た。
その箱の中央に書いてあるロゴを見た瞬間、司の血の気が引いていくのが見えた。
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