第169話 決戦、韓国戦 その3
俺も翔太に駆け寄り、予想外の先制点を一緒に喜ぶ、その瞬間背筋にゾクっと怖気が走った。
振り返ると、ファン・ソンミンがこれでもかと言わんばかりに俺たちのことを睨みつけていた。
その横には顔面を蒼白にさせて、ボールを刈り取られたボランチが何やら謝っている。
ファン君はそのボランチをハグすると耳元で何かささやいている。
「気にするな、すぐに俺が取り返す」
韓国のエースならばきっとそんなことを言っているのだろう。
ファン・ソンミンは視線をそらさずに一点を睨み続ける。
後に、韓国の英雄と呼ばれる男の矜持が伝わって来た。
再び韓国のキックオフで試合が再開すると、先ほどと同じようにボランチがファン・ソンミンの足元にボールを入れる。
ファン君は先ほどと全く同じように俺に向かってドリブルをしてきた。
唯一違うのは、その顔が憤怒で真っ赤に染まっていることくらいか。
体の芯からゾクゾクと震えが込み上げてくる。これは恐怖からではない。極上のフットボーラーと出会えたことに対する喜びなのだ。
再び、ガツンッ!と火花が飛び散るようなコンタクト。
直後、体の力がスッと抜けた。ファン・ソンミンに当たり勝ちしたのか?
そうでは無かった。ファン君は俺の肩に当たった衝撃を利用して、内に切れ込んできたのだ。
「森田さーん!!」俺が声を掛けるよりも早く、森田さんがファン君を挟みにかかる。
しかし、ファンソンミンは森田さんの前でさらに内に切れ込むとぽっかりと開いたピッチ中央向かって行く。
すると、これ以上侵入させてなるものかと、左サイドバックの司が寄せてきた。その瞬間を狙って、ファン・ソンミンは11番の右ウイングにスルーパスを出す。
ヤバイ、完璧に司の裏を取られた。
ピッチを斜めに横切るファン君のインナーラップで、11番のフォワードと富安君との1対1を演出するファン・ソンミン。
ゲームメーカーとしても一級品だ。
11番のシュートに必死で足を伸ばす富安君。何とかつま先に当てると、ボールはゴールラインを割っていった。
なんとかコーナーキックに逃げることが出来た。
すると、ファン君がボールを持ってプレイスキッカーを務める。
ファン君の右足から蹴り出されたボールは正確な弧を描きファーサイドで待ち受けていたセンターバックの頭に届く。
何とか岩山さんと森田さんが競り勝って、今度は左サイドのコーナーキックになる。
するとまたしてもボールを持ってコーナーアークに向かうファン君。
右足のインスイングでゴールに向かってくるボールを蹴るのか、それとも左足のアウトスイングでゴールから離れるキックを蹴って来るのか、両利きのために予想が付かない。
すると今度は左足で寸分たがわず、ファーに待ち構えていたセンターバックの頭に届く。
富安君と司が競り合い、なんとか三度コーナーキックに逃れる。
すると、今度もボールを抱えて右のコーナーアークに向かう。
やっかいだ、最後の瞬間までインスイングなのかアウトスイングなのか予想が付かない。
必然とマークが遅れる。
三度目のコーナーキックでどうにかタッチラインに逃げると、やっと韓国のコーナーキックから逃げることが出来た。
しかし、このコーナーキック。いつ決められてもおかしくない。それくらいの精度と対応が難しいのだ。
そもそも、前の香港戦も中国戦もファン君はコーナーキックを蹴ってない。対日本戦用に隠しておいたのだ。
左ウイングのはずのファン君が中盤のフリーマンのようにどこからでも顔を出す。
おいそれと俺がマークを付こうもんなら、その空いたスペースにサイドバックが走り込んでくる。
リードしているのは俺達なのだが、いつの間にかゲームは完璧に韓国に支配されていた。
ファン・ソンミンという存在に対し必要以上にナーバスになっているのか、俺も司も思い切ってラインを上げられない。
必然として韓国の両サイドバックが上がって来てそのスペースを埋め、ゲームが日本陣内で行われる。
司もおそらく同じことを考えていたのだろう。俺と目が合うと、こっくりとと頷き、意を決したように前線に上がっていく。
森田さんがカットしたボールが司の足元に入る。中に切れ込んだ司は和馬君とパス交換しペナルティーエリアに侵入しようとしたが、はたと足止め、バックステップをする。
普段の司ならこういう時は思い切ってゴール前に侵入するのにと思ってみていると、司の上がった裏のスペースに、ファン君が上がっていた。
なるほど、得点が決まって無かったら、即座にファン君のカウンターが発動していたわけか。
相変わらず司の危機察知能力の高さには感心する。
司は首を振りながらポジションを下げファン君をマークする。
昨日のミーティングではファン・ソンミンが中盤でポジションが流動的になることがあると思うが、基本的には俺がマークに付くという約束になっていた。
だが、試合開始序盤から、ファン君は、従来の左サイドにはこだわることなく、右でも真ん中でも中盤の空いたスペースにどこでも顔を出していた。
ポゼッションでは五分五分だと思いが、そうこうしているうちにどんどんと足が縮こまっていき必要以上に韓国に対して警戒心を抱くようになってきた。
こういう時は攻撃のリズムがどんどんと悪くなっていくんだよな。
ならばと、森田さんからボールを渡されると、翔馬君にパスを出し俺も上がっていく。
パスをリターンされると、ゴール前30mの地点から思い切って左足を振りぬいた。
しかし、ボールの真芯をミートしきれず、ボールは枠を逸れていく。
「アァァー」ため息にも似た歓声が聞こえてくる。
俺もミートしきれなかったかと首を振りながら自分のポジションに戻っていく。
それでも司は「ナイスシュート、神児」と声を上げ、親指を上げ俺を鼓舞してくれる。
そうだ、とにかくシュートを打ってこの嫌な流れを変えなくては……
その後も、山下君達を中心にして攻撃を組み立てるが、決定機を作るには至らず、翔太も何度かドリブルを試みるが追加点には至らない。
それというのも、ボールの近くには必ずと言っていい程にファン君がそこにいるのだ。
攻撃が止められれば、すぐさまファン君を中心にしたカウンターが発動ことが分かっている。
厄介だな。ためしに何度か中央付近まで行ってファン君のマークを付こうとすると、必ず俺の空いたスペースを韓国の左サイドバックが突いてくる。
まんじりとしないまま着々と時が過ぎていく。まるで韓国がその時を待ち構えて、キリキリと弓を引き絞っているかのようだ。
すると、前半の35分ついにその瞬間が訪れた。
堂口君の苦し紛れにうったシュートのこぼれ球を韓国のボランチが回収すると、すぐさまファン君の足元に入れる。
ファン君がボールを受けた場所はピッチのど真ん中、センターサークルの中だ。自分のポジションを捨ててファン君に付くかどうか一瞬だが躊躇してしまった。
対面にいる敵のサイドバックが俺の空いたスペースを虎視眈々と狙っていたからだ。
だが、その一瞬の躊躇が命取りだった。
ファン君はボールを受けると、俺と森田さんの間を狙ってドリブルを開始する。
まずいと思った俺はすぐさまファン君を追いかけるが、その一瞬の遅れでファン君の後を付いて行く形となり、体を当てに行くことすらできない。
森田さんが必死に体を寄せるが、ファン・ソンミンは体を押しのけながらグングンと加速していく。
まずいと思った岩山さんがディフェンスラインから飛び出したその瞬間を狙って、ファン・ソンミンは左足のインフロントに引っ掛けて、日本のゴール左隅を巻くようにしてシュートを放つ。
「キーパー!!」岩山さんが声を上げる。
その声と共に小村さんがボールに飛びつき、必死に右手を伸ばすが、ゴールの外側から巻いてくるファン君のシュートは大和田さんの指先を掠めるようにして日本のゴールに吸い込まれていった。
ペナルティーエリア外25mのミドルシュートが決まる。紛れもないゴラッソ。
芝生に膝をつきながら韓国ベンチに向かってスライディングをするファン君に韓国の選手達が次々と抱きついてくる。
前半36分、ファン・ソンミンのミドルシュートによりゲームは振出しに戻る。
日本対韓国のスコアは1-1となった。
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