第91話 キャノンボール その4

「ここって、どこですか?」と俺。


「豊橋駅だね」とおじさん。


 メーターを見ると310㌔とりあえず折り返し地点は過ぎたという事か。


 ただ、時計を見ると午前三時を過ぎていた。これは24時間での走破は厳しいかな……と思ったところで、


「まだ、何とか、ペース的には間に合っているな」とおじさん。


「折り返しで12時間以上たってますけど」と俺。


「いや、前半は箱根で結構時間を食うから……このあと箱根のような山は無いし」とおじさん。


「なるほどねー」とさっきのお握りの残りをパクつく司。


 すると、遥と弥生が「おはよー」と目を擦りながら起きてきた。


「おはよう」と目の下にクマを作りながら司。


「大丈夫、あんた?無理ならここでやめてもぜんぜん大丈夫よ。自転車、車の中に入りそうだし」


「いや、大丈夫」司はそう言うとポケットの中からユンケルを取り出す。


「あんまりこういうのには頼りたくはなかったんだけれど」と言いながらユンケルを一気飲み。


 それを合図に俺もおじさんも隠し持っていたユンケルを一気飲み。


 くぅぅぅー、糖とカフェインが一気に体内に入って来る。普段はカフェインを節制しているだけあって、久しぶりに飲むと一気に脳みそがバキバキになって来る。


「キタキタキタキター」と司が言う。


「お前大丈夫か」と親父。


「まあ、単なるユンケルだから大丈夫だよ」と俺。でも、眠くなった頭にユンケルのカフェインは効果てき面だ。


 現在315㌔。とりあえずこの時点で人生最長距離を走行中。空を見上げると真ん丸のお月様が俺たちを照らしてくれている。


 懸念だった向かい風もほとんど吹いていない凪の状態。


「おっしゃー」俺はそう言うと自分のほっぺをパンパンと叩いて気合を入れる。


「神児、大丈夫?」と心配そうに遥。


「大丈夫、大丈夫、気合を入れ直しただけ」俺はそう言うと、梅干しの入ったおにぎりを手に取った。

 


 なんか、疲労の峠をいったん越したみたいだ。俺たちは真夜中の東海道をアルファードを先導させながら西に向かって走り続ける。


 東の空が白んでくるころに、でっかいお城が見えてきた。


「アレは……」と俺。


「名古屋城だ」とおじさん。


「でっけーなー」と司。


 しかし疲労と眠気がマックスになって来たのか、かわした言葉はそれだけ。


 時計を見ると朝の4時20分。メーターは370㌔を越していた。


 そこから先はただひたすらにおじさんのテールランプを頼りに走り続ける。


 おじさんが止まれば俺も止まる、おじさんが走り出せば俺も走り出す。信号すらも赤なのか青なのかよくわかってない。


 とりあえずおじさんの後を付いて行けば間違いないと思いながら、ただペダルを回し続ける。


 きっと司も同じことを考えていたと思う。


 しかしそれでも、峠に入ると意識がはっきりしてくる。既に日は東の空高くに登っている。


 俺たちはキャノンボール最後の難関、鈴鹿峠に差し掛かった。


 時計を見ると朝の7:00、メーターは450㌔に差し掛かっていた。


 鈴鹿峠の標高は269m、平均斜度は3.9%、普段走っている和田峠に比べて明らかにたやすい坂だが、18時間以上走り続けた体には相当応える。


 司の母ちゃんのアルファードが後ろからついてきてくれているが、正直、今すぐにでも車の中に飛び込んで泥のように眠りたい。


 しかし、ここまで来たらあと6時間。距離にしたら100㌔そこそこ。なにがなんでも、梅田新道交差点のモニュメントにたどり着いてやる。


 司が歯を食いしばりながら俺たちに付いてくる。いいぞ、司、二人で一緒に走り切ってやろうぜ。


 普段だったらダンシングであっさりと登り切ってしまえるような坂道を、ハンドルを握りしめながらギリギリと登り続ける。


 すると最後に多摩っ子ランドの檄坂なみの上り坂が待ち構えていた。


「ストップ、ストップ、ストップー」と俺はたまらず足を着く。そしてそのすぐ横を、目を血走らせながら司がゴリゴリと登っていく。


「なんだよ神児、大したことねーなー」と憎まれ口を叩きつつ……


 その途端、頭の中のスイッチがバチっと切り替わった。


「上等だよ司」俺はそれだけ言い残すと、最後の力を振り絞ってそのままダンシングで一気に司を引き離した。


 頂上に着いた瞬間、そこにちょっとしたスペースの草むらがあった。


 俺はそのまま倒れ込むように自転車から降りる。すると相変わらず一定のペースで司がやって来て「俺は足を着かなかったぞ、神児」と言って、俺の横にどさっと倒れ込んだ。


 一足先に着いていたおじさんが心配そうに顔を覗き込む。


「大丈夫、大丈夫だ、親父。一休みしたらすぐに出発だ」と司。


 ここまで来て、司も意地だけでどうにか走り続けている。


 そしてそれは俺も一緒だ。俺はポケットからパワージェルと取り出すと口の中に一気に絞り出す。そしてそれをポカリで流し込んだ。



 おばさん達が心配そうにアルファードから降りてきた。


「ねえ、司、もうそんなに無理して走らなくていいから」とおばさん。


「ホント、ホント、十分すごいって。日本中の中学生でこんなにすごいことしてる人なんていないんだから」と遥。


 すると、ギリギリと歯を食いしばりながら司は起き上がると、「やなこった。ここまで来たんだ。あとは得意な平坦な道なんだ。ここまで来たら絶対に大阪にいってやる」と司。


 こうなってしまったら、司はてこでも動かない。


「あーあ」とため息をつきながら頭に手を当てる遥。


「なあ、神児、お前は大丈夫なのか?」と親父。


「ああ、大丈夫。もう後は平らな道が100㌔そこそこなんだ。ここまで来てやめられないよ」と俺。


 すると親父、「分かった、行ってこい、なんかあったら俺が全部責任取ってやるから」そういって親父はポケットからエナジードリンクを渡してくれた。


「サンキュー、親父」俺はそう言って一気に飲み干すと、自転車にまたがる。


「さっさと起きろよ、司、いくぞ」俺は相棒に言う。


「うるせーなー。今起きようとしたところなんだよ」と精いっぱいの意地を張る司。そしてバチンとビンディングペダルをはめた。


 時計を見ると7:40分、メーターは460㌔。そこから先は下り勾配。俺たちは一気に峠を下る。


 疲れのピークが一旦越してしまうと、目がどんどんと冴えてくる。


 スピードメーターを見ると60㌔を越している。遥たちの乗ったアルファードははるか後方に置き去りだ。


 俺たちは琵琶湖に向かって一気に自転車を走らせた。


 坂の上から湖面が太陽に照らされキラキラと光る琵琶湖が見えてきた。


 今日は祝日ではないが幸いなことに日曜日。通勤ラッシュの車も皆無。おまけにレジャー渋滞の様子も見られない。


 俺たちは琵琶湖に沿って東海道をひた走る。メーターを見るとついに500㌔、時計は9:45になっていた。


「あと3時間で70㌔か、ギリギリだな」と司。


「まあ、ここまで来たらいけるところまでだ」と俺。


「なあ、二人とも、無理だと思ったらゴール10㌔手前でも止めるからな」とおじさん。


「わかりました」と俺。


「わかった」と司。


琵琶湖を離れ、京都に入ろうかとしたところで、「おい、おやじ、まだ、峠があるじゃねーか!!」とご立腹の司。


「100mもない坂だ。単なる丘だ、それともここでやめるか?」とおじさん。


「やめるわけねーだろうが!!」と怒りに任せて滋賀と京都の県境を走る司。うん、かっこいいぞ、お前。


 京都市内に入ると時計は11時を回っていた。本来ならのんびりと京都の街並みを見たかったのだが今の俺達にはそんな余裕はない。


 おばさんのアルファードもさすがに京都市内で伴走などできるわけもなく、一足先に大阪に入ってもらった。


 さすがにこの時間になると、あちこちに観光客があふれてくる。俺たちは京都市内の信号を青になるたびにダッシュをかけて1分1秒を削りに行く。


 鴨川を通過して、宇治川を越える。


 木津川を越えた辺りでいよいよ大阪に入った。


 時計を見ると11時半。残り1時間半でゴールにたどり着けるか。


 ここまで来ると、一体何のために走っているのかわからなくなってきた。ただ、ただ、おじさんの後ろを付いて行くだけ。


 淀川を右手に見ながら自転車を走らせる。観光客がのんきそうに淀川の土手沿いを歩いている。ああ、日本は今日も平和だと思った。


 すると途端に道が混み始めた。


「大阪市内にはいったぞー」とおじさん。


「ってことは?」と司


「あと10㌔切った」


 時計を見ると12時20分、残り時間40分であと10㌔。


 ここまで来て、パンクや落車だけは勘弁と思った。


「最後まで気を抜くなよ」と司。


「お前こそな」と俺。


 俺たちは車の邪魔にならないよう、車道の端をゆっくりと走る。


 蒲生4丁目の交差点を右折する。


 テレビで見た大阪の街並みがそこにある。


 桜宮橋を渡る。


 歩行者の邪魔にならないようにゆっくり、ゆっくりと進む。


 そのままゆっくり曽根崎通りを走る。


 すると、「司、神児君、アレ、アレ」とおじさん。


 おじさんの指さした先を見ると、道の向こう側に道標のモニュメントが…………


 ああ、やっと着いた。


 でも、ここまで来たら、あのモニュメントにタッチして終わりたい。


 司も同じことを考えているみたいだ。


 あちこちをキョロキョロ見るがなかなか横断歩道がない。


 しばらく道を進むと、道路標示が国道2号線に変わっていることに気が付いた。


 そうか国道1号線の終わりが国道2号線なんだ。とそんなことを思っていたら横断歩道を見つけた。


 俺たちは歩行者と一緒に信号を待つ。


 ビンディングのクリートを付けた靴でカチャカチャと横断歩道を渡る。


 そして、横断歩道を渡し終えると、カチャリとビンディングをはめ、自転車を走らせる。


 ほどなくして、ゴールの梅田新道交差点の道標にたどり着いた。


 時計を見ると12時48分を指していた。


https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16817330663967041748

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