第25話 太陽がいっぱいいっぱいです。 その3

https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16817330663823115863


「小学生男子背泳ぎ50mにエントリーされている選手は、本部横の選手控えエリアにお越し下さい」


「おー行ってこーい」と司が、


「頑張ってねー、神児ー」と遥が、


「いってらっしゃーい」と八王子SCのみんなが、声を掛けてくれた。



 今日は、八王子市市民水泳大会。これが朝から三度目のレース。さっきから選手控えエリアとプールサイドに陣取った八王子SCのテントを行ったり来たり。


 落ち着いて休むこともできやしない。ってか、司、全種目エントリーってやっぱ、ちょっと、無理があり過ぎるだろ。

 

 30分後……俺はへとへとになってテントに戻ってきた。


「おつされ」と司が、


「頑張ったねー、神児ー」と遥が、


「おかえりー」と八王子SCのみんなが……


 えっ、コレ、デジャブ?

 なんか朝からこのやりとりばっかやっている。


「ほい、バナナ食え、バナナ、この後、平泳ぎの100がすぐはじまんぞ」そういって、バナナを差し出す司。


 司も今日の市民大会エントリーしているが、自由形の50と100とリレーだけ、俺の四分の一程度、なんか納得いかない。


「ってか、また5位かー、ノルマ果たしてるとはいえ、一回くらい表彰台に上がれよ、神児」


 司が無責任に言う。勝手言ってやがる、こっちの身にもなって見ろ。俺は心の中で毒を吐く。


「アレ、言ってなかったっけ、表彰台にあがったら、査定上げてやるって」


 おいっ、そういう大切なことはもっとちゃんといえ。


 俺は手元にあったウィダインゼリーをごきゅごきゅと飲むと、「じゃあ、行ってくる」といって、先ほど呼び出された、小学生男子平泳ぎ100mの選手控えエリアに向かって行く。


 背後から、

「おー行ってこーい」と司が、


「頑張ってねー、神児ー」と遥が、


「いってらっしゃーい」と八王子SCのみんなが、声を掛けてくれた。


 30分後……俺はへとへとになってテントに戻ってきた。


「おつされ、やりゃできるじゃん」と司が、


「頑張ったねー、神児ー、3位おめでとー」と遥が、


「おかえりー、死にそう、死にそう」と八王子SCのみんなが……


 俺は上司司(じょうしつかさ)のボーナス査定というお目当てにつられて、死に物狂いで3位をゲットしてきた。


 もう、神児のHPはもう0よー。ちなみにここでやっと競技の折り返しです。


「いやー、鬼気迫るものがあったねー」と武ちゃんが、


「俺も隣のコースで一緒に泳いでたけど、目つきやばかったもん」と順平が。


 とりあえず、ここで、午前中の競技は終了、さあ、お楽しみのお弁当タイムだ!!

  


「はい、お疲れ様ー、頑張ったねー」と司のお母さんが、


「神児君、すごいなー、午後も大忙しなんだって?」と司のお父さんが、


「おにーちゃーん、えらーい」と春樹が…………

 

 応援に来てくれた保護者と家族の皆様がねぎらいの言葉を掛けてくれる。


 ちなみに、うちのとーちゃんとかーちゃんは今日はお仕事です。


 お楽しみのお弁当タイムって、お前はいつもおにぎりと卵焼きとウインナーだろ。


 そんなことを言っている、そこのお前、ふっふっふ、今日はいつもとは違うのだよ、いつもとは。

 

 たしかに、俺の弁当はいつもの奴だけれど、今日は司のご両親が応援に来ている。


 そして、司のお母さんの傍らには、五段重ねのお重が置いてある。


「さあ、みんな、遠慮なく食べてー」


 司のお母さんはそう言うと、お重を次々と開き始めた。


「うわー」、「すごーい」とテントの中で声が上がる。


 見るとそこには、定番のサーモンのテリーヌと若鳥のフリッター、タルタルソースがたくさんのったでっかいエビフライにカニクリームコロッケ。


 それから、明らかにうちのウインナーよりも値段の高そうなウインナーにきれいに彩られた野菜の数々。そして、メインにローストビーフ。


 司のお母さん、どうもありがとう、今日は気合が入ってますね!!

 

 司の肉体改造メシの前は、サッカーの試合の時はよく司のお母さんはこういった差し入れをしてくれていたのだ。


 ちなみに2段目のお重は、スモークサーモンやらローストビーフの挟まれたサンドウィッチが………なんか、五ツ星ホテルのルームサービスのようなレパートリー。


 時折見える、黒い粒粒って、それもしかして、キャビアですか?それともトリュフ!?!?


 他のお重にも、なんだかいままで見たこともない料理が詰め込められている。


 ホテルのランチバイキングみたくなってきたぞ。


「うっまーい、ナニコレ、口の中で一瞬にとろけたんですけれど!!!」遥が大声を上げる。


「ああ、それ、ウニのスフレよ、オランデーズソースとあえて見たの」と司のお母さん。


「カニクリームコロッケの中身が、カニしかはいってないぞー、どういうこっちゃー!!」と翔。


 我も我もと、司のお重にみんな集まり始めた。


「大丈夫ですよー、まだまだ一杯ありますから」と司のお母さん、太っ腹ですね。


「美味しいですねー、司君のお母さん」と弥生が。


「そうなのよー、うちの子、最近、鶏むね茹でたのとか、ブロッコリー茹でたのだとか、そんなんばっか作らされて、ストレスたまってたのよー!!たまには腕によりを掛けなきゃね!!」


 そういって腕まくりする、司のお母さん。ちなみに司のお母さんは料理学校の先生です。


 周りから白い目で見られている司。


 我関せずと言った感じで、サンドウィッチを食べている。


 俺は、久しぶりに味わう司のお母さんの手料理に舌鼓を打つ。黒毛和牛のローストビーフに手を伸ばしたところで、司が、


「おう、もう、それ以上食うな」と司からの非情な宣告が……


「えー、」俺は思いっきり文句を言いながら、ローストビーフをパクリ。


「お前、午後一でバタフライの100があるんだろ。それ以上食ったら吐くぞ、レース中に」と司が言う。


「でも、久々のローストビーフ…………」俺は恨めしそうにお重を見つめる。


「大丈夫、おまえの分、ちゃんと取っておいてやるから」と司。


「大丈夫よ、神児君、好物のローストビーフとカニクリームコロッケ、ちゃんと取っといてあげるから」優しい顔でそういう、司のお母さん。


 俺は後ろ髪を思いっきり引っ張られる思いで、午後一番のレースに合わせて、選手控えエリアに向かって行こうとしたその時、


「やっほー、みんな元気ー」と翔太がやってきた。


「久しぶりね、翔太、どうしたの?」と遥。


「みんなの応援ー」そういって手を振る翔太。


「悪いなー」

「ビクトリーズの練習終わったのー」

「翔太は出ないのー」と翔太の周りに輪ができる。


 昔からこいつの周りにはこんな感じで人が集まる。誰からも好かれるいい奴なんだ。


 すると、翔太が、「うわー、なにコレ、すっごいうまそー」と……「ああ、これ、俺のかーちゃんが作ったんだ、よかったらお前も食うか?」

「えっ、いいのー」

 

 その時、「男子バタフライ100mのレースに出る選手の皆さん、選手控えエリアに来てください」とのアナウンスが。


「ほら、早く行け、神児」と手をシッシとする司。


 俺は渋々テントを後にする。


「頑張ってねー、神児ー」と遥が、


「いってらっしゃーい」と八王子SCのみんなが、声を掛けてくれた。


 なんか、もう、イヤな予感しかしないんですけど…………


「ラスト20、ファイトー!!」

 チームのみんなの声が聞こえてくる。


「俺は今、何位なんだ??」

 真っ青なプールの中、周囲の歓声に包まれて、死に物狂いで泳いでる。


 残り20mノーブレスだ!!


 タッチと同時に顔を上げ、俺は息を吸う。ヤバイ、ヤバイ、酸欠で死にそうだ。

 

見上げる空には8月の太陽が……きっと、脳みそに酸素が行ってないのだろう、二重三重の太陽が頭の上でグルグル回ってる。

 

 ああ、もう、太陽がいっぱいいっぱいです。


 と、その時、

「一位、八王子SC、鳴瀬神児君!!!」


「おおおおおー」とプールサイドで声が上がる。


「えっ、なに、俺?一位??」


 見ると、隣のコースで悔しそうにしている、どっかのスイミングの選手。


「でかした、神児!!、ボーナスアップだ」と大声を上げる司。


「なにそれ、ボーナスってー」とケラケラ笑っている遥。


 なんだか、この夏の苦労が少しは報われた瞬間です。


 ふらふらになってテントに戻る俺、たしか次の自由形まで少しは時間がある。ローストビーフの残りを食べようと思いながら帰ってきたら……


 そこには、タヌキのようにお腹をポンポコにして仰向けになっている翔太がいた。


 みると、お重の中身は空っぽだ。


 オーマイガー!!!


「翔太、おまえ、ナニ全部食っちゃってるんだよ!!」と怒声を上げる俺。


「おー、念願の一位おめでとー」と司が、


「表彰台かっこよかったよー」と遥が、


「金メダル、見せて見せてー」と八王子SCのみんなが、


 ああ、怒るに怒れない…………


 しばらくの間、みんなの相手をしていたら、すまなさそうに司の母ちゃんが……


「ゴメンね、神児君、」と、


「あ、いや、ぜんぜん、大丈夫です」と俺、


「あの翔太君って子、私の料理食べた瞬間、なにこれ、こんなおいしいもの、生まれて初めて食べたって喜んじゃって、私、調子に乗っちゃって、じゃあ、アレもコレもって、全部食べさせちゃったの」……と、


 そりゃ、そうだろ。俺だって司のかーちゃんの飯でキャビアとトリュフとフォアグラ知ったんだもん。


 生れて初めてに決まってんだろ。だいたい普通の小学生はそんな高級食材は知りません。


「あ、いや、ホント、大丈夫です。持ってきたおにぎりあるし」俺はそう言って、司の母ちゃんに気を遣う。そう、あくまでも気を遣う。


「ほんと、最近、うちの子ったら、やれ、栄養のバランスが悪いだの、脂肪が多すぎるだの、生クリームが多いだの……」そう言ってため息をつく司のかーちゃん。


「司、贅沢だよー、人に作ってもらってんのにー」と遥も言う。


 そうだよ、遥、お前、10年後に、ここにいる司の母ちゃんにおんなじ事、相談するんだから、よく聞いておいた方がいい。


「そしたら、この翔太って子、おばちゃんが作る料理、なんでもおいしーって目をキラキラさせてねー、」


「はあ、……」

 翔太はいつの間にか司のお母ちゃんの膝枕ですやすやー、すやすやー……


 オイ、お前、何しに来たんだよ!!


「大体、美味しいものってのは脂っこいのよ、知ってた?神児君、月偏(つきへん)に旨いと書いて、脂(あぶら)と読むのよ。」とどんどんとエキサイトしてきた司の母ちゃん。


「フレンチに携わってきた私にとって生クリームってのは血であり水でもあるの!!」


 いやー、最近、生クリーム使わないフレンチ、結構ありますよ……と思いつつもそんなことは口が裂けても言えず……


「それなのにあの子ったら、もっとあっさりした食べ物をとか、お母さん、和食、学び直したらとか、」


 聞こえないふりをしている、すぐそばにいる司。


「ほんと、この子、うちの子になんないかしら……」そういって翔太の頭をなでながら、目をキラーンと輝かせる司の母ちゃん。


「うん、なるー」と寝言なのかなんのか、翔太はそう答えた。


 俺が空っぽのお重の前で、せつなそうにおにぎりを食べていたら、「これでも飲め」と司が……


 見ると、シェーカーいっぱいのプロテインが。


「今日のはチョコ味とバナナ味のミックスだ。特製チョコバナナフレーバー、たんと飲め神児」そういって、俺の手にグイと押し付けてくる。


 ありがとうございます司上司(つかさじょうし)。


 俺は司から渡されたプロテインをゴキュゴキュ飲む。ああー、のどがイガイガするー。



 さて、いよいよ午後も終盤戦。


 小学生男子自由形100mと少し時間が空いての、チーム別50m×4自由形のリレーだ。


 俺は司と一緒に選手控えエリアに向かう。と、その時、「おい、神児、このレース俺に勝ったら、さっきのレースチャラにしてやると言われた」


 実はこの前にあった、50mで司にタッチの差で負けての6位。その際、司から「やっぱり、お前、ボーナス無しな」と非情な宣告を告げられていた。

 

 途端にメラメラとやる気が湧き出る俺。現金だねー。まあ、でもしょうがない。フットボールの世界だって勝利給だのなんだのあるじゃないか。

 俺は両の掌でパンパンと体を叩きながらエリアに向かって行った。


 スターターがピストルを掲げる。今日一体何度このシーンを見たのだろう。まあ、そのおかげでスターターのタイミングは完璧に覚えた。

 俺は号砲と同時にプールに飛び込んだ。

 

 ジャポンというスムーズな着水。よし、飛び込みは成功だ。さっきは少し腹打ち気味に入水してしまいスピードが落ちてしまったのだ。


 今回は、幸先がいい。俺は4ストロークに一回息継ぎをする。その際、隣のコースの司の姿が目に入る。よし、頭一つ分勝っている。

 

 俺はそこから機械のように正確にストロークを続ける。サッカーとは全く違う個人競技、なんとなく、自分との闘いっていうイメージがある。

 それはそれでいいのだが、やっぱ目の前に司という敵がいるとなると、気合が入る。俺は渾身のキックで水を切る。


 しかし、どんなに頑張っても、司を引き離すことはできない。司はスムーズに水の中を滑るように泳いでいる。なんか俺とカロリーの消費量、全然違うんじゃねーの?


 練習でこいつの泳ぎ、いつも見るんだけれど、俺と同じ自由形を泳いでるのかと疑いたくなるくらいのきれいなフォーム。


 時折来る、弥生も莉子も感心してた。


「司君のフォームきれいだねー」と。ちなみに俺のフォームは?と聞いたら、ニッコリ笑って、「うん、神児もとっても頑張ってるよねー」と明らかなお世辞が……


 なあ、莉子、弥生、俺はきれいかどうかを聞いたんだ、別に頑張っているかどうかを聞いてはないぞ。

 まあ、その答えでよくわかった。

 こういうの可も無く不可も無くっていうんだよな。

 

 そんなこの夏のちょっとほろ苦い思い出を思い出しながら、淡々と泳ぐ。よし、1回目のターン、上手くいった。


 そこからは無我の境地、もしくは脳みそに酸素が足りなくなったのか、淡々と、1,2,1,2とリズムを取りながら泳ぎ続ける。


 2回目のターン、一瞬プールサイドで歓声が聞こえた。

 司の方を見る余裕はもう無い。

 

 3回目のターン、これが最後だよな。

 酸素の足りなくなった頭でどうにか確認する。


 と、「ラスト15!!」遥の声が聞こえた。

 

 俺は最後の力を振り絞り、ノーブレスで泳ぎ続ける。

 目の前の景色がプールの青からどんどんと色が無くなってくる。

 ああ、これ、ヤバい奴じゃん。

 

 そんな事を思いながらも、ストロークのスピードは一向に衰えない。そして、水を蹴る力も。

 

 俺は渾身の力を使い果たし、無我夢中でゴールした。

 

 空気、空気、空気、今一番欲しいものと言ったら間違いなく空気。俺はゴーグルの中、涙を流しながら息を吸う。鼻水はだらだら、よだれもだらだら、でもその全てをプールの水が隠してくれる。


 いいな、水泳って、かっこ悪い所を全部隠してくれる。

 

 そんなことを思いながら、はぁはぁと息をついていると、


「3コース鳴瀬君、タイム1分3秒52」と、


 そして、

「4コース北里君、タイム1分3秒88」と、


「よっしゃー!!!」こぶしを水面に叩きつける俺。司に勝てた、やっべえ、超うれしい!!頭の中からドクドクとアドレナリンとかエンドルフィンなんかのヤバい物質がドクドク出る。


 こんなに分かりやすく司に勝ったの初めてかもしれない。


「ちっくしょー」そう言って司も拳を水面に叩きつける。本当に悔しそうだ。


 おまけに、スイミングの連中を差し置いて、堂々の第三位、胸高々で銅メダルを手に入れました。


 その最中、会場に来てたスイミングのコーチから、「君、どこの、スクールの子?」とか聞かれちゃった。やば、ちょっと嬉しいかも…………


 ちなみに、一位の子は俺よりも5秒近くもタイムの速い58.8秒でフィニッシュ。その瞬間、会場にどよめきが起こったんだって。まあ、俺は泳いでいてわかんないけれど、


 ジュニアオリンピックとかに出れちゃう記録らしい。


 俺よりも5秒……ちょっと、訳分かんない世界だね。

 

 イアン・ソープを目指すのは、次の世界にタイムリープした時にしよう。 

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