第16話 14年目のハーフタイム その3

 八王子SCのみんなは足取り重く、俯いたままロッカールームに引き上げてきた。


 あと、2分しのぎ切れれば、後半1点差で迎えられたのに…………


 いくら後悔してもしきれない。その思いはみんなも同じなのか、悔しさから誰も口をきかなかった。


 しかし、そんな中、一人、司だけが能天気に檄を飛ばす。

「大丈夫、大丈夫、まだ、3点差、3点差」


 誰もが思う。まだ3点差ではない、致命的な3点差なのだと。


 すると、クライマーコーチが口を開く。

「ガッカリシテハイケマセーン、キョウのきみたちは、これまでのベストノたたかいをシテマス。もっと胸を張ってください。」


 今度は横森監督が、

「そうだ、まだ、あきらめてはいけない。今日のお前たちは今までで最高のプレーをしてるぞ!!もっと自信をもって!!」


 しかし、俺たちは分かってしまったのだ。


 自分の限界を超えるプレーをしてもこの点差なのだと…………


 肉体的な疲労だけだったまだどうにかなったかもしれない。


 でも、常にビクトリーズに与え続けられたプレッシャーが、中島翔太のプレッシャーが、俺たちの心を壊してくる。

 

 すると……「ごめん、試合前にあんなえらそうなこと言って、結局翔太を止められなかった」遥が頭を下げる。


 でも、誰も何も言えない。


 俺と遥以外、このチームでは翔太とまともにやり合えた選手は一人もいないのだ。


 守備の要の順平ですら、翔太にいいようにやられているのだ。


 司が口を開く。

「いや、遥はよくやってるよ。翔太にやられたって言っても、アレは事故みたいなものだ。」


 そうだ、遥は翔太にやられた一点目以外は、与えられた任務をちゃんとこなしていたのだ。


 責められるべきは俺だ。特に前半アディショナルタイムの4点目、あれはもっと集中していれば防げた失点だった。


 この試合を壊してしまったのは俺だ。


 俺は自責の念に駆られていると、司はチームメイトにポカリやタオルを配って裏方に徹していた。


「おい、神児」そういって、司は俺にポカリを渡す。


「ああ、サンキュー」俺はそう言って飲んだ。


 すると、その時、チームの中から「あれ、このポカリ、いつもよりも薄くない?」との声が。


「ああ、ポカリスエットってそのままだと濃すぎるんで水分の吸収が遅くなるんだよ。いつもより薄めてある」


「へー……」と武ちゃん。


「あと、これ、ちょっとぬるーい」と拓郎からのクレーム。


「ああ、急に急激に体を冷やすと、パフォーマンスに影響が出るからな」

 おやおや、すっかり、いつも北里コーチになってしまった。


 司の献身的なサポートでいくらかチームの空気も和らいできた。


 すると……「悔しいなー、分かってたのに、翔太のこと止められなかった」と遥が。


 司を見ると、首をかしげている。

「遥、分かってたって、翔太のこと?」


 またか、と言った遥の表情。

「えっ、なに、司も?」


「だから、なによ?」

 ふーっとため息をつく遥。


「だから、この前のミーティングで、翔太とは小さい頃からサッカーを一緒にやってて、クセとかいろいろ知ってるから、私がマンツーマンで付くっていったでしょ。なに神児とおんなじこと聞いてんのよ。忘れちゃったの?」


 俺は司の顔を見る。俺の視線に気が付いた司は首を振る。あらま、司も初耳なんだ。翔太と遥が幼馴染のことを……


「ああ、翔太とはお母さんが友達同士で子供の頃からよく一緒に遊んだんだってさ」ポカリを飲んでいる遥に変わって俺が答える。


「何それ、ちょっと詳しく」途端に司の目が険しくなってきた。


 その時、俺はちょっとした悪戯心で司をからかいたくなったんだ。


 ほら、だっていつもこいつ、えらそーじゃん。


「あのさ、遥は翔太と一緒の保育園に行ってて、お互いの家によく泊りに行ってたんだって」


「はぁ、なに、それ、俺聞いたことねーんだけれど!!」

 完璧に旦那のポジションになっている司。


「なんで、あんたに話す必要あんのよ!!」と遥も言い返す。


 そこで、俺は、面白半分で、爆弾を落とした。


「そうそう、遥は子供の頃よく翔太と一緒にお風呂も入ってたんだってさ」


「別に、今、それ言う必要ある?」と遥。ちょっとムッとしている。ゴメンね遥。


 その話を聞いた途端、司の顔が般若になった。やべ、爆弾を落としたつもりが地雷を踏んだか?


 司は般若の顔のまま俺の首根っこをつかむと、そのままズルズルとロッカールームの隅へ…………。


「てめー、嘘だったらぶっ殺すからな」声を殺して司が恫喝する。


「いや、嘘じゃない嘘じゃない、さっき遥から聞いたんだって、でも、ちっちゃい頃だぞ、ホント」


 脇の下から嫌な汗が流れてきた。


「ほんと……なん……だな……」


「あっ、でも、幼稚園の時だって、ほら、幼稚園の時ってお泊り保育で、みんなで一緒におふろとかはいったりするじゃん」


 すると、聞き耳立てていた遥が「ああ、小2まで一緒に入ってたわよ。だからそれが何!!」それの何が悪いのって感じで、あてつけのように司に言った。


「戦争だよ」

 司がぼそりと言った。


「えっ、司、今、なんてったの?」

 俺は聞き取れずに司に聞き返す。


「だから、戦争だっていってんだよ」


「せ、戦争って」やだねー物騒だね、司の奴。


「人の嫁さんと勝手に風呂に入ってんだ。こりゃ戦争だろ」


「いやいやいやいや、おかしいって司、ほら、昔のことじゃん、そんな、子供の頃の話だって」


 俺は声を殺して司をなだめる。


 だってそうだろ、司が人殺しの目になってるんだから。


 後悔先に立たずってこういう事を言うんだね。


「決めた…………」

 司はぼそりとそう言うと、横森監督の方へツカツカと歩いて行った。


「監督、怪我が治ったんで、試合に出してください」

 司は能面のような表情で横森監督に言った。


 先に反応したのはクライマーさん。

「ノー、ノー、ノー、ダメデス、ツカサ、ケガしてるのにシアイでるの」


「あ、コーチ、いや、痛くなくなったんで試合出ます」


「なあ、司、試合に負けてて悔しいのは分かるけど……」

 横森監督も説得に出る。


「ワタシ、タクサン、ミテキマシタ。サイノウあるセンシュ、ケガでダメニナルノ」

 クライマーさんの言葉に胸がギューッと締め付けられる。


 すると、司は包帯で巻かれた湿布を外す。


「ノー、ツカーサ。ヤメナサーイ」


 クライマーさんがやめさせようとするが、それより先に司が湿布を取ってしまった。


「ほら、もう、痛くないし」

 そう言って、オスグットになった左ひざを見せる。


「ノー、ダメネー、ツカサー、ワタシ、イマまで、トッテモタクサンノセンシュのヒザ、ミテキマシタ……オヤ」


 司の膝を目の前にして、監督とクライマーさんがなんか話し合ってる。

「アレ、アンマリハレテナイデスー」


「あの程度なら、行けそうじゃないですか」


 そんなことを話しながら、二人して腕を組んで悩んでいる。


 すると、「よし、司、俺と約束しろ」


「はい!」


「無茶なドリブルはするな!」

「ハイ」


「スライディングもダメだ」

「ハイ」


「できるだけダッシュもするな」

「ハイ」


「膝が痛くなったらすぐに教えろ」

「ハイ」


「…………こんなもんですかね、クライマーさん」

 最後に監督はクライマーさんに確認を取る。


 あんまりいい顔はしてなかったが、予想よりも膝の腫れが軽傷なのもあって、司の後半からの出場が決まった。


 一筋の光明が見えた八王子SC、とたんにチームのムードが華やかになってきた。


 と、その時、司が、「あのー……おれ、CBで出ていいですか?」と聞いてきた。


 今まで司のポジションと言ったらトップ下かフォワードが定番だった。それがいきなり守備の要のCB!?


 八王子SCの不動のCB武ちゃんが戸惑っている。

「えーっと、じゃあ、俺は、どうすれば?」


「お前は俺の右に入って翔太をケアしてくれ」


「じゃあ、俺、また、あの足早い奴とやるの?」


 前半、ビクトリーズの虎太郎とかいう選手にチンチンにされた大輔。ちょっと涙目だ。


「大丈夫だ、大輔、俺の言うとおりにプレーすれば」

 司にそう言われると、根拠はないけれど、なんだか安心する。


 大輔は「分かった」と頷いた。


「遥は引き続き翔太のマンマークな」

「わかった」


 さっきのいざこざは何処へやら。こういう切り替えの早いところが遥のいいところだ。


「翔、拓郎、陸、お前らが前半しっかり走ってくれたからどうにかここで持ちこたえられたんだ。後半もその調子で頼んだぞ」

「オッケー」


「そして、順平、お前の判断は全部間違ってない。たまたま前半は向こうにツキがあっただけだ。後半は全部止めてやれ、頼んだぞ」

 そう言って、司は順平の手を握る。


 司のモチベーターとしての本領発揮だ。


 いつの間にか、ハーフタイム直後の悲壮な空気はどこかに消し飛んでしまった。


「そして、神児、前半の4失点は全てお前の責任だ。後半で落とし前付けてこい」


 あれ、俺にだけ厳しすぎませんか上司。


 と、その時、司が俺の肩に手を掛けると耳元でささやく。


「お前の足が止まったらこの試合そこで終いだ。頼んだぞJリーガー」とささやいた。


 ずっりーな、司、そんなん言われたら、頑張らないわけにはいかないじゃないか。


 でも、俺はそれ以上に、司と11年ぶりにサッカーができることに心が躍ったんだ。


 フットボールの神様にお願いした願い事がかなった瞬間だった。

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