第9話 2008年6月の勝利のうたを忘れない。その2
「あ、いや、ちょっとシャワーを浴びようかと思って」
俺は春樹にそう答える。
「ふーんそう、でも、早くしないと司君来ちゃうよー」
春樹はそう言うと、またトタトタとキッチンに行ってしまった。
……司が来る、はて、朝っぱらから何の用事だ?
俺はとりあえずシャワーを浴びながら冷静に考える。
これはそのー、アレだ。昨日、あほみたいに酒をかっくらったせいで、まだ俺は夢の中にいるのか?
現実の俺はまだ、ハチスタのピッチの上で司と一緒に大の字になってのびちまっているのか?
それともアレか、これってアニメや漫画で見るタイムリープ?
いや、まさかな……とりあえずほっぺをつねってみる。うん、やっぱいたい。それにシャワーのお湯があったかくってものすごくリアルだ。
そういや以前司と酒を飲んで馬鹿話してたっけ。もしタイムマシンがあったら一体いつの時代に行くって。
二人の意見は一致してた。もう一回小学生からフットボールをやり直したいと……。
ってか、今日は一体何年の何月何日なんだ。
俺はシャワーを浴び終えると、リビングに行く。すると父さんが新聞を広げてコーヒーを飲んでいた。
新聞の日付を見ると2008年6月28日、どうやら今日は土曜日らしい。
それよか、お父さんの飲んでいるコーヒーがおいしそうだ。
俺はお父さんにお願いする。「ねぇ、父さん、それちょっと飲ませて」と。
「んっ、なんだ、神児、コーヒーのことか?」そういってコーヒーカップを持ち上げる父さん。
「これ、砂糖入ってないぞ、大丈夫か?」
「うん」俺はそう言ってコーヒーカップを手に取ると、とりあえず一口……
「あー、うまい」
ほろ苦いコーヒーの香りが口いっぱいに広がっていく。
寝起きのぼやけた頭にカフェインが染み渡る。
そんな俺の姿をマジマジと見つめる父さんと春樹。俺はそんなことを気にもせず新聞を手に取るとスポーツ欄を見る。
「ああ、明日がユーロの決勝かー」
2008年6月28日、今日はユーロ2008の決勝、スペイン対ドイツの試合の前日だった。
あれ、たしかユーロの前日って、何か大切なことがあったような…………
すると、「神児、なにのんきに新聞なんか読んでんの!!早くしないと司君が来ちゃうでしょ。今日の試合の前に司君とサッカーの練習するって言ってたでしょうが!!」
ああ、そうだ、今日は確か、小学生全国サッカー大会の東京予選の決勝だった。
と、その時、「ピンポーン」と玄関のチャイムが鳴った。
「おはようございまーす。神児いますかー」
ああ、司の声だ。懐かしい、そうそう声変わりする前ってこんな感じだったけ。
「ほら、神児、なにあんたボーっと突っ立ってんの、さっさと司君迎えに行きなさい」
「はいはいはい」俺はそう言いながら司を玄関に迎えに行った。
すると玄関には小学6年生の司が立っていた。お気に入りのアディダスのジャージを着ている。懐かしい。
「おう」と司。
「お、おう」と俺。
これは俺と司のいつもの挨拶。大人になっても変わらない。
「ごめん、まだ、ちょっと、準備がすんでなくて……」
俺がそう言うと、司の奴は「あっ、そう。じゃあ、おじゃましまーす」と言って勝手知ったる他人の家と言った感じで入ってきた。
「イエーイ、司君、おっはよー」春樹の奴が諸手を挙げてやってきた。春樹は司の大ファンなのだ。
「おう、春樹、おはよー」そう言って頭をわしゃわしゃ。俺よりもお兄さんらしい。
俺は恐る恐ると言った感じで、司に尋ねる。
「えーっと、司、今日の試合って何時からだっけ?」
「ああ、午後の1時から。10時にいつもの場所に集合だ」
てっきり、なにそんな大切なこと忘れてるんだと怒られるかと思ったら、思いのほか拍子抜け。時計を見るとまだ8時前、どうやらもう少しのんびりできそうだ。
「司君も朝ごはん食べたー?」母さんが聞いてくる。
「ああ、大丈夫です。食べてきました」
「あら、そう、でもよかったら、どうぞ」
お袋はそう言って、テーブルの上に置いてある、おにぎりやウインナー、卵焼きを勧めてきた。どうやら今日のお弁当の残りらしい。
「あー、じゃあ、せっかくなんで、いただきます」出されたものを断るのも失礼だと思ったのか、司はおにぎりを手に取った。
「そうそう、司君、飲み物牛乳だっけ?」母さんはそう言うと冷蔵庫を開けた。
すると……「あー、大丈夫です、牛乳は」そう言って母さんに声を掛ける。
「あら、そう、司君と言ったら牛乳っていうイメージだったんだけど」そう言うと、既にコップに注がれた牛乳を俺に渡してきた。
「はい、神児」
「あ、サンキュ」
確か小学生の頃の俺たちは、1センチでも背を伸ばしたいと、毎日馬鹿みたいに牛乳を飲んでいた。
二人してどちらが多く飲めるかなんて競争していたくらいだ。
もっとも、その後、牛乳を飲んでも別に背は伸びないという事と、日本人の7割から8割は乳糖不耐症といって、牛乳を飲み過ぎるとお腹を下すようになってしまうことを知った。
幸い、俺は、牛乳を飲んでも腹は下さないが、確か司の奴は、よく腹を壊していたイメージがある。
気が付くと春樹は図々しく司の膝の上に乗っかって司と一緒におにぎりを食べていた。
「司君、ウインナーもどーぞ」
「サンキュ、春樹」そういって春樹からウインナーをもらう司。
そういや司、太陽君が生まれてから積極的に育児もしてたな。同じ男として尊敬する。根っからの子煩悩なんだ。
すると親父が司に話しかけてきた。
「どうだい、司君、今日の相手、勝てそうかな?」
「うーん、どうですかねー、相手、とっても強いですからねー」
その時、ふと、違和感を感じた。司って子供の頃こんな性格だったけ……と。
確か記憶の中にある小学生の司は誰よりも負けず嫌いだったよな。
今みたいに質問されたら「絶対に今日は勝ちます」って言ってたと思う。
ちなみに今日の俺たちの相手は東京ビクトリーズ。ビクトリーという名前の通り、Jリーグ創設期からあらゆるタイトルを総なめにした名門中の名門だ。
もっとも近年はいろいろあってJ2暮らしが長く、古豪といったイメージが強い。けれども、育成に関しては、今でも日本トップクラスで毎年Jリーガーを多数輩出している。
緑色のユニフォームはここら辺に住む全てのサッカー少年の憧れでもあり、そして、恐怖の対象でもあるのだ。
「なんか、相手チームにすごい選手いるんだって?」
父さんがコーヒーを飲みながら司に質問する。
「ええ、中島君ですね。何度かサッカーしたことありますけれど、すごい上手ですよね」
膝の上に春樹を乗っけて、手遊びしながらそう答える。なんだか妙に堂に入った仕草だ。
「ふーん、司君がそう言うくらいだから、きっとすごい選手なんだろうなー」
「中島君って確か八王子市内の小学校に通ってるんですよ」
「へー、じゃあ、ここからビクトリーズに通ってんだ」
「そうみたいですね…………」
違和感ありまくりだ。なんだ、司の奴、子供の頃から翔太のことめちゃくちゃライバル視してたのに……翔太のことをけなすことはあっても、褒めてるところなんて記憶にない。
「あ、ところで、おじさん、コーヒーうまそうですね……」
俺は朝飯を食うと、司をさっさと連れ出した。
春樹が一緒に来たがっていたけれど、試合前の大切な練習だからと言って駄々をこねていたが無視して置いてきた。
司には今すぐ確認したいことがある。
「なんだよ神児、コーヒーくらいゆっくり飲ませてくれたっていいじゃないか……」司がぶつぶつ文句を言う。
俺の知っている司は子供の頃はカフェインは体に毒だと言って、コーヒーどころかコーヒー牛乳だって飲まないような奴だった。もっとも、その割にはコーラは平気で飲んでいたけどな。間抜けな話だ。
俺達はいつもの公園に行った。ここなら人気も無いし、ゆっくり話ができるだろうと思ったが……
「おーい、おそいぞー、待ちくたびれたじゃない!!」と、幼馴染の遥がふくれっ面で待っていた。
ここで紹介しておこう、俺たちの幼馴染で、司の未来の嫁さん、一ノ瀬遥(いちのせはるか)。所属は八王子SCジュニア。ポジションは右サイドバック。
数年後、東京代表でインターハイにも出るれっきとしたフットボーラーだ。
確かこの頃まで1対1のディフェンスなら俺や司よりも上手かったっけ……体もでかいし……
「はいはいはい、時間がないんだから、ちゃっちゃと練習する」
今日は遥からのリクエストで1対1のおさらいをしたいみたいだ。まあ、予定では今日の試合、翔太のマークに付くんだからしょうがないか。
あたりを見るとすでにいくつかのマーカーが置かれている。
遥は俺達にボールを渡してきて、「アップは必要?大丈夫だったら、このエリアで1対1を仕掛けてきて」と俺達に注文してきた。
どうやらここで、司と二人っきりで話すのは無理なようだ。
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https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16817330663817523185
作者近況ノートに空き地でサッカーをしている神児たちの様子をアップしました。
おやっ、土管の影に怪しい人影が……
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